スロウ・コールド


あれは事故にあったようなものかもしれないと、ゾロは頬杖をついた。
その証拠にコックはくるくると立ち働きながらナミとロビンに戯言を吐き、行儀の悪いルフィに蹴りをくらわす。
まったくもっていつも通りだ。
だとしたら、あれは悪いタイミングが重なったうえでの出来事に過ぎない。
寝ぼけ眼のゾロは卵焼きを箸でつまむ。
あれはムカつく野郎だが、作る料理は文句なしにうまい。
朝はごはん派のゾロのために炊かれた白米はつやつやと光り、味噌汁も用意されている。
ワショクってダイエットにいいのよねぇと言いつつも、ナミはコンソメスープを選ぶ。
まったくもっていつも通りの朝だった。


それは昨夜のことだ。冬島の海域が近いらしく、凍えるような夜だった。
いつからかは定かでないが、そんな晩にはサンジがゾロの毛布にもぐりこんでくる。
そのくせ、こうやって隣にいるのがクソむさい野郎じゃなくレディだったらなぁなどと文句をこぼす。
だったら出けと言ってやれば、おれを凍死させる気かとぐいぐいくっついてくるので、呆れかえる。
『あの』あいつらが一緒に寝てるよと最初は気味悪がられたが、最近ではクルーたちにも見慣れた光景だ。
体温の低いサンジは、水仕事をしているせいで余計に体が冷えるらしい。
ゾロの背中にぴったりと手を押しあて、無駄に筋肉つけてる訳じゃねェなと笑う。
自分の体で暖をとっている相手をどうして引きはがしてしまわないのか、ゾロですら分からない。
ただ、サンジの指先とつま先がびっくりするほどに冷たかったので。
こんなときしか役に立たねェんだからとへらず口をたたくサンジの言葉を借りれば、うまいメシの礼、でもあったかもしれない。


「おい、横開けろ」
翌朝の仕込みを終えたサンジがボンクの下段にいたゾロを揺さぶる。
「……今日は駄目だ」
背を向けて返事をされ、サンジは眉を寄せた。
「んだ起きてやがったのかよ、しかも駄目ってどういう事だ」
「今日はやめとけ」
ますます眉がひそめられる。かじかむ手足は人肌を求めているというのに、今更なんだというのだろう。
「ふざけんな、っての!」
毛布をはがし、ひょいとサンジがすべり込む。男二人ぶんの体重で木製のベッドがきしむ。
「いいからおれをあっためろ」
傍から聞いたら誤解されかねない台詞を聞く者はゾロだけだった。
見張りのフランキーを除くすべてのボンク内で鼾が響く。
「来んじゃねェ」
凄みのある声でゾロが唸った。
「るせェ、おれァ寒ぃんだよ」
そんな脅しはきかないとばかりにゾロの足に自分のをからめ、うしろから抱きつく。
あーやっぱりこいつあったけェと喜ぶサンジは、ぬいぐるみに抱きつくそれだ。
「てめ…」
強烈な気を発したゾロが、がしりと白い手首をつかむ。
それを下のほうに持っていき、あるものを握らせた。
「……」
「――わかっただろ」
振りかえりもしないゾロが握らせたもの。それは彼の勃起したナニで、感触からいってサンジのそれよりも大きい。
「前の島を出てからだいぶ経つ」
それだけで事情はのみこめた。
健全な青少年並みに性欲旺盛なゾロが島に着くたびに娼館に寄っていたのは知っていた。
それが、ここしばらく波間を揺られるばかりで発散できていないとしたら。
「そういう事だ。いくらてめェでも、くっついて寝られると…分かんだろ?」
押さえていた手を離し、ゾロはため息をつく。
触れているものの硬さと熱さを感じながら、サンジはぎゅっと目を閉じた。
「分かん…ねェよ」
「あ?」
「分かんねェ、どうなんだよ?」
「ああ?」
からかってやがる、とゾロは思った。こんな状態で誰かと同衾すればどうなるか、同じ男として分かるだろうに。
むかむかしたものがこみあげてきた。
「そうかよ。なら教えてやる。おれは今、たまってる。それこそテメェ相手でもやれる位な。分かったら離れろ」
言い終えるなりゾロは起きあがる。
「どこ行くんだ」
「うるせえ」
これ以上ここにはいられないと、ドアに手をかけた。
グランドラインの天候って嫌んなっちゃうとジャケットを羽織ったナミの呟きを聞いたとき、嫌な予感がしたのだ。

――これだけ寒けりゃ今夜はコックが来やがる。

そう思ったら急に下半身がずくりときて、さっさと寝ちまおうとしたがこんなときに限って船長がこじつけみたいな宴会を開いた。
酒に汚いゾロはラウンジを追い出されるまで飲み続け、案の定この体たらくだ。
早いとこ次の島で女を買わないと痛くてかなわねェと急ぎ足で甲板に出たときだった。
「ゾロ」
追いついてきたサンジの声。舌打ちでもしたい気分になった。
「来んな、クソコック」
「どこで寝る気だよ」
毛布をかかえたサンジが白い息をはく。その腕をとって、ゾロは至近距離で睨んだ。
「さっき、言っただろうが」
「……」
「今ならテメェ相手でもやれるぞ、おれァ」
「――やれるもんなら、やってみろよ」
「んだと…」
できるんならな、と毛布を押し付けられる。
「男相手に、できんのかよ?」
ぎりと睨み返すサンジは、まるで喧嘩を挑むかのようだ。
「ああ」
テメェだったらできるかもなと呟いて床に押し倒した身体が震えていることに、ゾロはそのとき気づかなかった。



やけに物音がするなと目を覚ましたゾロは、頭を振って身を起こす。
「――メシか」
広い船内といえど邪魔の入らないところは限られていて、散々悩んだ挙句、食糧庫にしけ込んだ。
壁ひとつ隔てたラウンジで寛いでいるクルーは、食卓を囲んで笑顔の筈だ。
睡眠は足りなかったがすっきりとした感じで、すこぶる快調だった。
それもこれもたまっていたものを発散できたおかげだと、ゾロは脱ぎ捨ててあったジジシャツを着る。
あいつは大丈夫だろうかと考えて、皺の寄った毛布を眺める。
あらかたサンジがきれいにしていったようだが、こびりついた精液だけは拭いきれなかったらしい。
これはどちらが出したものだろうかと思案するゾロはその傍らに血痕を発見し、やれやれと頭をかいた。


「このクソゴム! 食いすぎだ!」
「だってうめェんだもんよ〜」
「チョッパーに謝れ!」
けたたましい攻防が繰り広げられるラウンジで、そうっと伸びてきたルフィの掌にゾロは箸をつき刺す。
「ヒトの皿にまで手ェ伸ばすな」
「ちぇっ」
悪びれず唇をとがらせたルフィは代わりの料理を作ってもらうチョッパーをうらやましそうに眺めたあと、ゾロに向き直る。
「そういやゾロ、昨夜はどこで寝てたんだ?」
びく、とサンジの動きが止まる。
も、もうすぐできるからなチョッパー、と声が上ずっていて、気の毒なくらいだ。
「お前らのいびきがうるせェから倉庫で寝た」
顔色ひとつ変えずゾロは味噌汁をすする。
「だが今夜は見張りだから、その心配もねえな」
にやりと意味深に笑えばルフィは首をかしげ、サンジはキッチンを向いたままほらよ、とチョッパーに皿を渡した。


ロープがぎしぎしと軋み、展望室に現れたのはもちろんサンジだった。
「夜食だ」
お盆に載せられたいかにも安定が悪そうな差し入れは、中身がこぼれた様子もない。一体どれだけの平衡感覚のよさだ。
「寒ィからな、特別だ」
目の前で掲げてみせた徳利からは、日本酒のいい香りがした。
「やけにサービスいいじゃねェか」
「見張りの特権てやつだ」
いつもは酒なんて差し入れてこねえだろという言葉をこらえ、ゾロはお猪口を手にとる。
「レディの酌じゃなくて残念だったな」
慣れた手つきでサンジが徳利を傾ける。
「誰が酌しようが、味は一緒だろ」
むしろ面倒臭えと杯をあおったゾロは、おにぎりを空いたほうの手でつかむ。
握りたてでまだほんのりと温かく、大きさといい形といい理想的だった。
ゾロにとってはこのおにぎりが、これまで食べてきたものの中で一番うまい。ダントツといってもいいぐらいだ。
しかしこんなことを知ろうものならサンジが調子づくのは間違いないので、黙っている。
がぶりと噛みついたゾロは一瞬中の具に視線を走らせ、それから何でもなかったかのようにもぐもぐと咀嚼する。
「それ、しその実を漬けたんだ」
煙草に火をつけたサンジが、心中を見透かしてへへと笑う。
「ぴりっとしてて、お前向きだろ」
「そのままツマミでもいける」
「だな」
悪戯が成功した子供みたいな表情のサンジが、不意にぶるりと震えた。
「寒いのか?」
風は入ってこないが、今夜もよく冷える。寒がりのくせ何故かシャツ一枚のサンジには厳しいだろう。
「使うか?」
もしものために用意していた厚手のブランケットを広げ、ゾロは顎をしゃくる。
「おう」
どこか恥じらいつつ、サンジが隣にちょこんと座った。
「……」
いや一緒に使うという意味ではなかったとも言えず、ゾロは自分の体とサンジの体をふわりと包む。
「へへ」
嬉しくてしょうがないといった感じで笑いかけられ、ゾロは二個目のおにぎりに噛みつく。
さっきまでゆっくりと味わっていた夜食も、今はさっさと片づけてしまいたかった。
そうして空になった皿をつき返し、早くひとりになりたい。
「ちゃんと噛んで食えよ」
あーあと呆れるサンジが毛布の端をつかみ、こちらにすり寄る。ゾロはぐ、と飯を詰まらせた。
「なにやってんだよ」
くっくっと笑い、頬についた米粒をサンジが取る。ガキみてェな食い方だなあと、その米粒をぱくりと食べた彼の舌がちろりと覗く。
酒でおにぎりを流しこんだゾロは、妙に落ち着かなかった。
昨日までとはあきらかに違うコックの態度。その原因が昨夜の行為にあるとしたら。
「なあ、今日はしねェの?」
青い瞳で見つめられ、ゾロはぐ、と喉を詰まらせる。
今度は幸いにも食べ物は入っていなかった。
「昨夜もしたけど…それ」
それ、と視線を投げられた先は、カーゴパンツの合わせ目。半勃ちでもその存在を主張するゾロのモノが布を押し上げている。
「一緒に毛布に入んなら、やんねェと駄目…なんだろ」
困ったように首をかしげ、サンジはついと手を伸ばす。服の上からそっと握ったゾロの一物が、ぴくりとわななく。
「今日はいい」
「え…」
サンジが顔をあげる。そう言われるとは思っていなかったらしい。
「でもこれ」
「放っときゃおさまる」
相手の顔をまともに見られず、ゾロは窓の外を睨む。
夜食のおこぼれがないか、もしくは話し相手になってほしいかで乱入してくる奴らはナリをひそめ、二人きりの空間に追いやられる。
「それに、テメェも切れただろうが」
「え?…ああ、そ、そうだけどよ…」
狼狽しつつもサンジは手を離さない。切れたっつってもそんな大したことねェし…としどろもどろになる彼の顔は真っ赤だ。
「おれァ頑丈だから…大丈夫だ」
「痔になんぞ」
「そういう事、言うんじゃねェ」
「るせえ。とにかく今夜はいい」
柄にもなく赤くなりやがって、とゾロは舌打ちした。こんなツラさえ見なきゃ下半身が反応することもないのに。
ちらと覗いたサンジの赤い舌は昨夜の行為を彷彿とさせ、訳もなく兆してしまった。
しかし、セックス自体はあまりよくなかったのだ。
唾液で解したくらいではあの狭い器官に挿入するには充分でなかったし、女の絡みつくようにぬめるあそこに比べて、引き攣れる痛みを伴った。
所詮男同士はこんなもんかとがっかりしたゾロが、それでも何度も吐精できたのは奇跡に近い。
「じゃあ口でしてやる」
床に降りたサンジがゾロの前にかしずく。股間のジッパーをさげ、下穿きの中から一物をためらわず取りだした。
「おい、やめろ」
「ん…」
口いっぱいに頬張ったサンジが、拙いながらも懸命に舌を動かす。その刺激にそこがぐんと質量を増した。
まあ、わざわざやめさせることもねェかとゾロは考え直し、黄色い後頭部に手を置く。

その選択は間違っていなかった。
おかげでずいぶんいい思いをさせてもらった。






「おやつだ野郎共」
下の甲板でやったー!と歓声があがる。船尾で寝転んでいたゾロは薄目を開けた。
がつがつと頬張っているだろうルフィはこういうときだけしか大人しくならない。
取り分を横取りされそうになったウソップが騒いでいるのをバックグラウンドに、この寒空に元気な奴らだなと感心する。
「この寒空に外で昼寝たぁ、豪気なこって」
階段をコツコツと上がってきた足音がぴたりと止まる。
「これも鍛錬だ」
「アホか、呆れてんだよ」
数メートルも離れていない距離で見下ろしてくるサンジが、ほらよと盆から皿を投げてよこす。
難なくそれをキャッチしたゾロの鼻に、甘い香りがふわりと広がる。
「おやつだ」
なぜかそっぽを向いたサンジを訝りつつも、粉砂糖をまぶした焼き菓子にフォークをいれる。
「うめェか?」
「まあな」
「そうか」
茶の入った湯呑みも投げられ、それをこぼさず受け取るのは至難の技だった。

見張り台での翌日は、ラウンジで事に及んだ。
晩酌につきあってやるよと隣に座ったサンジの横顔をなんとなく眺めていたら、たいして飲んでもいないのに頬が赤くなった。
妙な野郎だと思ったがそれはそれは言葉にせず、白い首筋を舐める。あ、とサンジが声をあげた。
急にムラムラきたゾロはベルトを引きちぎる勢いでスラックスを脱がせ、自分の前を寛げる。
――ちょ、ゾロ。
――うるせえ。
――ま、待てって。これ、使え。
キッチンに逃げていったサンジが棚から小瓶を投げてよこす。
何だ?と思ったゾロだったが、しばらくしてそれが潤滑油であると気づく。
こんなものまで用意して。
そこまでしてやりてえか、と驚いた。
女好きを自負しているサンジが男との情交のためにここまでして。
チョッパーあたりに苦しい言い訳をしながら調合させた情景が思い浮かぶ。
もしかして男との経験があるのかもしれねェな、とゾロは緑茶をすすった。
だからあんなに抵抗なく体を許し、フェラチオはおろかどんな体位でも受け入れる。
この船でほかのクルーにちょっかいをかけている様子はない。しかしあのレストラン時代にはどうだったろう。
海に向かって煙を吐くサンジのうしろ姿を眺め、ムカムカしたものがこみあげる。
「おいコック」
「何だよ」

この五日間、体を重ねてきた。
最初は痛がるばかりだったサンジもも回数を重ねるにつれ快感に喘ぐようになり、前をいじらずともイくことがあった。

「俺とやんのはイイか?」
「バっ! ほかの奴らに聞こえるだろ!」
あわてて振りむいたサンジがきょろきょろとあたりを窺う。
「ほかの男よりもイイか?」
「は?」
ぽかんと開いた口から煙草が落ちる。
「それって…」
その顔が徐々に蒼ざめていった。
アンタたち無駄に元気ねえとラウンジを出てきたナミが遠慮なくオナラとげっぷをしたブルックを殴る。
ふふと笑ったロビンの声が、賑やかさに華を添える。
サンジはもはや土気色だ。その痩身が余計に寒々しく見える。
「ああ、焦げちまう…」
のろのろした動作で落とした煙草を拾う。質問に答えない相手にゾロは苛立つ。
「おい、コック」
「黙れマリモ」
サンジは掌で顔を覆い、怒っているのか泣いているのかよくわからない。

明日には島に着くだろうとナミが言っていた。そうなればどこへ泊ろうと自由だ。
誰にも気兼ねせず部屋で酒をちびちびと飲みながらまどろむことも、女を買いにいくこともできる。
上陸してまで男と枕を共にする趣味はなかったが、もしかしたらこいつと宿をとってしまうかもしれないと、ゾロは予感した。
「コック」
「ほかの男なんて…ねェよ」
苦しげにサンジがうめく。
「――そうか」
その返事に満足したゾロは、すっと気が晴れていくのを感じた。
けれどこの後どう話しかけていいのか、わからなかった。


END

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