戯れの恋じゃないから 10

「…そりゃ、すまなかったな。邪魔、しちまって。」
なんとなく複雑な気分だ。
自分の面を見たから萎えたなんて失礼な言い草だとも思うが、邪魔したのは事実だから申し訳ないとも
思うし、夕べ他の男とやってないと聞いてちょっとほっとしたところもある。

「だから、てめえは飯食ったら街帰れ。雨の中歩くんが嫌なら俺の代わりに船番しろ。」
どこが『だから』なんだろう。
「なんだってそう、てめえは俺を遠ざけたがるんだ。俺がホモのてめえを疎んじるってんならまだ
 道理は通るが、てめえに避けられる理由はねえと思うぞ。それとも…」
そんなに俺のこと、嫌いかよ。
うっかり口に出しそうになって慌てて飲み込む。
そうだと言われたら、もう立ち直れそうにない。

ゾロは晩酌用の徳利を横に置いて、これみよがしに深いため息をついた。
「…それは天然なのか、煽ってんのか、からかってんのか、俺で遊んでんのか?」
「は?」
ますます意味がわからない。
二人向かい合わせのまま、しばし睨み合った。

ゾロはちっと、舌打ちまでして見せて、視線を外す。
「てめえも男ならわかんだろ。久しぶりに陸に上がって、やるつもりだったのにやってねえんだ。
 それなりに溜まってんだよ。」
へえ…
サンジは純粋に驚きを覚えた。
そうか、このストイックな剣士でも溜まるんだ。
つうか、そんなことを口にしたりするんだ。
「ああ、そりゃわかる。ってえか、実は俺はあんまりわかんねえんだが、なんとなくわかる。」
曖昧にそう言って、うんうんと物知り顔で首を縦に何度も振った。
「特にてめえらホモってのは、身体が一番の目当てなんだよな。やってなんぼ?突っ込んでなんぼ?
 そういう意味でもすげえ悪かったよ。」
ゾロはむっつりとしたが、敢えて否定はしなかった。

「けどなあ、俺にはそこんとこが理解できねえ。好きでもねえ行きずりの相手でも身体だけ満足
 すんのか。俺はまあ、相手がてめえと違ってレディ相手だから比較にはなんねえだろうけど、
 それでもやっぱり気持ちが最優先だぜ。」
サンジは頬杖をついてうっとりと右斜め上あたりの空間を見つめだした。

「初めて出会った子でもよ、ルックスとか雰囲気とかノリとかでいいなーとか思うと、もう
 ドキドキしてよ。一緒に街を歩いてなんでもない会話で笑いあったりして、並んだときに肩とか
 肘とか触れるとわvとか思ったりして、楽しく会話が続けば内心ガッツポーズだし、食事だけで
 お別れしても、『楽しかったわ』なんて言われたら、それだけでハートがあったかくなったり
 すんだよ。てめえはそう言うのって…」
ぱちりと、視線を上げたゾロと目が合った。
ゾロはなんとも言えない表情でサンジを見ている。
「…ねえ、んだろうな。てめえには。」

つい失念しがちだが、この男は馬鹿な上に最強を目指す剣士だ。
恋だのときめきだのに同意を求める方が間違ってる。
俺のことだって、ガキくせえとか思ってんだろうな。

「け、てめえの枯れた人生なんて気の毒で仕方ねえよ。女の子一人の存在で薔薇色の日々に変わる
 俺の快適ライフを馬鹿にすんならしろっての。」
最後は少々拗ねた口調になって、サンジはお茶を飲んだ。
その仕種をじっと見つめて、ゾロの口から漏れた息は、ため息とはちょっと違う。

「俺はそんなの、毎日だぜ。」
「え?」
驚いて顔を上げたサンジにゾロが柔らかく笑いかけた。
うわ、こいつこんな顔…できんのか?

「それこそ俺にはしょっちゅうだ。顔合わせりゃあ小言か悪態しか出てこねえのに、その手から
 渡されるのは美味い食いもんだったり飲み物だったりする。ちょっとからかうとむきになって
 言い返してくんのも、すぐに飛んでくる足を避けるのも楽しくて仕方ねえ。それでも夜酒飲んでる
 ときは、普通の話も出来たりしてよ。このまま勢いでその髪に触れねえかとか、肩に触れられねえか
 とか、つい考えちまっては一人焦ったりしてな。」
そう言って、ゾロはくいっとコップ酒を呷った。
対してサンジはその姿勢のまま微動だにできない。
「酔いに任せて白状しちまえばそういうこった。気持ち悪いだろ。もう言わねえよ。」
ことり、と空のグラスを置く音でサンジは我に返った。

「ちょっと待て、それって…えっと――」
ゾロがそのまま席を立つ。
サンジは慌てて引き止めた。
「待てよてめえ、なんでそう何もかも言いっ放しなんだよ。もっとちゃんと、はっきり言いやがれ!」
少々キレて叫んだ。
それでもゾロの腕を掴む勇気まではないから、シャツの裾をちょいと摘んだりして。
ゾロは僅かに困惑したように眉を潜める。

「はっきり言っちゃあ、もう後戻りはできねえ。てめえが病的なほど女好きなのも俺あ知ってる。
 完璧にノンケなのもな。俺の思いなんて、気持ち悪いだけで迷惑だろ。だから最初から言う気は
 なかった。」
てめえにバレるまでは、と頭を掻いてみせる。
「い…やじゃねえ、っつったら?」
裾を掴んだまま、サンジは消え入りそうなほど小さな声で呟く。
だがゾロはそれに反応しない。
「雨は、小降りになったみてえだな。」
言われて顔を上げれば、確かに外から響く雨音が消えていた。
窓を叩く飛沫も見えない。
「街へ帰るか。もう暗いから、俺が行くか。」
ゾロはぎゅっと裾を握り締めたままのサンジの手に、軽く手を添えた。

「てめえは仲間だ。俺は仲間には絶対に手を出さねえ。自分自身にそう誓った。だから、安心しろ。」
「安心ってっ!」
サンジは焦れて癇癪を起こす。
だがなんといえばうまく伝わるのかわからない。
「てめえ、そんな風に思いながら船乗ってて、陸着くたびに男抱いてそれで満足なのかよ。SEXさえ
 できりゃあ、挿れられりゃそれで満足なのか?俺じゃ、なくても?」
言ってしまってから、顔を赤らめる。
サンジの手に沿えらえたゾロのぬくもりが、一瞬増した気がした。
「ああ、てめえでなくてもな。俺は男を抱くときは、どんな奴でもどこかてめえに似た部分を見つける。
 髪の色だったり、声だったり体つきだったり。指の形でもいいんだ。それだけで俺は満足だ。
 元々そいつはてめえじゃねえんだから。俺が本当に欲しいのはてめえだけだ。だから、てめえ以外は
 誰だって同じなんだよ。」
サンジの手をぎゅっと握って、静かに離した。
「てめえじゃなけりゃ、俺は誰もいらねえ。てめえ以外、誰も欲しくねえ。だから俺は、誰だって
 かまわねえんだ。」
手の甲を包んでいた温もりが離れて、指の間からシャツが滑り抜けた。
去ろうとするゾロの後ろ姿を呆けたようにしばし見つめて、サンジは拳を握り締めたまま叫ぶ。

「俺が欲しいって言ったら!」
ゾロは歩みを止めたが振り向かない。
「俺が、てめえ欲しいっつったらどうなんだよ。てめえが好きだっつって、俺から乗っかってったら
 どうなんだ、畜生っ」
ゾロは伏し目がちにゆっくりと振り向いた。
だがその表情は困惑したそのままで、突っ立ったゾロの胸板にタックルをかます勢いでサンジが飛び込む。
「仲間だからって、大事にされたり守られたりする謂れはねえんだよ。俺に遠慮なんかすんじゃねえタコ!」

精一杯腕を伸ばして、背中まで掻き抱いて自分から口付ける。
真一文字に引き結ばれたゾロの唇は硬くて乾いていたが、夢中で吸って舌で舐めたら
がしっと抱き返された。

軽く唇ごと咥えられて、ぱちりと目を開ける。
至近距離で睨むゾロの目は、いつもと違う色をしていて。
「…いいんだな。」
唸るように搾り出された声は、聞いたこともない響きでサンジの胸にまで届いた。

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