六花



毎年、3月2日には雪が降るという。
そう言えば去年は確かに降ったし、その前も降ったかもしれない。
その前はどうだったかと言われると、よくわからない。
それまでは、3月2日なんて特別な日じゃなかったからだ。
けれど今では、3月2日は特別な日だ。



その日を迎えるに辺り、ソワソワしているのはゾロだけではない。
ウソップはなにやらごそごそ準備しているし、カヤは昼休みを編み物の時間に当てている。
スモーカーは春に向けて、“なすがしら1号”と“2号”(サンジ愛用チャリと原付)の整備に余念がない。
和々はひな祭りフェアと称しながら1日早く飾り付けを終え、コビーとヘルメッポはゾロの家にコンテナガーデンを完成させてくれた。
作業する二人の背後で風太がぴょんぴょん跳ねながらはしゃぎ、往診途中に立ち寄ったチョッパーが誕生日健診を薦めてきた。
当日、ルフィとナミから大きな花束が届き、サンジは飛び上がって悦びながらそれをレテルニテに飾る。
「いやあ、ひな祭りフェアが一段と華やかになるな〜」
それはお前のための花束だろうと思いつつ、こうして活用されるなら贈られた花も満足だろうと余計な口を挟まない。
二人で軽トラに乗ってすっかり雪の消えた田んぼ道を走れば、鉛色の空からチラチラと雪が舞い落ちた。
「あー降ってきた、ほんとに降るんだ」
「今年も降ったな」
せっかくの誕生日なのだから春らしくすかんと晴れた暖かい日の方がいいだろうに、なんとなくお約束のように雪が舞うことの方が特別に思える。
積もって足元が悪くなる訳でもない、ただ少し冷えてチラチラと風花が舞う程度のこの降り方なら風流でいいものだ。

「今日は女の子がたくさん来てくれるといいな〜」
丁度2日が金曜日だから、レテルニテでの“ひな祭りフェア”に合わせてこの週末は女性のみ半額だ。
ただでさえ料金設定が安いのに大丈夫かと逆に客から危ぶまれているが、サンジにとっては1年に一度、女性で溢れるだろう店内の様子を目にするだけで立派な誕生日プレゼントになるのだという。
「がんばった自分にご褒美」
お手軽なご褒美だと、ゾロは思う。

ウソップ渾身の作の店内ディスプレイは、実に春らしく華やかだった。
ピンクをベースに黄緑・黄色を配し、いかにも女性向の色合いとなっている。
これでは逆に男性客は入りづらかろう。
ゾロの懸念をよそに、開店と同時に男女関わらず客がやって来た。
予約はもとより、今日は飛び入りも多い。
女性客半額と唱えると、その女性客に引っ張られて男性客もやってくる。
やはりまずは女性のハートをがっちり掴むことが商売のコツらしい。

ランチはいつもの平日より賑わい、カフェタイムは保育所のお迎え帰りのママさん達で賑わった。
ディナーには和々の看板娘、お松さん達がそれぞれ家族を連れて来てくれた。
チョッパーが年度末で退職する看護師を連れて一足早い送別会を行い、スモーカー夫妻もパウリーを連れて顔を出す。
サンジは終始ニコニコして、大忙しでありながらその一人ひとりと会話を楽しみ、料理を供していた。
その分、裏方のゾロやコビー、ヘルメッポはいつも以上に立ち働いて、今夜の影の主役であるサンジの負担を減らしている。

「アウっ、ここがスーパーな店だってか?!」
頓狂な掛け声と共に、大男が店に現われた。
カヤとディナーを楽しんでいたウソップが、こっちこっちと手を振り返す。
「仕事お疲れさんっした」
「オウ、約束通りみんなを連れて来たぜ」
「こんばんはだわいな」
「お邪魔しますだわいなー」
両手に花ならぬ、キウイとモズ、その他無骨な野郎共を引き連れ賑々しく奥のテーブル席に向かう。
「ウソップ工房で世話になってるフランキー親方だよ」
「へえ、初めまして。ようこそレテルニテへ」
キウイやモズは和々の常連さんだからすでに顔見知りだが、親方に会うのは初めてだった。
「いい店じゃねえか、こじんまりして雰囲気も動線もいい。だが―――」
ざっと一瞥して、声を潜める。
「ちと手狭じゃねえのか?客の入りをかなり制限してるだろう」
つい、サンジも釣られて小声になった。
「予約をお受けするのを、ちょっと抑え気味にしてます」
客を待たせることを嫌うサンジは、精一杯手際よく業務をこなしているが、どうしたって今の席数では限界があった。
予約を断るのは切ないとか、そろそろ弱音も出てきている。

「名店は並んででも喰うもんじゃねえのか」
「そういう店にはしたくないんですよ、ふらりとやってきても気軽に食べられる場所にしたくて」
あちらを立てればこちらが立たず。
サンジは案外欲張りだと、ゾロは時々心配にもなる。

「思い切って増築しちゃあどうだ。南側にガラス張りのテラスとか」
「・・・え?」
突拍子もない申し出に、ウソップの方が食いついた。
「ああ、いいねえガラス張りのテラス。冬でもあったかいんだろ」
「オウ勿論よ。そうだな、イメージとしては温室みてえな」
「そりゃいいなあ」
「素敵だわいな」
店主を置き去りにして職人同士で盛り上がりだした。
え?え?とトレイを抱いたまま呆気に取られているサンジに、ゾロは中に入るよう促した。
「あとは俺が聞いといてやるから、お前飯作れ」
「おっといけねえ」
慌てて厨房に戻るサンジに代わり、あとを引き継いだ形のゾロがテーブルの横に立った。
「増築の話、もうちょっと詳しく聞かせていただいていいですか?」



昼間にチラチラと舞っていた風花は、夜には本格的な牡丹雪に変わった。
これは少し積もるかと心配になりだした頃、客達が腰を上げ始める。
「積もる前に帰った方がいいねえ」
「積もらないといいんだけどねえ」
どうかなあ、どうだろう。
そう言い合いながら、ご馳走様とお代を払う。
「表にサトイモ置いといたから、また使ってね」
「春ニンジン採れたよう、ちっこいけど足しにしてね」
「座布団編んだの、よかったら」
みんな、帰る間際に言おうと思っていたのか、会計ついでに「実は」と言い添えて色んなものを置いていってくれた。
お礼を言うべく、結局サンジが会計も全てこなす。
今夜も家族を連れて食べに来てくれたリヨさんの息子は、むっつりした顔で勘定を済ませたあと、行きかけて立ち止まった。
「2番目に出て来たなんか焼いたの、まあ、悪かぁなかった」
それだけボソリと言って、早足で店を出て行く。
「あ、りがとうございました!」
一際大きな声で礼を言い、深々と頭を下げる。
何よりこの一言がサンジには嬉しかった。





フランキー親方達とウソップとの歓談はまだ続いている。
客を見送り扉を閉めようとして、真っ暗な農道から灯りが近づいてくるのに気付いた。
タクシー表示だ。
お客さんだろうか、お迎えだろうか。
扉を開けたまま待っていると、店の前でタクシーが止まった。
中から現われた人影に、サンジは飛び切りの笑顔になる。
「いらっしゃいませ」
「遅い時間にごめんなさい」
漆黒の髪に、牡丹雪がひらりと舞い落ちる。
冷えた空気の中で六角の結晶は溶けることなく、その髪を飾った。
「また来てくれて嬉しいよ、ロビンちゃん」
さあどうぞと身体を引いて、店の中に誘った。



「いらっしゃいませ」
来客に気付き声を上げたゾロは、ああとそのまま動きを止めた。
「・・・いらっしゃい」
「遅くにごめんなさいね」
振り返ったウソップが、ん?と首を傾げた。
「どこかで見たことがあるような・・・」
「あ、ナミさんの出版記念パーティでお会いした方ですよ」
憶えていたカヤが両手を合わせて立ち上がる。
「こんばんは、パーティではお世話になりました」
「こんばんは」
ウソップさんもと会釈を返され、うっかり忘れてしまっていた自分を羞じる。
「まさか、こんなとこでお会いするとは」
「こんなとこで悪かったねー」
カウンターに座ったロビンの前に水を置き、サンジが口を尖らせた。
「いやまあ、そういう意味じゃねえけど、やっぱなあ」
都会で会った人がここまで来るなんて、どうしてもわざわざ感が拭えない。
「このお店に来るのは2度目なの」
「へえ」
「そうなんだ」
先月、なんの前触れもなしにふらりと現われたのだ。
女性の顔なら二度と忘れないサンジは、大喜びで大歓迎した。
「あの時も雪が降っていたね」
「いきなり訪ねて、お食事が出来るかちょっと心配だったわ」
今夜も・・・とグラスを口に運びながら笑う。
「暖かい場所で、よかった」
サンジは何も言わず、そっと前菜を置いた。

背後のテーブル席では、ウソップとフランキー達が賑やかに飲み話している。
閉店間際だから、残っているのはほとんど身内ばかりだ。
「ご馳走様」
すっかり眠ってしまったパウリーを抱いて、たしぎがカウンターの中に声を掛ける。
「どうもありがとう、おやすみねパウちゃん」
薔薇色のほっぺを突つくと、パウリーの小さな唇がむにゃむにゃ動いた。
「お誕生日おめでとう、今年もサンジさんにとって幸せな一年となりますように」
はいプレゼント、と差し出された包みをありがたく受け取る。
「こんな、気を遣ってもらわなくてもいいのに」
「別に気なんか遣ってません、私がプレゼントしたいの」
みんなもそうよね、と背後を振り向けばウソップとカヤがうんうん頷いている。
「サンジさん、今日お誕生日だったんだわいな?」
「教えてくれればよかったのにだわいなー」
キウイとモズが不満そうに揃って身体を揺らしている。
「ようし、それじゃあ俺が一曲歌います」
どこから取り出したのか(内蔵していたのか?)親方は小さなギターを取り出してポロンポロンと爪弾き始めた。
賑やかなバースディソングをバックに、パウリーを抱いたたしぎを包み込むようにしてスモーカー達は帰って行った。
カウンターで、ロビンが一人笑みを零している。
「ごめんねロビンちゃん、なんだか賑やかで」
「とても楽しいわ。遅くに来てしまったのに、思いも掛けず賑やかで」
「この辺、8時過ぎるともう真っ暗なんだよ。表だけじゃなくて家の中も、みんな寝ちゃうから」
店から田圃を見渡す景色は、山沿いの方に集落があるはずだ。
けれど今は、雪に紛れたのか8時を過ぎたからなのか、かろうじて外灯らしき光がポツポツと残るのみになっている。
「即興のお祝い代わりに、増築部分の設計図作ってやるぜ」
「よっ、親方日本一!」
「気風がいいねえ」
やんややんやと盛り立てる客達に、サンジの方が慌ててしまった。
「そんな、ノリで話進んじゃって」
「や、俺はいいと思うぞ」
ゾロは空いたテーブルを片付け終えて、口を挟んだ。
「さっきちと話を聞いたが、計画を立ててもいいと思う」
えー、とサンジはぽかんと口を開けた。
「そんな、なんか大それた…」
「いいんじゃねえの?スペースはあるんだし」
「ちょっと増築するだけだわいな」
「夏は気持ちいいでしょうね」
「冬だって、しっかりした材質使えば雪も大丈夫だそうだ」
ウソップとカヤもその気になって、頷き合っている。
つい、サンジの脳内にぽわわ〜んと想像図が浮かび上がってしまった。
夏の日差しをいっぱいに浴びて、涼しく過ごせるテラス。
雪景色を満喫しながら、温かく過ごせるテラス。
ヘルメッポに頼んであちこちに緑を配置すれば、田んぼの中の小さな温室みたいになるかもしれない。
「・・・」
「あ、考えちゃった」
「その気になってるんだわいな」
確かに、ちょっと手狭になってきた店を広げるのはやぶさかではない。
増築経費も、捻出できないことはない。
けれどそうすると営業時間も多少増やさないともったいないし、そうするともはや自分だけで手に負える規模ではなくなりそうだし、ゾロはともかくとしてコビーを正式に雇わないと回らないだろうし、いっそ求人情報を載せて正社員を急募した方がいいんだろうか。
厨房もある程度任せられるような―――

「御馳走様でした」
はっとして我に返り、慌ててカウンターの中に戻った。
「とっても美味しかったわ」
「よかった、デザートもお気に召してもらえたかな」
テーブルで会計を済ませている間に、ゾロが預けてあったコートを出してくる。
「タクシー呼ぼうか?今夜はこっちに泊まるの?」
「ええ、山の上のプチホテルに」
ナミちゃんに聞いて、とほほ笑む。
「それだったら俺が送ろうか?」
背後から掛かった親方の申し出に、どよめきが広がった。
「兄貴−っ」
「時に大胆ですな兄貴、変態なのに」
「変態だわいなー」
「変態なのに大胆だわいなー」
うるせえぞお前ら!と、太い腕を振りながらリーゼントを整え直す。
「どうせキウイとモズを送るついでだ。おめえらを降ろすのはこの姉さんを送ってからにすっから、それなら文句あるめえ」
「紳士だ」
「やること紳士な、見上げた変態だわいなー」
「でも胡散臭いわいなー」
散々な言われようのフランキーを振り返り、ロビンはそうねと表情を変えずに言った。
「お願いしてもいいかしら」
おおおっと再びどよめく。
「いいのロビンちゃん、初対面の変態だよ」
サンジとてフランキーと顔を合わせたのは今日が初めてだ。
ウソップとの知り合いとは言え、やはり女性一人を任せるのは気が引ける。
「大丈夫だわいなー」
「私たちがきっちり見張ってるわいなー」
キウイとモズに任せれば、安心かとも思う。
この子たちは本当にいい子だ。
「ありがとう、それではお願いします」
ロビンが立ち上がるのを合図に、今夜はお開きとなった。


「ああ、ちょっと積もっちゃったね」
「でももうこれ以上は大丈夫だろ」
一面、白に染まった駐車場。
真新しい雪をサクサク踏みながら、それぞれ車に分乗する。
「お誕生日おめでとう。どうぞよい夜を」
「ありがとう、カヤちゃんも」
ウソップとカヤからそれぞれ包みを受け取り、サンジは大切そうに両手で抱えた。
「お誕生日だったのね。おめでとう、なにかプレゼントできたらよかったのだけれど」
思いがけないロビンの言葉に、慌ててぶるぶると首を振る。
「今夜、ロビンちゃんが来てくれたことがなによりのプレゼントだったよ、ありがとう」
「御馳走様でした」
「気を付けてね」
「また明日―」
「おやすみなさい」
「おやすみだわいなー」

走り去る車の轍の跡が、白い地面に黒い筋を残していく。
表に出てそれらを見送って、サンジは白い息を吐きながらさてと空を仰いだ。
いつの間にか雪は止んで、雲の切れ間から星が覗いていた。
「明日は気温が上がるってよ」
「この雪も、今夜限りかな」
そう思えば、なんとなく名残惜しい。
「少し一服して帰ろう、明日も明後日も店は忙しいだろ」
「ひな祭りフェアは本番だから」
そう言って、外から店の中を見た。
窓際のテーブル席の上に、カップが置いてある。
さっきゾロが全部片付けたはずなのに、なぜだろうと窓に近付いて見てはっとした。
2人分のコーヒーカップと、中央には小さな丸いケーキ。
「え、これなに」
「いいだろ、ちょうど二人分」
ゾロが作った訳じゃないだろう。
直径10センチにも満たない丸いケーキは、薄い緑とピンクのクリームでデコレートしてある。
「夕方、バラテェエから届いた。今年はアイスケーキだってよ」
「いつの間に?!」
「わざわざ和々宛に届けたらしい。スモーカーが持って来たんだ」
なに手の込んだことしてくれてんだあのジジイは!
サンジは額に手を当てて、あーとかはーとかため息みたいに唸った。
「…ったく」
「ありがたく、俺もお相伴にあずかるぜ」
サンジは窓ガラスに手を当てて、外から中を覗き込んだ。
吐く息で見る間にガラスが曇る。
ぼやけた視界の向こうには、黄味を帯びた光に包まれた店内が浮かび上がった。
誰しもがふと立ち寄りたくなるような、温かそうで安らぐ空間。
求めて止まなかった自分だけの城を、こうして手に入れたことがまだ夢のようだ。
けれどこの夢はまだまだ続く。
もしかしたら今日、急に立ち上がった計画が実現するかもしれない。
こじんまりとした小さな店の傍らに、ガラス細工のような可愛らしいテラスができるかもしれない。
光に溢れる温室でカヤが、たしぎが、もしかしたらナミさんやロビンちゃんも。
ゆったりと寛いでくれる日が、来るかもしれない。

サンジは夢見心地に微笑んで、ふと傍らに立つゾロを振り仰いだ。
「こっからこう見んの、いい感じだな」
「ああ」
「なんかこう、いい店じゃね?客観的に見て」
「ああ」
ゾロはポケットに手を突っ込んで、肩を竦めて見せた。
鼻の頭が赤い。
「早く食わねえと溶けるぞ、アイスケーキだから」
「やべっ」
言われて急に焦りだし、ゾロの肘を掴んで玄関へと回る。
途中、ポケットから手を出したゾロが、サンジの手を握った。
わずか数歩の距離なのに、サンジはその手を握り直して指を絡める。

玄関ドアを開けると、温かな空気が頬を撫でた。
自然、ほっと息が漏れるのに、ゾロは繋いだ手を引いて顔を寄せ軽く口付ける。
「おめでとう」
二人の影が重なったまま、ドアはゆっくりと閉じた。



END



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