ペットライフ -1-



軽い気持ちで誘いに乗った。
秘書課のカリファは、美人だがお高く止まっていて融通が利かないと、社内では割と敬遠されている。
同じ美人秘書でも、相手を見て態度の変わるアルビダは適度に人当たりもソフトで、引く手数多だ。
そんな彼女から頻繁に誘いを受けるが、生憎そちらはゾロの好みではなかった。
彼女に比べれば、冷淡ながら着実に職務をこなすカリファの方が、好感が持てる。
どちらにしろ高嶺の花だと最初から諦めている男子社員達と一線を画すのは、ゾロは若手ながらも女性からのアプローチが多いということ。
その仕事ぶりから将来有望株だと思われているのか、単にルックスがいいからか女に不自由したことはない。
たまたま一人で残業した後、帰宅時にカリファと同じエレベーターに乗った。
その時盛大に腹が鳴ったのも、たまたまだ。
静かに下降する小さな箱の中で、取り澄ました顔の二人が同じ方向を向いてじっと立っているのに、音だけが間抜けに響く。
いかに鉄面皮の美人秘書でも、つい下を向き噴き出してしまったとしても無理からぬこと。

「お腹が減っているの?」
「はあ、まあ」
ゾロの表情より腹の虫の方がよほど正直で、返事するようにぐーぐーと立て続けに鳴る。
「最近夜道が物騒で、帰りはタクシー使ってるのよ。途中まで一緒に乗っていく?」
唐突な申し出だったが、真意はすぐに悟った。
「貴方のアパートと私のマンション、方向が同じなのよ」
「そうですね、かなり遅い時間ですからお送りしましょう」
「ありがとう」
ゾロの、彼らしくない申し出にカリファもらしくなく応じて、二人無表情のまま会社を出る。
先にタクシーに乗り込んだカリファの、すらりとした足が後部座席に納まるのを横目で見ながら、ゾロはまあいいかと思った。
綺麗な足の女は好みだ。





カリファのマンションに着くと、ゾロも当然のような顔をして降りた。
そのまま彼女についてマンションの中に入る。
女性からの誘いには慣れているが、このように事務的かつ積極的なものも珍しい。
それにしても、エレベーターで行き会っただけの男を自宅に連れ込むのに、躊躇もないほどこの女の部屋は片付いているのだろうか。
所帯じみた懸念が頭を掠めて、ゾロは別の意味で感心した。
仕事と同じで余程神経質なのか、必要なものがまったくない無機質な生活なのかのどちらかか。
そう想像してみたのに、カリファが部屋の扉を開けるとふわんと食欲をそそる匂いがした。

「おかえり〜v 今日もお疲れ様」
飛んできた声は若い男のもので、ゾロは一瞬足を止める。
入っていいものかどうか躊躇ったが、カリファはどうぞとでも言うように顎を引いた。
「気にしなくていいわよ」
家主がそう言うならば、気にしないでおこう。
「ちょうど今、美味しいミートローフが・・・」
奥から出て来たのは、ピンクのエプロンを付けた金髪の男だった。
片手に鍋、片手にフライ返しを持ってそのまま固まる。
「お・・・客さん」
「お夕飯、二人分になる?」
「うんなる、なるよ」
従順に頷きながら慌てて踵を返し、奥に引っ込んだ。

広々とした室内は綺麗に片付けられ、まるでモデルルームのようだった。
システムキッチンでは調理の真っ最中のようで、テーブルには一人分の食卓がすでにセッティングされている。
白と青で統一された清潔なキッチンの風景を、ゾロはぼんやりと眺める。
どこかで、見たことがあるような気がする。
そんなゾロを尻目に金髪は慌ててカトラリーを増やし、対面にもう一人分の席を用意し始めた。
「どうぞ、お腹が空いたんでしょ?」
言って、カリファはソファに腰掛けた。
ゾロは自分が座るべきだろう椅子に着いて、カリファと金髪を交互に見る。
「同居人がいるのに、いいのか?」
着席したカリファの元に、冷えたワインが運ばれた。
「同居人じゃないわ」
グラスを口元に運び、芳香を嗅いで目を細める。
「ペットよ、少し前から飼ってるの」
ゾロは片眉だけを上げて見せた。
「夕飯を作って待ってるペットか」
「いいでしょ」
カリファは悪びれず、綺麗に磨かれたワイングラスに口を付けた。





夕食は素晴らしいものだった。
グルメとも言えないゾロだが、それでも美味い料理であることぐらいはわかる。
旺盛な食欲を見せ、カリファの前でも物怖じせず大いに食べ飲んだ。
「うわばみなのね」
「もう飲むなって言わねえと、いくらでも飲んじまうぞ」
しれっと答えるゾロに、さきほどから甲斐甲斐しく給仕しているペットがくわっと目を剥いた。
こちらはどうやら、忌々しく思っているらしい。
「酒に飲まれない男は好きよ」
カリファはそんなペットの表情など意に介さず、こちらも顔色一つ変えずカパカパとワインを呷っている。
その背後で、金髪は百面相かと言いたいくらい色々な表情を見せてゾロを威嚇していた。
けれど声には出さない。
よほど厳しく、躾されているのだろう。
この金髪の顔も、どこかで見たことがあるような気になっていた。
どこでだったかは思い出せない。
ゾロにとっては瑣末なことだったのだろう。
けれど確かに、見覚えがある。

記憶の糸を辿ることもせず、ただ料理の味だけを堪能した後、ゾロはそれじゃあと席を立った。
「ご馳走様でした」
きっちりと頭を下げる。
顔を上げると、いつもは無表情なカリファがほんの少し眉を吊り上げていた。
「ご飯だけ食べて、帰るつもり?」
「・・・ええ」
カリファの後ろには、番犬よろしく睨み付けるペットがいるではないか。
「言ったでしょ、これはペットだから気にしなくていいって」
カリファは後ろに向かって「もう休みなさい」と言った。
「でも、まだ片付けが・・・」
「明日でいいわ。お休みと言っているの」
最後の口調は、ややきついものだった。
それだけで、金髪はしおしおとうなだれ後ずさる。
「それじゃあ、おやすみなさい」
ペット用の部屋でもあるのかと思いきや、彼はエプロンを外しこともあろうに寝室へと入った。
つい好奇心に駆られ覗き見ると、ベッドの横の壁に据付られた鎖の先端にある首輪を自ら装着している。
そのまま壁際のソファに身を横たえると、頭からすっぽりと毛布を被ってしまった。
後ろ姿が拗ねている。

「いつもこうなのか?」
「ええ」
カリファは髪からピンを引き抜き、軽く頭を振った。
高く結い上げてあった髪がさらりと崩れる。
金髪より色の薄いプラチナブロンドが、芳香を放ちながら流れ落ちた。
「きちんと躾がしてあるから、いい子なのよ」
言って、誘うように自ら寝室へと入った。
ゾロも上着を脱ぎ、ネクタイを緩めながらその後に続く。

「お黙りといえば声も出さない。おあずけもちゃんとできるの」
先に腰掛け、ゾロが腰掛けるのを待ちきれないように両腕を上げて首に回す。
「待てと言えば、いつまでだって待ってるわ」
「涎を垂らして?」
ゾロはスプリングの利いたベッドに片手を着くと、カリファに口付けようとして止めた。
吐息を感じるほど近くに唇を寄せたまま、カリファは非難がましい目で見上げる。
「なあに?ギャラリーがいると萎えるタイプ?」
「そうでもないが―――」
ゾロにしては珍しく言葉を選ぼうとして、諦めた。
「あんたよりあっちのに興味が行った」
直裁だが事実だ。
カリファは「んま」と眉を釣り上げ、続いて悪そうな笑みを浮かべた。
「なんてこと」
しなやかな手を伸ばし、ペットが被っている毛布を引き剥がす。
驚いた目で金髪が顔を出した。
「カリファさ・・・」
「どういうことかしらサンジ、ペットの分際で主人の客人を誘惑するなんて」
「ちが・・・俺、なにもっ」
慌てて毛布を被ろうとするのに、カリファはすばやく取り去ってしまう。
「こんな屈辱初めてよ、許さないわ」
言って、サンジの首輪に繋がる鎖を引き寄せ、顔を寄せた。
「罰として、あたしの代わりにこの客人を満足させなさい」
「えっ・・・」
サンジは一瞬蒼白になり、ついで真っ赤に頬を染めて頭を振った。
「無理です!そんなのできませんっ」
「ああら、いつも私が男を連れ込むの見てるでしょ。同じようにすればいいのよ」
「そんなっ」
人間なのにペット扱いという尋常ならざる状況に身を置きながら、サンジの反応はあまりに初心だった。
ゾロはますます興味を惹かれ、じっと成り行きを見守っている。
「大体なんで俺が男を、しかもこんな、初対面で」
「ご主人様の言うことが聞けないの?」
すうと瞳を眇められ、サンジは怯えたように首を竦める。
「いいえカリファさん。お慕いしてます、俺が仕えるのは貴女だけです、でも―――」
「そんな私の男を、あなたが横から奪ったのよね」
「そんな・・・」
サンジはいきなりきっとゾロの方に向き直った。
「元はといえばてめえがおかしなこと言うからだ!」
おはちがこっちに回ってきたらしい。
ゾロは台所から持ち込んだワインを勝手に呷り、ぷはっと息を吐いた。
「事実だから仕方ねえだろ、お前おもしれえし」
「ほーら」
「違うんです、カリファさん誤解ですー」
ピシッといきなり床が鳴った。
びくっと跳ね上がるサンジと共に、ゾロもちょっとびっくりする。
いつの間に出したのか、カリファは乗馬用の鞭を床に叩きつけていた。
「言い訳するんじゃありません。言うことを聞かないとこうよ」
再びピシッと床が鳴った。
おいおい本格的かよと、ゾロは引くどころかちょっとワクワクきてしまった。

「う、ううううう」
サンジは悔しげに口を歪め、鎖を引き摺りながらカリファの横をすり抜けて広いベッドの上に乗った。
寝そべったゾロの傍らに膝を着き、射殺しそうなほど強い視線でねめつけて、今度はへにょんと眉毛を下げてカリファを振り返る。
「それで、俺どうしたらいいんでしょう」
かくっとゾロの肘が崩れる。
一体全体、こいつらはなんなんだ。
「自分で考えなさい」
カリファはベッドから降りると、一人掛けの豪奢な椅子に腰掛けて足を組んだ。
サイドテーブルにワインを置いて、見物の構えらしい。
「わからないなら、ロロノア君に任せればいいわ。二人で私を満足させてみなさい。でなくちゃ許さなくてよ」
不敵に笑い、血のように赤いワインをグラスに注いだ。




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