堕天花 10



「実際、サンジが現れるまでクロコダイルの評判は自国民にも非常に悪かったんだ。」

酒場の二階に場所を移し、エースとゾロそれにウソップは宿を取った。
ゾロを許した訳ではないが、現時点で最も頼りになりそうなのは彼しかいない。
サンジに会える手立てもないままバロック公国に入ったウソップとしては、地獄に仏だ。

自分自身、何ができるわけでもないが、ただサンジに会いたかった。
会って話をしたかった。
できることなら連れて帰ってやりたいと思う。
カヤが、待ってる。

「まあ外見がああだしな。どこをどう繕っても悪人面っしょ。」
エースのあんまりな言葉に頷きながらも、ウソップはまたしても部屋に飾られた記念プレートみたいな皿に目をやる。
丸く金縁の施されたプレートの真ん中で、どうみても修整し過ぎな笑顔のクロコダイルと可愛すぎるサンジが、
仲良さそうに寄り添っている。

「クロコダイルにとってサンジはまさに天からの授かり者さ。ダークなイメージの自分にひっそりと寄り添う清楚な堕天使。」
耐え切れず、ぶぶっとウソップはビールを噴いた。
「ど、どこが清楚な・・・だよ。どこをどうひっくり返したら、あの凶悪眉毛が可愛い天使ちゃんになるんだ。」
「黙って立ってりゃねえ・・・人間、基本は見かけだから〜」
「大体サンジもサンジだ。なんで大人しく言いなりになってんだ。」
「・・・クロコダイルには、逆らえねえ。」
それまで黙っていたゾロが、口を開いた。

「逆らう理由もねえだろう。あいつは、俺に捨てられたってはっきりわかってるはずだ。その時点でもう、奴に帰る場所はねえ。クロコダイルだって、あいつを無碍には扱わねえだろうし―――」
「お前がそれを言うのか!」
また猛烈に怒りが湧いて、ウソップは怒鳴りつけた。
元はといえば、全部こいつのせいだ。
元凶がいけしゃあしゃあと状況説明するのがまた、腹が立つ。

「まあまあ。そういう訳で、天使ちゃん的には快適に過ごしてんじゃねえのかなあ。ウソップが心配することは
 ないと思うよ〜」
「なにが快適だ!あんな、あんな扱いされてんじゃねえか。」
さっき酒場で酔っ払いの口に上っていた、多情でふしだらなクロコダイルの囲われ者。
「あれもねえ、口実なんだよ。クロコダイルの大事な大事な秘中の花に、悪い虫がつくんだもん。それ退治して何が悪いって感じ?」
「それであちこち攻め滅ぼしてんじゃねえか。無茶苦茶だ。」

ウソップも、いくら田舎に住んでいたとは言えある程度世界情勢は聞いていた。
バロック公国の勢いは、破竹のごとくだ。
軍隊も恐ろしい規模に膨れ上がって、統制をとることすら難しくなってきている。

「あちこちで、バロック軍を名乗る輩が襲撃や略奪を繰り返してんぞ。俺がここまで来る道すがらにも、暴徒に滅ぼされた村があった。・・・酷い世の中だ。」
ウソップは悲惨な光景を思い出して、手で目元を覆い首を振った。
「まさかこれらが、サンジのせいだなんて・・・言わないでくれよ。」

サンジがクロコダイルの元に来たから。
堕天花として君臨したから、争いが引き起こされただなんて。

「残念だが、そのとおりだ。」
おちゃらけて見えて、エースは冷酷に肯定する。
「クロコダイルの元に堕天花がいる。これだけで、バロック公国が勢力を持つ理由になっちまったんだよ。無論天使ちゃんに悪意も他意もないだろう。けど、本人が望むと望まざるとに関わらず、周囲は勝手に動いていく。」
「サンジのせいだなんて、言うな。」
「けれどそれは事実だ。」
「そんな・・・」
ウソップは蒼褪めてゾロを見た。

「全部お前のせいなんだぞ。サンジがあの家でずっと暮らしてたら、んなことにならなかったんだ!」
話は堂々巡りだが、ゾロはその度黙って頷くばかりだ。
「だからサンジのせいじゃねえ。」
「彼を責めるつもりはないよ。けれど世間の見方はそうじゃない。」
エースはやんわりと諭すように言葉を続ける。
「現に、天使ちゃんの出現からバロック公国は活気付き、多くの国が侵攻を受けた。生活を乱され、大切な人を奪われた民衆達は、クロコダイルを恨み彼の側に寄り添う天使を呪う。現に、クロコダイルに支配された多くの人々は、表面的には二人を崇めながらも陰で『破滅の天使』と呼んでいる。」
「・・・サンジのせいじゃねえ!」
エースの声を遮って、ウソップは叫んだ。
ゼフやカヤのお父さんが恐れていたのはこれだったかと、理解しながらも認めたくはなかった。
存在してはいけない天使。
伝説の上に成り立つ、根拠のない虚像。




「今から200年ほど前にも、やはり堕天花が出現した。」
エースはウソップの肩に手をかけ、慰めるように囁いた。
「金色の髪に青い瞳を持つ、美しい女性だった。踝から羽毛が生えていた。それだけで、彼女は堕天花と崇められ、時の権力者に利用されて支配の象徴となった。」
そんな話は聞いたことがない。
だが、イーストやサウスでは有名なのだと言う。

「ノース地方で堕天花は禁忌だ。或いは、本当にノースが堕天花の生息地なのかもしれない。けれど、だからこそ人々は堕天花を忌み嫌い、幼い頃よりその兆候にあるものは捨てられ、抹殺されて来た。生き延びれば、利用される恐れがあるからだ。」
「そんなの迷信だ。サンジ自身に、なんの罪がある。元はと言えばお前が・・・」
「はいはい、またそこで堂々巡りは置いといて・・・」
エースが笑いながら両手でモノをどかせる仕種をする。

「イーストの田舎でそれなりに平穏に暮らしてた俺らとしても、結構脅威なわけよ、勢いづいたワニちゃんは。」
にこにこと笑みを湛えたまま悪びれずにそう言う。
「まず、ワニちゃん直属の組織として「バロック・ワークス」ってえ暗殺集団がある。そんじょそこらの軍隊より強いぞこれは。普通の格好してビシバシ邪魔者を抹殺するからな。んでもって、城にはお抱えの処刑人もいる。」
「処刑人だあ?」
ウソップは恐ろしげな単語に首をすくめた。
「地獄の料理人ってね、見るからに凶悪な男達がコックコートを血に染めて、間者や謀反人を処刑してるって話だ。現に、城の中で『厨房入り』ってのは処刑されたの隠語だよ。」
ウソップはぶるりと身体を震わせながらも、不意に哀しくなった。
料理人は、サンジにとって特別な職業だ。
そんな名を騙った処刑人が傍にいるだなんて、それだけでどれほどあの男はやりきれない思いをしているだろうか。

サンジを慮り遠い目をするウソップに、エースはにこにこと話を続ける。
「そこで頼みたいんだが、あんたから天使ちゃんに話つけてくんない?」
「俺がか?」
確かに、サンジに会うと言うのが元々の目的だった。
そのためにこの国までやって来た。
だが・・・

「会って、今更どうするってんだ。俺が説得してこの国から一緒に逃げようとか誘うのかよ。」
「まあ、有体に言えば・・・」
「んな訳あるか!」
ウソップは吐き捨てるように言った。
「どう見たって、今のサンジのガードはめっちゃ固いじゃねえか。それに・・・その、ワニが目光らせてんだろ。妙な虫がつかないようにってか・・・逆か?もしかして、クロコダイルって美人局か?」
「ああ、うまいこと言うねえ。」
ふむふむと頷いてエースは長い指を立てた。
「ご指摘の通り、ワニちゃんの策略に乗れば、天使ちゃんはめっちゃ守られてる秘蔵の花に見えて、実は美味しい餌としても吊り下げられてる。だからこそ・・・」
エースは肘掛の付いた椅子に凭れて、足を組み替えた。

「真意を確かめて欲しい。」
「真意?」
「天使ちゃんはただの傀儡なのか。意志を持ってワニちゃんと苦楽を共にする、共犯者なのか。」
「そんなこと・・・」
どちら、とも言えなかった。
サンジが大人しくあんなおっさんの言いなりになっているとは考え難い。
だが、ただの人形のままのうのうと暮らしているのもまた、想像できない。

「それこそ、お前がやったらいいことだろうが。」
ウソップは戸惑いをゾロにぶつけた。
「お前がサンジをクロコダイルに売ったんだろう。なら、お前のが適任だろうよ。」
「そりゃダメだ。ゾロが生きてることを知られてちゃまずい。」
エースの言葉に吃驚して振り返る。

「生きてるって・・・」
「一応死に掛けたんだよね〜。あ、でも別に天使ちゃん助けるために死に掛けた訳じゃないから、同情はいらないよ。」
ひらひら手を振るエースを無視して、ウソップはゾロに向き直った。
「その前に、俺はお前の真意こそ確かめておきてえ。」
何も言わず、だがゾロは真っ直ぐウソップを見返した。

「俺はサンジを今の状況から助け出したい。あいつが望むなら、ノースに帰ってまた一緒に暮らしたいと思う。だが、お前はどうなんだ?」
殺されかけた復讐か。
それとも、自分の国に火の粉が降りかかるのを恐れてサンジに関わろうとしているのか。
それとも――――

「詫びて許されるとは思ってねえ。」
ゾロは苦しげに息を吐いた。
「結局俺はあいつを忘れられねえし、もう一度会いたいと思う。」
ゾロの目に揺らぎがないか、ウソップはしっかりと見据えていた。
もう一度信じられるのか。
手酷く裏切ったこの男を。

「何より自分のしでかしたことにはケリをつけなきゃなんねえ。」
「言い訳を聞いてんじゃねえ。」
業を煮やしてウソップは怒鳴った。
「お前の気持ちを聞いてんだ。サンジを、あいつをどう思ってる。どうしたい?」
ゾロは目を眇めたが、ウソップから逸らしはしなかった。
唇を一度真一文字に引き結び、唾を飲み込む。

「惚れてる。もう二度と手放さねえ。」
その声は揺るぎなく、力強い。

「・・・その言葉、信じるぞ。」
ウソップは掠れた声でそう言い、エースに向き直った。

「さてそれで、俺は何をすればいい?」



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