ペットライフ -4-



サンジは数回果てた後、コトリと意識を失うように眠ってしまった。
ゾロは起こさないように慎重な手つきで汗ばんだ身体をシーツに包み、ベッドの中に横たえさせる。
そうしてから、二人の交歓を眺めながら一服していたカリファに、だるそうに裸の腕を伸ばした。
煙草を受け取り、サンジを傍らに眠らせたまま火を点ける。
「ロロノア君、吸うの?」
「たまに、ですが」
ライターの灯りが、薄暗い壁に事後の二人の陰影を照らし出した。
「満腹の後の一服?」
「そうですね」
ふうと煙を吐き出せば、カリファの指先から立ち上る紫煙と交じり合った。
それを振り払うように、華奢な指がひらめいて硝子の灰皿に煙草を押し潰す。

「さてと、じゃあ私帰るわ」
「・・・は?」
さすがに唖然として、ゾロは枕に凭れたままポカンと口を開けた。
「男二人分の汗やら精液やらで塗れたベッドに、寝たくないもの」
「いや、あ、でも、帰るって?」
ここはあんたの家じゃなかったのか?
「また詳しいことは明日、会社で。じゃあね」
ゾロの額をペチペチと叩き、ぐっすりと眠るサンジの頬を撫でた。
まだ首に装着したままだった首輪を外し、鎖と共に手繰り寄せて取り去る。
前髪を掻き上げて額にキスすると、身体を起こしてゾロの唇にも軽くキスした。
「おやすみなさい」
「・・・おやすみなさい」
狐に摘まれたような気分で、ゾロは颯爽と立ち去るカリファを見送った。





翌朝、総毛立つような殺気に襲われ、ゾロは覚醒するより前に反射的に飛び上がった。
素肌に風圧を感じ、次いでベッドが激しくバウンドする。
何事かと寝ぼけ眼で視線を下げれば、身体のすぐ横に長い足がめり込んでいた。
「・・・ちっ、起きたか」
凶悪極まりない形相で、ピンクのエプロンを着けた男が歯噛みしながら悔しがっている。
一瞬誰だと思ったが、そう言えば夕べ泣きべそ掻いてた金髪だと思い出す。
「元気そうだな」
ゾロの声にぷいっと顔を背け、だかだかとガニ股でキッチンに戻っていった。
寝室にまでいい匂いが漂って来ていて、今さらながらぐうと腹が鳴る。

何も指示されない内に、勝手に洗面所で身支度を整えてキッチンに顔を出すと、サンジは入れ替わるようにして無言で寝室に入った。
そのままベッドに潜り込み、頭から布団を被っている。
キッチンに目を転じれば、食卓にはまるでホテルのブレックファストのような豪華な食事が用意されていた。
クロワッサンは焼きたてパリパリで、デニッシュにはフルーツがたっぷり盛られ艶々している。
チーズオムレツはふんわりと湯気を立て、具だくさんのミネストローネに彩りも鮮やかなサラダが山盛り。
芳しいコーヒーの匂いを嗅ぎながら、ゾロはそのまま踵を返した。
寝室の壁に凭れ、コンコンと申し訳程度に開け放たれた扉をノックする。
「おい」
応えはない。
こんもりと盛り上がった布団はぴくりともしない。
それでも、中で息を殺す気配だけは感じた。
「おい、起きろよ」
動かない布団の山に業を煮やし、ゾロは大股でベッドに近寄ると勢いよく腰掛けた。
反動でスプリングが跳ねるのに、布団の山はますます縮こまって小さくなる。
「起きて、一緒に飯を食おうぜ」
引き剥がそうとしたら、中からがっちり掴まれて阻まれた。
引き上げた布団にぶら下がるように、身を丸めている。
その中にゾロ自ら潜り込むようにして覗けば、サンジは手を顔の前で交差させて俯いていた。
髪はくしゃくしゃに乱れ、目元は腫れぼったくて頬は茹蛸みたいに上気している。
「一緒に喰った方が、美味いだろ」
そう言ってちゅっと頬に口付ければ、サンジは観念したようにおずおずと顔を上げた。




早めに出勤し、ロッカーに買い置きしてある真新しいワイシャツに着替える。
ネクタイも変えて、素知らぬ顔でオフィスに入った。
いつもと同じ就業時間だが、なんとなくソワソワしている。
どこかでカリファを見かけないかと、自然と意識が逸れた。
浮ついた気分のまま午後を迎え、ようやくそのチャンスが巡ってきた。

相変わらず、一分の隙もないスタイルでカリファが廊下を歩いていくのが目に入った。
ゾロは急いで書類を携え、デスクを離れる。
休憩フロア前でさり気なく追い付いて、歩調を合わせた。
「夕べは、ごちそうさまでした」
前を向いたまま、カリファの耳にだけ届くように囁けば、カリファもまた前を向いたまま呟く。
「美味しかった?」
「はい、とても」
「それはよかったわ」
そこで話が打ち切られそうになって、どうしたものかと思案していたらカリファがスタッフルームの扉を開けた。
幸い、誰も使用していない。
扉を閉めて早々、ゾロは切り出した。
「夕べのアレのことなんですが・・・」
「アレ?」
「ええと、彼」
「ペットね」
「はい」
ふふふと、会社では決して見せないような悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「気に入ったのなら貴方に譲るわ」
「それはありがたいですが」
一応ペットと言えども人間だ
そんなに簡単に譲渡していいものか。
「お値打ちよ、今ならマンションの部屋付き」
「は?」
「逆ね、ペット付きマンションよあそこは」
ああなるほどと、合点がいってしまった。
あそこは元々、カリファの“家”ではなかったのだ。
「躾は行き届いているし家事も得意よ。特にお料理は玄人はだし、プロと言っても差し支えないわ」
「大変お値打ちなのは、よくわかります」
だがなぜ、自分なのか。
「今まで何人か男を引き込んだけど、彼が興味を示したのは貴方だけだったし」
「・・・あれで?」
寧ろ敵意を持って睨み付けられた印象しかない。
「相手が女じゃないともう、けんもほろろ。普通は寝室に引っ込んじゃって顔も見せないもの。それが、食事の間中私の後ろに立ってジロジロ見てたじゃない。脈があったのよ」
「あれで」
いや待て、なぜ女じゃダメなんだ。
「女じゃダメなの」
ゾロの心を読んだように、カリファは答えた。
「女の子大好きなのに、女はダメなの。とても不憫な子」
ああ、でも―――
「それなのに、人見知り?」
「と言うか男嫌い。難しいでしょ」
それはまあ、確かに。

納得したゾロに、ふっと笑みを零してカリファはポケットから何かを取り出した。
「彼なりに自立しているから、経済的に問題はないわよ。けれど重度の引きこもりだから、後のお守りはお願い」
そう言ってゾロに差し出したのは、銀色の鍵。
ゾロは躊躇わず、それを受け取った。
「誰かに繋げられていないと不安な子だから、貴方は貴方の鎖を付けてあげて」
私の役目はもう、おしまい。
「―――を、お願いね」
そう言って扉の向こうに消えたカリファを、ゾロは受け取った鍵を握り締めながら見送った。





口実に手にした書類を階下に届け、デスクに戻る間際、隣席の女性のパソコンをちらりと見た。
はっとして視線を戻す。
壁紙に、夕べ見知った顔があった。
「どうしたのロロノア君」
足を止めたゾロに、向かいのデスクの女性が声を掛ける。
「A社に出かけてるけど・・・え、これ?そう、彼女いまこの子にハマってるのよ」
どこかで見た顔だと思ったら、隣のパソコンの壁紙だったか。

確かに、あのサンジが泡立て器を片手に笑っていた。
背後には、青と白で統一されたキッチンがある。
「ネットアイドルって言うか、ネット専門のイケメンシェフですって。でも実際にはお店に勤めてなくて専ら配信ばかりとか。だから私生活は全然わかんないのよ、街でも見かけられた情報はないって」
まさに重度の引きこもり。
「書籍も出版してて、結構売れてるみたいなの。でもほんとに私生活が謎なんで、それがまたいいんだって」
いろんな職業あるわよねーと感心する声に、そうですねとゾロは感慨深く答えた。





そうして、ゾロはあっさりと今住んでいる安アパートを引き払い、体よくペット付マンションに転がり込んだ。
なんでてめえが来るんだとか、カリファ姉さまを返せとか。
一方的かつ理不尽に責められ足蹴にもされたが、ゾロなりに根気よく宥めてすかして最後は身体で丸め込んだ。
以来、ずっとその部屋で快適に暮らしている。
いつまでたってもシャイで凶暴で甲斐甲斐しくて口うるさいペットを、愛という名の鎖で繋いだまま。


END


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