Reunion 2


丁度そんなタイミングだったから、マスターはてっきりカールが忘れ物でもしたのかと思ってしまった。
からんとドアの開く音に顔も上げないで声をかける。
「どうしたのカール。忘れ物?」
応える気配がないので顔を上げると、戸口に男が立っていた。

その顔を見て、思わずアッと声を上げる。
間違えようもなく、ルイジに似た男。
髪の色は違うが目鼻立ちや立ち姿がそっくりで、まさに生き写しだった。
ただその身に纏う雰囲気が全く違う。
鍛え抜かれた鋼のような筋肉は服の上からもはっきりと見て取れて、穏やかな表情をしていながらその目は視線
を合わせることさえ憚れるるほど強い光を宿していた。
あきらかに、只者ではない男。
しかも腰に刀を三本も下げている。
マスターの背中をぞくりと冷たいものが駆け抜けた。

「ここは、『森っ子くまたん』って店だな。」
マスターは自分の店にそんな名前をつけたことを初めて後悔した。
こんな男にその名前を口にさせただけで、斬り殺されても文句が言えない気がする。
「そ、そそそそうです。あ、あのールイジ君の・・・お兄さんで?」
確か父親が来るといっていた筈だが、異母兄弟もいるだろう。
「いや、俺が父親だ。息子が世話になった。」
マスターは今度こそ、手にしたカップを取り落とした。

「し、失礼しました」
慌てて壊れたカップを片付けて、マスターは気を取り直すようにコーヒーを煎れ始めた。
「あの、ルイジ君まだ寝てるみたいなんです。今ボクが起してきますから・・・これでも飲んで待っててください。」
ゾロは進められたイスに腰掛けて、口の中で礼を言った。
「いや、俺が来るのが早すぎたんだ。予定より早く着いちまって。突然ですまねえ。」
どうせ迷うに決まっていると、ナミは港で少年に駄賃を渡して道案内を頼んだのが功を奏したのか、
思いがけなく早い時間に辿り付いてしまった。
マスターは本能で怯えながらも、見た目の印象よりも穏やかに話すゾロに安堵する。
強面ながら仕草に威圧感はない。
じっと見つめられても意に介することもなく、ゾロは熱いコーヒーを口に運んで美味いと小さく呟いた。
「あの・・・失礼ですけど今、おいくつで?」
熊のように大きな図体を小さく縮こませて、おずおずと尋ねる。
ゾロはなんとなく、こいつチョッパーに似てるなあと思った。
「ああ、今年29になる。」
「にじゅう・・・く・・・」
俺より年下かよ!
マスターはとほほと肩を落とした。
俺はまだ初婚なのに・・・と関係のないことを心中で嘆く。
そのとき、扉がもげそうな勢いで蹴り開けられた。


がらんがらんとドアベルが悲鳴のような音を立てて鳴り響く。
「マスター!こっちにカール来なかったか!」
怒気を孕んだ若い声。
「あの野郎、俺に一服盛りやがった!」
どかどかと踏み込んでカウンターの中に入る。
ぐるりを見回してはじめて、ゾロが座っていることに気がついた。
ばちっと音が立ちそうに、視線がぶつかる。
短い黒髪。目つきの悪い顔。
浅黒い肌は若々しい筋肉で覆われている。
ゾロはその顔を凝視したまま顔を顰めた。
なるほどな。
見ればわかる、か。
男はまじまじとゾロの顔を見て、それから視線を頭から爪先まで何度も往復させた。
よほど慌てていたのか肩で息をしている。
「ル、ルル…こ―――…カ―――」
マスターは、こちらがお父さんで、カールはもういないよ、と一緒に言おうとして失敗した。
「お前がルイジか。」
ゾロは静かにカップを下ろして、椅子から立ち上がる。
目線一つ低いところにルイジの顔があった。
「いくつだ?」
「15だ。」
「でけえな。」
普通のガキなら視線を送るだけでビビるだろうに、臆することなく睨み返してくる。
いい目をしてやがる、とゾロは嬉しくなった。
「あんたが俺の親父なのか。」
「そうだ。」
ふん、とルイジはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「全然、若えじゃねえか。」
不満そうなルイジの表情にゾロの片頬が緩む。
「で、あんた何者なんだ。刀三本も引っさげて…剣士か。」
「そうだ。」
三本の刀…
マスターの頭の隅で何かが引っかかる。
ちょっと前に聞いたぞ。
なんだっけ。
「俺は海賊だ。カタギじゃねえ。」
海賊と聞いてマスターが眼に見えて震え上がった。
やっぱり只者じゃなかった。
本物の海賊だあ。
こんな田舎の島にはめったに海賊もやってこない。
来るとしたらグランドラインで散々な目に遭って流れ着いたならず者くらいだ。
カタカタと膝を震わせて、マスターの脳裏に記憶が蘇った。
隣の島まで買出しに行ったとき聞いた噂。

「ああああ、思い出した!三本刀の元海賊狩り。鷹の目を倒した新しい大剣豪!」
ゾロの左耳のピアスが光る。
マスターはカウンターの向こうにさっと身を隠し、恐る恐る目元だけ覗かせた。
こいつマジでチョッパーに似てやがる。
ゾロはそう思って見ているだけだが、マスターはその視線だけで心臓が止まりそうに恐ろしかった。
「麦わら海賊団の魔獣、ロロノア・ゾロ…さん?」

ゾロ―――
ルイジは弾かれたようにゾロを見る。
ゾロは腕を組んだまま黙ってマスターに頷いた。
ゾロ…だと?
ルイジの目に、不穏な光が宿る。
こいつがゾロか。
こいつが―――
ゾロは、ルイジの自分を見る目が変わったのは有名な海賊だと知ったからだと思った。
知名度がどのくらいあるか興味はないが、知られているなら面倒な説明はしなくても済む。

ゾロはどかりと椅子に腰掛けて、残りのコーヒーを飲み干した。
顔を上げるとルイジと目が合う。
ルイジは―――
   笑っていた。
口元を不自然に歪めて、張り付いたようなそれは次第に顔全体に広がって、しまいには身を折って腹を抱えるように
笑った。
「ははっ…そうか!あんたがゾロか!」
さも可笑しげに楽しそうに笑う。
「ロロノア・ゾロっての?俺の、親父かよ…」
くくっと引き攣るように何度か身体を揺らして顔を手で覆った。
「どうかしたか?」
ゾロは真っ直ぐにルイジを見据える。
不意に訪れた、ルイジへの違和感。
それを無視してルイジはまだカウンターの向こうで蹲っているマスターを覗き込んだ。
「マスター、カールはどうしたか教えてくれ。」
笑いの発作が止まったのか、拍子抜けするような穏やかな声。
「カールは…この街を出て行ったよ。そ、その…彼は本当に君のことを考えてたんだ。君の事を思って…」
「わかった。」
ぴしゃりと、ルイジはマスターの言葉を遮る。
「カールはもう、いねえんだな。」
その声に落胆の響きはない。
「なあ、あんた。」
くるっとゾロに向き直った。
「ゾロでいい。」
「ならゾロ。俺をあんたと一緒に連れて行っちゃあくれねえか。」
ゾロの眉が顰められる。
「海賊だぞ。」
「わかってる。俺には何のあてもねえ。やりたいことも目標もねえんだ。連れてってくれ。」
人に物を頼む態度ではないが、ゾロにルイジの申し出を断る理由はない。
「海に出るんだ。死ぬかも知れねえぞ。」
「死なねえように、努力する。」
「上等だ。」
それからルイジはマスターに向き直った。
「世話になった。俺も行く。」
「ルイジ君…」
マスターはまだ蹲ったまま、はらはらと涙を流している。
「良かったね。元気でね。」
「マスターもな。」
おずおずと差し出された手を握って、立ち上がったゾロに続く。
どうやら腰が抜けたらしいマスターは、カウンターの向こうから覗く手をいつまでも振っていた。


港までの道のりを黙って二人で歩いた。
親子の名乗りを上げたところで、過去のことをあれこれ語り合う必要もない。
ただゾロは、後ろをついて来るルイジの呼吸を感じていた。
自分で見ても認めざるを得ない、よく似た顔立ち。
臆することなく睨み返す瞳。
これから鍛えればどんどん強くなるだろう若い肢体。
知らず、気分が高揚した。
息子か。
間違いなく自分の血を受け継いだ男。
予想以上に成長した姿には驚いたが、紛れもない唯一の肉親。
心の奥底から暖かいものが湧き出てくる。
遠い昔、これに似た感覚を知っていたような気がする。
随分久しぶりの、ヨロコビという名の感情。
前にこれを与えてくれたのは、もう面影すら定かではないたった一人の男だった。

「なんでそっち曲がんだよ。港行くんだろ。目の前に海見えてっじゃねーか。」
さっきから何度かルイジは声をかける。
ゾロの方向音痴は知らなくても動向で気がついたらしい。
「あんた前見て歩いてんのか。その目は節穴かよ。」
「うっせーな、ならてめえが前歩け。」
並んで悪態をつく息子に、笑って言い返した。

その時―――
ルフィの声が港に響き渡る。

「ゾロ!!サンジが帰ってきた!!!」

その名が耳に届いて、思考が止まる。
なんだと。
今、ルフィの声で、なんと言った?
「サンジだ!!」
サンジ?
サンジたあ、クソコックの名前じゃねえか。
声のする方を見れば、ルフィが手を大きく伸ばして千切れるほど振っている。
サンジ。
クソコックか?
クソコックが、帰って…
瞬間、ゾロは駆け出していた。
船までかなり距離はあったが真っ直ぐ前だけ見てひたすら走る。
途中何かを弾き飛ばした気もするが構っていられない。

サンジだと。
帰って来ただと。
ウソップが、チョッパーが嬉しそうに手を振っている。
仲間が何か囃し立てている。
それを全部飛び越えて一気に駆け上がった。

甲板の隅にへたりこんだ男がいる。
黒いスーツ。
金色の髪が陽の光を弾き返して…ずかずかとその前に歩み寄った。
ためらうようにあげた顔の、片方の眉が巻いている。
それを見た途端、ゾロはその白い顔を弾き飛ばしていた。

何を暢気に眉毛巻いてやがる。
理不尽にも怒りがこみ上げる。
ひっくり返ってロビンに支えられたコックが何か言いながら睨み返した。
空よりも蒼い瞳。
そうだった。
こいつの目は青かった。
ゾロは腕を伸ばしてその身体を抱き上げた。
そして抱きしめる。
廻した腕が肘で交差した。
なんだこれは。
こいつはこんなに、痩せていたか。
確かめるように力を込めて抱きすくめた。
掌でなぞれば背骨の形が見て取れる。
鼻先を掠める髪は、記憶より随分伸びていた。
陽を受けて光る金は柔らかく、タバコの匂いがする。
そう、こんな匂いだ。
ゾロはサンジの項に顔を突っ込んで存分に嗅いだ。
嗅覚に刺激されて次々と記憶が蘇る。
タバコと食い物と、どこか甘い匂い。
かすかに混じる汗の匂い。
次第に上がる体温。
篭る力。
切れ切れの吐息…
今すぐ裸に剥いて、すべてを確かめたい衝動に駆られる。
下腹部がダイレクトに反応しかけたとき、かろうじてルフィ達の声が届いた。

「お前がゾロの息子か!」
我に返って、サンジの首根っこを掴んで身体を引き離した。
サンジに紹介するつもりで振り返る。
ルイジは、ルフィ達に物珍しそうに囲まれながら、真っ直ぐこちらを向いていた。
引き上げられた口端はシニカルな笑みを浮かべ、サンジだけを見ている。
「あんた、サンジってんだ。」
ゾロが抱いたままの肩が、ひくりと震えた。
ゾロと同じ顔に驚いているのだろう。
「はじめまして。」
改めてサンジの顔を見れば、血の気を失ったように青褪めている。
「クソコック、俺の息子だ。」
半ば抱きしめて、その耳元に囁いた。
「へ…へえ…」
サンジはどこを見ているのかわからない目で、ただ呆然と言葉を返した。
記憶よりずっと細い肩。

生きていた。
それだけが、ただ嬉しい。
次々と蘇るゾロの中のサンジ。
手にしてしまえば、もう二度と失いたくはない。

生きていた―――
 ただそれだけがこれほどに嬉しい。

手放さねえ。
もう二度と―――
からかう仲間も、出会ったばかりの息子も、すべてが消えた。

サンジだけが傍にいる。


END

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