たこ焼き


秋を感じさせる高い空に、祭囃子が響いている。
神社や神輿からは遠いのか、姿も見えない。
電柱に据え付けられたスピーカーから流れるBGMだけで、お祭り気分だ。

ずらりと並ぶ屋台の間を、サンジは上機嫌で歩いていた。
念願だった、可愛いユマちゃんとの初デートにようやく漕ぎ付けたのだから、自然と頬が緩んでしまうのも仕方のないことだ。
「ユマ、たこ焼き食べたいー」
綺麗にネイルが施された細い指先がちょんとサンジのシャツの裾を摘んで、その仕種にさらにデレデレと鼻の下を伸ばした。
よし、すぐ買ってくるよとくるりと方向を変え、足を止める。
たこ焼き屋台は長蛇の列だった。
「なんかいっぱいだよ、もうちょっと先にもあるかなあ」
「えーやだぁ、ユマいま食べたい。お腹すいたー」
舌ったらずな口調でそうおねだりされては、聞き入れずにはいられない。
「わかった。ちょっと待ってて、並んでくる」
「早くしてねー」
どう見ても早く戻れる筈もない列ながら、サンジは笑顔で手を振り、列の最後尾に着いた。

焼きとうもろこし、ベビーカステラ、たい焼き、焼き鳥、綿菓子、クレープ・・・
食欲をそそる色んな匂いが交じり合って、雑踏の中はどっちを向いても客の列ばかりだ。
ともかく今はたこ焼き一筋と、時折背を伸ばしてユマちゃんの無事を確認しつつ辛抱強く列に並ぶ。
ユマちゃんは木陰の石垣に腰掛けて、脚をブラブラさせながら携帯に目を落としている。
すらりと伸びた足に際どいミニのワンピースが、夏の日差しよりも眩しい。

「しっかし、遅えなあ」
サンジは前に向き直り、無意識にポケットから煙草を取り出した。
人垣の中で吸うのはまずいかと、すぐに気付いて再び仕舞いこむ。
そうしている間にも、たこやきの列はまったく先に進まない。
二人前くらいに浴衣姿の女性がいて、その色っぽい襟足を目の保養にしながらジリジリと列が進むのを待った。
そうでないと、サンジのすぐ前に並ぶのは近寄るだけで汗臭そうな野郎だったからだ。

暑さを誇張するように、名残の蝉時雨が木立の中に響き渡る。
向かいの焼き鳥屋はさっさと客を捌けさせているのに、たこ焼き屋はほとんど動きがない。
それでも少しずつではあるが、確かに前に進んでいるようだ。
「たこ焼きやめて、たい焼きにしない?」
ありえないチョイスを選択しながら、後ろのカップルが列から離れた。
ユマちゃんもそうしないかなあと振り返ったら、チャラそうな男がユマちゃんに親しげに話し掛けている。
すわ、ユマちゃんの危機かと目を剥いたら、絶妙のタイミングでユマちゃんはサンジに視線を移し、笑顔で手を振った。
「大丈夫、かな」
心配して何度も振り向く内にも、列はジリジリと前に進んでいる。
ようやく、たこ焼きを焼いている場面が見える場所にまで移動できた。
一体どんなどんくさいジイさんがやっているのかと、人垣の隙間から覗き見る。

意外なことに、若い男だ。
きっちりと頭にタオルを巻いているが、襟足から覗く髪色は緑だった。
金色のピアスが3つも耳にぶら下がっている。
一見してチャラいナンパ野郎かと思いきや、その顔付きは精悍と呼ぶに相応しく真一文字に引き結ばれた口元もどこか凛々しい。
サンジと同じくらいの身長だが、身体は中々に逞しかった。
猫背気味に背を屈めて、千枚通しでちまちまとたこ焼きをひっくり返している。
その手際が、なんとも悪い。
焼けるのに時間が掛かるのはわかるが、鉄板が広いんだからこっちで焼いて、こっちでひっくり返してこっちに焼けたのを置いてと、その間にパックを準備して乗せて焼いてひっくり返して移動させればいいんじゃねえか。
もっと段取りよくすればもう少しペースは速まるだろうに、男はのらりくらりと手を動かし、いくら列が長くなろうが待つ客たちの視線が痛かろうが一切気にする様子もない。
ついでに言うと愛想もなく、金を受け取るのも釣りを渡すのもぞんざいで、見ているだけでイライラした。


―――ああもう、もっとテキパキやらねえか!
喉まででかかった罵倒をぐっと呑み込み、サンジはひたすら待ち続ける。
ちらりとユマちゃんの方に視線を移せば、石垣の上にその姿はなかった。
ぎょっとして振り向くのとは反対方向から、ユマちゃんの間延びした声が届く。
「サンジく〜ん」
「ユマちゃん?」
「クレープ美味しいよう、先行ってるねえ」
ユマちゃんはクレープ片手に上機嫌で手を振っていた。
隣にいるのは同じクラスの―――

「ちょ、ユマちゃんなんで?」
「片岡君がクレープ奢ってくれたの、たこ焼きよろしくぅ」
そんなことを言いながら、ユマちゃんは片岡君と連れ立って楽しそうに向こうへ歩いていってしまった。
「ちょっ、ちょっ、ユマちゃん?!」
そんな時に限って列が進む。
サンジは今更手ぶらで追い掛けてもムダだと悟って、がっくりと肩を落とした。

これもそれも、たこ焼き屋がドン臭いからだ。
どんだけ人を待たせたら気が済むんだ、こののろま野郎。

サンジの無言の怨念など意に介さず、たこ焼き屋は相変わらずのんびりと焼いている。
だからそこで油引いて、隣で生地流して流れ作業すりゃあいいじゃねえか。
つか、パックに入ってんだから売れよ。
つか、いくついるのかまず客に聞けよ。
1パック希望なら、そこに置いてあるの売ればいいじゃねえか。
なんで全部並ぶまで置いとくんだよ、冷めるじゃねえか。

もはや、サンジに失って惜しいものなど何もない。
思い切って足を踏み出し列から外れると、そのままズカズカとたこ焼き屋台の中に入っていった。



「お前、なにチンタラしてんだよ」
突然の闖入者にも、男はさして驚きもせず顔を上げた。
「いらっしゃいませ、パック幾つですか」
「あ、2つお願いします」
「はい、これもういいな」
横から手を出し、置いてあったパック1つともう1つは熱々を摘めて手早く袋に入れる。
「1000円です、ありがとうございます」
札を受け取って缶の中に入れ、もう片方の手で油を引いて生地を流した。
「次の方は、1パック。はい」
勝手に場を仕切りだしたサンジの存在を排除しようともせず、男は黙々とたこ焼きをひっくり返し続ける。
「次の方は幾つ?あ、3パックですね。少々お待ちください」
次々と客を捌きながら、千切りキャベツを摘まみタコを並べ落とした。
並んでいた客たちの動きがスムーズになっていく。


「おい、生地もうねえぞ。粉は?」
「ない」
「は?」
手を止めて携帯を取り出せば、いつの間にか2時間経っていた。
だがまだ宵の口だ。
「もうねえのかよ、タコも?」
「それで終わりだ」
「なんだよそれ」
もっと持って来いよーと文句を言いつつ、焼けているタコの数を数え、並んだお客を区切って謝りに回る。
「すんません、こちらで終了です。またお願いしますー」
なんだよもう終わりかよーと文句を言いつつ、他の屋台へと足を運ぶ客に頭を下げて、サンジはやれやれと肩を揉みながら屋台に戻った。
男は最後の客にたこ焼きを渡した後、サンジを省みることなく片付けを始めている。

「もう片付けんのか?」
「売るもんねえからな」
「なんでもっと持って来ねえんだ」
サンジは一斗缶の上に腰掛けて、煙草を取り出し火を点けた。
空に向けてふーっと煙を吐き出してから、あっと弾かれたように振り返る。
「俺のたこ焼きは?」
「あ?」
男は胡散臭そうに振り向いた。
「俺のだよ、俺たこ焼き買いに来たんだぞ」
血相変えて詰め寄るのに、男は無言で肩を竦めて見せるだけだ。
「畜生、他行ってやる!」
サンジは慌しく立ち上がり、たこ焼き屋の屋台を探すべく駆け出した。
その後ろ姿を呆気に取られたように見送ってから、また片付けを再開させた。




「なんだゾロ、もう店じまいか」
「はい」
「夜まで持たせろつっただろうが、なに張り切ってんだ。使えねえ奴だな」
「すんません」
さして悪いとも思ってない様子で、ゾロは顔も上げずにテントの中をすっかり片付けてしまった。
「しょうがねえ、ゲンさんとこ手伝え」
「はい」
頭に巻いたタオルを外して顔をぐいと拭うと、ゾロはヨーヨー釣りの屋台に向かって歩き出した。
途中、たこ焼きを片手にキョロキョロと誰かを探している金髪を見つけて、一旦行きかけてから足を止める。
食べ物以外には興味がないらしく、気付かずに通り過ぎる横顔を眺めながら、ゾロはふっと笑みを零した。



END


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