守護天使の日


「おい、ぐるぐる!」
後ろから声を掛けられ、振り向いたゾロはびっくりして固まった。
ぐるぐると呼びつけた相手が、なんとも奇妙なグルグル眉をしていたからだ。
「お前、さっきからなに同じとこぐるぐるまわってやがんだ、学校行くんだろ?」
だったらこっちだと、グルグル眉が追い抜いて走る。
ゾロは反射的に後を追った。

よく晴れた朝。
太陽の日差しを浴びてキラキラ光る、金色の髪はいい目印だ。
足も速い、追いつけそうで追いつけなくて夢中になって走っている間にあっという間に学校に着いた。
いつも、30分以上掛かるのに今日は10分で来られた。
玄関で靴を履き替え、教室に入るまでまた10分ほど掛かっている間に、グルグル眉はどこかに行ってしまった。

けれどそれから毎朝、グルグルの金色頭をどこかで見つけた。
晴れた日も雨の日も、曇りの日だって変わらずキラキラしているからすぐに見つけられる。
金色の頭を追いかけていれば自然に学校につけるから、ゾロは随分早く登校できるようになった。
その内、ぐるぐるは隣のクラスの生徒だと知った。
今までなんで気付かなかったんだろうと不思議に思うくらい、グルグルの金色頭はよく目立つ。
廊下にいても講堂に集まっていても、校庭を走り回っていてもグルグルはすぐに見つけられた。



次は写生で場所移動をするのに、教室に筆入れを忘れゾロは一人渡り廊下を走っていた。
まだ休み時間だから急ぐ必要はないのだが、ゾロがいない間に集合場所が変わることがよくあるから早めに行動するに限る。
目の端にキラリと光が映って、ゾロは足を止めた。
グルグルだ。
繁みの中で、一人で立っている。
何をしているのかと近付きかけて、一人じゃないことに気付いた。
グルグルより頭一つ大きい上級生が二人、前に立ちはだかるようにしてグルグルを見下ろしている。

「えーなにそれマジ?」
「きったねえだろ、落ちたパン拾うなんて」
なんで、学校でパンの話になるのだろうか。
ゾロはそれとなく足音を消して近付いた。
「別に、芝生の上に落としただけだろ。汚くなんかねえ」
グルグルは両手をぎゅっと握って、背の高い上級生を睨み付けながら甲高い声で言い返した。
「フーシャ公園だろ、芝生だってきったねえよ」
「こいつさっと拾ってすぐに食べたんだぜ、俺見ててげってなった」
ゾロははてと首を傾げた。
落ちたパンを拾って食って、なにが汚いというのか。
この上級生はもしかして、3秒ルールを知らないのか。

「だって、落ちたくらいで勿体無いだろ」
グルグルは果敢にも言い返す。
けれど握った拳はぷるぷると震え、喉が詰まりそうになるのを堪えるのが精一杯だ。
への字の口元が戦慄いて、見開いた瞳は潤んでいた。
「お前んとこレストランだろ。お前んちでも落ちたもん客に食わせんのか」
「―――!」
グルグルの顔色が変わった。
「勿体無いって、そうしてんのかもな」
「きったねえなあ」
「んなことしねえ!」
グルグルは、目に見えて身体を震えさせた。
顔色は真っ青で真っ赤で真っ白で、とにかく必死で上級生を睨み付けている。
「言ってやろー、おまえんちのレストランは落ちたもん食わせるって」
「きったねえなあ」
ゲラゲラ笑う上級生の前で、グルグルの口がきゅうと歪んだ。
それでも、必死で目を見開いて黙って睨み付けている。

涙が零れたら負けなのだ。
なんでだか、ゾロにはわかった。
泣いたら負けだから、グルグルは泣かないように堪えている。
涙が零れ落ちないように必死で、一生懸命堪えているのになのに勝手に涙が盛り上がって―――

その粒が、ほろりと目尻から零れ落ちる前にゾロは拳を振り上げていた。




大きな音に、上級生だけでなくサンジもびくっと身体を跳ねさせてこちらを向いた。
それどころか、他の教室にいた子ども達も先生も廊下に飛び出してきた。
ゾロの姿を見て、慌てて走り寄って来る。
「どうした、大丈夫か!」
「タオル、誰かタオル持ってきてっ」
「危ないから、こっちに寄らないで」
もう大騒ぎだ。
割れたガラスが足元に散乱して、そこに赤い血が点々と散っている。
大きな窓ガラスにひびが入り、鋭利な破片が窓枠から今にも外れそうだった。
「近寄らないで、先生が掃除しますから」
「とにかく保健室に」
ゾロは手にタオルを巻かれ、そのまま男性教師に抱き上げられて保健室まで運ばれた。
別に歩けると思ったが、大人たちがあんまり血相を変えて集まったものだから大人しくされるがままになっていた。
先生に運ばれる時ちらりとグルグルがいた方を見たが、上級生たちは物珍しそうに割れたガラスの近くに集まっていて、グルグルだけぽつんと繁みの中で立っていた。
ビックリしすぎたのか、涙を零すことも忘れてぼうっとゾロを見送っていた。

「窓ガラスがあることに、気付かなかったんです」
ゾロの答えに、先生は渋々ながら納得したようだ。
前の週にガラス拭きを行っていたし、ロロノア君は普段から少しぼうっとしたところがあるから、そういうこともあるでしょうと保健の先生も口添えしてくれた。
結局は自分のうっかりミスだ。
病院で3針縫って、迎えに来てくれた家の人にガラス代の弁償もして貰うことになった。
心配掛けたことと、お金を払うことと。
両方の意味でごめんと謝ったら、気をつけなさいと怒られた。
怒られたけれど、包帯でグルグル巻きになった手をそっと握って怒られたから、悪い気分ではなかった。



その後も、グルグルは毎朝のゾロの目印のままでいた。
親しく口を利くようになったのはそれから2年ほどあと、グルグルから猫を譲り受けた時からだ。
グルグルの名前がサンジだと、知ったのもそれからだった。

けれど、今も隣にいるグルグルは、時折ゾロが寝入っているとその右手に唇を寄せることがある。
右手の甲の、薬指から小指にかけて小さく残る傷跡は、もしかしたらゾロの唇よりも多くサンジのキスを受けているのかもしれない。


End


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