新婚さんいらっしゃい
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オウッ!おめえら今日は残業はなしだぜ、なにがなんでも仕事を仕上げててとっとと帰ってくれ」
間仕切りがほとんどない広々としたフロアに、社長の声が響き渡る。
もとより、従業員のほとんどが仕事より個々の趣味を優先しているきらいがあるので、すき好んで時間外に社内に留まることはない。
当たり前でしょ、とあちこちから軽く声が上がった。
「親方がわざわざ言うとは、珍しいっすね。今日は奥さんの誕生日かなにかで?」
「馬鹿野郎、今日は11月22日だ。いい夫婦の日だろうが!」
「…あー、なるほど」
納得と呟きながら、あちこちで苦笑いが浮かぶ。

ゾロはキーを叩く手を止めて、ブラウザの下部分にある日付に目をやった。
確かに「2018/11/22」とある。
だがそれが、「いい夫婦の日」だとまでは考えが至らなかった。

ゾロは今、旧知の仲の工務店社長・フランキーと組んで仕事をしている。
気風が良くて涙もろく、義理人情に篤い男だ。
愛妻家で家庭第一、社員にもその方針を徹底していて、暑苦しいほどにホワイトな職場だった。

「ゾロも、電話の一つもしておけよ」
こちらにお鉢が回ってきたので、思わず眉を顰める。
「電話って、なんて」
「なんてって、そりゃあおめえ、いい夫婦の日じゃねえか。淋しくねえかとか、いつもお前を思っているとか、早く会いたいとか色々あんだろ」
―――まったくない。

サンジとは、一応籍を入れてはあるが実際にはただの同居人だ。
同性なので一緒に暮らすのに気兼ねがないし、ちょうどいい距離感だとも思っている。
ただ、表向きは夫婦なので、世間一般的にはなにがしかのイベントを装う必要はあるかもしれない。
「誕生日にはお祝いLineが来ただろうが」

社員の誕生日ごとに、会社ぐるみで宴会をする職場でもある。
期間限定のゾロも例外ではなく、馴染みの居酒屋で酒の肴にされていた時に折よくLineが入った。
「誕生日おめでとう」と、思いもかけないメッセージに目を丸くしたゾロの横で、フランキーは「熱いねえ」と口笛を吹き鳴らした。
なんと返事を寄越したものかと戸惑いつつ、無難に「ありがとう」とだけ送ったが、それも含めて随分と冷やかされたものだ。

ゾロは何気なくLineを開き、サンジとのトーク画面を見た。
11月11日に交わした会話で最後だ。
それこそ、夫婦らしい色気もそっけもない。
どころか、事務的な連絡事項もない。
ここに唐突に「今日はいい夫婦の日だな」とでも送信したら、それこそなにごとかと思われる。

トークを遡っても、「牛乳を買って来い」とか「クリーニングに出しといて」とか「荷物を受け取って」とか。
ほぼ一方的にサンジからの要望ばかりだった。

ちょっと、いたずら心が湧いてきてしまった。
文字で打つのは難しいなら、スタンプのひとつも送っておけばいい。
なぜ唐突にスタンプが送られてきたのか、サンジはきっと驚くだろう。
それから、戸惑うだろう。
きっと意味が分からない。

ただ、そうやってゾロとのトーク画面を眺めてあれこれと頭を悩ませる時間を、作ると思うのは楽しかった。
なのでつい、魔が差した。


送ってしまってから、しまったと思う。
最初から設定されているスタンダードなスタンプの、一応ハートを飛ばしているようなのをわざわざ選んで送ってしまった。
我ながら、子どもじみて気恥ずかしい。

タイミングが良かったのか悪かったのか、すぐに「既読」が付いてしまった。
なにしてんだ、仕事してろよと理不尽な悪態を脳内で吐く。

「既読」は付いたが、サンジからなかなか返事がない。
きっと、なんと答えていいかわからないのだ。
もしかしたら、他のトークと間違えた誤爆かもしれないと邪推しているかもしれない。
ということは、ゾロがハートスタンプを送るような相手が他にいると、思っているということだ。
それはそれで、面白くない。

ちょっと心配になってきたので、間違ったわけではないとの意味を込めて、ハート関係のスタンプをこのまま連打しようかと探し始めた。
ところで、サンジからスタンプが送られてくる。

大げさな仕草で、ハートを受け止めるスタンプだ。
思わずニヤリと笑みが零れる。

「悪ぃ顔して笑うなァ、おい」
フランキーに冷やかされた。
まだ仕事中だったと、表情を引き締める。
「なんでえなんでえ、奥さんと連絡取れたのか」
「ああ、まあ」
「お熱いのは結構だが、続きは夜にしとくれよ」
ゾロは画面を消して、懐にスマホを仕舞った。

次にサンジと連絡を取るまで、トークを開く度にこのハートのやり取りのスタンプが表示されるのだと思うとなんともむず痒く、それでいてほんの少し愉快な気持ちになった。






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