それすらも恐らくは平穏な日々 21

「なんで、だ?」

ゾロの口元はまだ笑いの形に固まっている。
ずっと一緒に暮らそうと言ったはずだ。
もう離さないと何度も抱いた。


「ゾロ、俺が『鰐淵』でいる限り、クソワニの呪縛から逃れられねえ。」
少し俯いてから吹っ切るように真っ直ぐ頭を上げた。
「俺は、ジジイと一緒にフィンランドに行く。」







突然現れた見知らぬ祖父は、遠い北の国から娘を探しにやってきた。
手を尽くして調べたらもう十数年前に娘は死んでいて、残された息子は行方さえ定かに知れず――――

サンジは、他人事みたいに溜息をついた。
「ジジイにしてみりゃ、遣り切れなかったろうよ。」
ゾロは、何も言えない。
それが最良の策かも知れないが、己の感情がまだついていけない。

「今、ジジイは鰐淵に話ししに行ってる筈だ。」
「鰐淵が、許すかよ。」
「許さざるをえないだろ。おふくろの父親ってだけじゃねえ、おふくろが死んでからまだ15年、
 経ってねえんだ。」
意味深な言葉にゾロは顔を上げた。
「おふくろに、黒い服を着せた奴がいる。直接手を下してなくても、教唆って奴はあるだろう。」
「まさか、鰐淵が・・・」
サンジは慌てて首を振った。
「それはねえ。鰐淵のおふくろに対する愛情は本物だ。盲愛っていってもいいくらいだ。けど、おふくろを
 殺したいほど憎んでた人はいる。」
「・・・奥方か。」

サンジはカップを手にとって漸く一口スープを啜った。
「まあな、奥方は旧家の出で、父親も健在だ。鰐淵にとって愛情以外に大切にしなきゃならねえ存在で。
 要は頭が上がらねえらしい。」
人の悪い顔でにやりと笑った。
「おふくろの身内であるジジイが告発すれば、再調査くらいするかもしれねえ。実証される可能性は乏しい
 けど今の鰐淵にとっちゃあまり好ましくない事態だ。この機会を逃す手はねえ。」

だから―――――
「ここを出てくってのか。」
感情の篭らない、平坦なゾロの声が響く。
サンジは静かに目を閉じた。


「フィンランドにはよ、叔父さん達がいるんだって。それに従兄弟とかも。俺にはおふくろ以外のはじめての
 身内だし、会ってみてえし。」
あち・・・と舌を出して、笑う。
「それに、ジジイはレストランのシェフだってよ。自分で店も持ってるんだと。血筋っての?俺もどうやら
 食うもん作って人に食わせるのがすげ―好きみたいだし、ジジイについて修業すんのもいいかなあって。
 頑固そうな親父だけどよ。」
サンジの声のトーンが少し上がった。
唇を軽く開けて、歯を噛み締めている。

「だから、俺・・・このままじゃあんまり中途半端でいけねえから。高校も辞める。なんもかも清算して、
 フィンランドに、行くよ。」
隠しようもなく震える声で、サンジが話す。

唇をわななかせて、ぽろぽろ涙を零して――――
子供みたいに、サンジが泣く。

「だから、てめえとは――――…」
後が、声にならない。
嗚咽を伴って呼吸だか声だかわからない音が漏れてサンジは上を向いた。
溜まらなくなって、ゾロがその身体を抱きしめる。







「あのよ、俺―――ほんと、は・・・」
「うん。」
「…行きたく、ね・・・ずっと」
「うん。」
「ずっと―――てめえの、側で・・・」
「うん。」

うえええ・・・と、情けない声を上げてサンジが泣く。
小さく痙攣する痩躯をゾロはただ抱きしめていた。

サンジにとってそれが一番いい方法だとわかっている。
引き止める権利が自分にはないのだと、そのこともわかっている。
それでも泣きながら嫌だと訴えるサンジが、愛しくてならない。




「…、ゾロの、側にいてー・・・」

「なら、帰って来い。」
ひくっと頭が揺れた。
「俺らはまだガキだし、俺もこれから勉強しなおして大学行くしよ。絶対行くしよ。だから、てめえは
 あっちで料理の腕磨きやがれ。」
涙を一杯に湛えた目で、ゆっくりと見上げる。
「そいで、ちゃんと大人になったら、自分達だけで生きていけるようになったら一緒に暮らそう。
 そん時、俺の夢を叶えやがれ。」
眇めた瞼からまた新しい涙が零れ落ちる。
鼻を啜ってサンジはこくこくと頷いた。
何度も何度も、ゾロの胸にしがみついて頷く。

「ぜってーだ、約束しろ。」
「約束する。ぜってー帰る。てめえと暮らす。」

涙に濡れた顔を上げて目を閉じた。

誓うようにキスをする。
















泣きながら朝飯を食べて、顔も洗って身支度を整えた。
今日からやる気のゾロは学校に行く。
サンジは揃いのカップをそのままに、鞄一つで玄関に立った。

「そいじゃゾロ、ちょっと行ってくっからよ。」
「ああ、連絡先教えろよ。」
まるで買い物にでも行くみたいに、軽く別れようと思う。

「ジジイんとこ行くのは正直かなり悩んだけど、てめえが背中押してくれてよかったよ。」
「なんで悩むんだよ。」
「だってよー、名前がよ―・・・」
そう言えば名前が変わるのか。
「今の鰐淵ってのもすげーやなんだけど。ジジイの名前な・・・おふくろもそうだったんだけど・・・
 …ゼフ・ナンデヤネンっつうの。」

カチン、とゾロが固まってしまった。
微妙に片頬が震えてくる。
「笑うなよ。仕方ねえだろ名前なんだから。」
「・・・ってことは、てめえ・・・サンジ・ナンデヤネン?」
ぶはっと耐え切れず吹き出してしまった。
「笑うなっつうの!畜生、しょうがねえだろ。パティなんてなあ。あの運転してた奴だけど、あいつなんて
 パティ・ケツカイネンだぞ。」
益々可笑しくなって爆笑した。
つられてサンジも笑い出す。
目に涙を溜めて、腹を抱えて、ゾロが遅刻するギリギリまで笑い続けた。

























「調子はどうよ、浪人生。」
花の女子大生になったナミは以前にもましてゾロの側に入り浸るようになった。
家庭教師の代わりもしてくれるから正直助かっている。
「頑張れよゾロ。うまくいくと俺と同級生になるしな。」
ルフィの言葉にゾロは心底嫌な顔をした。
「同期だな、学部は違うけどよ。」
あれからルフィと意気投合したらしいウソップも、ついでみたいに引っ付いてくる。




ナミ達はゾロのバイト先にまで押しかけて、なにかとハッパをかけてくれている。
無事高校を卒業して、俄然ゾロは忙しくなった。
勉強も大事だがバイトにも精を出して、まずはパソコンを購入したい。
メールアドレスはもう貰ってある。
「サンジ君も、すごい頑張ってるみたいよ。この間家族で取った写真メールで送ってくれたんだけど、それが
 おかしいの。サンジ君以外に二人、眉毛巻いてるんだもの。」
「くそ、その画像見せやがれ。」
「携帯に入れてあるわよ、ホラ。」
小さな画面の中で相変わらずのアホ面が笑っている。
にやけた顔のゾロの背中をナミがどやしつけた。
「だからあんたも、頑張りなさいよ。サンジ君がいつ帰ってきても恥ずかしくないように。」
「おいゾロ、この皿おかわりー」
騒がしい客だなと悪態をついて、ゾロは仕事に戻った。

今はただ、精一杯頑張るだけだ。
いつか料理人になったサンジが帰ってくる。
そのときは、一人前の社会人になった自分が余裕で腕を広げて迎えるのだ。
離れていた年月なんてものともしないで、それが当たり前みたいに暮らせる日が来るに決まってる。






側にいて、笑って、バカしでかして、喧嘩して、愛して

愛して、愛して――――




家に帰ればサンジがいる。

そんな幸福を噛み締める日がきっと来る。









その時はきっと――――


それすらも、おそらくは平穏な日々になるに違いない。

END

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