■電信柱の夜



学校の帰りに道場に寄って帰る。
曜日によっては、塾に寄ってから帰宅する。
ゾロの行動パターンはほぼ同じだが、帰宅時間は毎回異なっていた。
途中でワープしたかと思うくらい早く帰る日もあれば、どれだけ遠かったんだと驚くくらい時間がかかることも、ままある。
平均が割り出せないほど両極端なので、ゾロ自身、帰宅時間の目安は立てられない。


そんなゾロでも、今日は遠い方だなと思わずにいられない程度に、歩き回っていた。
携帯の時計表示は、22時に差し掛かるところだ。
塾を終えたのが20時だったから、そろそろ歩き始めて2時間が経つ。
帰宅予定時刻より2時間を過ぎると、親が自動的にGPSを駆使して迎えに来てくれることになっているが、今日は生憎、接待とやらで親も遅い。
心配して待っている家族がいないと思うと、多少時間が掛かっても大丈夫かと斜め下方向に安心して、思う存分早足で歩いていた。
――――と。
目の前の電信柱に、風変わりなセミが貼り付いていた。
風変わりというか、季節外れというか。
―――規格外でもあるな。
随分と大きくて手足も長くて、グレーの背広を着ている辺りはただのサラリーマンだが、外灯の下に照らし出された髪はキンキラと派手に明るい黄金色だ。
黄金色のセミの真似でもしているのだろうか。


「…ぅうう〜〜、ナミひゃあ〜〜〜ん」
セミは、ミンミンともツクツクボウシとも鳴かず、ナミひゃあ〜んと鳴いていた。
セミになりきれない人間だと判断し、ゾロはとりあえず足元まで歩み寄った。
本来なら、決してお近付きにもなりたくないしできれば目も合わせず、見なかったことにして通り過ぎてしまいたい奇矯っぷりだ。
だが、歩き疲れ歩くのに飽きたゾロにとって、目新しいアトラクションに見えた。


「なにしてんだ」
仰向いて声を掛けると、セミは鳴くのを止めておずおずと下を向いた。
逆光で顔はよく見えないが、どうやら若い男のようだ。
「…まりも」
そのまま前のめりに倒れ込んできそうな動きをしたが、急に手足に力を込めて心持ち尻を上げた。
「ひ〜〜〜〜ん」
「どうした」
何かに怯えているように見えたので、ゾロは一歩踏み込んで男の尻に向かって訪ねた。
「…むし、くろい、むし!」
「ああ?」
言われて足元を見る。
昨日の大風で折れた枝葉が散乱したのか、電信柱に吹き寄せるようにして枝や葉が固まっていた。
光の加減によっては、その影が大きな黒い虫に見えなくもない。
「虫なんていねえぞ、葉っぱだ」
そう言って足で退けてやる。
男は頭上からその様子を見つめ、ゾロの靴で退けられた場所に何もいないのを確認して安堵の息を吐いた。
「よかった、ご…、かと…」
虫に怯えるのとさっきの鳴き声とは、どんな関係があるんだろう。
ゾロはいろいろと疑問に思ったが、ともかくこれで一つの問題は解決したように見えた。
「虫はいねえから、降りてこられっぞ」
「…ありがと」
男は電信柱にしがみついたまましゅんと項垂れるという、傍から見てもとても器用な…けれど殊勝な態度を見せ、長い手足を不器用そうに動かして降りてきた。
身体が不必要なほど左右に揺れて、頭の座りも悪いのかぐらぐらしている。
地面に降り立ち振り返ったら、酒臭かった。
「酔っ払いか」
「よってなんか、いねーぞ」
酔っ払いはみんなそう言う。
「むしなんて、いないんだ。ナミさんも、けっこんなんて、しないんだー」
酔っ払いはそう言って、ああもう〜と呻きながら再び電信柱にしがみついた。
そのまままた登ってしまわないかと気になって、ゾロはこの場から立ち去れない。
「もう帰れ」
「なんだよ、なんでそんなにえらそーなんだよー」
ふらつきながら絡んできた酔っ払いは、20代前半くらいか。
いかにも、酒を飲み慣れていない若造といった感じだ。
派手な金色の髪は前髪がやけに長くて、片方の瞳が隠れている。
態度こそあれだが、見た目はしゅっとした顔だちをしているから、普通にしていればそこそこイケメンと呼ばれるかもしれない。
だが今はネクタイも緩み、背広は皺くちゃで酒に飲まれたサラリーマンの典型だ。
「なんだよーちゅうぼうかよー」
そう言って、目線の下にあるゾロの頭をぐりぐりと撫でた。
「かわいいなあ、まりもみてえだなあ、なあまりもー」
手加減しないから結構痛い。
好き勝手に人の頭をぐりぐりしてくるから、温厚なゾロもさすがにムッときた。
「早く帰れ酔っ払い」
「よっぱらってないもーん」
言いながら足を踏み出そうとして、右足が左足の前に来てつんのめった。
目の前で見事にコケた大の大人に、ゾロは溜め息を一つ落とす。
「…いひゃい・・・」
「しっかりしろ、歩けねえのか」
ゾロより頭一つ分高く、やたらとヒョロ長い手足を畳むようにして両手で持って、ぐいっと引き上げてやった。
「あるけるー」
「だったらまっすぐ歩け」
手を貸したつもりなのに、そのまま男はゾロに抱き着いてきた。
電信柱の次は俺か。
背を丸めて圧し掛かって来るので、重いし鬱陶しいし酒臭い。


「まりもがーこんなじかんにひとりあるきー。いっけないんだー」
妙な節回しで歌うように喋り、いっけないんだァと耳元で囁く。
「おにーさんがおくってってやるー」
「むしろ俺がお前を送ってってやる。家はどこだ」
ゾロは半ば男を背負うようにして、歩き出した。
とは言え、男の足は地面に着いていてズルズルと引きずられた。
「まりもんちどこー」
「俺は小手毬町」
「まりもちょうか、そりゃいい」
「小手毬だ」
毬しかあってねえじゃねえかと口の中でぶつぶつ文句を言ったら、男がゾロの頭の上に顎を乗せた。
「んなー、こでまりって、ここー?」
そう言いながら、電信柱に記された住所表記を指さす。
「ここーごちょうめー。まりもんち、なんちょうめー?」
「5丁目だ」
「んじゃここ〜」
言われて、改めて周囲を見回した。
そう言われれば、日が暮れてよくわからなかったが、この先を行けばいつもの交差点に出るかもしれない。
「5丁目の11番地」
「んー…じゃあそっちだ」
ゾロの背中に懐いたまま、男が進路を指すようにまっすぐに腕を伸ばす。
それにしたがって角を曲がれば、ゾロが住むアパートの灯りが見えた。
「あ、あそこ俺んち」
「そっかーよかったなまりもー、まりもんち、かえれた〜」
よかった〜よかったよ〜と頭の上で歌い出すので、ゾロはしーっと強めに言って声を潜める。
「近所迷惑だ、いま何時だと思ってる」
「まりもはおうちにかえれたのにー、ナミひゃんはけっこんするってー」
ゾロの首に回された両腕が、きゅっと強く締められる。
直接首を圧迫したりしないから苦しくはないが、背中からしがみつかれて少し困った。
「泣くな」
「ないてない」
ひくっえぐっと、男がしゃくり上げる度にゾロの背中に振動が伝わる。
シャツの襟元が湿っぽくなってきた。
背負った酔っ払いに号泣されて、ゾロはますますこの場から動けない。
「泣くならせめて中入ってからにしてくれ。マジで近所迷惑」
「ないて、ない…おうち、まりもの、おうち〜〜〜」


ナミひゃあ〜ん、ナミひゃあ〜〜〜〜ん…


電信柱にしがみついていた時と同じように鳴く酔っ払いゼミを背負い、ゾロは仕方なくそのまま家路に着いた。




END




 *  *  *




先日テレビで、大阪駅の発着メロディが「やっぱ好きやねん」になりました〜というニュースを見て、ああ大阪らしいなあと思いつつ、なぜか脳内で勝手に「大阪で生まれた女」にリンクして、そういえば“電信柱にしみついた夜”とかあったなあと思い出し、“電信柱にしがみついたサンジ”とか見つけたら可愛いなあとまで妄想した結果が、これでした。




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