さよならと言えなくて -6-



15分でゾロは到着した。
短縮された5分はどの距離で稼いだんだろうと不思議に思いながら、サンジはわざと余裕ぶって振り返る。
「おかえり」
「・・・た、だいま」
ぜえぜえと息を切らすゾロは、まだ信じられないと言った風に目を見開いて玄関に立っていた。
「お前、なんで・・・」
「用事があったからさ」
すっかり綺麗になったキッチンで、サンジはコーヒーを淹れた。
冷蔵庫の中はビール以外何も入っていなかったから、摘まむものすらない。
「まあ座れよ、話があるんだ」
ゾロはごくりと唾を飲み込み、スーツと鞄をソファに投げるとそそくさと椅子に腰掛けた。

「今日、俺オフだったんだ」
「・・・ああ」
「んで、街ぶらついてたら知り合いに会って、その知り合いの知り合いってことでカリファさんと話した」
「なにっ!」
またしても、ゾロの瞳が丸くなる。
今日はなんだか、人のびっくり顔ばかり見ているような気がする。
「カリファさん、俺のこと知ってたぜ。共通の知り合い・・・ルッチさんってんだけど、その人に聞いたとかで」
「そいつか、お前に言い寄ってたの」
ゾロがそう言い、サンジは鼻の頭に皺を寄せる。
「なんか向こうもそう言ってたけど、俺心当たりねえんだ」
その台詞に、ゾロの肩ががっくりと下がる。
「・・・そうだよな、てめえはそういう奴だ」
「なんだよ、何気に失敬だな」
憤慨しつつ、サンジは話を元に戻した。

「んで、カリファさんからの伝言『誓約書は必要ないから破棄しろって』」
「ああ」
ゾロは「なんだそんなことか」とでも言う風な、腐抜けた顔になった。
「そりゃそうだろ」
「一体、なんの誓約書だよ」
サンジの顔をじっと見つめ、うんと一人で頷く。
「俺あもう、決めたんだ」
「なにを」
「てめえにも世間にも、誰にも隠し事しねえって」
そう呟き、鞄の中からクリアケースを取り出す。
折りたたまれた一枚の紙を広げ、サンジの前に差し出した。
「これって・・・」
そこにはカリファの流麗な文字で、子どもができても認知を求めないこと、養育費やその他一切の請求権限を放棄することなどが書かれている。
「なに、なんだよこれ」
サンジが驚き顔を上げると、ゾロは目の前でその紙をビリビリと破った。
「こういうこった。あいつは子どもが欲しくて、俺と一晩だけ寝たんだよ」
「・・・子ども」
「この誓約書が無効だってのは、妊娠しなかったってことだ。まあ、当たり前だが」
「なんで?」
サンジの頭は混乱した。
カリファが妊娠を望んでゾロを誘ったのなら、性行為が不発に終わったらこんな誓約書を書かないだろう。
なのに、ゾロはやけに自信たっぷりに「当たり前だ」とか言う。
「ガキができるようなこと、してねえし」
「はあ?」
もはや訳がわからない。
「なんで?だって、カリファさん妊娠の可能性があるって思って、今までいたんじゃないのか?だからこんなもの、書いて寄越したんだろう?」
「あっちはそう思ってる」
「は???」
「ぶっちゃけ、気絶したから」
「・・・はああ?」
サンジは先ほどから、酸欠の金魚みたいにパクパクと口の開け閉めを繰り返していた。
「まあ、それなりに納得するよう小細工はしたがな。自分でもよく憶えてねえのが屈辱なんだろ。虚勢張っちゃあいるが、痛々しいくらいだ」
サンジはパクパクパクと唇を動かしてから、ようやく声を絞り出した。
「・・・違うじゃねえか」
「あ?」
「それじゃ、浮気じゃねえじゃねえか!」
ここで怒るのもどうかと思うが、これじゃ話が違う。
「んなことねえよ」
なんでゾロが否定するか。
「やり方はどうあれ、てめえ以外の人間と一夜を共にしてんだ。それに気絶するまで弄くったことに変わりはねえ。こんなもん、浮気と同じだ」
「ゾロ」
サンジの方が嗜める側に回っている。

「なんで、話してくれなかったんだ?そもそもそんな小細工をしてまで、なんでカリファさんの子作りに協力しなくちゃならなくなったんだ?」
「それは・・・」
一瞬言いよどんだが、腹を括ったように口を開く。
「カリファが、知り合いに聞いて俺とてめえの仲を知ってるって言ってな。断れば言いふらすと」
―――やはり・・・
サンジは唇を噛んだ。
結局、自分のためだったんだ。
「だったらなんで、バレた時にそう言ってくれなかった。一言、てめえのためだって言ってくれたら、俺だって・・・」
「それは違う」
またしても、即座に否定してくる。
「てめえのために、じゃねえ。俺のためだ」
「ゾロ?」
「確かに、てめえと俺の関係を言いふらされちゃあ、てめえは嫌がる。人に知られることを恐れてるもんな。だが、俺が恐れたのは、人に知られてお前が哀しむことだった。お前を哀しませたくねえから、俺が一人で判断して暴走した。お前のためじゃねえ」
「―――・・・」
「お前はもっと強くて逞しいのに、俺が勝手に囲い込んで守ろうとしたんだ。てめえの気持ちなんて無視して、一番手軽な道を選んだ。俺の責任だ」
そう言ってテーブルに手を着き、頭を下げる。
「勝手なことして、悪かった」

サンジは目の前に下げられたゾロの旋毛をじっと見つめた。
いきなり手を上げて、そこを叩く。
「・・・てっ」
反射的に顔を上げたゾロの、頬をぎゅむっと抓った。
「このバカ野郎」
両手を伸ばして、両方の頬をぎゅうぎゅうとつまみ上げる。
「俺、ほんとに浮気したと思ったんだぞ。やっぱりレディのがいいんだって思ったんだぞ。ものすごくショック受けたんだぞ」
「ふぁるはった」
「お前なんか、もう二度と許さないって思ったんだからな」
一度は思った。
本気で思った。
心の底からそう思ったのに、どうしても忘れられなかった。

「二度は、ねえから」
手を離せば、びよんと戻る。
赤くなった頬をそのままに、ゾロは真摯な表情で頷いた。
「誓う、もう二度とてめえを裏切らねえ」
「隠し事も、なしだ」
「ああ」
「浮気したら、チョン切るぞ」
「てめえのためにも、絶対しねえ」
「言ってろ」
サンジはもう一度頬を叩いて、それからぎゅっとゾロの頭を掻き抱いた。





いつから洗濯してないのか、よれよれのシーツにはゾロの匂いが染み付いている。
その上で、サンジは裸になって身を捩りゾロを受け入れていた。
一度は別れを決意したはずの相手なのに、抱き合ってみればしっくりと肌が合う。
一月も顔を合わせていなかったと信じられないほど近い場所に、ゾロの在り処があった。
そのことに、サンジの身体と心の両方が安堵している。

「サンジ・・・」
ゾロは何度もサンジの名を呼び、確かめるように口付けを施して長く内部に留まっていた。
声が漏れるのも惜しむほどキスを繰り返し、手足を絡めてこれ以上ないくらい強く抱きしめてくる。
それでいて繋がった箇所はずくずくと疼くほどに熱を保ち、時折揺すりながら突き入れて水音を立てた。
「・・・ぞ、ろ・・・もう―――」
「サンジ」
ゾロはサンジの下唇を甘噛みし、汗に濡れた掌で愛しげに髪を梳く。
「もう手放せねえ。悪いが、諦めてくれ」
「・・・そりゃ、こっちの台詞だ阿呆」
サンジはゾロの腰に回した長い脚を、ぎゅっと交差させた。
「俺が離すか」
「サンジ・・・」
唇と舌を絡ませながら、とぷとぷと液を迸らせる。
恍惚の時間は長く、途切れることを知らぬまま二人だけの夜は続いた。





いつも通りの起床時間に目を覚まし、サンジはうーんとベッドの中で大きく伸びをする。
睡眠時間は短いが、久しぶりにぐっすり眠れたせいか気分はすっきりとしている。
身体はあちこち痛いが、これはもう仕方がない。
傍らで眠るゾロは、明るい朝日の下で見ると随分と頬がこけ、目の下に隈まであって輪を掛けて悪人面だった。
無精髭も濃く、ところどころ剃り残しが長く伸びている。
「やっぱ・・・ダメだな」
俺がついてないとダメだ。
人のこといっぱしの保護者気分で見てるんだろうが、こっちから見ればゾロの方が手のかかる、大きな子どもだ。

サンジは身体を起こし、ちらりと冷蔵庫に目を向けた。
買い出しをしていないから、朝食にできるものも何もない。
まったく、不便な部屋だ。
「ゾロ」
「・・・んー」
サンジが呼び掛ければ、ゾロは寝ぼけていても返事をする。
まだ閉じたままの瞼をぐいぐいと引っ張り、耳元に唇を寄せた。

「そんなに広くなくていいから、キッチンがちゃんとしてるとこにしよう」
ぱちっと、ゾロの片目が開いた。
「冷蔵庫はでかいのを買うぞ。洗濯機や掃除機は、いま使ってるのでいいから」
ぱちぱちっと両目が開いた。
「距離は、てめえと俺の職場の中間が一番いいよな。ボチボチ探すか」
がばりとその場で飛び起きる。
「・・・いいのか?」
「ん」
「一緒に暮らして、くれんのか?!」
妙な方向に立っている髪を撫で付け、サンジは笑顔で頷いた。
「その方が経済的だし、お互いにとっていいと思う」
好き合ってるなら、一緒にいるのが一番いい。
「しかし、俺とのこと―――」
「別に、ルームシェアって言えばいいしよ。バレたんなら、そんときゃそん時だ」
サンジはそう言って、少しはにかむように俯いた。
「それに、てめえは俺の自慢の恋人だし・・・」
「サンジっ」
がしっと抱きつかれ、勢いでそのまま枕の上に倒される。
「痛えよバカ」
「すまん、すまん畜生」
「どんだけ喜ぶんだ、ガキかてめえは」
硬い髪をうしうしと撫でて、サンジは声を立てて笑った。

よかった。
このゾロの手が、優しい瞳が、自分にだけ向けられていて本当に良かった。
確かに、一時は人の身体に触れていたとしても。
仕方がないと、そう思いたい。
ほんの少し残る胸の痛みは、忘れないで憶えておくための自分への楔だ。
本当に大切なものを失う前に気付けて、よかった。



「ゾロ」
「ん?」
ざりざりと頬擦りされ、痛えよと顎を上げる。
「ほんとんとこ、カリファさんになにしたんだ?」

カリファは、ゾロのことを語るとき怯えた目をしていた。
冷徹そうに見せて、その実押し隠していたのは恐怖だ。
彼女は確かに、恐れていた。
ゾロは笑顔のままで、サンジの頬を撫でる。

「愛しているから、お前にはあんなこと、絶対しねえよ」
―――あんなことって・・・なに?
ほんとに一体、何をしたんだ?

怖くて、それ以上とても聞けない。
サンジの背中に冷たい汗が流れたが、ゾロは頓着することなくまるで羽毛が触れるように、軽くて優しいキスをした。



End







「社会人でゾロとサンジはそういう仲だけどゾロが女に言いよられて仕方なくヤったらサンジに見られる」というリクエストをいただいて、正直ハードル高っ!とビビりました(笑)
でもちょっと、書き甲斐あるなと恐る恐る書いてみたらなんとか形になってよかった・・・(心底ほっ)
終わってみれば、いつもの馬鹿っぷる話になりました。
お付き合いくださり、ありがとうございます。
紅夫さんに捧げますv


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