俺専食堂 2

そんな感じでそれなりに平穏に、活気ある毎日を過ごしていたゾロだったが、転機は突然訪れた。
ある日、いつものようにキンコンダッシュで会社を飛び出し目指したその先に、店がなかった。
―――店が、ない?
目が点になるとはこのことだ。
ビルとビルの隙間、あの爪先立ちになりながらも精一杯踏ん張っているような間延びした二階建ての店舗が、すっかり綺麗に撤去されていた。

昨日は確かにあったのに。
いつもの美味そうな笑顔で、欠食児童たちに餌を振舞っていたのに――――

目の前には何もない。
ただ隅に寄せられた瓦礫と舞い上がる砂埃が、確かにここには何か建ってたかもしれないねーと語りかけているだけだ。
「どういうこった?」
呆然と呟くゾロの周りには、一足先についてパニックに陥っている野郎達がわんさといた。
皆それぞれに携帯を取り出し、どこかに電話してはわあわあと喚いている。

「どこの誰だよ、こんなことした奴あ!」
「サンジは?サンジは無事なのか?」
「昨夜、ここで飯食った時は、なんも変わりなかったんだぜ」
「警察だ、警察呼べ!」
ゾロは動転しながらも、冷静に首を巡らし周囲の人間を見た。

あの大食漢兄弟が共にこちらに背を向けて何事か囁きあっている。
黒い縮れ毛も一緒だ。

「やっぱクリークの仕業だぜ。あいつ、サンジに執心だったもんよ。」
「だが証拠がない。元々は立ち退きを言ってたんじゃねえのか?」
「最初はそうだったけど、途中からサンジの飯に惚れちゃったんだって。」
「そいつは誰だ。」
いきなり背後から覗き込まれて、ギクッとした風に兄が振り向く。
「あんだマリモちゃんか。」
「なんだそのマリモってのは。」
むうと口を尖らせ軽く不満を表明しただけだが、鼻の長いのが1mほど飛び退り、うひゃあと怯えた声を上げた。
「いや〜、その面怖いっての。なに額に青筋立ててんの。」
間延びした兄の声がイラつく。
「うっせえ、クリークってのは誰だ。コックはどこに行った?」
「クリークってのは、ここらの地上げ専門にやってる組だよ。サンジは最後まで踏ん張ってたんだけどな。
 まさか実力行使に出るたあ・・・」
「んじゃあ、そのクリークってのぶん殴ったらサンジ、また出てくんだな?」
弟の方がぶるんぶるん腕を回し始めた。
「だから待てっての、なんでそうお前は短絡的に・・・」
「で、そのクリークって奴あどこにいる?」
「なんでお前まで単純明快に戦闘態勢に入ってんだよ!」
長っ鼻に突っ込まれながらも、ゾロは無意識に弟と決意の手を組んでいた。




「サンジを、返せーーーーっ!」
欠食児童、もといルフィとか言う大食らいが事務所前にたむろってた若いのを問答無用で張り倒した。
やれやれと首を竦めながら兄エースが後に続き、長っ鼻ウソップがオドオドしながらその後ろをついていく。
ゾロは壊れ掛けた看板から支えの鉄パイプを引き抜いて、しんがりについた。
生身に武器を使うのは不本意だが、こっちは丸腰だから仕方がない。

「サンジを返せーーーっ!」
同じ言葉しか繰返さないでルフィが事務所のドアを破壊する。
「なんじゃわれえっ」
「どこのクソガキじゃああっ」
途端、頭と柄の悪そうな大男達がゾロゾロと飛び出して来た。
「あ、どうも〜失礼します〜」
血気盛んなルフィを抑えて、エースが飄々と間に入る。
「いやこちらにね、裏通りの薔薇亭のサンジ君がお邪魔してないかなと。あ、俺達トモダチなんですよ〜」
この緊迫した空気の中にあって暢気なポーズを崩さないこの男が一番の食わせ物だと、ゾロはますますエースに警戒する。

「なに言うとんじゃわれえ、人んちのドア壊してどないしてくれんねん」
「まあ、それは後で・・・」
置いといてのポーズをするエースの横っ面に、男の拳が減り込んだ・・・はずだったが、エースは片手一つでその拳を受け止めると、愛想のある雀斑面でにやんと笑う。
「もっかいしか聞かないよ。サンジは、どこ?」
眇めた瞳が笑ってないのに気付かないのか、男は片手を捕まれたまま空いた方の手を振り上げた。
次の瞬間
男の巨体が宙を舞い、天井にぶち当たって床に沈む。

「しょうがないね。口で聞いてもわからないなら、身体に効くしかないっしょ?」
ぺろんと舌を出したエースに、組員達が一斉に襲い掛かった。


「ひいやあああああ」
なにしについてきたのかわからないウソップは、灰皿を頭に載せて観葉植物の隅で震えながらこっちを覗いている。
椅子が飛び机が飛び、引き千切られたドアも飛んで室内は激しく破壊された。
エースとルフィの兄弟に任せておけば自然に道は作られるようで、ゾロは飛んでくる破片とたまに来る男を鉄パイプで薙ぎ払って先に進んだ。

奥に続く扉を蹴破り、高そうなソファに踏ん反り返る男を見つける。
「どこのシマのもんだ、くおら?」
面倒臭そうに顎を上げる男より、その傍らで鍋つかみを手に土鍋を持ったまま固まるコックに目が行った。

コックが、いた。
こんなところに。
店を潰されて、拉致られて・・・
あまつさえ飯を作らされてたのか、こんな外道野郎にっ!!!

一気に頭に血が昇る。
「この、死にくされっ」
誰かが前に飛び出して引き金を引いた。
身体が勝手に動いて、鉄パイプが宙を舞う。
カンっと乾いた音が響き、銃弾を叩き落とされたことに周りは仰天したようだ。

「お前、何奴?」
「コックを返せっ!」
ゾロは鉄パイプを構えたまま先ほどのルフィの台詞を繰返した。

「コックを返せ、そいつは俺のだっ!」
「「「はああ?」」」

複数の突っ込みが聞こえた気がしたが、すっかり我を忘れたゾロにはもう何も届かなかった。
立っている者はすべて倒す。
鉄パイプで確実な一撃を与えながらも、降り掛かって来た木刀もそのまま奪い、ついでに真剣で切りかかってきた相手を返り討ちにして刀を口で咥えた。

「な、なんだっ?」
異様な構えに、取り囲んだ組員達は一様に怯む。
「百八・・・」
口に真剣を咥えながらもなぜか正確な発音でゾロは呟き、腰を落とした。

「煩悩砲―――――」
耳を劈くような轟音に閃光、何が怒ったかわからぬまま、テナントの事務所部分2、3階が吹き飛んだ。




「いやー怖え怖え、無茶するなあ・・・」
「まったくだ。ルフィよりタチが悪い。」
「あー、ひでえ目にあった。寿命が縮んだ。」
皆顔を煤で真っ黒に汚して、それでもカラカラと笑いながら崩れかけた階段を下りてくる。

「滅茶苦茶だ・・・」
縮れた金髪を撫で付けながら、コックもゾロの斜め前をふらふらと歩いていた。
こんなに至近距離で側にいるだなんて、そのことが夢のようでゾロはぼんやりとその後に続く。
ざっくりしたセーターにスリムのジーンズ。
やっぱり随分と痩せている。
背は、自分と同じくらいか。
綺麗に切り揃えられた金髪の、襟足から覗く白い肌が煤けていて、無性にその汚れを舐め取りたくなってドキリとした。
コックが、俺の側にいる―――

「それにしても大胆だねえマリモちゃん。どさくさ紛れに告白たあ、やるもんだ。」
あ?
「まったくだ。言うに事欠いて、『俺のコック』だとよ。」
「お前のだけじゃねえぞ。サンジは俺の飯も作るんだからな。」
あ?
ああ?
きょとんとしているゾロの横で、コックが足を止めて振り向いた。
「黙って、俺のこと睨み付けてるばかりの奴だと思ったのに・・・なんだよてめえ。」
気のせいか、その頬が染まっている。
「そんなの、勢いだけで言うなよ。馬鹿にしてんのかてめえ。」
喧嘩腰だ。
喧嘩腰だが、これは・・・

ゾロはサンジに向き直ると、真正面から真っ直ぐにその顔を見つめた。
「俺のコックって、そういうストレートはだな・・・」
視線が彷徨っててこちらを見ない。
文句を言う声もしどろもどろで、ゾロは考えるより先に腕を回してその身体を抱き締めた。

「俺だけの飯を作ってくれないか。」
腹が減ったのだ。
あの何もなくなった店の跡地で、もう二度とコックの飯が食えないのかと思ったら目頭が熱くなった。
飯だけじゃなくて、コックの存在自体消えてしまうのかと思ったら、いても立ってもいられなくなった。
あんな思いをするくらいなら、もう二度と手放したくない。

「お前が好きだ。離したくない。」
「・・・」
大の男に抱き締められて、どう言う訳かコックは身動ぎ一つしなかった。
顔の横にある、金髪から覗く耳は真っ赤に染まり、横に投げ出されたままの両手は指を半開きにした状態で硬直している。

「うおっ、すっげーマジモンの告白!」
「なんだよなんだよ、俺があんだけ口説き倒したのに、なんでサンちゃんその程度のアクションで落ちてんだよっ」
エースの本気の叫びが聞こえた。
落ちた、のか?
抱き締めたまま顔を傾ければ、コックは呆然と前を見据えたまま真っ赤になって固まっている。
抱き締めた薄い胸からは小刻みに忙しない震えが響き、自分の鼓動と重なり合って信じがたい
昂揚感をもたらした。

「こっ恥ずかしいこと、言ってんじゃねーっ」
精一杯の虚勢でもって振り上げられた膝は見事に股間に入り、ゾロはしばしその場から立ち上がれ
なくなった。




「俺も、人が寝てんのにバリバリ家壊された時は、さすがにトサカに来たけどよ〜」
煙草を咥えてにやんと笑うコックの笑顔は、間近で見るとまた特段に輝いて見える。
「事務所に怒鳴り込んだら、なんか風邪引いたとかで組長、ソファに寝込んでやんの。ならちょっとあったかいもんでも作ってやってから説教しようかと・・・」
なんてことはない。
作らされていた訳じゃなくて、結局仇みたいな組ん中でも美味いもん食わせてやっていただけか。
話を聞いて脱力するゾロの後ろで、エース達が勝ち誇ったように笑っている。
「そらな。サンジって特定の誰かに特別なことしねーんだよ。誰にも平等。だから俺らも紳士協定結んで、抜け駆けしねーって決めてんだ。」
「俺はずっとサンジの飯が食えりゃあ、それでいいぞ。」
「とりあえず店どうすんだよ。どっかいい場所見つけねえと。」
「あー俺に任せてvんでもって今度は二人で作ろうぜv」
「・・・紳士協定は何処行ったんだ?」

ぎゃいぎゃい盛り上がり出した兄弟と長っ鼻を横目で見ながら、サンジはゾロの耳にだけ聞こえるように囁いた。
「俺、住むとこもなくなったんだけど・・・しかも一文無し。」
「なら、俺んちに来い。」
こういう時は即答だ。
抜け駆けとでも何とでも言え。
ずっと人に避けられ嫌われてきて来た人生だったけど、捨てる神あれば拾う神あり。
これが俺らの運命だったんだ。

ゾロは、意識しては絶対に作れない満面の笑みを浮かべて、もう一度サンジを抱き締めた。
今度はサンジも抗わなかった。




思えば初めて店に来たときから、ずっと気になる存在だった。
その強面の顔が、飯を一口食うたびに口元から解れていく。
普通の人にはわからない微妙な変化だったけど、サンジはそれを見るのがとても楽しみだった。
自分の飯が誰かを満たす。
その歓びを体現して見せてくれるような緑頭のサラリーマンから、目が離せなくなっていた。

けれど所詮は食堂の店主と客。
声を掛けようにも給仕したらすっと離れてしまうし、常に口元を一文字に引き締めて常連達が話しかけても相槌くらいしか打たないし。
昼になったらすぐ現れるからこの近くの会社だろうけど、何をしてるのかどこに勤めてるのか何も知らない。

どんなものが好きなのか、どんな声で話すのか、どんな時に笑うのか。
色んなことを知りたいと思った。
こんな気持ちは、初めてで・・・
愛する女神ナミさんが現れた時にチャンスとばかりに側に行ったのに、無言で睨み付けられるだけだった。
せめてその声が間近で聞けたならと淡い希望はすぐに萎んで、もしかして嫌われてるんじゃないかと別の不安が胸に湧き上がる。
いつも不機嫌そうに眉間に皺を寄せて黙々と食べ続ける、その姿に不器用さを見出していたけれど、ほんとに飯を食べるだけできっと料理する自分のことなんて何も気付いてないんだろう。
そう思うとなんだか寂しくて哀しくて、そんな風に感じる自分が第一に信じられなくて、結構一人で悶々と悩んだ。

そんなサンジの懊悩を察したのか、ナミが何かと情報をくれた。
名前はロロノア・ゾロ。
潟Oランドライン企画開発部所属。
入社当時からやり手で通り、上司も一目置く出世頭。
彼を巡ってOL同士が陰で熾烈な戦いを始め流血沙汰にまで発展したため、会社内に半径2m以内接近禁止令が密かに敷かれたらしい。

ナミの口からぺらぺら語られる事実に、サンジは目を丸くして聞き入った。
見た目だけじゃなくて、やっぱりすげえ奴なんだ。
しがないコックの俺なんて、友達どころか気軽に口すら利けねえだろう。
そう思ってみれば尚のこと近付き難い。
所詮高嶺の花だと諦めて、それでも遠くからでも姿を眺められて自分が作った飯を平らげてくれる、そのことだけを励みにして過ごして来た。
それなのに――――

この辺じゃ名の知れたヤクザを相手に胸のすくような大立ち回りをして見せて、その上「俺のコック」だなんて・・・
俄かには信じられないゾロの告白を全力で受け止めて、サンジは躊躇いもなくその胸に飛び込んだのだ。



そんな経緯などゾロは知る由もなく、蓼食う虫も好き好きの言葉をそのまま噛み締めていた。
こんな幸福一生に一度きりの事に違いない。
折角手に入れた初めての恋人を、大切に大切にしなければ。
傍目からはわかりにくい、彼なりににやけきった仏頂面でこれからの新生活に想いを馳せる。


ロロノア・ゾロ23歳。
――――童貞の春だった。


END

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