正しい魔獣の育て方 -6-



チョッパーの的確な処置を受け、子ゾロは医務室でスヤスヤと眠っていた。
うつ伏せの体勢で、真っ白な包帯がぐるぐるに巻かれた背中が痛々しい。
「傷、どんな具合だ?」
「大丈夫、筋肉に大きな損傷はなかったし、皮膚もできる限り細かく丁寧に縫ったから痕はほぼ残らないと思う」
「・・・ほぼ」
「そこは、サンジが気にすることじゃないだろう?」
問い返すチョッパーの声には、少し苛立ちが混じっていた。
「分裂したのも、まばらになって戦ったのもゾロの判断だ。サンジが気にすることじゃない」
「ごめん」
チョッパーだって戦闘後の疲れた身体で精一杯手当てしてくれたのだ。
傷が残ったとしても、それはチョッパーの処置の仕方が悪かったせいじゃない。
そんなことはわかっているのに、ついチョッパーを詰るような口調になっていたことを、サンジは反省した。
「でも、ゾロの判断って」
「海から俺を引き上げた後、二人でラウンジに潜んでたんだ。そしたらみんなが捕まってサンジが踏み付けられてて、それを見たゾロがいきなりワインラックから瓶を引き抜いて」
ゾロ自身、成長が止まるのを嫌ってかあれ以降、絶対に酒を飲もうとはしなかった。
そんなゾロが自ら酒を飲んでまで、現場を攪乱させようとしたのだ。
すべては、仲間を救うために。

「こんな、小さな身体で」
サンジはシーツに置いた手を、ぎゅっと握り締めた。
「確かに、小さいゾロが何人も飛び出てきたからパニックになったさ。隙もできた。お陰でやつらを撃退できた。それはわかるけど、でもこんな無茶な・・・」
「そうだな、無茶だ」
チョッパーも厳しい表情で、穏やかに眠るゾロの顔を見た。
「分裂の構造がどうなってるのか俺にもわからない。細かく分かれたゾロのどれか一人でももし、もし命の危険に晒されたとしたらどうなるか」
分裂している時に、もしもこの中の一人でも命を落としていたとしたら―――
そう考えて、サンジはぞっとした。
いくらゾロとは言え、こんなに小さくて幼いのだ。
あんな、刀や銃弾が飛び交う戦いの中でバッサリと斬られたら、それだけで終わってしまうだろ危うい身体。
そんななのに、仲間を救うために敢えて分裂して飛び出すだなんて。

「俺が、悪かったんだ」
「え?」
論理の飛躍に、チョッパーが戸惑いながら目を見張る。
「俺の育て方が悪かったんだ。だってよ、こいつそんなんじゃなかったじゃねえか。こんな、そりゃあ前から馬鹿みたいに無茶する奴だったけどよ、自分が勝つために、負けねえためにならどんな無茶だってしたけどよ。こんな、こんな風に人を助けるために身を投げ出すような、こんな奴じゃなかったのに」
「・・・」
「俺が間違って育てちまった。飯時にはちゃんと起きて来て、あまつさえ食卓の準備までするように躾けちまってよ。挙句がこのザマだ。自分のためじゃなく人のために闘うゾロなんて、こんなのゾロじゃねえよ」
両手で顔を覆い隠して俯くサンジの背後で、控えめなノックが響いた。

「あたしだけど、いい?」
顔を覗かせたのはナミだ。
両手にトレイを持っている。
「夕食作ったんだけど、こっちで食べる?」
「ああ、ありがとう」
「ごめんねナミさん」
サンジは慌てて振り返り、トレイを受け取った。
笑顔を見せるが顔色は真っ白なままだ。
「二人ともここにいることないんじゃない?あとはサンジ君に任せて、チョッパーは戻って休んだらどうかしら」
「ああ、そうだな」
「え」
サンジはブンブンと不自然なほど大きく首を縦に振った。
「それがいい、そうしろよチョッパー。手当てはこれで終わったんだろ」
「うん」
「あと、なにかしておくこととかないか?俺見てるから」
チョッパーはサンジとゾロを交互に見比べ、そうだなと蹄を顎に当てた。
「これといって特にない。多分ゾロのことだからこのままずっと眠ってるだろうと思うし、点滴はしてるから途中でトイレに起きたら手伝ったげて」
「わかった」
「ちょっと仮眠取ったら、また様子を見に来るよ」
「なんかあったら呼ぶから、ゆっくり休んでてくれ」
「・・・それと、ねえ」
ナミが、困ったような面白がっているような中途半端な顔付きで、口角を上げる。
「この子達は先にご飯食べちゃったんだけど、あとどうしよう」
見れば、ナミの長い足の先にわらわらとちびゾロ達が纏わり付いていた。

「・・・あ」
「―――あ」
うっかり失念していた。
ゾロは分裂していたんだっけか。
「サンジ君に会いたいのか、自分の分身に会いたいのかわかんないんだけどやたらとこっちに来るのよ」
サンジは思わずチョッパーの顔を見る。
「・・・近付けて、いいのかな」
「俺もよくわかんないけど、本人がそうしたいならいいんじゃないかな」
扉を開けば、あのきかん気のない小猿のようなちびゾロ達が、大人しく部屋の中に入ってきた。
なにやら神妙な顔付きだ。
「こいつらは、この部屋で預かるよ」
もしこのまま統合するようなら、それはそれで自然?に任せてみよう。
ゾロの怪我がどうなるかわからないけれど、これ以上不自然に手を加えてゾロの身体までも元の形から歪めてしまいたくはない。

「じゃあサンジ君、あとはお願いね」
「了解ナミさん。夕食ありがとう」
ナミに返事する時だけ快活な声を出し、サンジはおどけて敬礼するように片手を翳した。
「じゃ、チョッパー行こうか」
「うん」
ちびゾロ達とサンジを置いて、パタンと扉を閉める。
チョッパーの分をと持ってきたトレイはチョッパー自身が持って運び、ナミはその後をゆっくりと歩いた。

甲板に出て初めて、どちらともなくほっと息を吐く。
「・・・サンジ君、随分参ってたわね」
「聞いてた?」
「うん、そんな気はなかったんだけどつい耳に入って」
言って、ナミはははっと乾いた笑い声を立てる。
「本人は・・・いや、本人達はわかってないのかなあ」
「だね」
チョッパーも、溜め息を吐きつつも口元が緩んできた。
「確かに今のゾロはお行儀がいいかもしれないけど、本質は変わってないのに」
「サンジは、気付いてないんだな」
「自分のこともわかってないんだから、ゾロのことなんてちゃんと理解してないのかも」
「いや、そもそも自分に関わることだからわかんないってことなのか」
「鶏が先か、卵が先か?」
「いやあ、それとは理屈が違うと思うよ」
サンジの悲愴さとは裏腹に、ナミとチョッパーはほのぼのと会話しつつラウンジに戻った。





「お前ら、ちゃんと食ったのか?」
ちびゾロ達に囲まれて、サンジはやれやれとソファに腰を下ろした。
途端、わらわらとちびゾロ達が纏わり付いてくる。
ゾロは随分と大きくなって、いつの間にか人前で引っ付くような真似もしなくなっていた。
それなのに、分裂すると理性とか分別とかがなくなるのか、平気で我先にとしがみ付いてくる。
ほとんどちびゾロに埋もれる形になりながら、サンジは身体を投げ出して片手で胸に引っ付いたちびゾロの頭を撫でた。
「ちっこいのが一匹大怪我しちまったよ、大丈夫かよお前ら」
手始めに、胸の上に乗っているゾロの両脇に手を入れて持ち上げる。
繁々と眺めれば、このゾロは鼻の頭と頬と、それに腹の辺りに絆創膏を貼っていた。
右腕に引っ付いているのを見れば、こちらは脇腹に痣ができている。
左腕に引っ付いてるのは、後頭部にガーゼが当てられていた。
足も挫いているようだ。
右足にいるのは指先まできっちりと包帯が巻かれ、口の端が切れて腫れていた。
左足にいるのは、片目に丸く見事な青痣が付いている。
「なんだよ、みんな結構重症じゃん」
満身創痍だなと、両手を広げてたくさんのゾロをぎゅっと抱き締めた。
ちびゾロ達はそれぞれに目を瞑り、触れる場所からサンジの匂いを嗅ぐようにぎゅっと身を寄せてくる。
その内、輪郭がボヤけて二つの頭が一つになった。
右手のゾロが吸い寄せられ、左手のゾロもそれに倣う。
足元のゾロ達もそれぞれに形を歪め、いつしか一人の少年ゾロがサンジの腕の中にすっぽりと納まっていた。

「俺、これ見るの2回目だけどさっぱりどうなってるかわかんねえ」
ボヤいていたら、ベッドに横になっていたゾロがむっくりと身体を起こした。
両手で支えながら膝をずらし、ベッドから降りようとする。
「おい、大丈夫か?」
点滴の管をそのままに、サンジを求めるように片手を差し出した。
サンジは少年ゾロを胸に抱えたまま、ベッドへと歩み寄る。
少年ゾロとちびゾロを一緒に抱き締めると、ちびゾロは安心したように目を閉じて少年ゾロと一つになった。
そうして、サンジの腕の中にいつものゾロが納まった。



「ゾロ?」
くうくうと、安らかな寝息が立っている。
奇天烈な融合を果たしても、本人には痛くも痒くもないようだ。
ちょっと寝惚けて動いただけですとでも言うように知らん顔で眠り続けるゾロを、サンジはゆっくりとベッドに横たえた。
腕に刺さっていた点滴の針もそのままだ。
着ていたパジャマは小さくなって、伸びた手足があちこち不自然にはみ出しているけれど、布団を掛けてしまえば問題ない。
背中に傷を負っているのに仰向けにしても大丈夫かと一瞬思って、再び身体を起こしてやった。
布からはみ出た、今は逞しい広い背中に傷はない。
「・・・え?」
驚いて目を見張り、ゾロの顔を見直す。
目の周りの青痣も切れた口端の腫れも消えていた。
指先に巻かれた包帯を取れば、剣ダコだらけの無骨な指が現れた。
細かな古傷は多いけれど、今しがた付いたような傷はない。
「あ・・・」
身体を離して布団を捲る。
ゾロの胸に刻まれているのは、ミホークが付けた袈裟懸けの大きな傷。
再生の樹から甦って子どもになったゾロにも、確かにこの形の傷はあった。
けれどここまで大きく酷く生々しくはなかったような気がする。
今ようやくゾロは、元のゾロの身体へと変貌を遂げたような。
「・・・これで、よかったのかな」
仲間を庇って、無謀な闘い方をして。
小さいなりに満身創痍で傷だらけになって、これでようやく元通りのゾロの身体に戻れたのだろうか。
けれど心は?
気持ちは、サンジに惹かれたままで歪んでしまっているのでは、ないだろうか。

サンジが呆然と見つめていると、不意にゾロがぱちりと目を開けた。
もうすっかり大きくなって、上背だってサンジとは変わらない。
頬のラインにまだ幼さが残っているけれど、ほぼ昔のゾロと同じようなきつい瞳が今は少しぼやけながら視線を彷徨わせている。
「・・・ぐる眉」
「あんだ」
なんと言っていいかわからなくて、拗ねたように唇を尖らせたら横たわったままのゾロが片手を持ち上げた。
酷く優しい仕種で、サンジの頬を撫で髪を梳く。
それはサンジに懐いているちびゾロの動きそのままで、思わずくしゃりと顔を歪めた。
「んなこと、すんなよ」
「なんでだ」
「てめえの、キャラじゃねえだろ」
そんな愛しそうな目で、見ないで欲しい。
唯一無二の片割れを見つけたような、かけがえのない大切な者を慈しむような、そんな眼差しで見つめないで欲しい。
そんなんじゃなかったはずだ。
ゾロとは、そんな関係じゃなかったはずだ。

「てめえは、誤解しちまってるだけなんだ」
サンジは動揺を悟られないように顔を背け、ポケットから煙草を取り出して火を点けた。
軽く吹かして仰向き、ふうと天井に向かって煙を吐く。
「ガキに戻ってさ、いくら記憶がそのままだっつったってどうにもならねえ身体抱えて、ずっと俺に世話掛けてきたんだ。そりゃあ、頭じゃわかってたってどうしたって懐いちまうってのも、まあわかるぜ。けどそれだけのことだろ」
いきなり饒舌になったサンジを、ゾロは何も言わずにじっと見ている。
「てめえは勘違いしてるだけなんだ。いわゆる刷り込みって奴だ、最初に目にして世話を焼いてくれた人間を親代わりに慕うだけなんだ」
だから―――
「てめえはそんな目で、俺を見るんじゃねえよ」
言って、サンジはゾロの頬を殴りつける代わりに前髪を掻き混ぜた。
幾分小作りな、丸い額。
けれどもうすぐ、元通りのゾロになる。
その時、この小さなゾロの面影のままに慕われてしまったら、この先自分の気持ちがどうなるかサンジにはわからなかった。
以前のように尊大で横柄なゾロだったら、いっそ取り付く島もないほどに冷たいゾロだったら二人の関係もすぐに以前のペースを取り戻せるのに。
いつまでも優しくされたら、きっとこっちが勘違いしてしまう。

「―――くそっ」
大人しく横たわるゾロに悪態すら吐けなくて、額の上でぎゅっと拳を握る。
と、その熱が常より高いことに気が付いた。
「あれ、また熱が出てきたか」
サンジは手を引いて、自分の額をゾロのそこに付けた。
明らかに温度が違う。
サンジの肌の冷たさが気持ちいいのか、ゾロは大人しく目を閉じた。
「仕方ねえよな、大怪我したんだもんな。ゆっくり寝ろ」

静かに深く穏やかに寝て、すべてを忘れろ。
そうしたら俺も、すべてをなかったことにできるから。

宥めるように目元に掌を添え、サンジはゆっくりと煙草を吸い切った。




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