七夜  -5-


簡単に朝食の準備を済ませ、一服する為に縁側から庭に出た。
夏らしく、朝日でも陽が差している場所は敷かれた小石は乾いていて、日陰の部分はしっとりと湿ったままだ。
その場にしゃがみ、石の間からひょろひょろ伸びている草を戯れに引っ張ってみた。
思いの外呆気なく、根っこまで抜ける。
他の草も引っ張れば、やはり簡単に抜けて結構面白い。
サンジは煙草を指で挟んで、煙を吸いながらぞんざいな仕種で草を抜いていった。
一本、また一本。
草が抜けた場所は小石だけの空間で、それはまたそれで随分と整理された感じに見える。
と言うか、草が抜けるというのは案外気持ちがいい。
ヤンキー座りに咥え煙草で、目に付いた草を片っ端から抜いていく。
どうやら草によって根の張り方が違うらしい。
地べたを這うように丸い葉を広げてへばりついて生える草は、どれだけ力を入れて引っ張っても茎が千切れる程度で根っこは抜けない。
大方の草が抜けてしまっても、そのタイプの草だけが青々と残っているので綺麗になった感じがしない。
「くそう、こいつをどうしてやろうか」

「朝から精が出るな」
ブツブツ呟いていたら、いきなり背後から声を掛けられた。
まるで悪戯を見つかった子どもみたいに、びくっと肩を震える。
「え?ああ、おはよう」
「おはよう」
いつの間にか起きていたゾロが、梁に両手を掛けて覗き込んでいた。
顔を洗い着替えも済ませたようで、さっぱりとした顔付きだ。
「味噌汁温めて、魚焼いてるぞ。飯にしよう」
「え、もうそんな時間か?」
突っ掛けを脱いで縁側に上がれば、時計の針は8時前だ。
草をむしり出して、30分も経っていたとは思わなかった。
「やー参った。つい熱中してた」
「朝の内は地面が濡れてるから、抜けやすいだろ」
「おう、しかもさくさく抜けるのが結構面白くて、嵌った」

手早く卵焼きを作り、食卓に着く。
「いただきます」
「いただきます」
向かい合ってきっちり手を合わせる辺り、なんとも気恥ずかしいがちょっと気持ちよい。
「今日の予定は?」
「午前中は組合で草刈り。午後は畑仕事だ」
「そっか、俺昼飯食ってから帰るわ」
相変わらず、何しに来ているのかわからないサンジだ。
「なら飯食ったら駅まで送るよ」
「サンキュ、これお隣のおばちゃんの漬物?美味いな」
「だろ」
ポリポリと小気味良い音を立てて齧り、味噌汁を啜ったところでサンジは「あ」と動きを止めた。
「思い出した、つか忘れてた。電話があったんだ」
えーと・・・と天井に視線を上げながら、思い出す。
「ごんべさん。今年から友人なし。らじへりの申込みはしておいた。後でチョウから連絡あり」
「わかった、ありがとう」
「これでわかるのか?」
「多少イントネーションが違う部分があるが、意味は通じる」
ゾロは新たに少量ご飯をよそい、冷えた麦茶を上から掛けた。
「え、麦茶漬け?」
「結構いけるぞ」
さらさらと流し込み、美味いと唸る。
「有人ってのは、人が乗って操縦するヘリコプターのことだ。それに農薬を積んで上空から散布する。
広大な田圃なんかには効率がいい」
「え?農薬を上から撒くのか?」
サンジは本気で驚いた。
なんだか、頭上から毒を撒かれた気分だ。
「昔はこの辺も民家が少なくて田圃ばっかりだったからな。あんまり構わずに一斉にだーっと撒いて終わってた。けど、最近は民家の方が増えて来たし、国道は車も通るし何より田圃が減って畑が増えたし、減農薬や有機栽培をしている畑にとっちゃ迷惑以外の何者でもねえ。だから、有人ヘリの代わりに無人ヘリ、ラジコンヘリが増えてきたんだ」
「どっちにしろヘリコプターかよ」
なんだかスケールがでかいなと、嘆息した。
「けど、そんな広域に農薬を撒くなんて、やっぱり抵抗とかねえか?農薬ってのはどんな薬なんだ」
「虫を殺すんだ」
「なら人体にも有害だろ」
「まあな、こっちに初めて来た頃はまだ有人ヘリが飛んでて俺も手伝いにいったが、作業が終わったらシャワーを浴びて着替えて、牛乳を飲めとか言われたなあ」
「・・・なんで牛乳」
呆然とするサンジに、ゾロは首を竦めて見せた。
「お前が抵抗感じるのもわかる。だがな、田圃一枚一枚に農薬撒くのはかなりの重労働なんだ。
最低二人はいるし、暑い中完全防備で重い薬剤担いで歩き回るんだからな。俺らなんかはできるが、実際農業やってる殆どが年寄りで、そんな体力はもうねえんだよ。今は大部分がラジヘリ委託だ」
「それ、やらないようにはいかねえのか?よく聞く気がするけど、安全な米とか」
「こだわって作ってる人の田圃は、最初から除外されている。だから小回りの効くラジヘリに移行したんだ。だが仕事の片手間に米作ってたり、老夫婦しか働き手のないところは、一斉に防除しねえとカメ虫の被害やらが甚大でな。茶色くなった米なんて、買い手がねえ。ましてや一つの場所に固めて卸されるから、悪い米が増えればそれだけ全体の米の値が下がる。それに、田圃同士畦挟んだだけで密着してるから、ここの田圃の防除の仕方が悪いからこっちから虫が湧いてきたなんてことになったら、自分だけの責任じゃ済まされねえ」
「・・・ううう」
サンジはまるで、自分がカメ虫大量発生の元凶になったみたいに、情けない顔付きになった。
「誰だって、真っ白で艶々の綺麗な米が食いたいだろうが。野菜だって同じだ。曲がってたり
虫が食ってたりしたら売り物にならねえ。安全で綺麗なものを作ろうと思うと生半可な姿勢
じゃ生活にならねえってことだ。だから大概は、適当にそこらそこらだ」
「そこらそこらか」
うーんと唸り、腕を組む。
理屈はわかるが、なんだか納得できない。

「んで、これからラジヘリの需要が高まるだろうから、操作の講習を受けとことう思ってな。
ごんべさんが俺の分まで一緒に申込しといてくれたんだろ。町からまた講習の案内が来るだろうさ」
「ラジコンヘリの操縦か・・・なんかカッコいいな」
「実物見るともっといいぜ。ガキん時からラジコンとか好きだったから、今から楽しみだ」
「そうだな」
確かに、ラジコンやプラモデルやらは男子ゴコロを擽る定番だが、サンジは幼少時からおままごとセットに嵌っていたとは言えなかった。
「しかし、ごんべさんってまた・・・ベタな名前だなあ」
食事を済ませて皿だけ積んで、サンジは煙草に火をつけた。
「ごんべってのはそいつの名前じゃねえよ」
ゾロが苦笑しながら窓の桟に置いてあった灰皿を取ってくれる。
「屋号だ。ここらの家にはそれぞれ屋号ってのがついてて、苗字で呼ぶより屋号で呼ぶ方が多い。
一人暮らしのじいさんなんかは、俺は本名知らないからな」
言いながら、柱に打ち付けられた釘に紐で掛けてある薄い冊子を手に取った。

「これは町の中だけで作られてる独自の電話帳だ。ほらここ、名前と番号の横に屋号が全部書いてあるだろ」
「え、わ。ほんとだ、もんすけとかもんすけいんきょとか、じろべ、やざ?」
「同じ名前でいんきょってのがついてると、親戚関係ってばっちりわかるよな」
「なるほど、おもしれえ」
サンジは煙草を持ち替えて、繁々と電話帳に魅入っている。
「あ、俺発見!」
「なんだ?」
サンジは物凄く嬉しそうな顔で電話帳を引っくり返して見せた。
「ほらここ、それとかこことか。ぜんたろうって屋号がついてる家は、善助さんと善信さんなんだよ。
んで、きよもんってとこは喜之さんと喜則さん」
「ああ」
「これ、代々同じ漢字を使ってるってことだろ?あ、屋号とどんぴしゃ同じ名前の人もいる」
まさしく大発見とばかりにはしゃいで、バサバサページを捲る。
「なんか凄いなあ、こうやって代々名前を継いでるんだ。つか、名前で縛られるってことなのかな。
俺ならすごい責任とか感じそうだ」
しみじみと呟いて、ふうと息を吐いた。
「跡を継ぐって、こういうことなのかな」
「なに深刻な顔してんだよ」
ゾロは笑って立ち上がり、皿を積み上げながらサンジの頭に軽く手を置いた。
「お前だって、家のレストランを継いでるんだろ。その年で副料理長って、すげえじゃねえか。
その日暮らしの俺から見たら、お前のがよほど立派だ」
サンジはゾロの手を振り払うように、頭を振った。
「んなことねえよ。俺の居場所はジジイがわざわざ作ってくれたものだ。居心地のいい温室に
いつまで居座ってる、ただの腰抜けだ」
サンジらしくない物言いに、ゾロは僅かに目を見張ったが何も言わなかった。
ただポンポンと頭を2回叩き、手を離してテーブルの上を片付ける。

「それよりてめえ、草刈りは何時からなんだ?朝早いんだろ」
「ああ、そうだな」
すっかり時間を忘れていたというゾロに、サンジは手を振った。
「片付けは俺がやっとくから、お前さっさと仕度しろ。組合で仕事するんなら遅れちゃいけねえ」
「悪いな、頼む」
多分、ゾロが一人なら後片付けなんかも全部放ったらかして仕事に出掛けていたのだろう。
サンジがいる手前、ちゃんと片付けなきゃならないとか思ったらしいのが透けて見えて、なんだかおかしい。



「いってらっしゃい」
「いってきます」
送りの挨拶も、慣れてきたのかそれほどてらいなくできた。
草刈り機を積んだ軽トラが土埃を上げながら走り出したのを見送って、サンジは煙草に火をつけながら空を見上げた。
先ほどまで青空が出ていたが、今は雲が多く空気が薄ボンヤリとしている。
まだ空は明るいから雨は降らないだろう。
せめて午前中、ゾロの作業が終わるまでは保って欲しい。
「さて、洗濯でもするか」
多分、午後にはひと雨くるだろう。
サンジは咥え煙草まま、急いで家の中に入った。



ゾロの居ぬ間に手早く部屋を片付け、洗濯を済ませる。
結局買い物に出掛けていないから昼食もあるもので作らないといけないが、戸棚の下に貰い物らしい
大量のそうめんを見つけたからこれでいいかと目安をつけた。
「ほんとは夕食の仕込みもしておきてえとこだが、食材が限界だな」
野菜を採っていいなら勝手にやりたいが、どこまでがゾロの畑かわからない。
悪気なく野菜泥棒になるのも嫌なので、家の前の畑だけ後でチェックしておこうとか思いつつ、冷蔵庫を開けた。
梅の甘煮が入ったタッパを取り出し、一人ほくほくと笑みを浮べる。
「やっぱ、蒸し暑い時はこれっしょ」
ゾロの分は置いとかなきゃと自戒しつつ、小皿に取ってゆっくりと口に入れた。
「美味いなー。ゾロにしちゃ、上等だ」
甘酸っぱさを堪能しながら、舌の上で種を転がし丹念に果肉をこそぎ取る。
ゾロが一人でクツクツ煮たのだと思うと、いっそ種ごと飲み込まなきゃ勿体ないような気持ちになりそうだ。
「このシロップ、料理にも使えそうだな・・・」
一人呟いて、酸味のある芳香に昨夜の記憶が呼び覚まされた。

焼酎割を調子よく飲んで、少し酔っ払ったようだ。
ゾロに甘えるようなことを、呟いてしまった気もする。
聞かない振りをしてくれたけど、あれはゾロの癖なんだろうか。
さっきだって、不用意に漏らした一言を聞いてないはずはないのに、そのことに触れてこなかった。
他人の気持ちの中に興味本位で踏み込んで来ない性格は、一緒にいてとても楽なのだけれど、一抹の寂しさは否めない。

―――そもそも、俺に興味なんかねえかな
ゾロはあまり人と深い付き合いをしない、淡白なタイプのようだ。
農業を語るときも夢や希望を抱いたような熱心さは感じられないし、なんでも適当にソツなくこなす
代わりに何かに熱中したりのめりこむようには見えない。
そんなだから、見知らぬ土地でも一人で生きてこれたのだ
自分とは、何もかもが正反対だと自虐的に笑う。

レストランで料理をする仕事は、毎日が忙しくて充実している。
料理を作るのは天職だと思っているし、厳しいオーナーが目を光らせていても自由に自分を表現することができる。
いや、そんな祖父が側にいてくれたからこそ、こうして人並みに生きてくることができたのだとわかっている。
決して甘やかすことなく、寧ろ料理に関しては冷徹なほどに厳しく教育してくれた祖父のお陰で、恐らくどこの店に移ってもやっていける自信はある。
仕事に関してだけならば。
だが、サンジはどこにも出られない。
できることなら、一生をバラティエでの仕事だけで終わらせてしまいたい。
祖父の跡を継いで、あの店の味を守り育てていく。
それこそが自分に与えられた使命だと、そう自負しているのに、この期に及んでサンジには迷いが生まれた。
―――俺は、いつまで逃げてるんだ?

ゾロとはこの村で月にほんの1日や2日しか過ごさないのに、垣間見るゾロの世界は広くて深い。
突き詰めれば色んな問題を孕んでいるのに、誰もが鷹揚に強かに生きているようで、関わる人間の数が多ければ多いほど複雑になるはずなのに、根っこがいたって単純だ。
けどもしここに暮らしたのが自分なら、多分そうはいかなかっただろう。
人間関係が希薄で何事にも動じないゾロだからこそ、うまくやってこれたんだ。

サンジはテーブルに肘をついて、ほうと煙を吐き出した。
開け放たれた窓から湿気を帯びた風が吹きぬけて、すぐに紫煙を散らしてしまう。
先ほどまで蒸せるような暑さだったのに、今は風が涼しい。
どこかでひと雨、降ったのだろうか。

「もう、帰って来るかな」
昼にはまだ少し早い。
一人で仕事しているわけじゃないから、ゾロだけ抜けて帰って来ることはできないだろう。
それ以前に、家に自分がいるからと言う理由で仕事を途中にして戻ってくるなんて、そんなことを
ゾロが考える訳がないのにと自嘲する。
それでも、サンジは少しずつ雨の足音が近付いてくる外の景色に、そっと耳を澄ました。


ほどなく、軽いシャワーのような通り雨が降りそそぐ。
洗濯物を軒下に入れ、乾いたタオルを準備した鍋いっぱいに湯を沸かしていると、聞き慣れたエンジン音がした。
「ただいま」
「おかえり」
サンジは先程までの鬱屈を振り払うように、とびきりの笑顔でゾロを迎えた。



―――うわあ
ゾロは帽子を脱ぎ、頭に巻いたタオルを外しながらぽかんと口を開けてしまった。
ただいまと声に出すのも面映かったが、玄関まで出迎えに来たサンジの表情がまた揮っている。
ゾロが帰ってきたことが嬉しくてたまらないと言っているかのような、全開の笑顔。
こんな顔で毎日迎え入れられたら、多分仕事にならないだろう。

「早かったんだな」
「・・・ああ、どうせ天気が崩れるのはわかってたから、みんなで飛ばした」
おかしな妄想に入った自分を恥じるように、ゾロは明後日の方向を見ながらパタパタと帽子で顎の下辺りを仰ぐ。
「まずは水分だな、シャワーするか?」
「いやいい」
手渡された麦茶を喉を鳴らしながら飲んで、ふうと息を吐いた。
「うー生き返る」
「お疲れさん」
空のコップを手渡すときに、ほんの少し指に触れた。
そんなことに気付くほどに、ゾロはサンジを意識してしまっている。
「・・・昼飯、なんかあったか?」
「そうめん見つけたから茹でたよ」
「ああ、そりゃよかった」
サンジの顔を見ないようにして、大股で洗面所に入り手を洗う。
昨日言われたように肘まできっちり洗って、ついでに顔も洗った。
「電車の時間は?」
「前と一緒だ。1時に駅に着くとありがたい」
「了解」
ただのそうめんが、やけに涼しげな装いで器に盛られている。
庭に生えていた草をほんの一葉飾っただけで、随分と見目麗しくなるものだ。
「青紫蘇、わかったのか」
「おう、匂いで分かった。草の中に混じってぼうぼう生えてんだもんよ。適当に綺麗な葉だけ摘んで、酢につけてあるからこのまま瓶ごと冷蔵庫に入れておいてくれ」
ワイン瓶に青紫蘇が入れられ、中は酢で満たされている。
「これで紫蘇風味の酢ができるから、ドレッシングとか酢の物作る時に結構重宝するんだよ。今度来るとき使うからさ」
「そうか」
今度来るとき―――
サンジはいつもそう言ってくれる。
だから、ゾロはいつでも待つことができる。

通り雨はすぐに上がったようで、いつの間にか外はきつい夏の日差しに覆われていた。
庭石が、濡れたり乾いたり忙しいなとサンジが笑う。
そんなこと、一人で暮らしているときは気付きもしなかった。
二人してたわいないことを話しながら、ゆっくりとそうめんを食べた。
梅の甘煮を土産に持たせようとしたら、これはこっちに来た時の楽しみにとっておきたいと断られた。
腐る前に来いと言ったら、勿論だと真剣な面持ちで頷いている。

来た時と同じように窓を全開にして、生ぬるい風の涼しさだけが頼りの軽トラで駅に向かった。
昨日は山のような荷物を抱えていたのに、今のサンジはほとんど手ぶらだ。
今度来る時は、もっと荷物が増えているんだろうか。
タオルケットの1枚も抱えてきそうで、ゾロは前を向いたまま軽く鼻から息を吐いた。



「じゃあな」
「おう、気をつけてな」
相変わらず昼間は客のいない閑散とした駅に、金髪のサンジが一人佇んでいると異様に目立つ。
まるでそこだけが切り取られた異次元のようで、やはり似合わないなとゾロは思った。

こいつが生きる場所は、雑多な人間がひしめく都会にこそあるんだろう。
何がしかの生きにくさを抱えているサンジが、ほっと一息つける場所がここなのだ。
なら、自分もひっくるめてサンジが安らげる場所であればいい。
引き止めたり、名残を惜しんだりしてはならないんだと、自らに言い聞かせる。

サンジは時計を見上げ、もういかなきゃと口に出した。
それなのに一向に、歩き出そうとしない。
所在無さげにあちこちを見渡して、ポケットから煙草を取り出そうとした。
その手を遮るように、ゾロが掌を重ねる。
「一服してる間なんてねえだろ、行けよ」
ゾロの言葉に弾かれるように顔を上げ、一瞬目が合う。
その蒼い瞳に寂しげな色が浮かんだが、ゾロは薄く笑んだまま頷いて見せた。
「また来い。俺はいつでもここにいる」

サンジはじっとゾロの瞳を見つめ、それからぎこちなく首を巡らせて視線を逸らし、うんと頷いた。
「また来るな」
「おう」
さっと踵を返すと、振り返ることもなく改札口の向こうへと消えていった。
ゾロは首から提げたタオルで額の汗を拭い、開け放たれた窓の向こうの階段を昇る痩身をじっと見送る。
ほんの少し、罪悪感が残るのは何故だろう。



今度来たら。
次に、サンジがここに来たら。
もうずっとここにいろよと、引き止めてしまおうか。

サンジがそう望んでいるような気がして、ゾロは電車が行ってしまうまで、駅から立ち去れないでいた。





   END