午前3時のシンデレラ


10月31日の夜―――
それは一年の終わり。
冥界の扉が開かれ、死者が現世に一夜だけ舞い戻れる日。
それに乗じて、闇に潜む魔物達もまた現世の空を跳躍する。
ある者は夜に紛れ、またある者は光の渦に飛び込んで人の目を眩ました。
初めて現世を訪れたサンジもまた、心弾ませて光の渦を見下ろしている。

「なんだかすげえ、派手だなあ」
ハロウィン発祥の地ではないそうだが、なんとも賑やかしい祭り状態がそこかしこで繰り広げられていた。
大通りはオレンジや緑、黄色で飾り付けられ、ぱっと見なんの扮装かわからない格好で人々が練り歩いている。
いずれも笑顔で、酒に酔い人に酔い、己に酔って闊歩している。
「うっひょーあの子とかあの子とかあの子とか、刺激的―v」
サンジはビルの屋上からひらりと身体を翻して、隣接するビルの壁を交互に蹴りながらゆっくりと降下した。
金色の髪からは細い角が二本、にょっきりと生えている。
背中を覆う漆黒の羽根も、ズボンを少しずらしてはみ出させた黒い尻尾も、珍妙な格好でひしめくこの集団の中にあってはまったく違和感がなかった。
黒い角と羽根と尻尾以外は、サンジの身体を形作る色は総じて淡い。
肌の白さも髪の輝きも、瞳の透明さもおよそ悪魔らしくないと生まれた時から言われてきた。
悪魔的パーツの黒さえなければ、天空生まれで充分通じるなどともからかわれたが、サンジはそれが大いに不満だ。
誇り高い悪魔として闇夜に生まれ出でたのに、なんだってあんなチャラチャラしてヘラヘラした、お花畑にしか目を向けない能天気な天使などと一緒にされるのか。
本当はもっとエネルギッシュでギラギラしてイケイケで、艶々エロエロな淫靡悪魔が理想なのだ。
そうなるべく、この機会に現世で修行しなくてはならない。

「うーんどうしようかなあ、こりゃもう選り取り見取りじゃね?」
待ちゆく人々は等しく酩酊状態で、誰彼かまわずフレンドリーにハイタッチし合い、写真を撮ったり肩を組んだり、路地に消えたりしている。
この乱痴気騒ぎに乗らない手はない。
歩道に降り立ち誰から口説こうかとキョロキョロしていたら、不意に腕を掴まれた。
ぎょっとして振り向いたら、これまた豊かな胸の谷間を惜しげもなく見せつける格好の美女が笑顔で立っている。
「すっごい本格的―、これどうなってるの?」
初対面の垣根などどこにも感じさせない、あら久しぶり元気ー?のノリでグイグイ押された。
「すっごい自然な羽根、付け根までびっしり羽根付いてるーめっちゃよくできてるー」
「あーほんとだ、よく見たら可愛い尻尾」
「ねえねえ、この角、まるで猫耳みたいじゃね?」
ベタベタと気安く触れられて、サンジは思わず後ずさりしてしまった。
「いや、あのこれはね・・・ちょ、触らないで」
腰が引いた状態で後ろ歩きしたら、人波に押し返された。
とにかく、あっちもこっちも人がひしめいてまともに歩くことすらできない。
「あ、ちょっとそこ引っ張っちゃダメ」
「いやーん、すっごい上手にできてるー」
美女が両手でサンジの腕を抱えたから、柔らかな胸の感触がふにょんと肘を包み込んだ。
それだけで、サンジの方がふにゃふにゃになる。
「あー・・・ここは人が多いから、もうちょっとこう、二人きりで静かにー」
「えー?なんてー?」
騒ぐ声と車の音が激しすぎて、すぐ近くにいてもまともに会話できない。
「誰だよー、この羽根邪魔だ」
混雑の中で、大事な羽根を引っ張られた。
なにすんだ、とばかりに振り返ったら今度は尻尾を踏んづけられる。
「うあっ、痛っ!」
「えーこの羽根すごいー」
「一枚もらっちゃお」
勝手に羽根を抜き取るとするから、チクチク痛くてサンジは思わずその場でジャンプした。
「ちょ、ヤメロこのっ・・・」
可愛い女性ならいざ知らず、酔っ払いに触られるなんて御免蒙る。
このまま羽ばたいて立ち去りたかったが、いくら騒乱の中とは言えさすがに飛んで逃げたら目立つだろう。
どうしたら―――と迷っている内に、群衆の中から伸びた両手がサンジの腰をガシッと掴んだ。

「ふへっ?!」
思わぬ形で身体が固定され、サンジは驚いて動きを止めた。
ふわんと浮き上がった状態で、腰だけを掴まれ中空で留まっている。
見下ろせば、群衆から頭一つ高い男が手を伸ばしてサンジを抱え上げていた。
「あんた、この混雑じゃその飾り、傷むだろ」
サンジを頭上に掲げたまま見上げた男は、鮮やかな緑色の短髪をしていた。
「どこ行くんだ、このまま運んでやる」
「あ、はあ、どうも」
突然の申し出に、サンジは混乱しつつもありがたく受け入れた。
サンジは飛翔系かつ痩せ形なので、普通の人間より体重は軽い。
だがそれでも、一応大の大人を一人、不自然な状態で抱えたまま平然と歩く男に興味が湧いた。

サンジは、男の肩に座り直して改めて群衆を見下ろした。
誰もかれもが浮かれた様子で、どこへ行くとでもなく多々漫然と彷徨している。
現世の祭りというのはこういうものなのかなぁと、サンジ自身熱に浮かされたように人いきれに酔った。
途中、どこからか紙コップが差しだされ、サンジが受け取って香りに誘われ口に含むといい感じに酔いが回った。
ハロウィンにかこつけているだけかもしれないが、まさに無礼講だ。

「やれやれ、やっと出た」
サンジを抱えた男はあちこち彷徨った挙句、人波に押されるようにして大通りから外れた路地までたどり着いた。
サンジは当然土地勘がないので、ここがどの辺りかはわからない。
ただ、やたらと煌びやかなネオンがあちこちで輝いている狭い路地だ。
見上げたら、視界がくらりと傾いた。
ぷわぷわと身体が温かく、首が座らずに揺れている。
相当酔いが回ったらしい。
「あんたも面白い格好してるな、それなんの扮装なんだ?」
久しぶりに降り立った地上を踏み締め、サンジは壁に凭れて懐から煙草を取り出した。
火を点けて軽く吹かし、今まで自分を担いでくれていた男を改めて見やる。
「俺は仮装じゃねえよ。試合のあと駅から家に帰るはずが、おかしな場所まで巻き込まれた」
「試合?なんの」
「剣道だ、この格好見りゃ分かるだろ」
見りゃ分かるだろと言われても、サンジは悪魔なので現世に疎い。
というか、“剣道”とやらも知らない。

「まあいいや、ありがとよ助かった」
サンジはそう言って、煙草を咥えたまま大通りへ戻ろうとした。
頼りない足取りでふらふらと歩き出すのを、男が腕を取って引き止める。
「待てよ、せめてその羽根どっかで外せ。もみくちゃにされてもげるぞ」
「・・・もげちまうか、そりゃちょっとまずいな」
現世で浮かれて羽根を傷付けたりしたら、悪魔の名折れだ。
サンジは背中を壁に向けて、両肩を回すようにして竦めて見せた。
大きく広がっていた羽根が一瞬のうちに姿を消す。
男は目をぱちくりと瞬かせ、次いで不審げに眇めた。
「・・・いま、なにした?」
「別に、羽根を仕舞っただけだ」
これでいいだろとばかりに、再び男に背を向ける。
サンジは可愛い女の子とスキンシップを図りたいだけなので、いくら親切でも野郎には興味はない。
そのまま素っ気なく別れるつもりが、思わぬ衝撃がサンジを襲った。
「もぎゃっ!」
「待てよ」
男が、サンジの尻尾の付け根をいきなり掴んだのだ。
うっかり油断していたが、尻尾の付け根は悪魔にとって急所の一つだ。
先っぽはいくら掴まれようが弾かれようが平気なのに(踏まれると痛いけど)、付け根に近ければ近いほど敏感になる。
「さ、ささささ触るなっ」
「これ、どうなってんだ?マジで直接生えてんのか?」
男はあろうことか、サンジを抱き寄せて羽織っていたシャツをペロンと捲り上げた。
ベルトを緩め半ケツ状態の背中が、夜風に触れてひやりと冷える。
「見んな馬鹿!」
「すげえな、どうなってんだこれ」
先ほどまで軽く抱えられている時は便利な乗り物だ、程度に思っていたのに、今は男の馬鹿力に抗えなかった。
もう一度サンジを抱えると、ひときわ派手に輝くネオンの下にある扉を開ける。
「とりあえず、ゆっくり休もうぜ」
息が掛かるほど近付いてそう言った男の顔は、サンジが知っているどの悪魔より悪そうに見えた。



どこの城かと見紛うような華美な部屋に連れ込まれ、そのまま天蓋付きのどでかいベッドに押し倒された。
うつ伏せにひっくり返され、元々緩くずらされていたズボンをべろりと下げられて、さすがにサンジも焦る。
なんせ、弱点の尻尾が丸見えだ。
「すげえ、本当にじかに生えてんだな」
「馬鹿!見んな、触るなっ、って、あっ・・・」
男は引き上げるように軽く引っ張ってから、付け根の辺りを円を描くように撫でた。
それだけで背筋がゾクゾクと泡立ち、興奮で首の後ろの毛が逆立つ。
「あ、だめだって、そこ…」
「ここか?」
「あ、さわん・・・な」

身体をぴったりと重ねるようにして圧し掛かった男が、鳥肌の立ったサンジのうなじに唇を付ける。
「気持ち悪ぃのか?」
「や、あ、ん――――」
「それとも、気持ちイイのか?」
かぷりと、首筋を軽く甘噛みされて思わず切ない息を吐いた。
「ふわぁ・・・」
「イイんだな」
男は尻尾の付け根辺りを撫で擦りながら、その下にも手を這わせ力強く尻タブを揉む。
「あ、あ?」
尻尾が敏感なことは知っていたが、そんな場所にもビクビクと身体が震えるようなくすぐったさが残って、サンジは戸惑った。
「あ、や、なに・・・」
「こっちもか」
「ふわん・・・」
酒に酔うよりもなお頬が熱くなって、もう内側からはマグマが煮えたぎるような衝動が湧いてきた。
なにだかわからぬまま、好き放題に自分を弄る男を睨み付ける。
「んな面で、ガン付けたって煽るだけだぜ」
男はどこか苦しそうに眉を寄せ、興奮で目元を赤らめたままサンジに口付けてきた。
また、男が触れた部分からビリビリと電流でも流されたみたいな刺激が走る。
「ん―――――」
んちゅ、むちゅっと音を立てて唇を交わしている間に、サンジは身体を捻って真正面から男を受け止め、両手で掻き抱く。
「ん・・・気持ち、い―――」
「てめえの唇、柔らかくて蕩けそうだ」
ねちょ、んちょ、と舌を絡め、深く重ね合わせて吸い尽くす。
男は徐々に口付けを移動させ、サンジの額から汗に濡れた金髪を指で梳きながら食んだ。
にょきりと伸びた角に、軽く歯を立てる。
「んあぁっ・・・」
「ここもか。ったく、どんだけエロいんだ」
思わずと言った呟きに、サンジはうっとりと惚けたまま目を輝かせた。
「・・・おれ、エロい?」
「ああ、めちゃくちゃやらしい」
「え、えへ・・・」
エロいは、サンジにとって最高の褒め言葉だ。
「そうか、おれってエロくてダンディー」
「…若干違う気もするが、まぁめちゃくちゃエロい」
そう言いながら男がねろんと角を舐めたから、サンジはお返しに男の鎖骨を齧った。




飾り窓には陽の光も刺さず、目が覚めたのはとっくに朝日が昇った後だった。
呆然と座るサンジの隣には、太平楽に鼾を掻いて眠る男が一人。
「―――――嘘だろ・・・」
年に一度のハロウィンだから、現世に降りてレディを誘惑するんだ。
そこでエロ修行して、レディの精気もたっぷりいただいてまた闇夜に帰るはずだった。
冥界の扉が開いている内に。

「う、そ―――――」
「ん・・・」
男はごろりと寝返りを打って、目を閉じたまま裸の腰に手を回す。
思わずうぎゃっと叫んで、その身体を思い切りけり落とした。
「いてっ・・・」
「んんん、なにすんだー!」
そう叫んだら、男は後ろ頭を掻きながら床から起き上がった。
「そりゃあこっちの台詞だ、なにしてくれてんだ」
「うるせえ、このくそ馬鹿変態野郎!」
裸の胸にシーツを当てて、サンジは真っ赤になって喚く。
「なんでてめえが俺と一緒に寝てんだよ!ってか、なんでマッパなんだよ、なんで俺のケツ痛えんだよ!」
「痛えか?傷は付いてねえはずだが」
「傷・・・とか付いてねえよ馬鹿!けどなんかめっちゃ広がった感じで痛ぇんだよ馬鹿!言わせんな馬鹿!!」
顔を真っ赤にして涙目でそう叫ぶのに、男はははっと場違いなほど爽やかに笑った。
「昨夜とえらい違いだな」
「ゆ、昨夜って・・・」
思い出して、サンジの顔はさらに赤く染まる。
酒で記憶を失くした訳ではないので、バッチリ覚えている。
覚えているから居た堪れない。
「なんで、なんであんなことに・・・」
「ああ?てめえが誘惑したんだろうが。さすがエロ悪魔」
その一言で、サンジはぴくんと耳を欹てた。
「え、俺ってエロ悪魔?」
「ああ、とんでもねえエロ悪魔だぜ。まんまと掴まっちまった」
男が真面目な顔でそう返すから、そうか〜とまんざらでもない風にひとり呟く。
「そう言われちゃあ、俺も悪い気はしねえな・・・って、俺が絆されてどうすんだよ!」
自分で自分に突っ込んで、改めて部屋の時計を見てから「あああ〜」と嘆く。

「どうすんだよ、冥界の扉閉まっちゃったじゃないか、俺帰れねえよ!」
「どっか帰るのか、門限でもあるのか」
「あるよ、夜明けまでに帰らないといけなかったのに。次に扉開くの来年だ畜生―」
そりゃあ箱入りだなあと、男は腕を組んで鷹揚に頷く。
「だったら、来年まで俺んとこにいりゃあいい」
「へ?」
サンジはすぐに、むきーと目を吊り上げた。
「俺がなんで、てめえみてえなむさ苦しい男んとこに身を寄せなきゃなんねえんだよ。街には綺麗で可愛いお姉さまがいっぱいいるのに!」
「だけどよ、てめえエロ悪魔だろうが」
そう言われると、またふにゃんと表情が緩んでしまった。
そんなに褒められると、照れる。
「・・・そうだけどよ」
「てめえがどんだけエロいか、俺が一番知ってるんだぜ。てめえはエロを究めたいと思わねえのか」
「う・・・そりゃあ・・・」
「エロ悪魔たるもの、一度や二度のエロじゃ満足できてねえだろ。俺なら天国・・・いや、本物の地獄を見せてやれるぜ」
自信満々にそう言う男は、一体何様のつもりなんだろう。
悪魔より悪魔的な自信と笑みを溢れさせているのに、どこをどう見ても人間だ。
だが確かに、昨夜の手腕から察するに相当の腕前を持っていることは認めざるを得ない。
「・・・てめえがそこまで言うなら、付き合ってやってもいい。ただし1年だけだぞ」
「来年、なんとかの扉とやらが開いてそん時帰りたきゃ帰ればいい。それまで俺の傍にいろ」
男はそう言うと、ベッドに入り直して強引にサンジを抱き寄せた。
片手に抱えて大きな欠伸を一つしたあと、再び寝息を立てはじめる。
手に入れたのが本物の悪魔だと、わかっているのだろう。
わかっていても、そんなの関係ないとでも思っているのだろう。

サンジは男に肩を抱かれたまま、煙草に火を点けて軽く吹かした。
どちらにしろ、来年まで戻れないのだ。
しばらくは、現世を楽しむのも悪くない。
「・・・だったら俺を、満足させろよ」
寝入ってしまった男にそう囁いて、サンジはその頬に軽く口付けた。



End



back