セレストブルー -2-
突然始まった謎の男サンジとの同棲――いや同居生活であったが、順風満帆というわけでもなかった。結局のところ、サンジは自分のことは何ひとつさらけ出そうとはしていない。食事している姿すら見せない。いつも『もう食べたから』などと言いながら、ゾロが食べるのを見ている。それだけではなくて、確固たる何かがあるわけではないのだが、サンジからはどうも『人間臭さ』というものが感じられないのだ。サンジについて何かを訊いても巧くはぐらかされるばかりで、ゾロはほんの少し、それに苛立ちを感じていた。自分は他人にさほど執着しないタイプであったはずだが、相手のことを知りたいのに分からなくてイライラする日が来るとは。
それに輪をかけるように、ゾロは不運に見舞われ続けていた。始まりは、あのトルソーが降ってきたときからだ。あの日から連日のように、猛スピードで信号無視した車に轢かれそうになったり、あわや硫化水素中毒に陥りそうになったり。頭上から物が降ってくること数回、さすがに偶然だろうと言うには不自然なレベルになっていた。どれもこれも、一歩間違えば命を落としているレベルのものだ。
「ずっとツキまくってたから、一気に反動が来たんじゃねェの」
ゾロのラッキーっぷりを知っていた友人たちは、災難に見舞われ続けるゾロにそう言った。そんなことがあってたまるか、とゾロは思う。こっちが頼んで幸運をもらっていたわけでもないのに、反動とか言われても知るか、と。
それでも無傷で過ごしていられたからまだ良かった。しかし連日の災難が始まって4日目のこと、講義のため教室を移動していたゾロは、背中を誰かに押されて階段の一番上から転げ落ちた。結果、左手首の捻挫、全治2週間。この程度で済んで良かった、大怪我していてもおかしくなかった、と言われたが、2週間部活禁止、手首を安静にと言われてゾロの苛立ちはピークに達した。階段から落ちたゾロに付き添ってくれたのはたまたま居合わせたロビンだったが、踊り場には誰も居なかったと言った。
部活ができないので早く帰ったゾロを、サンジはいつものように夕食のいい匂いと共に出迎えた。
「おかえり。――…何、ケガしたのか」
包帯で固定されたゾロの手首を見てサンジが言った。まあちょっとな、とゾロは短く答える。あまり話す気がしない。
帰ってきたらすぐに夕食、というのがいつものコースで、サンジは部屋の真ん中に置いてあるミニテーブルの上に料理を並べていく。今夜のメインは回鍋肉だった。
「その手じゃ箸使えねェな」
そう言ってスプーンを置くサンジに、ゾロは言った。
「たまには一緒に食わねェか。誰かが居るのにひとりで食うのはつまらねェ」
「んー…昼にちょっと食い過ぎたから腹減ってねェんだ。それにひとり分しか作ってねェし」
「……そうか」
そのやり取りが、糸が切れる寸前だったのかも知れない。
いただきます、と静かに言って食べ始めたものの、スプーンでも包帯を巻いた手で食べるのは食べ辛かった。その様子を見てサンジが、暗い雰囲気に耐えかねたのかは分からないが、
「食いづらそうだな。おれが食わせてやろうか」
などと笑いながら言ったものだから、ゾロの中で張りつめていた糸が完全に切れた。
ガン、と音を立ててテーブルに叩きつけるようにスプーンを置いて、サンジを見据える。サンジは驚いたように目を見開いていた。
「……てめェは一体何なんだ。何でメシ食わねェんだ、何でおれが何訊いても適当にごまかして何も言わねェんだ、何でてめェが来てからおれは危ねェ目にばっかり遭うんだ」
そう言ってしまってから我に返った。これではただの八つ当たりだ。どういう事情があるにしろ、サンジは『1週間経ってここを出ていくときに事情は話す』と言っていたのに。
言い過ぎた、とゾロが謝罪の言葉を口にしようとする前に、サンジが寂しげに笑った。
「おめェ、ケガして疲れてんだよ。メシ食ったら風呂入って、早く休め」
そう言ってベランダに出ると、外を向いて煙草をふかし始める。ゾロが怒っても、サンジが何も話してくれないのは変わらないし、謝らせてもくれない。
ゾロは苦い気持ちで食事を食べ終えると、サンジに言われたようにそのまま風呂に入った。包帯が濡れないようにビニール袋で包む。片手が使えないのでいつもの倍くらい時間がかかった。そして風呂から出ると、ゾロが食べ終えた食器の類はきれいに片付いており、サンジの姿はどこにも無かった。
「――お前も頑張るねェ、『天使屋』」
一見ゾロの部屋から消えたように見えたサンジだったが、実際には姿を見せなくしただけで、ゾロの部屋のベランダに居た。黒いスーツではなく、白いローブを身にまとい、背中には大きな羽根。この姿になると、人間からは見えなくなる。そんなサンジの前に、『死神』ローが現れた。無論、彼の姿も人間には認識できない。ローはベランダから、部屋の中を覗きながら言った。
「それにしても随分な言われようだな、お前のおかげであの程度の怪我で済んだってのに」
「このところ危ねェ目にばっかり遭ってたからな。しばらく剣道もできねェみてェだし、不安とストレスが言わせたようなモンだろ。つうか、てめェ本当に容赦ねェよな」
「言ったろ、こっちも仕事なんだよ。お前の方もあの人間を守るために随分と力使って体力削がれてんだろ。顔色もあまり良くねェぞ」
普通なら、切り離された魂を『悪魔』に持って行かれないように闘うことはあっても、死神の力を相手に抗うことはない。肉弾戦でなくとも、『悪魔』との戦闘よりも『死神』相手の力のせめぎ合いの方がよほど体には堪えた。
「そう思ってんなら少しは躊躇してくれよ。今日のアレは反則だぜ。もう少しで脳天直撃するところを、落下する軌道を逸らすので精一杯だった。おかげでケガさせちまった」
「アレはおれの仕業じゃねェよ。おれ達『死神』は、あくまで対象が死に至るような状況を作り出すだけだ。対象に直接物理的な攻撃はできねェ。アレは『悪魔屋』の仕業だ。いつもならこんな真似されたこと無ェんだが、よほど今回の魂は特別らしい。お前の抵抗のせいもあるだろうが、おれが3日かけても魂は3分の1ほどしか剥がれなかったが、今日ので3分の2は剥がれたな」
『死神』ローは不思議な男だ。どちらの味方なのかよく分からないが、彼はサンジに忠告してきた。
「気を付けろよ。今回出張ってきた『悪魔屋』は、あのCP9のうちのひとりだ」
――CP9。任務の遂行のみをひたすら冷徹に行う戦闘部隊。その実態は謎に包まれているが、しかしその名だけはあまりに有名で、サンジもよく知っていた。
「ま、どうせあと3日以内だ、お前もおれとCP9の両方を相手取るのはキツいだろうから、おれはしばらく静観しててやるよ。結果として魂が完全に剥がれてくれたらおれの仕事は完了だからな」
ローはそう言うと、姿を消した。
その夜、もしかしたら戻ってくるのではないかとゾロにしては珍しく眠りの浅い夜を過ごしたが、結局サンジは帰ってこなかった。自分のベッドはこんなに広かったっけ、と思う。朝になって、誰もいない部屋で身支度をして、朝食も摂らずに大学へ向かう。玄関の扉を閉めるときに見えた部屋の中が、随分と寂しく感じられた。たった4日、誰かが居たというだけなのに。
サンジは確かに謎多き男であったが、でも彼の居る空間はどこか明るくて温かかったのだ。美味しい朝食を食べて『いってらっしゃい』と送り出される朝も、『おかえり』と夕食のいい匂いで迎えられる夜も。一度でもそれを知ってしまったら、もうそれが無いと辛くなる。そういうものか。
「おうゾロ、どうだ、ケガの具合」
大学に着くと、いつの間に仲良くなったのかルフィとロビンが一緒に居た。
「ただの捻挫だからな。大丈夫だ」
「そうか!良かったなァ!前から思ってたけど、お前ってホントに運のいいヤツだよなー」
ルフィにそう言われて、ゾロは意外に思った。『この災難は今までのラッキーの反動だ』と言われてばかりだったのに。何で、とゾロが訊くと、ルフィは、
「だってよ、これまでのだって全部間一髪で無傷だったじゃねェか。今回のソレだって、もっと大怪我してたかも知れねェのに捻挫だけで済むなんてよ、やっぱりツイてるじゃねェか」
目からウロコだった。そういう見方もあるのか。ロビンが隣でそうね、と頷く。
「どれもこれも、下手をしたら命を落としていてもおかしくないものばかりだったもの。きっと、よほど強い何かに守られているのよ、あなた」
その言葉に、何故か脳裏に浮かんだのはサンジの姿だった。サンジが来たから、こんな災難続きだったのか、それとも、災難が続くから、サンジが来たのか。分からないが、直感で後者であるように思えた。ある日突然現れて何の説明もせずに、自分の傍に居座った男。その場の感情できついことを言ってしまったゾロを、責めも怒りもしなかった男。
退屈な一日を終えて自分のマンションに帰ったゾロは、部屋の扉を開けるのが憂鬱だった。あの静かすぎる部屋に戻るのが。扉を開けても、中の明かりは朝に家を出たときと同じに消えたままで、もちろん『おかえり!』という言葉が飛んでくることもなかった。
部屋に入り、明かりをつける。夕食は何を食べようか。帰りにコンビニにでも寄ってくるんだった。でも自分はコンビニの弁当で満足できるだろうか?
「――…せめて謝るくらいさせろ、バカ」
部屋の真ん中に立ち尽くしてゾロがそう呟いたとき、玄関の扉についているサムターンが回る音がした。弾かれるように振り返る。扉が開いて、そこには手に大きなビニール袋を提げた黒スーツの金髪が居た。ゾロと目が合って、サンジは少し驚いたような顔をする。一体自分はどんな表情をしていたのだろう。自分では分からなかったが、サンジが面食らうような顔だったのだろう。
「機嫌は直ったか、マリモ君」
サンジは小さく笑ってそう言うと、中に入ってきてキッチンにビニール袋を置いた。野菜らしきものが透けて見える。夕食の材料だろうか。でも何でもいい。サンジはスーツのジャケットを脱ぐと、シャツを腕まくりしていた。
ゾロはサンジに大股で歩み寄ると、背後から力いっぱい抱きしめた。何だ、苦しい、とサンジの声が聞こえたが、さらに腕に力を込める。
「昨日は言い過ぎた、悪かった」
謝罪の言葉は思っていたよりもサラリと出た。サンジの言っていた1週間まであと2日しかない。
「てめェが何者でもいい。何も教えてくれなくてもいい。ずっとここに居ろよ」
サンジは、それには何も答えてくれなかった。ただ、苦しい、とゾロの腕を引っ張る。抱きしめる力を少し緩めると、サンジはゾロの腕の中で体の向きを反転させ、ゾロに向き直った。
「1週間って約束だったろ。てめェがそう言ってくれるのは嬉しいが、いつまでもこのままってわけにはいか――」
『いかない』と、最後までは言わせなかった。急に唇を塞がれて、サンジの喉が鳴った。深く長いキスに、やがてサンジの膝が崩れる。キスを繰り返しながらシャツをはだけさせようとするゾロの手をサンジは何度か掴んだが、完全な抵抗には至らないでいた。
施錠されているとは言え玄関が目の前にある、ひどく狭いスペースで、男相手に欲情する。それはどうしようもなく背徳的で、しかし背徳的なものほど抗いがたい魅力に溢れている。ところどころで何度も、『ダメだ』とゾロを制止するサンジの弱弱しい声がしたが、聞こえないふりをした。
細く見えた身体は、意外と筋肉がついていた。うつ伏せになった白い背中の、左の肩甲骨の辺りに、小さな傷があった。そこにそっと触れると、サンジの身体がビク、と撥ねた。舌を這わせるとさらに身体は大きく撥ねる。滲んだ汗の味がした。
「――この傷。どうした」
せっかくの綺麗な真っ白い背中なのに、勿体ない。そう思ってゾロは訊いた。
「む、かし、ちょっと」
荒い息を整えながら、途切れ途切れにサンジは答えた。
真夜中に、隣で清々しい顔で眠るゾロの隣で、サンジは起き上がった。
こういう場合はどうなるんだろう。数多い『天使』の中でも、『人間』と肌を合わせた者など前代未聞だろう。辞表を叩きつけて出てきたは良いが、クソジジイに知れたら本当に勘当されるな、とサンジは思った。どうなるか分からないから、途中で何度も止めたのに。欲情した人間のパワーは計り知れない。空では経験したことのない、嵐のような快楽に押し流されてしまった自分にも非はあるが。
結局あの後、じゃあ夕食を、という気分にもなれず、手つかずの食材を片付けて、狭い風呂に一緒に入って、寝床に一緒に入ったところでゾロには再度火がついたようだった。しつこいくらいに、けれど決して乱暴にではなく抱かれた。自分の身体の中に誰かの名残があるというのは、何とも奇妙な感覚だった。
しかしその余韻に浸っている場合ではない。サンジが起きたのは、不穏な気配を感じたからだ。サンジはゾロを起こさないようにそっとベッドを抜け出すと、白いローブに白い羽根、の元の姿に戻った。これでゾロから自分の姿は見えない。そして、目の前の不穏な空気が、一つの形をつくった。『悪魔』だ。狼のような人間のような姿をしていた。『悪魔』は、まだサンジの気配に気づいていない。眠っているゾロの傍にそっと歩み寄ると、手のひらを合わせ、鋭い10本の爪を輪っかの形にした。
その爪が、布団ごとゾロの胸を貫こうとしたところで、サンジの強烈な蹴りが炸裂した。
『悪魔』の中でもCP9は別格だというのは話に聞いていたが、その戦闘能力は想像以上だった。ジャブラと名乗ったその『悪魔』は、着実にサンジの身体に傷をひとつずつ増やしていく。しかしサンジも負けてはいない。ジャブラの身体にも、ダメージは少しずつ蓄積されていった。
ただ条件が違うとすれば、ジャブラは周囲を気にせずに攻撃できるが、サンジはジャブラの攻撃がゾロに当たらないように守りながら闘わねばならない、ということだろう。ゾロを叩き起こして避難させたかったが、見たところゾロの魂はもう5分の1ほどしか繋がっていなかった。下手に動かしたところでジャブラの攻撃を受ければ、きっと全て剥がれてしまう。
何度目かの攻撃をゾロを庇いながら受けたとき、左の羽根が根本で折れて動かせなくなった。動かない羽根はただの荷物だ。
「『死神』の野郎が居ねェからやりやすいと思ったら、邪魔しやがってクソ天使が!」
なかなか剥がれない魂と、倒れないサンジとにジャブラは苛立ちを隠せない様子で言った。数匹の狼が襲い掛かってくるかのような斬撃が飛んでくる。咄嗟にゾロを庇いながら受けたため、サンジは後方へ吹っ飛ばされた。右肩が裂ける。ぎゃはははは、とジャブラの嗤う声が響く。
「このおれから人間を守り抜こうなんざ生温い考えだ!おれァてめェら天使を殺すぐらい何とも思わねェ、そこの人間の魂はおれ達が有効に使ってやる、そいつを渡して逃げるなら今のうちだぜ、それともここでおれに殺されるか?」
――『使う』?サンジの額に青筋が浮いた。こいつの魂はそんなに安いものじゃない。
「――逃げる気もねェし…殺される気もねェし…渡す気もねェ…。てめェ口に気を付けろ…おれは怒りでヒートアップするクチだ…!」
戦闘の師匠でもある大天使ゼフから、極力使うなと言われた技。脚を軸にして、サンジは自分の身体を高速回転させた。
「――『悪魔風脚』」
ジャブラに灼熱の蹴りが飛んだ。
「――おい、大丈夫か、『天使屋』」
ジャブラが退散したあと、傷だらけでフラフラになっているサンジの前に現れたのはローだった。
「『CP9』を退けるとは大したモンだが、仮にも『天使』のお前が、あのネーミングは無ェだろう」
「うるせェ、文句ならクソジジイに言え」
「『大天使』が考えた技かよ。呆れた」
ローはため息をついて、そしてゾロの方を見た。
「魂、かなり剥がれかけてるな」
その言葉に、サンジはふらつく身体を必死で支えて身構える。
「その状態でまだおれとやり合おうってのか。無理だろ」
「無理かどうかはやってみねェと分からねェだろ」
「分かる。無理だな。それ以上無茶したらお前死ぬぞ」
「――…死んでもだ。死んでも守る」
息を切らして自分を睨むサンジを、ローは暫く見据え、やがて頭を抱えて首を振った。
「やめたやめた。そんなんで『天使屋』に死なれちゃさすがのおれも寝覚めが悪い。――ジャブラは、CP9の中でもタチが悪くてな。おれたち『死神』でも目に余ってたんだ。そいつを倒してくれたことに免じて、今回は見逃してやるよ」
「――え。でもてめェ、仕事…」
「何かの間違いでリストに挙がっちまったとでも何とでも、適当にごまかすさ」
じゃあな、という声と共に黒いもやが消えて、サンジはそのままその場に倒れ込んだ。
ゾロが目を覚ましたとき、サンジの姿が見えなかったので、ドキッとした。またどこかへ行ってしまったのだろうか。しかし、一度サンジが居なくなったから分かる。サンジの気配は確かにあるのだ。
「――おい、どこ行った」
この狭い部屋の中、姿が見えなければ居るはずもないのに、ゾロは自分の直感を信じて呼びかけてみた。無論、返事は無い――と思ったら、背後から別の声がした。
「あーあー、随分とハデにやっちゃったなァ」
「だ、誰だてめェ!」
振り返ると、頬にソバカスのある若い男が立っていた。しかし――真っ白いローブをまとったその背中には、大きな羽根が生えている。そして男の頭上には、光る輪っかが浮いていた。
「どうも、『天使』のエースです、ちなみにサンジの上司。以後よろしく」
「上司?」
「そう。上司。ちなみにアレが、あんたを守るために必死で闘ったおれの部下」
エースと名乗った『天使』はそう言うと、ゾロの目の前に手をかざした。そして、エースの指さす方を見ると――部屋の隅に、血だらけの白い塊が倒れていた。エースと同じように白いローブを着て、背中には羽根。しかしその片方は根本で折れている。頭の方に光る輪があったが、弱弱しい光だった。ゾロは思わず駆け寄って、サンジを抱き起こした。『天使』が死ぬものなのかどうかは分からないが、まだ息をしているのを確認して、ホッとした。
「……何だよ、コレは」
「ホントは黙って連れて帰ろうと思ったんだが、それだとサンジがあまりに報われねェからな」
「どういうことだ」
「あんた、明日が終わるまでに死ぬ予定だったんだよ。で、おれがあんたの魂を迎えにくる役目だったんだが、それを止めるために勝手に天界を飛び出して行ったのさ、そのバカは。死んだばかりの魂は、『悪魔』にも狙われるからな。『死神』と『悪魔』の両方を相手取るなんて、無茶するよホントに」
エースの話に、ゾロは腕の中で目を閉じているサンジを見下ろす。
「何で、おれのためにそこまで」
「さあな。それをおれから説明するのは、何か違うだろう」
知りたかったらそいつから直接聞きな。エースはそう言って、ゾロに薬瓶を投げて寄越した。
「おれ達専用の傷薬だ。そいつに飲ませてやってくれ。命さえありゃ、大抵の傷はそれで回復する。そいつが目を覚ましたら、『大天使ゼフはもうそんなに怒ってねェから、とりあえず一旦戻って来い』って伝えてもらえるか」
「――分かった」
「頼んだぜ。おれは一旦空に帰るから。――あ、そうそう、ひとつ訊きてェんだが」
ゾロに背を向けて羽根を広げたエースから、ほんの少し、冷やりとした気配を感じた。
「お前、そいつに手ェ出した?」
「あ?」
「いや、そいつに『人間』の匂いがえらく染みついてるモンで。おれの気のせいなら、良いんだが」
ゾロは顔面から血の気が引く思いがした。手を出したことを後悔したわけではなく、サンジにとってとんでもなくまずいことをしてしまったのではないかと。そう言えば、何度も途中で『駄目』と言われたような気がしないでもない。
「ま、別にだからどうってわけでも無ェんだがな。せいぜい、大事な大事な孫息子に手を出された大天使が非常にお怒りになるくらいだろうし。1カ月くらい、頭上と背後と夜道に気を付けるくらいで良いんじゃねェの」
ざっくりと脅しの言葉をゾロに投げつけて、振り返ったエースの笑顔はやけに怖かった。
しかし大天使の報復に怯えている場合ではないし、サンジに手を出したことを『間違ったこと』にしたくもないので、エースの忠告通りしばらく頭上と背後と夜道には気を付けることにして、ゾロはおれは悪くない、と開き直った。
口移しで薬瓶の中に入っていた液体をサンジに飲ませる。半分くらいは血に染まった白いローブを脱がせ、人間用のものであったが一応傷の手当てをした。身体についた血や汚れを綺麗に拭き、クロゼットに仕舞ってあった新しいタオルケットにその身体を包むと、ベッドの上に横たえた。
ベッドに横たわるサンジの顔を見つめる。何だろう。とても懐かしい感じがした。
サンジが目を覚ましたのは、それから2日後のことだった。しかし、折れた羽根が治るのには1カ月ほどかかってしまった。エースが『帰って来い』と言っていたと伝言は聞いたものの、羽根が治らないことには帰るに帰れなかった。
「――よし。動いた」
もうゾロに身分を隠す必要もないので、ゾロの前でも羽根はむき出しだった。すっかり良くなった羽根をバサバサと動かす。
「じゃあとりあえず、クソジジイに怒られに帰るとするか」
明るい口調でサンジが言うと、ゾロは心配そうにサンジを見た。
「――大丈夫なのか?」
「大丈夫だろ。最悪、もう2度と帰らねェつもりでいたが、まァ家族だからなァ」
「……何で、おれのためにそこまでしてくれたんだ?」
1カ月間、訊きたくても我慢していたのだろう問いを、ゾロは口にした。サンジはフ、と笑う。
「好きだったから。…ってだけじゃ納得しねェか?」
「……いや、それで十分だ」
バサ、と羽根を広げて飛び立つ準備をしたサンジに、ゾロは笑って言った。
「ケガ、治って良かったな」
ああ、変わってねェなあ、とサンジは思った。だから、種明かしをしてやる。
「そんなこと言って、おれが居なくなったらこっそり泣くんだろ、昔みたいに」
「は!?」
サンジの言葉に、ゾロは何かを思い出したようで。お前まさか、と言いかけたゾロにサンジはニッと笑うと、そのまま空へ飛び立った。
◆◇◆
「――この、バカタレが」
空に戻ったサンジにゼフは、開口一番、『バカ』を20回くらいは連呼した。
「てめェみてェなアホで無鉄砲な不平等の塊に『総務部』が務まると思ったおれが甘かった。てめェは異動だ、異動。来週から、てめェにお似合いの部署に飛ばしてやる」
ベシッと顔面に辞令を書いた紙を叩きつけられて、サンジはクソジジイめ、と悪態をつきながら、床に落ちた辞令書を拾い上げる。移動先は――『守護部』となっていた。『天使』の中でも『守護部』に属する者は『守護天使』と呼ばれている。あまねく全ての人間を、ではなく、ひとりの『人間』に対してひとりの『天使』が守護に就くシステムだった。
「どうせ止めたっててめェはまた勝手に突っ走っちまうんだろうが。てめェがあの人間に特別な感情を抱いている以上、また同じことを何度も繰り返すだけだろうしな」
「ジジイ…」
何だかんだで、この大天使は孫息子に弱いのだ。
無事に空へ戻ってきたサンジを見て、ウソップは心配したんだぞ、と泣いた。そんな心優しき友人のウソップとも、来週からまたしばらくはお別れだ。
「サンジ。来週から守護部だって?良かったな。おれ達としてはちょっと寂しいけど」
エースが優しい笑顔で言う。そして最後に付け加えた。
「でもなサンジ、あんまり、イケナイことばっかりしてちゃダメだぜ」
サンジは一瞬真っ青になって、そしてすぐに真っ赤になった。
◇◆◇
サンジが空へ帰ってから1週間。ゾロは寂しかったが、サンジの正体が『天使』だったと分かった以上、無理に引き留めるわけにもいかなかった。そう、10年前の小鳥と同じだ。そのまま傍に置いておきたかったけれど、放してやった方がいいと言われたあの鳥と。まさか、あの鳥がサンジだったとは思いもしなかったけれど。サンジの背中にあったあの小さな傷は、10年前にゾロが手当てをしたときの傷だったのだ、と改めて気が付いた。
鶴の恩返しならぬ、天使の恩返しか。災難が止んだその日から、ゾロの小さな幸運も、もう起こらなくなってしまった。それもサンジの仕業だったのかも知れない。そして幸い、エースの言っていた『大天使の報復』とやらも今のところゾロの身に降りかかってはいなかった。
左手首の捻挫も完治し、遅れを取り戻すかのように部活に励んでいたゾロは、帰りが遅くなった。どうせ帰っても誰も居ないのだから、という思いがどこかにあるのかも知れない。
コンビニでインスタントラーメンを買って帰路につく。玄関の鍵を開け、ドアの取っ手を引いた。――ふわりとした温かい空気と共に、いい匂いが漂ってくる。ゾロは勢いよく扉を開けた。
「おかえり!遅かったな、晩メシできてるぜ、今日のメニューは煮込みハンバーグだ」
1週間ぶりの、この笑顔。ゾロは嬉しいのだが、それよりも驚きが上回っていた。
「てめェ、何でここに!――…やっぱりジイサンに勘当されたのか?」
「いや、異動になった」
「異動?」
「おう。今日から『守護部』配属の『守護天使』だ。他の天使とは違って、ひとりの人間にくっ付いて守るのが『守護天使』の役目だ。1年に1回しか空に帰省できねェし、ある意味で戦闘職でもあるから不人気な部署なんだが、てめェにはそっちの方がお似合いだ、ってクソジジイがな」
まあ、心配すんな。サンジは言った。
「てめェが天寿を全うした暁には、おれがちゃんと空まで連れてってやるから」
じゃあメシにしようか、と背を向けたサンジを、ゾロは後ろから力いっぱい抱きしめた。
「だから苦しいっての、馬鹿力」
そう言われて、腕の力を緩める。サンジはゾロの方へ向き直った。目の前にある、至上の空の青。深く深く口づける。自分ひとりのためだけに存在する、自分だけの大切な天使。
――ゾロは、永遠のセレストブルーを手に入れた。
fin
*****
まさに天上の青!抜けるような至高の青が、目の前に広がるようです。
なんて綺麗で幸せな天使のお話を、ありがとうございます。
わー天使職のエースもウソップも、もちろんゼフもいい味出してる(笑)
対して人間のロビンちゃんやルフィ達も素敵。
そんな仲間に囲まれて、途中までどうなることかとハラハラしつつも、住む世界も人種も違う二人が添い遂げられる道を探し出してくれて本当に嬉しかった。
幸せなサンジェルをありがとうございますv
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