社長はお熱いのがお好き -12-




綺麗に片付けられたデスクの上で第2ラウンドを終え、二人は抱き合ったままソファに座り直した。
火照った身体を覚ましながら、サンジの煙草を拝借して社長は気だるげに紫煙を燻らす。
「禁煙されてるとかじゃ、ないんですか?」
「特にはね。別に吸っても吸わなくてもどうってことない」
社長の横顔をじっと見つめて、サンジは照れたように笑った。
「なんとなく、新鮮だな」
口の端に煙草を引っ掛けて、社長は愛しげに目を眇める。
「意外だったか?」
「まあ意外っちゃ意外。なんか健康嗜好、強そうですもん」
軽く吹かしただけの煙草を灰皿に揉み消して、社長はサンジの身体を抱え直した。
「これでも、若い内に悪いコトは殆ど経験済みだよ」
「へえ」
社長の口から『悪いコト』なんて言われても、ピンとこない。

「副社長のニコ・ロビンの婚約者が、私の兄であることは知っているね」
こくりと頷くサンジの前髪を長い指でゆっくりと梳きながら、社長は話し始めた。
「父親のジュラキュール・ミホークは企業の経営者としてはやり手だが、なかなか奔放な性格もしていてね。結婚はせずに
 あちこちに愛人を作り子どもを儲けている。私以外にも兄弟が6人いてね」
「えっ、6人?」
「その内社長に就いているのが長兄フランキーとすぐ上の兄エース。会社経営とは違う道で飯食ってる奴もいるし、社長
 以外の要職に就いているものもいる」
子どもを全員認知し、一つの邸に母子で住まわせながら生活していたのだという。
「・・・剛毅ですね」
なんとも言いようがなく、サンジはそう表現した。
「当然のことながら、ガキの時は無闇に反発して家を出てた。ろくに学校にも行かず、適当に塒を変えてぶらぶらしてた。
 まあ、サツの世話になるようなヘマはしなかったが」
当時を思い出してか、社長は穏やかな表情で苦笑を漏らす。
「ガキばっかりの世界じゃミホークの名前なんてなんの効力もない。それが心地良かったんだろ。だが表の社会に顔を
 出せば、必ず親父の影は付きまとう。お袋が病気で死んだのを機会に、結局家に舞い戻った」
ふと腕を伸ばして脱ぎ捨てられたシャツを拾い、サンジの肩に羽織らせた。

「実際、ジュラキュールの息子と聞けば誰だって愛想笑いを浮べて擦り寄ってきた。女にも金にも不自由しなかったし、
 兄弟と言えどもみんなてんでバラバラで、それぞれ勝手気ままに過ごしていたけどそれを窘める大人もいやしなかった」
サンジは黙って社長の言葉に耳を傾けていた。
サンジ自身、両親を早くに亡くし肉親の縁は薄いが、躾に厳しい養父に口喧しく育てられた。
鬱陶しいと何度も思ったが、それはそれで有難い境遇だったのかもしれない。
「ミホークはまるでチェスでもするように、人を駒にして競わせるのが好きだ。駒は息子でも他人でも関係ない。血の繋がりは
 抗い難いと言うか・・・兄弟は揃いもそろって負けず嫌いでな、高校に上がるころには親父への反発より兄弟間のライバル心
 のが強くなっていった」
うまく乗せられてたんだ、と苦い顔で呟く。
「元々勉強は嫌いじゃなかったし、経営学は楽しかった。親の会社に就職するのは抵抗があったが、実力さえあればすぐに
 要職に起用される。一つの会社を任されて、遣り甲斐がないなんてとても言えない。だがどうしたって、胸の奥で燻っている
 反発心は消せやしなくて、自分でも随分矛盾に満ちた行動をとっていたと、自覚している」
社長業に精を出しながらも、業績を上げれば上げるほど虚しさは募って行った。
どれだけ努力したところで、所詮父親の掌の上で背伸びしてるだけの話だ。
そんな青臭い問題で鬱々している自分が嫌になって、今度こそ社長を首になるつもりで思い切って一切の職務を放棄した。
「その時、君に出会ってしまったんだ」


受付で、客を豪快に蹴り飛ばした男。
失敗したと悟れば蒼くなって素直に謝罪を繰り返し、それでも納得が行かない部分は噛み付く勢いで筋を通そうとする。
ガキ臭くて一生懸命で、愛敬があってどこか憎めない、目立つ金髪よりも輝いていた笑顔。

「一目惚れってのは、本当にあるもんなんだな」
しみじみと呟く社長とは対照的に、サンジは耳まで赤く染めて誰もいないはずなのにキョロキョロと辺りを見回した。
「あの・・・本気で俺に惚れたんですか?」
「まあな。それでカリファに利用された」
「え?」
ダメ社長に気合を入れるため、産休に入るマキノの代わりにサンジを推したのはカリファだった。
このままダメダメで社長を首になっても別に構わなかったろうに、そんな策を講じるあたり、カリファもやはりロロノア社長を
気に入っていたと言うことだろう。
「君が秘書として側にいてくれて、しかも触っても嫌がらないし押し倒しても抵抗しないし・・・なんつーかもう、職場天国
 みたいな状態になったじゃないか」
「嫌がったし抵抗もしてました」
ここだけ真顔になって反論する。
「そうか?」
「普通はあれを抵抗と呼ぶんです」
そう言われても、社長に思い当たる節はなさそうだ。
「だが浮かれてたのも最初のうちだけだ。結局、君が俺を受け入れたのも仕事上の関係だったから。親密になればなるほど、
 君の身体が悦んで馴染んで行くほどに、また同じ種類の虚しさがつのって行く・・・」
「よ、よよよ悦んでなんかいませんよ!」
「所詮、君を繋ぎ止めているものは『社長』という肩書きでしかないと、思い知った」
顔を真っ赤にして反論するサンジを無視して、社長は横を向き一人切ないため息をついた。
何故か社長の膝上で正座しながら、サンジは畏まって首を傾ける。

「・・・あの、ひとつお聞きしたいんですが・・・」
「なんだ?」
社長は横を向いたまま、ガラスの向こうに煌く夜景を眺めている。
「もしかして、今回社長を辞めるとか言い出したの、俺のせいとか言いません・・・よね?」
恐る恐る言葉を発するサンジに、社長はぐりんと首をまわして顔を見合わせた。
「当たり前じゃないか」
一瞬ホッとしたのも束の間―――
「その通りだ」
ええええええーーーーーーーっ
今度こそ、サンジは社長の上から転落しそうになった。

「あんた!馬鹿ですか?つか、馬鹿!疑問の余地も無い、大馬鹿?!」
「失敬だな」
サンジが落ちないように向かい合わせでしっかり抱えて、社長は大真面目に言い返す。
「俺の生き方そのものが無意味に思えるほど絶望したんだ。自棄を起こして仕事辞めるくらい、世間ではよくあることだろうが」
「確かによくあることかもしれませんが、今回のこれはほんと勘弁してください」
罵倒の後は泣き落としとばかりに、サンジは社長の首に齧りついて力任せに抱き締める。


数百人の部下を従え、家長と言う絶対的存在を上役に持ちながら敏腕を揮っていたやり手の社長が、実はたった一つの
恋に振り回されていただなんて。
しがない、ただの男でしかない自分の為に、人生を棒に振るほど思いつめていたなんて。

「ほんとに、馬鹿だ――――」
嬉しいとか情けないとかそういう感情よりも、サンジはただ社長のことが哀しかった。
きっとずっと、虚飾の世界でしか生きてこなかったのだろう、彼の今までの人生が可哀想だった。


「俺だけは側にいます。社長がなんて言ったって、ずっと側にいます。一緒にダンボールにだって住みます。飽きたら
 捨ててもいいけど、それまでは側にいさせてください」
我ながら馬鹿な申し出だと思うけど、これが今の偽らざる気持ちだ。
社長は小さく馬鹿なと呟いて・・・なんだか困ったような怒ったような顔つきをして、それでも強く抱き締め返してくれた。















「社長お一人なら放置決定ですけど、サンジさんが一緒となると話は違って来るでしょ」
眼鏡を直しながらそう話しかけるカリファに、アルビダは笑みを返した。
「もっともらしい理由つけなくてもいいわよ。ちゃんと最初から抑えてあったくせに」
来週はレストランを借り切って、社を挙げての送別会だ。
退職者は社長・秘書に留まらず10数人に上るから大異動と言える。

「ジュラキュール・カンパニーにとって痛手ね」
「あら、私達がいる限り安泰でしょう」
アルビダは意味ありげに含み笑いをした。
「カリファはいいの?先を越されたんじゃない?」
カリファにしては珍しく、少し拗ねたような表情で横を向いた。
「そうでもなくてよ」
「あら、ロブは?」
カリファはちらりと、氷のような眼差しを寄越した。
そんなものに怯むアルビダではない。
「・・・彼、ネコだったのよ」
カリファの呟きに大きな瞳を一瞬見開き、続いてぶっと吹き出した。
「あらまあ、よかったじゃないペットが増えて」
「これ以上いらないわ」
またツンと横を向く。
「私が欲しいのは生涯の伴侶よ。もう、世の中つまんない男が多いったら・・・」
「だから、最初から社長狙いで行けばよかったのに」
アルビダの言葉に、ふんとはしたなくも鼻を鳴らす。
「私は、男と張り合う趣味はございませんの」
「同感ね」
手元のファイルを手繰り、アルビダはいつもの妖艶な笑みを浮べた。
「ともあれ、まずは新社長の品定めと参りましょうか」
それにはカリファも異論はないようだ。














ジュラキュール・カンパニーを円満退職した二人は、休む間もなく小さな事務所を借りて会社を立ち上げた。
1フロアですべて見渡せるような一部屋に、備え付けの机とPC機器だけを置いて10人以上の人間が犇めき合っている。
すべて元会社から勝手についてきた社員達だ。
経理部長だったナミも、肩書きをそのままに押し掛けてきた。

「女が一生仕事を続けて行く上で、あんたほどバランス感覚のいい経営者はいないのよ。四の五の言ってないでさっさと
 会社立ち上げなさいよ」
どっちが社長だかわからない横柄さでもって、キリキリと働かされている。
ナミ以外にも情報管理のウソップを筆頭に少数精鋭の気心が知れた部下ばかりだ。


「2年ほど傷心旅行に出るつもりだったんだが」
「・・・どこから突っ込めばいいのかしら」
「取り敢えず、社長の場合は間違いなく旅行じゃなく放浪になりますね」

一つだけちょっと離して隅っこに設置された机に座るロロノア社長に、サンジは熱いコーヒーを差し出した。
事務所が狭いから、サイフォンから立ち昇る香りはすぐに社員達の鼻腔を擽り、容易くリラックスタイムになってしまう。
「まあ、適当にのんびりやって行こう」
持参のカップで芳香をゆっくりと味わいながら、社長の左手はひらりとサンジの尻を撫でた。
「社長、セクハラで訴えますよ」
「それ以前に、もう社長室とかないんだから控えなさいね」
真向かいのデスクで電卓を弾く、ナミの目線が冷たい。

「独立した社長室が欲しいなら、まずはキリキリ働くことよ」
「うし、んじゃ頑張るか」
「・・・目的はまずそこか」
ウソップの呟きも、突っ込みにすらならなかった。





新会社を立ち上げ毎日目の回るような忙しさだが、仕事とプライベートの区別をしっかりとつける意味でも休日は
有意義に過ごすことに決めている。
社長が率先して規範を示せば自ずと社員達も見習うだろうとは、単なるき弁かもしれないが。
ともあれ、今度の休みには二人で部屋探しに出掛けるのだ。

ただのゾロとサンジとして、初めてのデートになる。






END (2007.9.29)