■おとなの言い訳



「イースト署です。ちょっと開けて貰えますかね」

ドンドンドンと脅すようなノック音に、扉の向こうからはわざと間延びしたような声が答えた。
「はぁい〜、ちょっと待っててねェ」
口調とは裏腹に、部屋の中はハチの巣をつついたような騒ぎになっているのだろう。
気配を察知して、合鍵を回しドアを抉じ開けた。
「てめえこの野郎!」
突入と同時に物が飛んできて、金切り声と怒鳴り声が交差する。
捜査員に向かって下っ端を蹴り飛ばし、数人の男が裏口から逃げた。
窓の外、駐車場には数人待機している。
それを見越してベランダ伝いに部屋を移動し、隣接したビルの非常階段に飛びついて駆け下りた。
「へへ、ざまあみろ」
完全に逃げ遂せたとせせら笑う男の視界が、いきなり反転する。
あっと思った時には背中から地面に叩き付けられ、痛みのあまり一瞬息が詰まった。

「確保」
緑髪の男が馬乗りになり、手際よく手錠を掛ける。
もう一人、先を逃げていたはず仲間はいつの間に仕留められたのか、すぐ傍の歩道に伸びていた。
まさに一網打尽だ。
「でかしたな、いつもながらいい勘してやがる」
捜査員たちが、緑髪の男を労うように乱暴に肩を叩いた。
それに「うっす」と返事にもならないような声を返し、倒れたままの男を片手で引き上げて土埃を払う。
「話は、署で聞かせて貰おうか」
ベテランらしき初老の捜査員に身柄を引き渡すと、緑髪の刑事は汗一つ掻かない涼しい顔で他の捜査員たちの中に紛れた。


この春、捜査一課に配属されたロロノア・ゾロは、まだ二十代半ばと若手ながら将来を有望視されていた。
キャリア組の現場入りも珍しくなくなった昨今、無口だが機敏で、若手らしからぬ落ち着きと度胸を備えたゾロは古株の先輩署員達から目を掛けられていた。
整った顔立ちや派手な髪色から悪目立ちするとの陰口もあったが、地道な捜査と着実な実績を積んで上層部からも一目置かれている。
ただ、ゾロ自身はその「実績」の積み方に忸怩たる想いがあった。





ネオンサインはすでに消えていたが、扉を軽く押すと開いた。
カランと乾いた音を立て、来客を告げるベルが鳴る。
明るい色調で統一された洒落た店内は、今は照明が落とされ、外灯の光がチラチラと掠めるのみだ。
物寂しささえ感じる風景の中で、ひょっこりと蜜色が動いた。
「あれ、来たの?」
奥でタオルを畳んでいたらしいサンジが、顔だけ覗かせてニヤンと笑う。
「ペース早くね?まあシャレっ気出てきたのはいいことだけどよ」
パチパチっと店内に灯りが点った。
昼間見るのと変わらない、明るくてモダンで、洒落た空間だ。
ゾロならば、初見では絶対に立ち入らない店だろう。

「まあ、ちょっと襟足伸びてる感はあるし揃えておこうか。それとも夏らしく冒険してみる?」
ゾロを椅子に座らせ、慣れた手つきで髪に触れる。
空調は止められていたらしく、少し蒸し暑く感じる店内にあってサンジの指先はひんやりと冷たい。
その気持ち良さに誘われるように、ケープの下から手を伸ばし手首を掴んだ。
「こーら、ここは美容院だから髪切るのが先だ」
オイタは後で。
そう言って、鋏を持った手でゾロの手の甲を軽く叩く。
ふわりと、煙草の匂いが立ち昇った。

サンジはゾロに甘い。
甘いようでいて、仕事に関することや、ここはという一線に置いては決して妥協しない。
年上らしい威厳を持って、時には毅然として対処し、窘める。
だからゾロは、サンジに対して無体な振る舞いはしなかった。
おいでと言われてから一歩踏み込み、挿れろと言われてから思うままに蹂躙する。

事件の絡みで知り合ってすぐ、サンジと寝た。
それまでゾロは男を性の対象と見たことはなかった。
だがサンジは他のどんな男とも女とも違って、最初からゾロの目を惹く存在だった。
誘ったのは、サンジの方からだったと思う。
だがそうと気付かせるより早く、ゾロが動いた。
以来なし崩しに、二人の関係は続いている。

サンジは、ゾロより5歳は年が上だ。
女と見ればデレデレするし、煙草も吸うし髭も生えている。
ゾロと変わらないくらい背丈もあって、細身だがしっかりとした筋肉が付いた身体だ。
どこからどう見ても男なのに妙な色気を纏っていて、ゾロはいつも目が離せない。
気軽にゾロを誘ったように、他の誰にだって色目を使うのではないかと内心腹立たしい気持ちもある。
だが怒りを前面に出して縛るような関係ではない。
今はまだ、だ。

シャッとブラインドを下げる音に、目が覚めた。
どうやら髪を切られている間に、ウトウトとまどろんでいたらしい。
サンジの指先はいつも冷たくて気持ち良くて、散髪をされている間は眠りに落ちることが多い。
目の前の鏡に写る見慣れた顔は小ざっぱりとして、髪は綺麗に整えられていた。
「どう?」
「ああ」
髪型になどゾロは頓着しないが、署の女性職員からは評判がいい。
だから、サンジに任せておけば充分なのだろう。
「さっぱりした」
「そりゃよかった」
サンジの指が、形をなぞるようにゾロの顎を撫でる。
その手を掴んだら、今度は窘められなかった。
「一つ、ヤマが片付いた」
「そう、そりゃお疲れさん」
「お前の、情報のお陰だ」
サンジは、どこから仕入れて来るのか情報通だった。
ゾロの仕事に有益になりそうなネタを、さり気なく吹き込んでくる。
最初は戸惑いつつも、その情報通りに動いていると幾つかの事件が解決に導かれた。
ゾロは仲間内から「勘が神がかっている」と評されるが、すべてサンジの情報のお陰だ。

「じゃあ、ご褒美もらっちゃおうか」
おどけた口調で、サンジの両手がゾロの頬を包み込む。
俯いて額に口付けるのに、ゾロは仰向いて手を伸ばしサンジの後ろ頭を掴んだ。
そのまま強引に引き寄せ、深く唇を合わせる。
唇を付けたまま椅子を回転させ、ケープを取り払ってサンジの身体を横抱きにした。
ぴったりとしたエプロンの下に手を這わせると、サンジは擽ったそうに身を捩って笑った。
「こらこら、やっぱりオイタは奥の部屋で―――」
そう言う口を塞ぎ軽く食むと、舌を絡めながら身悶えた。
「・・・ダメだって」
「窓締めてんだから、いいだろ」
「やっぱ営業に差し支えるし、信用ってもんが・・・」
ゾロの膝の上で四つん這いになった腰を抱き、ベルトを外してするりと剥いてやる。
鏡に真っ白な尻が映った。
日に焼けて黒いゾロの手が、無遠慮に鷲掴みして内部へと蠢いていく。
「あ・・・ま、や――――」
鏡の前で存分に喘がせ乱れさせてから、奥の部屋へと引きずり込んだ。



「若いっていいねえ・・・」
満腹の猫みたいにくったりと身を横たえ、サンジは夢見心地に目を閉じている。
勝手に冷蔵庫を開けてビールを呷り、少し考えてから水の入ったペットボトルを持ち出して寝室に戻った。
うつ伏したサンジの頬に水滴が付いたボトルの底を当てると、ひゃっと声だけ上げて肩を竦ませる。
「冷てえよ、馬鹿」
笑いながらペットボトルを受け取って、寝転んだままキャップを捻り喉を潤す。
「うーん、生き返る」
口元を指で押さえ、ちらりと視線だけ投げかけるのに促され、ゾロはベッドサイドに置かれた煙草を咥えると火を点けた。
軽く吹かしてから、サンジの濡れた唇に差し込んでやる。
「さんきゅ」
美味そうに煙草を咥え、サンジは腕を枕にして寝返りを打った。

「おい」
「ん?」
ゾロはビールで濡れた口端を拭い、横を向いたまま息を継ぐ。
「もう、俺に情報を寄越すな」
「・・・は?」
サンジが、首だけ擡げた気配がする。
けれど振り返らない。
「お前の情報は、いらねえ」
言葉が、薄闇の中に溶けた。
「それで、もう俺はお払い箱って訳?」
詰るというより、自嘲めいた声が静寂に響く。

「思ったより早かったな。まだもうちょっと、楽しめるかと思ったのに」
そう言って、ふうと深く煙を吐いた。
漂う紫煙が、ゾロの頬を撫でる。
「いいよ、もうご褒美強請らねえし。けど、いま掴んでるネタだけはちゃんと、確証取れたら渡すから・・・」
「それが、いらねえっつってんだ」
ゾロは語気を強めて振り返った。
素肌にシャツだけ羽織ったサンジが、寄る辺ない子どものような目でこちらを見ている。
思った以上に打ち萎れた表情に、ゾロはハッと胸を突かれシーツに手を着いた。
「俺がいらねえつったのは、情報だけだぞ」
「だって、今度のは今までとは比べものにならねえほど、でけえシマで・・・」
「だから、ダメだと言ってる」
サンジは、目を瞬かせて灰皿に煙草を揉み消した。
「だったらよ、もうここに来る意味ねえじゃん」
「なんでそうなる。大体、お払い箱ってなんだ」
ゾロに詰め寄られ、サンジは口端を歪めながら無理に笑って見せた。
「そうだな。俺は美容師だから、お前が散髪に来るってんなら大歓迎だ。情報なんざいらねえつったって、客としてなら―――」
「なに言ってる。お前の情報がなくても、髪が伸びなくたって俺は来るぞ」
そう言ってから、サンジの目を覗き込むように身を屈めた。
「客としてじゃなく、お前に会いたいときに来ちゃダメか?」
「な、に言って・・・」
サンジの方が戸惑い、ふるふると首を振った。
いつもの、斜に構えてシニカルな大人びた雰囲気が嘘のようになりを潜めている。
「俺なんて、お前に情報渡すぐらいしか利用価値がねえだろ。だからお前だって、ご褒美くれてたんじゃん。そうでなきゃ、こんなおっさん相手にわざわざご奉仕する意味なんか・・・」
「まったく意味がわからん」
ゾロは額に手を当てて、嘆息した。
「利用価値とか、なに言ってんだ。俺が情報はいらねえっつったのは、あんたの身が危ういからだ。いくらうまいこと立ち回ってたって、こんなに短い期間にあちこちネタ掴んだりしたら絶対に動きがバレる。これ以上、あんたに危ない橋を渡ってもらいたくねえ」
「――――」
サンジは、呆然としている。

「俺が、あんたに触れるのに他に理由がいるのか?美容院の客としてじゃなく、刑事としてでもなく、あんたに触れちゃいけねえのか。あんた、自分の価値がどうこう言うなら、あんたの価値を俺が決めちゃダメか」
「ゾロ」
「ああもう!」
ゾロはイラついて、髪を掻き混ぜた。
短く刈り上げられた襟足を、サンジはそっと手を伸ばして撫でる。
「俺は、こういうのはうまく言えねえんだよ」
そう言って、乱暴にサンジを抱き寄せる。
「全部抜きにして、あんたとこうしていたいと思ってるだけだ。なんか文句あるか!」
あんまりな恫喝に、サンジは苦笑いしながらゾロの厚い胸板に顔を埋めた。
背中に手を回しぎゅっと抱きしめ、濡れた目元をそのままに顔を上げる。

「俺も実は、言い訳考えるの下手なんだ」
そう言って、はにかんだように微笑んだ。
「あのさ、ほんとはずっと、好きだよゾロ」
「――――・・・」
ゾロは眉間に皺を寄せ、怒ったように言い返す。

「俺もだ」

優しさなんて欠片もないけれど、その一言はいつまでも甘く甘く耳に響いた。




End