大晦 -2-



「ぶっちゃけて聞くぞ、あんたサンジに惚れてんのか」
「まあな」
もう20代も後半だ。
今更怖気づく年でもないだろうと、ゾロは素直に肯定した。
「常に傍にいてもいいと思う程度には」
「それなら、尚のこと・・・」
ウソップは言いよどみ、差し出された湯飲みを手に取った。
「熱っ・・・」
「客用のカップがなくて悪いな」
ゾロは自分のマグカップにもコーヒーを淹れ、再び腰を下ろした。
食器棚の中にもう一つマグカップがあるが、あれはサンジのだ。

「どの程度まで、進展してんだ?」
実に、聞くのが嫌そうに顔を歪めながらも尋ねてくる。
「特になにも、ここに泊まって飯作ってくれる程度だ」
「泊まって?」
「寝るだけだ」
「そう」
ウソップはコタツ布団の下で忙しなく両手を揉み合わせ、湯飲みに手を伸ばしては「アチっ」と叫んで引っ込めている。
「その、つまり性的な意味での進展は・・・」
「ない」
「なんにも?」
「なんにも」
ウソップはほうと息を吐き、上目遣いでゾロを見た。
「それは、今後の予定の中にも」
「予定は未定だ」
だよなあと、頷きながら目を閉じた。

「俺がサンジのことをあれこれ心配する筋合いは、ほんとんとこないんだけどなあ」
独り言のように呟いて、ウソップは乾いた笑いを漏らした。
「俺にとっちゃサンジは友人だけど、あいつは俺のこと覚えてるかどうかはわからねえ。中学ん時の同級生っつってもあいつは卒業前に学校に来なくなったし、卒業後は一度も会ってねえし、その後サンジがどう生きてきたか俺は知らない」
そう前置きしながら、言いにくそうに口を開く。
「そんな俺が聞くようなことじゃないとはわかってるんだが・・・その、俺は男同士云々とか、そう言うのはまあ問題ないとは言い切れないが、でもまあ別問題として今はそんだけ頓着してないんだ。それより、あんたがサンジのことをそれなりに大事だと思うなら、んでもって真っ当な意味で惚れてるんなら、その、多分、あいつと肉体的にどうこうとか・・・そういった問題も具体的にだなあ、その、出てくることもありえるとかどうとか・・・」
ゾロは掌を掲げて、長くなりそうなウソップの弁を制した。
「その点に関しては、俺はどうやら人より気配ってモノに聡いようで、少なくともあいつが嫌がることや恐れることは先に気付く。それに、無理強いするつもりもねえ」
「そうか」
ウソップはあからさまにほっとした顔をして、でもすぐに表情を翳らせた。
「でもそれじゃあ尚更、あんたに負担が掛かるんじゃないか?」
ウソップが湾曲に言わんとすることは、ゾロにもわかった。
お互い、いい年した大人だし、別に今更照れたり隠したりするような話題でもないだろうが、なんとなく話が進まない。

ゾロはコーヒーを、ウソップはみかんを手にしたままそれぞれ彫像のように固まっていたが、ゾロの方が先に口を開いた。
「あれは、性的なものを恐れてるんじゃねえか」
確信的な物言いに、ウソップは首を振りかけて止めた。
「恐れてるって言うと語弊があるみてえだが、強ち間違ってもねえ」
ただ怖がってるだけゃないんだと、言い訳のように言葉を紡ぐ。
「さっき、奴は思い出したくないと言ったけど、それもほんとのところ違ってるかもしれねえ。あいつは忘れるんだ」
ゾロの目を見つめ、一人納得して頷く。
「覚えていたくなくて、忘れるんだ。もう忘れてるんだ。だから俺は、そのままそっとしておいてやりたい」
あんたはどうだと、ウソップは聞かなかった。
ゾロはきっと、そんなサンジをそのまま受け入れてくれるのだと信じられる。
今日初めて会った男なのに、何故かそう確信した。
「あんたがそのことに気付いて、それでもいいと言ってくれるんなら、俺からはもう何も言うことはない」
「そうか」
それで話は終いだと、ゾロは勝手にケリをつけた。
ほどよく冷めたコーヒーを啜り、ウソップはみかんを剥き始める。

「折角ナミがわざわざセッティングしてくれたのに、悪いな」
「いや、俺から見てるとどうも本気で、これのが“ついで”みたいだったぞ。旅行に行くのもここに寄るのも本命だったみたいで、遠回りとかそう言うのを考えない二人みたいだな」
「そういうとこは似たもの同士だ、あいつらは」
絶妙のタイミングで光が庭先を通り抜け、エンジン音が近付いてきた。
「帰ってきたみたいだな」
ほどなく、寒い寒いと騒ぐ声が近付いてくる。

「ちょっともう、信じらんない!なんにもないのよ、陳列棚すっからかん!いくら田舎でもあんまりじゃない?!しかも10時閉店ですって!」
「熊か猪しか通らない道で、24時間営業しててもなあ」
憤りながらも酒とつまみだけは買ってきたナミが、コートを着たままの冷たい身体を押し付けるようにゾロの横に潜り込んだ。
「降ってきたわよ、でっかいボタン雪がぼったんぼったん」
「大丈夫かナミ、もしかして酔っ払ってんのか?」
ウソップが差し出したみかんを、引っ手繰るように受け取る。
「しかもルフィ、雪だーって叫んで入ってこないし!外で遊んでるし!」
ナミは酒臭い息を吐きながら、ゾロの顔にぶつからん勢いで振り向いた。
「だからゾロ、あんたも一緒に行きましょうよ!」
「・・・どっからが“だから”なんだ」
突っ込むゾロを意に介さず、ナミはバンバン背中を叩いた。
「私の予報ではこの雪は積もるわよう。こんな小さな家なんか玄関まで埋まっちゃうくらい。だから今のうちに脱出しちゃいましょ。んでもって私達ともっと寒い東北の温泉行きましょう!」

ほんの少し、ゾロの気持ちが揺れた。
久しぶりにルフィとナミと、昔の仲間達と旅に出るのも悪くない。
気楽な独り暮らしだし、誰かに断ってでかけなければならいこともない。
それに、初対面だがこのウソップと言う奴もなかなかよさそうな奴だ。
一緒に過ごすのに、悪くない面子だろう。
けれど―――

「行きたいのは山々だが、俺には家畜の世話が残ってる」
「なにそれ」
途端、険悪な顔つきになるナミに、ぬるい缶ビールを突き出した。
「研修施設の動物の餌やりをな、3ヶ日まで頼まれてんだ。雪が降るなら退けてやらんといかんし、ハウスの様子も・・・」
「ああもう、わかったわよ」
また強く、背中をどやしつけられた。
「ったくもう、いい加減そうでいて相変わらず真面目なんだから」
ぬるいビールを一気に開けて、ぷはーと豪快に息をついた。
「そんなんじゃあ仕方ないわね。あたし達、もう行くわ」
用は終わったとばかりに、忙しなく立ち上がる。
ウソップも残りのみかんを口の中に放り込んでコタツから出た。

「もっとゆっくりしてけ」
「ゆっくりしてると雪で埋もれて身動き取れなくなるのよ、あたし達が向かう方向はまだ大丈夫」
きっぱりと言い切って、マフラーを巻き直した。
「じゃあねゾロ、いいお年を」
「お邪魔しました」
「いい年を―――ルフィにもよろしくな」

結局ゾロはコタツから出ないで、慌しい旅人を見送った。
あの勢いなら、また年明けにでも「帰りに寄った」とか理由をつけて来るのだろう。
それはそれで悪くない。









騒がしかった分、急にがらんとした家の中は、ストーブをつけるよりぐんと温まったはずなのに、先ほどよりほんの少し室温が下がったような気がする。
ゾロは再びコタツの中に両腕を突っ込んで、顎を机の上に乗せた。
ナミが買ってきたコンビニ袋一式は置いたままだ。
これで一人寂しく年を越せということだろうか。
ありがたくいただこうと、ごそごそビニール袋の中を漁る。
ビールに日本酒、つまみにスナック菓子。
実に正しい選択だ。

しかし、やや腹が減ったなと窓の外に目を向けた。
下の部分だけ透明なガラス戸の向こうが、ぼんやりと浮いて見える。
ナミが言ったとおり、いつの間にか外は白く染まっていた。
しんしんと音もなく、雪が舞い落ちている。
買い出しに出るのは面倒臭いし、明日の朝はまた目玉焼きにでもするか。
それとも、昼過ぎまで寝ていようか。
その内、お隣さんが年始の挨拶にやってきて、おせちの残りでもくれるかもしれない。

そんな調子のいいことを考えながら、カップ酒を冷のまま飲もうと手を伸ばしたら、ちらりと庭先に光が走った。
また、誰か来たのだろうか。
光は一瞬で、その後エンジン音が近付く気配はない。

お隣さんか。
隣とは川を隔ててはいるが、夜ともなればまっすぐな光はこちらの庭にまで届く。
親類が帰って来でもしたのだろう。
空き地が広いから駐車場には事欠かないだろうが、この雪では除雪が大変だ。
一体どれくらい、積もるだろうか。
そんなことを考えていたら、遠くからざっくざっくと雪を踏む音が聞こえる気がした。
普段はそれほど物音のしない家だが、こんな風に雪に包まれるとやけに遠くの音が近くまで響いたりする。
今も、まるで誰かがこの家に向かって歩いてきているような、近しい気配と足音が感じられた。

「忘れ物でも、したのか?」
まさかこのコンビニ袋を忘れたと言って、引き返しては来てないだろうな。
ケチ臭いナミならそれもあり得ると確信し、ゾロは奪われてなるものかとビニール袋を引き寄せた。
これはもう、自分のものだと言い返して追っ払ってやる。

ガラリと玄関の開く音がして、ゾロはそのまま身構えた。
また、寒いとか信じらんないとか、無意味に叫びながらドスドス上がってくるだろう。
そう踏んだのに、戸が開く音がしただけで上がってくる気配がない。
不審に思って、ゾロはようやく腰を上げた。
外灯を点けていない玄関は薄暗く廊下の数歩先も見えず、流れ込んだ外気でほとんど屋外と変わらない寒さだ。
氷のように冷たい廊下を踏みしめながら、ゾロは閉まっている玄関まで大股で歩み寄った。
さきほど確かに開いたはずだ。
一度開けて閉めたのは、誰だ?

引き戸の向こうで、身を翻し逃げる気配がしてゾロは慌ててダッシュした。
裸足のまま外に飛び出し、もう膝下くらいにまで積もっている雪の中で足をとられ、雪塗れになっているコートの塊を引き起こす。
誰とも事確認せず、そのまま横抱きにして家の中に舞い戻った。

「何してやがる、風邪引くだろうが!」
一声吠えて、担いだまま髪や肩に掛かった雪を払い落とした。
ガチガチと震えているから、頭を下にして足だけ上げて乱暴に靴を脱がせる。
長靴でも履けばいいのに、なんでブーツなんか履いてるんだこの野郎。
苦労してほとんど無理やり剥ぎ取ってから、有無を言わさず部屋に戻る。
コタツの前に荷物のようにどんと置いて、後ろ手に襖を閉めてゾロも腰を下ろした。

「どうやって、来たんだ?」
コートの前を両手で掻き合わせたまま、サンジはガチガチと歯を鳴らしていた。
寒さで声にならない、そんな感じだ。
「まさかここまで、歩いて来たんじゃねえだろうな?」
それにはブンブンと首を振る。
拍子に、髪に貼り付いていた雪の塊が畳の上に落ちた。
「と、ちゅうまで歩いて・・・ったんだけど、お・・・隣さんが乗せって、くれて」
寒さで歯の根も合わないのだろう。
唇が紫色だし、本気でどこまで歩いてきていたのか今更心配になった。
「乗せて貰ったんなら、家の前で降ろして貰えばいいだろうが」
「や、そりゃ悪いし・・・お隣さんちで、降ろして、貰って」
そこから歩いて来たって訳か。
ゾロは憤怒の表情を隠さずに、サンジを見据えた。
「なんですぐ、家に入らなかった」
答えはない。
雪より白い顔をして、なんだか困ったように目を瞬かせるだけだ。

「もしかしたら、入らなかったかもしれねえんだろ。ここまで来て、怖気づいて引き返すつもりだったか」
「お、じけづいてなんか!」
言い返してから、震える唇を噛んだ。
「じゃなかったら、車なんだから家の前まで送ってもらえばいいだろうが。お隣さんで降ろしてもらって、そっからうちに歩いてくるんなら、途中で引き返しても心配されないしな」
どやら図星だったらしく、サンジは悔しそうに掴んだコートの襟を引っ張っている。
寒さにかじかんだ指は白く筋張って、皸が出来ていた。

ゾロは仰向いて、一つ大きく息を吐いた。
ここまで来て、詰問調になっている自分に気付いて嫌気が差す。
こんなつもりじゃなかったのに。
ただ驚いて、どうしていいかわからなかっただけだ。

ゾロは改めてサンジに向き直ると、組んでいた腕を解いた。
一瞬、しまったと後悔の念が過ぎる。
さっきウソップに、どの辺りまでやっても大丈夫なのか、聞いておけばよかった。

一人で苦虫でも噛み潰しているように顔を歪めたゾロを、サンジは怪げんそうに窺い見た。
その瞳が不安に揺れている。
そんな目で見て欲しくはない。
お前にそんな顔は、二度とさせたくはないんだ。

言いたいことは何一つ言えず、ゾロはままよと腕を伸ばしサンジの身体をコートの上から抱き締めた。
冷えた髪が頬に掛かる
一際大きく震えた身体は、けれど身を捩ることも逃げることもしなかった。
丸めた背中で指を組んで、もう逃がさないとでも言うようにしっかりと抱き寄せる。
驚愕に見開かれた瞳と、半開きの唇から悲鳴が漏れるのを恐れたが、サンジはぴくりとも動かず声も発しない。
それに気を良くして、自分の頬をぴたりと引っ付けてみた。
鋼のように冷たく、つるつるとしている。
「冷てえな」
思わず呟いた言葉に、サンジは唇を尖らせた。
「てめえのが、熱すぎる」
擦り寄るように顔を動かせば、サンジはくすぐったそうに首を竦めた。
小さく笑いが漏れて、どちらともなく緊張が和らぐ。

「おかえり」
「・・・ただいま」


答える息はまだ白く、冷えから来る身体の震えは止まらない。
早くコタツに入れてやろうと、温かい酒でも飲ましてやろうと頭では思うのに、ゾロはその手を離せないでいた。
中途半端な体勢でしっかりと抱き合う二人を包み込むように、雪はただ音もなく降り続けている。




END



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