■走馬灯


―――ミスったな。

サンジが覚えているのは、ここまでだった。
なにをどう失敗したのか、なにが起こったのかはまったくわからない。
ただ、自分の命が終わりを告げたことだけは理解していた。
単にドジを踏んだのか、誰かを庇って命を投げ出したのか。
ここに至った状況をまったく思い出せないが、気持ちは落ち着いて穏やかだ。
きっと、自分でも納得のいく最期を迎えたのだろう。

欲を言えばナミさんかロビンちゃんか、それとも誰か可愛いレディのために命を張れたのならいいなと思う。
レディのために命を落とすのなら本望だ。
というか、サンジの理想的な死に方はまさにそれだった。
愛しい者を庇うためなら、命だって惜しくない。
まったく傍迷惑で自己満足な最期だと思うけれど、サンジにとって真に幸福な命の終わりだ。

人は、死の間際に走馬灯を見るという。
今までのサンジの来し方を、一瞬の間でもって丁寧に脳内再生されるだろか。
それは嫌だな、とサンジは思った。
なぞり直していい思い出など、なにもない。
悲惨な幼児期と餓鬼の島と、ゼフへの負い目と思い出すのも恥ずかしい思慕ばかりだ。
それよりもっと、今わの際に焼き付けたい人がいる。


なぜか、頭の中にサンジが見たこともない風景が浮かんだ。
赤や緑に彩られた山に四方を囲まれ、豊かに流れる川を挟むようにして農地が広がっている。
どこかで立ち寄った、秋島の風景だろうか。
刈取りの終わった田圃の畦道を、子ども達が元気な声を上げ駆け抜けていった。
その中の一人に鮮やかな緑髪を見つけ、サンジは「お」と目を瞠る。

棒切れを剣のように振り回し、短い着物の裾からはみ出た手足をカヤの切り傷だらけにして、大口開けて笑っている。
―――こんな小せェガキの頃から、小生意気な面してたんだな。
見たことも聞いたこともないはずなのに、サンジはそれがゾロの故郷だとわかった。
季節に応じて色を変える山並み。
慎ましいながらも穏やかな村の暮らし、豊かな自然の恵みと素朴な人々。
多くの友人と厳しくも優しい大人達に囲まれて、ゾロはすくすくと育った。
やがて最弱の海・イーストの田舎で生まれ落ちたにしては異形ともいえる闘志と野望を抱いて、ゾロは旅に出る。
サンジが知らない、ゾロの冒険だ。
天性の迷子癖を発揮して、それはもう清々しいほどに自由闊達にあちこちを放浪した。
無事成人してちゃんと(?)海賊稼業に就いているとわかっているサンジでさえ、ハラハラするほどの無軌道っぷりだ。
ただ運がいいとしか言えないような展開で命拾いをしたり、意図せずして人助けし感謝されても気付いてなかったり。
声が届くなら、或いは手出しできるなら。
いくらでも世話を焼きたくなるほどに危なっかしいゾロの来し方。

ジョニーとヨサクという仲間を得て、実にゾロらしい理由で自由を奪われ、落ちた握り飯を美味いと頬張る。
そうして彼は、ルフィと出会った。

――――ここからは、俺も知ってる。
血飛沫を上げて海に落ちるゾロ。
『簡単だろう、野望を捨てるくらい!』
思わず叫んだ自分の声が、彼に届かなかったことを幸いに思う。
今なら、自分で自分の口を封じるために渾身の力で蹴り飛ばしてしまうだろう。
けれど、あの時の叫びは確かに本心だった。
そう思って、ずっとずっと生きて来たんだ。

ルフィに出会って、ゾロに出会って。
ナミさんにウソップにチョッパーに、かけがえのない仲間達に出会ってサンジの世界は激変した。
前だけを向いて夢だけ見て生きる。
サンジが思い描いたこともないような未来が、目の前に確かに広がっていた。

大好きな仲間達に自分が作った料理を食べさせて、命を繋いで、幾多の夜も酷い嵐も乗り越えた。
根本的に馬が合わない、喧嘩仲間のゾロだって時には笑顔で酒を酌み交わした。
くだらない口喧嘩。
意地の張り合い、子ども染みた挑発と小競り合い。
本気で蹴りを入れても、馬鹿みたいに頑丈な身体は全部受け止めて揺らぎもしなかった。
遠慮なく繰り出される真剣を紙一重で躱す瞬間は、なによりも高揚した。
あっさりと運に天を任せる投げやりな馬鹿さ加減も、勝つためには手足を犠牲にしようとすることを厭わない短絡さも。
ルフィの命乞いに首を差し出しても、身体を張った俺に当て身を食らわせ、虫けらでも見るみたいな目で見下ろしたときも。

ゾロ――――
ゾロ、てめえは前だけ向いて進め。
例えお前が歩む先が血塗れた修羅の道でも、どれだけ返り血を浴びたとしても、きっとてめえだけは穢れねえ。
その傷一つない綺麗な背中は、大切な誰かを守るためにあるのだから。

できることなら、てめえが大剣豪を名乗るのを見届けたかった。
オールブルーを見つける夢より、なぜかそれだけが心残りだ。
きっと何度も死に掛けて、何度だって生き延びるだろう。
夢は叶うもんじゃない、力づくでも叶えるものだから。
そしていつか、てめえも命かけて大切にしたいヒトを得るんだ。
相手は一体、どれほど素敵なレディなんだろうな。
お前ごときに捕まるなんて実に不幸なレディだけれど、でもそれまで見届けなくてよかったと、どこかで安堵している俺がいる。

なんで俺の命の終わりに、自分の走馬灯じゃなくてめえの半生なんて見ちまったのか。
訳が分からないけれど、でも本音では納得している。
今わの際に、思い浮かべた顔がてめえでよかった。
これで俺は、なにも思い残すことなく一人で逝けるよ。

ゾロ―――
ゾロ、てめえを置いていくことになんの未練もない。
てめえが生きて夢を追い続けるのなら、俺ぁそれだけでもう満足なんだ。
俺の夢は、誰かが後を継ぐ。
だからてめえは、てめえの夢を追え。
それはてめえにしか、叶えられねえ夢だから――――

ああ、小さいてめえが赤く色づいた葉っぱの下で笑っている。
夢でも幻でも、ガキでも、俺を知らないお前だとしても。
最後の最後まで、てめえの傍にいられて俺は、幸せだった。

カサリと、乾いた枯葉が儚い音を立てて崩れた。



   *  *  *



「気が付いたようね」

見慣れた美貌が至近距離で覗き込んでいて、サンジは瞳の焦点が合うと同時に反射的に後ずさった。
「んな?天使?!」
実際にはベッドに横たわったまま飛び上がったので、枕にぼすっと後頭部を埋めただけだ。
それでも眩暈に似た衝撃でクラクラする。
「大丈夫?やっぱりまだ正気じゃないのね」
ロビンの後ろから覗き込んだのは、これまた愛しいナミだった。
天使でも女神でもない、生身の美女が二人。
「え?ナミさん・・・それにロビンちゃんも」
「俺もいるよ、もう大丈夫だね」
チョッパーは耳に当てていた聴診器を外し、ほっと息を吐いた。
「寝ているサンジの表情がそれは幸せそうだったから、まあ大丈夫だろうとは思ってたんだけど」
ねーと顔を見合わせるナミ達は、どこか意味深な笑みを浮かべた。
サンジはもう「???」と疑問符だらけだ。

「俺、どうしたんだっけ?」
「覚えてないの?原住民に毒を盛られて生死の境を彷徨ってたのよ。サンジ君が毒見してくれたお蔭で私たちは無事だったんだけど」
ナミの説明に、そうだったかな・・・と記憶の糸を手繰り寄せるがやっぱりさっぱり思い出せない。
でもまあ、どうやら自分は助かったらしい。
「なに、俺毒で倒れてたのか。なんかカッコ悪いな」
面目ねーと両手で顔を覆ったサンジの背中を、ロビンは慰めるように擦った。
「助かってよかったわ。一時は本当に命が危ないと思われてたの。チョッパーもナミも、一睡もせず看病してくれていたのよ」
「ほんとに?ナミさん、そんなにも俺のことを・・・」
目をハートにして身をくねらせたサンジは、そのまま眩暈に襲われて再度ベッドに倒れ伏した。
「そうよ、すっごく心配したんだから。徹夜で看病は夜間割増よ」
仰向いたサンジの額に、ナミは軽く拳骨を落とす。
「だからゆっくり寝ててよね。でないと、ゾロが命張った甲斐もないし」
「――――は?」
なんでそこでゾロの名前が出るのか。
そこでようやく、サンジは倒れている間に夢を見ていたことを思い出した。
いい夢だった気もするが、はっきりと思い出せない。
いや、それよりも―――
「クソマリモがどうしたって?」
「サンジ君の身体に蓄積した毒は直接吸い出すのが一番早いって、ゾロが吸い出しちゃったの。お蔭で今度はゾロが毒に中って、いま撃沈中よ」
ナミの視線に促されて横を向けば、並べたベッドにゾロが寝ていた。
眉間に皺を寄せ、不機嫌な仏頂面で目を閉じている。
「・・・これ、大丈夫なのか?」
「直接摂取したサンジに比べたら薄まってるしね。多分、明日には目を覚ますよ」
チョッパーはこともなげにそう言って、医療器具を片付け始めた。
「サンジが目を覚ましたなら、もう安心だ。悪いけどサンジは、ゾロの様子を見ててくれるかな」
「そうね、どっちにしろゾロもしばらくは目を覚まさないから二人で仲良く寝てなさい」
「私達は部屋で休ませてもらうわ。徹夜は美容の大敵なのよ」
ナミはたわわに実った胸を惜しげもなく揺らし、大きく伸びをして立ち上がった。
「じゃあね、おやすみなさいサンジ君」
「どうぞお大事に」
「後で様子を見に来るから」

言い置いてさっさと医務室を出た3人を見送って、サンジはポスンと枕に頭を凭れさせた。
思い出そうとしても、やはりよく思い出せない。
だがどうやら、一応仲間のために身体を張った結果ではあったらしい。
生死の境を彷徨っていたなんて随分と大げさな気もするが、まだ全身を覆う倦怠感が半端ないからそれなりに身体にはダメージを受けているのだろう。
仰向いていた首をゆっくりと傾けて、隣に眠るゾロを盗み見た。

サンジの毒を吸い出したと、言っていた。
自分が毒に中ることを顧みないで、それこそ身体を張って助けてくれたんだろうか。
なぜゾロが、なんのために?
これじゃあまるで、ゾロが命の恩人みたいになるじゃないか。
そこまで考えて、サンジははっとした。
ゾロが直接毒を吸い出したって――――どうやって?

考えれば考えるほど怖い方法しか思い浮かばなくて、サンジは両手で口元を覆ってはわわわわ〜と声にならない叫びを上げた。
いやまさか、そんなことある訳ない。
ある訳ないけど、それ以外方法がないんじゃなかろうか。
だからあんな、ナミさんもロビンちゃんもどこか意味深な表情で俺を見ていたんじゃあ。
むしろちょっと同情気味で、憐れみを込めた眼差しを送って来ててんじゃあ・・・

「こんの…」
余計なことしくさって、アホマリモ!と枕を投げつけたくなったが、いかんせん身体が重くて腕もろくに上げられない。
横たわったまま歯噛みして、せめてもと隣に眠るゾロを睨みつけた。
相変わらず眉間に皺を寄せ、まるで修行僧みたいな仏頂面でゾロは眠り続ける。
サンジの毒を引き受けたのに。
ゾロだって生死の境を彷徨っているのかもしれないのに。

じっと見つめている内にゾロの眉間から皺が消え、口元にはうっすらと笑みが浮かんだ。
なにかしら、とても幸せな夢を見ているような寝顔だった。



End



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