空の深淵 -15-


食堂に着くと、先に来ていたエースがテーブル一杯に置かれた料理をものすごい勢いで平らげているところだった。
とても朝食とか、そんな程度のものじゃない。
吸い込むような勢いに、隣に座るマルコも心持ち身体が引けている。
「おう、お疲れさん」
姿を見せた二人に手を上げて、こっち座れと手招いてくれる。
「エースに取られないよう気を付けながら、お前らも食うといいよい」
「・・・いただきます」
二人顔を合わせて苦笑いすると、エースが頬袋を一杯に膨らませて顔を上げモガモガと何か言った。
多分「お先に」とか言ったんだろう。
エースの顔は雀斑がくっきり見えるくらい肌つやがよくなって、髪も黒々としていた。
食事で体力回復のみならず、若返り効果もあるとは驚きだ。
「たいした特異体質だな」
呟くゾロに、お前も酒飲んだら同じだろとサンジが突っ込む。
違いねえと、マルコが笑った。



「それにしても、ヴァンパイアどもの巣窟にうまく入り込めたもんだな」
「キャリアの違いっしょ」
ゾロの言葉に顔も上げないで、せっせと食べながらエースは答える。
「100年ぶりに目覚めたってのが幸いしたんだよい。長く生きるヴァンパイアは、時に時代から取り残される。人間が進歩する生き物だってことも気付いてねえかもしれないよい」
マルコの言葉に、そうそうと大げさに頷いた。
「Dの血を引いてるってだけで無条件に信用してくる、あっちのが逆に俺は心配になったね。あんなんじゃこの先、やっていけねえって」
エースの言葉にそりゃねえやと皆笑った。
ふうんと頷いているサンジの顔を見上げ、モグモグ咀嚼しながら軽く指をさした。
「敵を欺くにはまず味方からって、この作戦はマルコ以外知らなかったことだ。勿論サンちゃんもね。なのになんで、俺のこと最後まで疑わなかった?」
あの状況で、まさに八方塞だったはずなのに。
サンジはきょとんとして目を瞬いた。
「なんでって、エースはヴァンパイアじゃないだろ」
そう言ってから、にかりと悪戯っぽく笑って見せる。
「“餌”の俺が言うんだから間違いねえ。エースはヴァンパイアじゃないと俺が知ってるから、最後まで信じてたさ」

クロコダイルとダズに玩ばれている最中、サンジはエースから意識を外さなかった。
そしてじっと待っていた。
戒められた両手を外す時、こっそりと何かを握らせてくれるまで。
「いずれにしろ、サンちゃんの機転がなかったらこうまで上手く事が運ばなかったな」
「俺にできることは、限られてるよ」
サンジは寂しげにそう呟いて、ゆっくりと煙を吐いた。
それを潮に、マルコが立ち上がる。
「さてと、俺はもっかい現場戻って様子を見て来るよい。ゾロ、一緒に来てくれるか」
「ああ?」
なんでとばかりに、あからさまに嫌そうな顔をする。
「お前さんが街で一番暴れてっからよ。こっちで掴んでるヴァンパイアの数とみなが狩った分、取りこぼしがねえか確認するんだよい」
ゾロは渋々腰を上げた。
すぐ戻ってくるからと、サンジにだけ聞こえるように言って店を出る。

「なにあれ、熱々?」
呆れた声のエースに、いやあとサンジは慌てたように手を振った。
「別に、心配性なだけだから」
「つか、もうなんの隠し事もなしにベタ甘になってるねあれ。開き直ったか」
ブツブツ言いながら、デザートのパンケーキを頬張る。
本当に、どこまで入る胃袋なんだろう。
感心して見守るサンジに、エースはふと目を眇めた。
「・・・どうしてそんなに、俺のことヴァンパイアじゃないって信じてくれるの」
だって君は、とっくに気付いていたんだろう。
そう問えば、サンジは煙草を吹かしながらゆっくりと首を振った。
「俺が気付いたのは、エースが不用意に俺に近付かないよう、努力していることだけだ」
ゾロと結ばれた日から特に、エースは顔を見せないようになった。
会うとしても太陽が昇ってから。
二人きりにはならないで、さっきだってサンジが触れようとするのを必死で止めた。
「だから俺は、絶対エースはヴァンパイアにならないと思ったんだ」
じっと見つめる瞳は、煌くように艶のある黒だ。
もう、赤い色じゃない。

「俺がそうならないでいられたのは、全部サンちゃんのお陰だよ」
エースは愛しげに目を細め、しみじみと言った。
挫けそうな時は何度もあった。
誘惑に負けそうな時だって何度もあったし、今だって我慢するのに必死になってる。
でも一線を越えそうになる自分をその度支えてくれたのは、マルコを初めとするハンター仲間達。
そして出会った、ヴァンパイアに愛されて育った優しい“餌”


「俺は父親が死んでから、生まれた」
Dの血を引く親の、顔も知らないのだと笑う。
「“餌”だった母はあの部屋で俺を産んで、父親を狩ったハンターに預けたんだ。ヴァンパイアとしての血が覚醒したなら殺してくれと」
「・・・そんな」
絶句するサンジに、ゆっくりと首を振る。
「その後、母は一人で細々と暮らし、ある日なにを思ったかふらりと外出してヴァンパイアに襲われ死んだ。一人ぼっちの寂しい最期だった」
世間から隠れるように暮らした“餌”は、誰に看取られることもなく干乾びて死んでいった。
「ヴァンパイアの“餌”だからって、人間は同情してやくれない。むしろ、悦楽に溺れた淫売だと蔑まれたよ。お前の母親はヴァンパイアの虜になって、快楽が忘れられずに夜中にさ迷い歩いた。その結果がこれだと」
あまりの酷さに、サンジは青褪めたまま首を振った。
そうじゃないと言いたいのに、そう見られてしまう現実もまた、嫌と言うほど知っている。
「ヴァンパイアの血を引いているからこそ、淫売の母を持ったからこそしっかりと人間として生きなけりゃと、いつだって肩肘張って生きてきた。誰にも指を指されたりしないよう、足元を掬われたりしないように気を張って、身構えて」
「エース・・・」
「狩りの手段も覚えた。俺は海楼石に直接触れられないから、体質を生かして火炎術を身に着けた」
自分でクロコダイルに懐剣を突き立てられなかったのは、その理由からか。
「ハンターになって多くのヴァンパイアを狩ることで、自分のアイデンティティを確立してきたつもりだ。俺はヴァンパイアじゃない、さりとて人間でもない。ただのハンターだ」
だからこそ―――
「サンちゃんの言葉が、嬉しくてさあ」

この部屋の主は愛されていたと、サンジはきっぱりと言ってくれた。
今まで誰も指摘したことのない、忌まわしいはずの過去が甘い思い出に変わるくらいに鮮やかな口調で、まるでそれが真実であるように。
「嬉しくて、さ」
さらりと前髪が落ちてエースの目元を隠すのに、サンジは手を伸ばしてグリグリとその頭を撫でてやった。
まるで子どもにするみたいに。
いつもゾロにされてばかりだから、自分が誰かにしてやるなんて新鮮だ。

「俺はヴァンパイアに愛された“餌”だぜ」
だからこそわかるんだと、意味もなく威張ってみる。
「そしてエースはヴァンパイアじゃない、これからもずっと。それはゾロだってわかってる」
エースがサンジに来るなと叫んだとき、ゾロが先立ってエースに触れた。
サンジを拒む訳に気付かないはずがない。
けれどゾロは敢えて目を瞑った。
知ってしまえば、エースを殺さざるを得ないからだ。
ヴァンパイアの血を引く者は、誰あろうと殺す。
その宣言に今も揺るぎはないだろう。
だからこそ、ゾロはエースがヴァンパイアの血を引いていることを頑なに認めない。
それでいいと思う。

「俺がそうならないでいられたのは、サンちゃんのお陰だよ」
何よりも美味そうな匂いを放つ、極上の“餌”
何度も理性を狂わされそうになって、あれほどの痴態を目の当たりに見せ付けられて、それでも焼き切れなかった自分を褒めてやりたい。
おどけて呟くエースに、サンジは赤くなりながら撫でていた頭を小突いた。
「もういいから、忘れろ」
「そうは行かないよ、あれで1年は抜けるね」
「抜くな!」
真っ赤になって煙草を揉み消すサンジに、エースは明るい笑い声を立てた。





狩りの後始末や打ち合わせやらで、店に戻れたのは夕方だった。
ゾロを伴って帰るのは初めてで、サンジはなんと説明しようかと内心困りながら裏口から入る。
そもそも、再びこの店に帰るつもりはなかったから、尚更複雑だ。

サンジの顔を見て、主人夫婦は手放しで喜び抱き付いて来た。
パーティ会場が狩りの現場になったと聞いて、心配のあまり夜通し眠れなかったらしい。
ハンターから無事を聞いてはいたけれど、ちゃんと顔を見るまではとこの店を離れるのも渋っていたとのこと。
「店離れるって?」
「今晩、この辺りでもう一度大掛かりな残党狩りをするんだってさ。だから一晩避難しろって」
聞いてないかい?と逆に問われ、サンジの代わりにゾロがそうですねと頷いた。
「挨拶が遅れました、ハンターのゾロです」
「まあ、あんただね。大活躍だったって聞いてるよ」
サンジが知らぬ間に一躍有名人になったらしいゾロに、女将さんがはしゃいだ声を上げた。
「サンちゃんもハンターだったんだってね。作戦とは言え、黙ってるの辛かったろうねえ」
振り向いてそう言われ、サンジの方が目を丸くした。
「あんたみたいな腕を持つ子が、うちなんかに来るなんてなにか訳ありだろうとは思ってたけど、こういう事情なら仕方ないさ」
主人は目を潤ませて、ウンウンと一人頷いている。
「ハンターは危険な仕事だ。あんたみたいな優しい子に勤まるかどうか・・・いや、これは俺らが心配することじゃないかも知れねえけどな」
そう言って、ゾロへと視線を移す。
「この子は俺らにとってもう、息子みたいなもんだ。よろしく頼むよ」
ゾロは神妙な顔をして頷いた。
「はい、俺の大切なパートナーですから」
「・・・ゾロ」
思いもかけない言葉に、サンジは目を瞠って唇をきゅっと引き結んだ。
瞬きしたら、何かが零れ落ちそうだ。


先に避難するよと言って、夫婦は店を出て行った。
気が付けば、ご近所一帯がガランとしている。
「俺らは狩りに参加しなくていいのか?」
話を聞いているらしいゾロにそう問うと、まあなと気のない返事をして、勝手にサンジの部屋へと階段を昇り始めた。
「今夜の狩りは、俺らは免除だ。ゆっくりしようぜ」
綺麗に片付けられた部屋の中にぽつんとあるベッドの上に、勝手に寝転んで手招きしている。
サンジは暫く戸口でモジモジしていたが、しょうがないかと息を一つ吐いて、その脇に潜り込んだ。

「いいのか?」
「なにが」
「俺がハンター、名乗っても」
なにを今更と、サンジの唇を熱心に吸いながらゾロが片眉を上げて見せる。
「大ヴァンパイア、クロコダイルを狩ったのはてめえだろうが」
「・・・けどよ」
あれだって、きっかけを作ったに過ぎない。
ゾロの足手まといにだけはなりたくないけれど、いざというとき非道になれる自信も無かった。
「お前がいてくれて、強くなれる」
サンジの心を見透かしたみたいに、ゾロはキスの合間に言葉を紡いだ。
「それは多分、俺だけじゃないだろう」
暗にエースのことを指しているのだと気付き、サンジはそれ以上続けないようにゾロの唇を積極的に塞いだ。

きっと変われる。
限られた時の中で生きるからこそ、想いは強さに変えられる。
「ゾロ・・・」
自分でも驚くほどに甘い声で名を呼べば、それに応えるように濡れた下唇をゆっくりと食み、軽く甘噛みした。
それだけで身体が痺れて、サンジは熱い吐息を吐きながら背を撓らせる。
ゾロの手が背中から腰へと下り、ズボンの隙間から差し込まれ素肌を撫でた。
柔らかな丸みを楽しむように揉みしだき、その奥へと指を這わせる。
きつく舌を噛まれ、恍惚に呆けていたサンジははっと引き戻された。
至近距離で見つめるゾロの目が、なんだか険しい。
「ふ、が?」
「随分と、こなれてやがるじゃねえか?」
一転して酷薄な表情でニヤリと笑うと、内部を掻き混ぜるように乱暴に指を蠢かせた。
「うあっ」
「もう、痛くもねえだろ」
ぐいぐいと奥まで突きこまれ、思わず背を仰け反らせた弾みで、腰をゾロに押し付ける格好になる。
腹に硬いものが当たるを感じて、ゾロは益々顔を歪めた。
「もうすっかりできあがってやがんのかよ」
戒めるように前をぎゅっと掴み、すでに捉えたサンジのいいところをグリグリと指で突く。
「あ、や・・・てめっ」
「そういやお前、マッパだったよな。どこまでどうされた」
なにを今更と、恥ずかしさに歯噛みしながら辛うじて睨み付ける。
その顎を捉え強引に横に向けさせて、白いうなじに見入った。
どこにも牙の後はない。
確認するために指を這わせれば、サンジはそれだけで喘ぎ声を漏らした。
ゾロの手の中で硬く張り詰めたモノがドクドクと脈打っている。
「吸われちゃあ、いねえみたいだな」
ちろりと舐めて、耳朶を食む。
身を縮込ませるように膝を合わせて、サンジは淫らに腰をくねらせた。
中に埋め込まれた指が一層締め付けられ、もっと奥へと誘うように内壁がうねる。
「こうやって、咥え込みやがったか?」
「違・・・入れて、ねえ」
そう言ってから、とろりと蕩けた瞳でゾロを見上げた。
「指は、入れた・・・けど」
「こんな風に?」
ぐっぐと突き入れられ、サンジは感に堪えぬような声を出した。
「あ、ちが・・・」
「違わねえだろ、そうやってケツ振ってたのか」
「振って、ねー」
「じゃあ、中見られたのか?」
両足を掬うようにしてベッドに転がした。
中途半端に脱がされたズボンを膝の辺りに纏わり着け、剥き出しの尻が上に向く。
「や、見んなっ」
「奴らにも、こうやって見せたか?」
色濃い窄まりの中に入れた指を開いて抉じ開けた。
あああと小さく悲鳴を上げて、サンジは夢中で首を打ち振る。
「ばかっ、そんなことっ」
「してねえってか?」
内股の柔らかな皮膚にきつく吸い付いて、噛み痕をつけた。
「あん、や・・・ひゃあ」
「ほんとかどうか、じっくり身体に聞いてやる」
散々焦らして高めてから、ゾロは言葉通りに時間をかけてたっぷりと正直な身体を尋問した。




ちょうどその頃――――

「まさしく、ヴァンパイア・ホイホイだなあ」
誰かが呟く声を、まったくだよいとマルコは内心で頷いていた。
大勢のハンターが待ち受けていると言うのに、先ほどから面白いように、ヴァンパイアが寄って来る。
中でなにが繰り広げられているのか定かではないが、サンジが下宿する部屋の周りには、まさに黒山の人だかりのごとくヴァンパイアが舞い降りて、逐一狩っていくのが簡単すぎて怖いくらいだ。
「どんだけフェロモン、撒き散らしてんだよい」
もしものことを考え、エースは待機にさせておいて正解だ。
きっと本能では抗えないほどの甘美な匂いなのだろう。
それがわからない人間で、本当によかった。
マルコはしみじみそう思った。








世間を震撼させたクロコダイルの一派を殲滅させ、街には平和が訪れた。
とは言えまだ眠りに就いたままのヴァンパイアも数え切れないほどいるし、ハーフやクオーターと言った新しい人種への対応も考えていかなければならない。
一仕事終えたら別の地に旅立つつもりだったゾロは、まだ暫くやることがあると街に残った。
サンジはハンターと知れた後でも食堂で相変わらず働き続け、もはやサンジの腕でないと商売が成り立たないほど繁盛している。

ギンは火事騒動の時にサンジを助けようと孤軍奮闘し、その強さを見込まれてハンターにスカウトされた。
今ではゾロの同僚だ。
ホテルのシェフ達とも時折合同で勉強会を開いて、お互いの腕を磨いている。
ゾロは相変わらず昼間寝て夜に狩りに出かけるスタイルだが、ちゃんと組合に入ったから適度な休みも取るようになった。
代わりにエースが街の外へ出て、あちこちで活躍している噂を耳にする。
優しい主人夫婦はサンジに店を任せ、それを節目としたのか仕舞われていたショーンの写真がカウンターの棚にそっと飾られるようになった。
写真建ての中で、可愛らしい少年が在りし日の笑顔をそのままに笑っている。

変わったことと言えば、サンジは元通りあの部屋でゾロと二人暮らすようになったことだけ。
頼むからそうしてくれと、ハンター仲間に懇願された訳をサンジは知らない。



END(2010.9.13)



back