金曜日の叙事詩




 金曜の夜、22時5分発のローカル電車に、仕事を終えたサンジはいつものように乗り込んだ。
 時間帯が時間帯なだけあって、電車の中は空いている。それもいつものことで、毎日ともなると、大体座る席も同じだ。一番後ろの車両の一番前のドア、その一番近くの、進行方向に向いた二人掛け席の窓側。稀に誰かが座っているときもあるが、そういった日を除いては、そこがサンジの定位置だった。
 サンジはレストランで働いているので、帰る時間がどうしても遅くなる。今日も一日よく働いた、などと思いながら座席に座ったサンジは、おもむろに文庫本を開いて読み始めた。一旦読み始めると割と夢中になってしまう性質なので、乗り過ごさないように気を付けないといけないが、降りるのは約15分後なのでまあ大丈夫だろう。
 次の駅でも、乗ってくる乗客は少なかった。座席は他にもたくさん空いているのに、サンジの隣に誰かが座る気配がした。別段迷惑とも何とも思わなかったが、サンジは文庫本に目を落としたままで、変わったひとだなァ、と内心思った。サンジが降りる駅のひとつ前の駅でその隣人が降りるまで、サンジはずっと文庫本から顔を上げることはなかった。
 同じ状況に陥ったのは、ちょうど次の金曜の夜のことだった。
 たくさん席が空いている中で、また誰かがサンジの隣に座った。サンジはやっぱり、その人が電車を降りるまで文庫本から顔を上げなかった。
 そんな金曜日が、5回ほど続いた。サンジはただの一度も、その相手の方を見なかったが、きっと同じひとだろうと思っていた。どういう理屈かは分からないが、そのひともきっとサンジと同じように、その席を自分の定位置と決めたに違いない。それをどうこう言う権利はサンジにはない。何よりもそのひとはサンジが降りるより先に降りてくれるので、窓側のサンジが降りるときに『ちょっとすいません』なんて言いながら前を横切る手間も必要ないのだ。
 そのうち、サンジの中で、そのひとに対して妙な連帯感のようなものが芽生え始めていた。顔も見たことがないと言うのに、今日は乗ってくるかなァなんて、金曜になると考えるようになった。勝手に『金曜日のお隣さん』なんて名づけたりして。
 ――そして6度目の金曜日。『金曜日のお隣さん』は、やっぱりいつものように電車に乗ってきて、サンジの隣に座った。いつものように、10分ほどしたら降りていく。そう思っていたのに、その日は違った。
 お隣さんが乗り込んできて一駅ほど進んだ辺りで、サンジは突如右の肩が固まったような感覚に陥った。
 え、何?金縛り?まさかの霊体験?などと一瞬怖いことを考えて怖々そちらに視線だけをやると、お隣さんがサンジの肩に頭を乗せて爆睡していた。え、ちょっと何だこれは、どうすりゃいいんだ。内心ではかなり動揺していたのだが、体はピクリとも動かせなかった。少しでも動いたら、起こしてしまいそうで。
 サンジはここで初めて、『金曜日のお隣さん』がどんなひとだったのかを見ることとなった。気配から残念ながらレディではないとは分かっていたが、スーツを来た若い男だった。緑色の髪がまるで毬藻のようだ。ひとの肩を枕にしておきながら、彼はくっきりと眉間に皺を寄せて寝ている。せめてもう少し心地よさそうな表情をしたらどうだ、失礼なヤツだ。よしこれからは、『金曜日のマリモ』でいいや。
 しかしスヤスヤと健やかに眠る彼を起こすのは何だか忍びなかった。いつしか芽生えていた連帯感のせいだろうか。サンジは彼を起こさないように、そっとまた文庫本に目を落とした。肩を動かさないように、なんて思っていたので、妙に力が入ってしまって肩が凝った。
 『金曜日のマリモ』が、ゴニョゴニョと何かを呟いたので、もしや起きたのかとサンジはまた視線だけを右にやったが、マリモが起きる気配はない。まあ、起きたならこのままの体勢で居るはずがないか。そう思っていたら、
「――……おにぎり…」
マリモがボソッとそんなことを呟いたのがはっきりと聞こえてしまって、サンジは思わず吹き出しそうになる。いかん、笑ってはいかん。肩が震えたら、起こしてしまう。しかし、何故おにぎり?一体どんな夢を見てるんだこいつは。
 眠るマリモ男を起こさないようにと、微動だにせずに本を読んでいたから、油断した。いつの間にか、男がいつも降りている駅を過ぎていることに、サンジは気付いていなかった。もちろん、その次に自分が降りる駅が迫っていることも。
『ノースステーション、ノースステーションです。次はセントラルステーションに停まりま〜す』
そんなアナウンスが聞こえてきて、『あ、やべェ、降りなきゃ』と思ったとき、マリモ男が「ふあっ!?」と頓狂な声を上げたかと思うと、慌てて電車を降りていった。
 サンジは呆気に取られ――ハッと我に返ったのと、電車のドアが閉まるのは同時だった。
 確かに、マリモ男も一駅乗り過ごした。しかし、何ゆえ自分まで乗り過ごさねばならないのだ。サンジが起こしてやれば良かっただけの話で、必ずしもマリモ男だけが悪いわけではないのだが、次の駅で降りて反対方向へ行く電車を待ちながら、チクショー、とサンジはひとりごちた。

 そうして、サンジの中で『金曜日のお隣さん』が『おにぎりマリモ男』に名称変更された次の金曜日。
 いつものように、マリモ男は次の駅で乗ってきて、やっぱりサンジの隣に座った。サンジは読んでいた文庫本から顔を上げた。男と目が合う。男は、何とも気まずそうな顔で軽く会釈をした。
 先週寝ていたときに抱いたイメージよりも、男はもっと大人びて見えた。すっと通った鼻や、少し鋭い目つき。体格もいいが、無駄な肉はついていなさそうだ。硬派なハンサム、という印象だった。
 「――…先週は、どうも」
電車がひと駅ほど進んだところで、マリモ男がボソリと言った。サンジの肩を枕にして健やかに眠っていた自覚はあるらしい。サンジは文庫本を閉じると鞄に仕舞った。
「一駅、乗り過ごしたろ」
サンジが言うと、マリモ男は気恥ずかしそうに、少しだけ目の下を赤くした。
「お陰さまで、おれも乗り過ごした」
「えっ」
それっておれのせいか、と男は言う。
「せい、ってわけじゃねェけど。おめェを起こさなかったのはおれだし」
サンジの言葉に、マリモ男はホッとした顔になった。
「だが、ひとつだけどうしても気になってることがある」
「何だ」
「あのときおめェ『おにぎり』って寝言言ってたんだが、どんな夢見てたんだ?」
そう訊いたら、マリモ男はギョッとした顔になり、額に手を当てた。
「……声に出てたのか」
「何、すげェ気になるんだが」
「その、あの時すげェ腹が減ってて、だな。夢の中で何か良い匂いするな、と思ってたらお前が出てきて、『何か食いたいモンあるか』って訊いてきて、それで」
「……おにぎり?」
サンジが言うと、男はコクリと頷いた。こいつあのとき、おれの夢見てたのか?何でまた、おれ?『おにぎり』の謎が解けたら、今度は別の謎が湧いてきた。
「そこで何でおれだよ」
ついついサンジは訊いてしまう。すると男は、ますますバツが悪そうに、
「ずっと気になってたからだ」
「は?」
「最初隣に座ったのは偶然だったが、それからはわざとこの席に座ってた」
「ああ…そう…」
思いも寄らぬ展開に、サンジは呆気にとられてそう呟くしかできなかった。何だろう、深く追及しないほうが、良いような。
 次にどんな言葉を返そうかと思っているうちに、男の降りる駅に着いた。しかし男は席を立たない。
「ここで降りんだろ」
サンジがそう言ったら、マリモ男は、
「お前はどこで降りるんだ?」
「次」
「じゃあおれも次で降りる」
「…何で?」
「お前、このあと何か用事あるか」
「別に、無ェけど」
「メシもう食ったか」
「まだ」
「じゃあ、メシでも行くか」
ちょっと待て。何でおれとお前が一緒にメシに行くんだ?――とサンジが言いかけたところで、電車が発車した。マリモ男は乗り越し決定だ。
 乗り越したのに、一緒に行かないと言うのも何だか可哀想か。そんな風に情に流されてしまうところは、サンジの長所でも短所でもある。
 次の駅で、サンジはマリモ男と共に電車を降りた。

 ――マリモ男の名前は、ロロノア・ゾロと言った。仕事のシフトの都合で、金曜日だけはこの時間になるらしい。
 とりあえず、これから毎週金曜日は、文庫本を持ち歩かなくて良さそうだ。




End


  * * *


もうこれは、「電車で爆睡したお隣さんシリーズ」(もうちょっとネーミングに捻りはないのか)とでも銘打ちたくなってきましたww
あみちゃんに引き続き、史瀧さんまで書いてくださったー!!
ありがとうありがとう、めっちゃ楽しいです。
まさか、電車の中で出会いのパターンがこんなにも多彩になるなんて。
切っ掛けを作ってくれた見知らぬリーマン君には、本当にGJ!を贈りたい。
ありがとう、君のお蔭で私はこんなにも素敵なゾロサンにまみれてとてもとても幸せだ!!
皆様にも幸せのおすそ分けをばv
史瀧さん、ありがとうございます(>▽<)



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