Omerta









子どものおもちゃ箱を引っくり返したような、乱雑でチープな夜景が遮光硝子越しに流れていく。
ここだけが切取られた別空間のようで、信号待ちで停車しても、街行く若者達の視線が不躾に
投げ掛けられることはない。
別世界だ。
街と自分とを隔てるものが、防弾硝子だからだけじゃない。
まったく異質で、侵されることのない異空間。

息苦しさを覚えて、無意識にパワーウィンドウのスイッチに触れる。
開くはずはない。
サンジーノは小さく舌打ちして、煙草を咥えた。
車内で煙草を吹かす自由くらいは与えられている。
サンジーノは、高級車のシートの匂いが嫌いだ。




ドン・ゼフが倒れたと報せを受けたのは、レストランに出勤してすぐのことだった。
動転したサンジーノにろくな説明をしないまま、パティとカルネはほとんど拉致のように車に押し込め、
屋敷へと車を飛ばした。
なぜ病院に向かわないのかと詰るサンジーノに、それどころじゃないと血相変えて怒鳴り返したのは
パティだ。
「てめえが病院に駆け付けたところでドンの意識が戻るわけじゃねえ。今日は大事な日だったんだ。
今日この日に、ドンが倒れたことを知られちゃまずい」
こんなに焦るパティの姿を見るのも初めてで、サンジーノは蒼褪めたまま黙ってシートに身を沈めるしか
できなかった。


路上で餓えて死に掛けていたサンジーノを拾って育てたゼフは、マフィアのドンだった。
引き取ったとは言え正式な養子縁組を交わした訳でもなく、資金的な援助を受け、しかも屋敷に
住まわせると言う特別な扱いを受けながらも、サンジーノは直接ファミリーとは関わらず普通の
子どもとして育てられていた。
だからと言って、ゼフは慈善家でも偽善者でも小児愛好家でもホモでもない。
サンジーノを猫可愛がりする訳でも面倒を見る訳でもなく、それでも側に置いていた。
そのことをファミリーの誰もが訝しく思いながらも口出しはせず、サンジーノは中途半端な立場のまま
成長し、今はゼフの元を離れてレストランに住み込みでコック見習いとして働いている。
この街で、サンジーノがゼフのファミリーであることを知らない者はいない。
それ故に自然と受けてしまう特別待遇が嫌で、サンジーノは島を渡り海を隔てた街まで出ていた。

そんなところにまで血相を変えて迎えに来たパティ達に、サンジーノも慌ててついて帰ったのだ。
サンジーノにとって、ゼフは命の恩人であると同時に大切な家族だ。
口では罵り合い喧嘩ばかりの間柄だったが、サンジーノにとってゼフは特別だった。
例え他のファミリーに理解され難い関係であったとしても。
恐らくはお互いが、大切でかけがえのない―――

そんなゼフが倒れたと聞いて、取るものもとりあえず駆け付けるつもりだったサンジーノは、懐かしい
ゼフの屋敷へと拉致られた。
なんの説明も受けないまま黒いスーツに着替えさせられ、整髪料で髪を梳かれる。
首にマフラー、黒いサングラスと形だけ整えられて、有無を言わさずベンツの後部座席に押し込まれて
今に至る。



「何で俺が、他所のシマのお誕生会とやらに行かなきゃなんねえんだよ」
巨漢のボディガードに挟まれて、狭い空間で無理に足を伸ばしふんぞりかえって煙草を吸うサンジーノに、
パティが重い口を開いた。
「今日の主役、ドン・ゾロシアは侮れねえ男だ。てめえも知ってっだろうがシマが近けえ。下町の
辺りはゾロシアのソルジャーが幅を利かせてやがって一触即発の状態だ。ゾロシアは成り上がりだが
カリスマ性がある。今、一番勢いのあるファミリーと言ってもいいだろう。そんな奴に、ドン・ゼフが危うい
状態だなんて、知られちゃまずい」
「ならアンダーボスのてめえが行きゃあいいだろうが」
「馬鹿野郎、俺が行ったらドン・ゼフがのっぴきならねえ状態だってのが丸わかりじゃねえか。
他のカポでも駄目だ。ドン・ゼフの秘蔵っ子として、誰も知らねえ存在のてめえがぽっと出てった方が無難だ」
「・・・明らかにそっちのが不審じゃねえか?」

ドン・ゼフの傘下だったとは言え、サンジーノはずっと堅気で暮らしてきたのだ。
恐らく、こんな形でファミリーに関わることを、ゼフは決して許さないだろう。
だが、窮地に立たされたファミリーの立場とパティ達の言い分もわかる。
ゼフが意識を取り戻したなら、このことは無かったこととして口裏を合わせればいい。
今夜だけを乗り切ることができれば―――
サンジーノは忌々しげに煙草を揉み消して、シートに深く身体を沈めた。
















古めかしい鉄の扉を抜けて広大な庭を走り抜けた先に、ゾロシアの屋敷があった。
「随分大層な屋敷に住んでんだな」
「没落貴族から土地ごと譲り受けたんだとよ。成り上がりは体裁を気にするからな」
サンジーノはごくりと唾を飲み込むと、用意したサングラスをかけ表情を引き締めた。




「こんばんは、よい夜ですこと」
広いエントランスに佇む美女の集団に、サンジーノは一瞬我を忘れそうになった。
煌びやかなシャンデリアの輝きも霞むほどに、ずらりと美女が揃っている。
浮き足立つサンジーノをパティとカルネが両脇から押さえ、ほとんど連行するようにホールの中央を
突っ切った。
カルネは片手に鮮やかな赤い薔薇の花束を抱いている。
「いいか、てめえは絶対口きくんじゃねえぞ」
「挨拶だけしたらとっとと帰るんだ。俺らが喋るから、てめえは声出す口開くな、いいな」

サンジーノはサングラスの下で忙しなく目を走らせて、広いホールのあちこちで談笑する紳士淑女を
盗み見た。
目元に傷のある赤髪、奇天烈なシャツとマントを羽織り黒い帽子を被った髭男、美人看護師を
引き連れた車椅子の白髪老人に棺桶に片足突っ込んだような食えない年寄り共。
新聞やニュースで見たり聞いたりしたような、大物ばかりだ。

―――コミッションかよ
ゾロシア・ファミリーは最近台頭を表した新人らしいから、これがお披露目になるのかもしれない。
それにしても・・・
今、自分がここにいることがいかに場違いか思い知らされた。
明らかに浮いてるっつうか、お前誰だよって感じ?
パティとカルネが後ろについているから、ゼフ・ファミリーであることは了承してくれるだろう。
正直足は竦むが、ここに来てしまったからには仕方が無い。
サンジーノは歩調を緩めず、ポケットに手を突っ込んだまま胸を張って堂々と歩いた。
ここでビビって逃げられるものでもないし、ゼフに恥をかかせるわけにもいかない。
何よりここに、ゼフがいないことを不自然に感じさせてはならないのだ。
表情を隠すサングラスに心底感謝しながら歩を進めれば、バーカウンターで美女に囲まれてグラスを
傾ける男の前まで誘導された。

―――こいつが今日の、主役かよ
緑の髪を後ろに撫でつけ、服の上からでもよくわかるがっしりとした体躯を黒いスーツで覆っている。
サングラスで表情は窺えないが、精悍な顔立ちは見て取れた。
予想よりずっと若い、だがただ座っているだけなのに恐ろしいほどの威圧感を放っている。
―――嫌いなタイプだな
男は大抵嫌いなので、サンジーノは視線を外して男の両脇を彩る、タイプは違うがどちらも目の覚める
ような美女を眺めた。
男はグラスを呷る手を止めて、サンジーノの方へ視線を寄越す。

「ドン・ゼフの名代で参りやした。バラティエ・ファミリーのサンジーノと申しやす。お見知りおきを」
パティは厳かにそう呟き、カルネがずいとサンジーノに持っていた花束を渡した。
自分で手渡せということか。
ゾロシアは無言のまま立ち上がり、サンジーノに向き直った。
「ドン・ゼフはどうした?」
外見通りの、心地良い低音。
代わりに答えるのはパティだ。

「カプリで足止めくらっちまってね」
「性悪なネコにでも噛み付かれたか」
「そんなとこでさあ」
サンジはむすっと口を尖らせたまま手にした薔薇をゾロシアに向かって突き出した。
まかり間違っても、男に花を捧げる趣味はない。
「まあ綺麗」
ゾロシアの左隣に立った美女が華やかな声を上げる。
まだ美少女と言っていいくらい若く、豊満な肢体もどこか健康的だ。
オレンジの髪が情熱的でよく似合う。
サンジーノはついその場に跪きたい衝動を抑えて、なんとか口元に笑みを浮かべるに留めた。
すっと花をその女性に差し出す。
「そいつはお前らに似合いだな」
「ふふ、ドン・ゼフもわかってるわね」
薔薇の中で煌めくのは、ダイヤモンドの数々だ。
どおりで少し重いと思った。


ご機嫌の女性を横目でみて、ゾロシアはまたスツールに腰掛けた。
もうサンジに興味はないとばかりに、横を向いてグラスを傾ける。
パティとカルネは顔を見合わせてほっと息をつき、まだ女性に見蕩れているサンジーノを引き摺るように
その場を後にした。











「なんとか、上手くいったな」
「ああ、なんとか・・・な」
このまま早々に退散したいところだが、まだ退席するグループもおらず、一先ず食事をすることにした。
テーブルからあれこれと取り分けてグラスを掲げる。
「しかしなんだこの料理は、ソース一つなっちゃいねえな」
「バラティエの料理に敵うもんは中々ねえさ。酒は飲めるぜ」
肩の荷が下りたのか、二人は勝手なことを言い合って腹を満たしている。

サンジーノは落ち着かない気分でシャンパンに口をつけ、柱を背にしてホールに視線を流した。
いかついおっさんの黒スーツは背景にしか見えず、その間で花開く艶やかなドレス姿のレディたちを
眺めて気を紛らわせる。
―――早く帰りてえ・・・
何の役にも立たないのはわかっているが、それでも傍にいたかった。
ゼフがどんな状態なのか、さっぱりわからないのがあまりに辛い。

コツコツとゆっくりヒールを慣らしながら、背の高い女性が近付いてきた。
さきほどゾロシアの右隣にいた黒髪の美女だ。
肉感的な肢体を際どいラインのドレスで包み、立ち姿だけで匂い立つような妖艶さに、サンジーノは一瞬
くらりと来てしまう。

「先ほどは、素敵なお花をどうもありがとう」
「とんでもない。貴女のような大輪の華にはとても足元にも及びません」
また条件反射でうっかり跪ずきそうになった。
この女性には、なぜか服従したくなる魅力がある。
「それが・・・少し困ったことになってしまったの」
女性は優美な眉を曇らせて、小さく首を傾けた。
「あの時花束を受け取ったナミモーレの掌に、小さな傷がついてしまったの。それでドンは機嫌を
損ねてしまって・・・」
「え?」
そんな筈はない。
花束の持ち手は幾重にもラッピングされていたし、当然棘は除かれているはずだ。
「ごめんなさいね、ことを荒立てたくないの」
女性はこっそりと、サンジーノにだけ聞こえるように低く話す。
パティとカルネに聞こえれば話は嫌でも大きくなるし、立場が悪くなる可能性もある。
「私からも口添えさせてもらうわ。ね、少しだけドンと話してくださらないかしら」
女の囁きに、サンジーノは僅かに頷いてパティたちに知られぬようにその場を離れた。












通されたのは二階の私室のようだった。
柱や天井はごてごてと飾り付けられているのに、家具はいたってシンプルで中央にキングサイズの
ベッドがどんと据え付けられているのが浮いている。
これもまた浮き捲くった革張りのソファで足を組んで、ゾロシアはグラスを傾けていた。
サンジーノの顔を見て、口元を笑いの形に歪める。

「いい度胸してんじゃねえか。うちの可愛いオンナの手に傷をつけてくれるたあ」
はあ?っと馬鹿にした声を出しかけて、慌てて止めた。
ここで挑発に乗ってはいかんと気を引き締める。
「直接レディにお詫びさせてもらう。どちらに?」
部屋の中はゾロシア一人だ。
いつの間にか、ここまで連れて来た女も消えていた。
「今医者に診てもらっとる。毒でも仕込まれてりゃ、たまらんからな」
カッと頭に血が昇ったが、寸でのところで耐えた。
今の自分の立場はあまりに不利だ。

「この落とし前、どうつける気だ?」
言ってることは町のチンピラ並みだが、ゾロシアの態度が重みのある雰囲気を作っている。
けっして荒げない、穏やかとも聞こえる声音。
ソファに身体を埋めた無防備な姿勢。
サングラスに遮られてその表情は窺えないのに、ただそこにいるだけでヒシヒシと伝わる威圧感。
―――カリスマ、ねえ

由緒正しいバラティエ・ファミリーではサンジーノは決して表に出ることはなかったが、それでも
その雰囲気や暗黙の掟、トップに立つ者の振る舞い等、すべてゼフを見て育っている。
成り上がりのファミリーは力にモノを言わせて捻じ伏せる荒っぽいやり方が主流だが、それが長続き
しないことも、また知っている。
だが、目の前にいる新しいドン・ゾロシアは異質だ。
粗野でぞんざいな振る舞いをしながらもどこか品がある。
今も、言葉で脅しながらも追い詰めない。
まるで手の内で転がされているようだと、ますます不快になった。

「薔薇の棘でたおやかなレディの肌に傷をつけたことは詫びのしようもねえ。だがそれになにか
仕込むなんて疑いはお門違いだ」
「そうか、そりゃあ悪かった」
あっさりとゾロシアは引き、新しいグラスに酒を満たすとサンジーノへと差し出した。
「これは疑いを抱いた俺からの詫びだ」

サンジーノは一瞬躊躇った。
いくらマフィアのドンの下で育ったとは言え、ゼフはサンジーノをその意味では最も遠ざけて育ててきた。
無論、こういった場合の対処方法も。

―――相手が何考えてるかさっぱりわからねえから、厄介だぜ
ただ、年の近さが無意識にサンジーノに気安さを引き出した。
―――この若さで、あの海千山千な妖怪じじいどもと渡り合うだけたいしたもんだ
レディの扱いも丁重のようだし、悪い奴でもないかも。

ゾロシアからがグラスを受け取って、芳香を楽しむように鼻を近付け、口をつけた。
ゾロシアが、笑ったように見えた。


「俺の詫びは受け取ってもらえたようだ。それじゃあ今度は、そっちの詫びを入れてもらおうか」
ゾロシアは不意にグラスを持つ手を掴んでサンジーノを引き寄せた。
咄嗟に体を捻り、防御のために足を振り上げようとして動きを止める。
・・・やべえ、蹴ったらまずい
ゼフの名代で来ているのだ。
トラブルは起こしたくない。

サンジーノの動きを目で見咎めて、ゾロシアはやけに上機嫌でその痩躯を膝の上に乗せた。
「ゼフ直伝の蹴りは仕込まれてんのか。生きのいいのは俺の好みだ」
「な、はあ?」
両手首を一まとめに掴まれて、空いた手でゾロシアはベルトのバックルを外し始めた。
本気で慌てて、サンジーノはゾロシアの膝の上でずり上がる。
「待て、ちょっと待て待て待て、なんの真似だっ」
「ああ?ゼフからの気の利いたバースディプレゼントだろ?」
濃い墨色の向こうで、ゾロシアの目が光った気がした。











「ん、の・・・やっ・・・」
ともすれば息が上がりそうになるのを必死で堪え、サンジーノは歯を食いしばってひたすら
ゾロシアを睨み続けた。
最初から抵抗する気はないとは言え、どうしてもじっとしていられない両手を自分のマフラーで
ひと括りにされて、ベッドに拘束されている。
強い意志で防御のための蹴りすら封じた両足はゾロシアの前で大きく広げられ、未だかつて
他人に触れられたことのない場所は、たっぷりとオイルを塗りつけられぬめぬめと濡れそぼっている。

「くそ・・・」
悔しくて気持ち悪くて、歯噛みしながらもサンジーノはゾロシアを睨みつけるしかできなかった。
ゼフの容態が不安定な今、下手な動きはできない。
こうして不本意ながら男の玩具になりさがっても、時間稼ぎできるくらいなら、きっとそれで
御の字なのだ。
「随分きついな、てめえゼフのイロじゃねえのか?」
「・・・っだ、誰がっ」
サングラスを外され、真っ赤に染まった頬をそのままにサンジーノは噛み付くように吠えた。
「初物くれたってのか。まあ、悪くねえがな」

やってねえ、俺はてめえに俺自身をやったつもりは毛頭ねえ。
言いたいけれど上手くは言えず、サンジーノは頭の中で思いつく限りの呪詛と罵声を唱え続けた。
その合間もゾロシアの指は容赦なくサンジーノの秘部を探り、強引に割り開いては進入していく。
「うえ、く・・・」
未知の痛みと圧迫感で、サンジーノは顔を歪めながらも唇を噛み締めた。
スーツはそのままに下半身だけ剥き出しにされて、広いベッドで男に弄くられるなんてあり得ない。
この現実に眩暈がしそうだ。
いっそすべて蹴り飛ばして逃げ去ってしまいたいが、それも許されないことだと知っている。

「俺見て勃つか、・・・変態野郎!」
ペッと唾を吐いて、せせら笑って見せた。
返事の代わりにぐりっと内部で指を曲げられて、悲鳴を上げて身体を撓らせる。
「へなちょこの優男だが、なかなかいい筋肉ついてるじゃねえか。気の強いのはそそられるな・・・」
ゾロシアはサンジーノに見せ付けるようにして、その眼前でベルトを緩め前を寛げた。
完勃ちしたそれは赤黒く怒張して先端に露を滲ませ、そそり立っている。
サンジーノは思わず顔を背け、括られた両手を握り締めた。

抵抗のない膝を立たせて、ゾロシアはぬめりに己を宛がうと一気に腰を進めた。
声にならない叫びを殺して、痩躯が跳ねる。
先ほどまでの指など比べ物にもならないくらい、激しい痛みが脳天を突き抜け、呼吸すらも危うくなった。
「きちい・・・ぜ、クソっ」
忌々しげに口を歪めながら、ゾロシアはそれでも乱暴に腰を揺すっては己を捻じ込み、無遠慮に押し入ってくる。
「・・・くはっ、く・・・」
サンジーノは乱れたシャツの襟を噛んで、必死に耐えた。
ゾロシアはサンジーノの尻を持ち上げて強引にすべてを納めてしまうと、結合部に乱暴にオイルを垂らして
そのまま挿迭を始めた。

「んひっ、ひいっ・・・」
痛みに慣れぬ内に内臓から突き上げられて、サンジーノは反り返ってくぐもった悲鳴を上げる。
括られた両手を無意識に突っぱねて、腕が痺れた。
豪奢な天井を隠すようにゾロシアの陰が覆い被さり、サングラスをかけたままの男は冷たい笑みを浮かべて腰を
揺らしている。
「おら、もっと腰使え」
視界がぶれるほどに揺さぶられて、サンジーノは襟を噛んだままゾロシアを横目で睨みつけた。
「ったく、ど素人がっ」
舌打ちとともにシャツの下から差し込まれたゾロシアの指が、胸の尖りを強く抓る。
「・・・い、いあっ・・・」
「締めるばっかで、芸のねえ野郎だ」
嘲笑しながらも、秀でた額にうっすらと汗を掻いて、ゾロシアは狂ったように腰を打ちつけてくる。

せめて意識は失うまいと、この顔を忘れるものかと、サンジーノは魅入られたように自分を犯す男の顔を凝視し続けた。
激しく腰を動かしながら、ゾロシアはスーツの裾を翻し、取り出した拳銃をサンジーノの額に押し付ける。
「生意気な野郎だ。素人のクセに、無茶しやがる」
ぐりぐりと銃口を額に押し付けられながらも、サンジーノの視線は揺らがない。
ゾロシアはふんと鼻で笑って、噛み締めた口元に手をかけた。
強い力でもって顎を抉じ開け、銃口を無理やり押し込む。
「こっちにも、ぶち込まれてえか?」
喉の奥にまで押し込むようにして拳銃を突きつけ、撃鉄を引いた。
サンジーノは声を立てず、突きつけられた銃口に歯を立てて、燃えるような目で睨み返す。


「上等だ。てめえのそのクソ生意気な面に、ぶち込みてえ」
ゾロシアは満足そうに笑って、引き金を引く代わりにサンジーノの中で吐精した。



















マフラーを外され自由の身となっても、痺れた感覚はなかなかとれなかった。
どこもかしこも軋んで、身体が悲鳴を上げている。
サンジーノは豪奢な天井絵をぼんやりと眺めたまま、衣擦れの音を聞いていた。

ゾロシアはことが終わると、自分だけ身支度を整えさっさと部屋を出て行った。
扉を大きく開け放したまま。
――――サド野郎め
陵辱の跡もそのままに寝乱れた身体をなんとか起こして、サンジーノはベッドの上で小さく呻いた。
バタバタと、廊下を走る音がする。
サンジーノは慌てて、足首に絡まったままだったズボンと下着を履き直し、引き上げた。
ベルトを合わせる手が震えて、上手く行かない。

「サンジーノっ」
元からでかい声を一層張り上げて、パティが飛び込んできた。
続くカルネは戸口で一瞬躊躇い、それでもおずおずと近寄ってくる。
「・・・大丈夫か」
なんとかズボンは身に着けたとはいえ、シャツの乱れとベッドの様子からなにがあったかはモロわかりだ。
サンジーノは舌打ちしてスーツの襟を直すと、マフラーを首に巻きサイドテーブルに置かれたサングラスを掛け直した。
「これで役目は終わりだろう。帰るぞ」
立ち上がろうとしてふらつく。
だが助けようとしたパティの手を拒み、しゃんと背筋を伸ばした。

階下へと降りるエレベーターから、廊下越しに吹き抜けのホールが見える。
さっきまでと変わらず、和やかな談笑が続くパーティ会場。
サンジーノは視線を走らせてその場にゾロシアの姿を探したが、見つけることはできなかった。












来た時と同じように、車のシートに深く身体を沈める。
まだ残る鈍痛と陵辱の記憶に、喚き出したくなるのを必死に堪えて、サンジーノは毅然と前を向いていた。
広大な庭を通り過ぎ、鉄の門を抜けて遠くに街の灯りが見える頃、無意識にほっと息を吐いた。

「生きて帰って来れただけで、運がよかった」
カルネがぽつりと呟いた。
「ドン・ゾロシアは、自分が気に入らないと思っただけで躊躇いなく撃ち殺すらしい。どんな人間でも。
元は刀が獲物らしいから、ピストルで殺るのは奴にとって殺しの内にも入らねえんだろう」
そんな奴に俺を引き合わせたのか。
サンジーノは沸々と湧いてくる怒りで熱くなる頭とは裏腹に、腹の奥が冷たく重くなっていくのを感じていた。

よしんば俺が殺されたとしても、バラティエの関係者でも正式な跡取りでもねえ。
報復行為はお互いに避けたいところだ。
使い捨てのコマにするには、これほど都合のいい奴はいなかったってことだ。

パティは弾かれたように腕をばたつかせて、懐から携帯を取り出した。
着信ランプが光るそれを、不釣合いなほどでかい顔の横に当てて声を張り上げる。
「俺だ、どうした?・・・ええっ、ほんとかっ!」
サンジーノとカルネの顔を交互に見て、興奮に鼻を膨らませる。
「よし、わかった!わかったぞっ」
太い指でなんとか携帯を押して、紅潮した顔を一層赤らめた。

「ドン・ゼフの意識が戻った!このまま病院に行くぞっ」
「ほ、ほんとかっ」
カルネが感極まった声で叫ぶ。
「ヤマは超えたらしい。手術は間に合ったようだな」
パティも顔をくしゃくしゃにして、サンジーノの肩を抱いて揺さぶる。

サンジーノは小さく息を吐き、サングラスとマフラーを外しカルネの顔に軽く投げつけた。
「ここで車止めてくれ、俺は降りる」
「ああ?なに言ってんだ?」
街に差し掛かり、流れる景色は賑やかだ。
サンジーノはパティを横目で見て、馬鹿にしたように舌打ちした。
「俺をこのなりでジジイに合わせて、どう説明する気だ。今夜のこれは、なかったことにするんじゃねえのか」
「・・・あ」
「てめえらも、これきり忘れろ。俺も忘れる」


サンジにはわかっていた。
ゼフは由緒正しいマフィアの家に生まれながら、子供の頃から料理人になりたいと密かな夢を抱いていた。
勿論それは叶うはずもなく、けれど同じ志を持つサンジにその夢を託して育ててきたことを。
お互いに口にしないまでも、料理に対する情熱は分かり合える同志だ。
パティ達には恐らくは理解し得ない、二人だけの暗黙の了解。
だからこそ、今回こんな形でサンジーノがファミリーに関わったことをゼフが知ったら、絶対に許さないだろう。





「本当に、大丈夫か」
「くどい」
スーツ姿のまま、ポケットに手を突っ込んで、サンジーノは振り返らず歩道を歩いた。
黒塗りのベンツは暫しゆっくりと併走したが、やがてスピードを上げて夜の街へと消えていった。

煌びやかなネオンが瞬く街角は、夜が更けてぐっと冷え込んでいる。
――――マフラーだけでも、持ってくりゃよかったか
勿論、マフィアっぽくじゃなく、普通にマフラーとして首の辺りにぐるぐる巻くのだ。
自分には、その方がずっと似合いだ。

――――もう二度と、会うこたあねえよな。
住む世界が違う。
今でも怒りと屈辱で、目の前が赤く染まりそうだ。
殺したいほど憎んだけれど、だからとっとと死んで欲しいとも思わない。
所詮、違う世界の人間だ。
奴はこれからもその手を血で染めて、他人を貶め、犯し、食らって修羅の道を行くのだろう。
憎しみに彩られた瞳の前でしか、奴は笑えないんだろうか。


サンジーノは空を見上げた。
今にも白いものが舞い落ちてきそうに空気が凍り、吐く息が煙る。




もう二度と、会わない。
世界が違う――――

バラティエ・ファミリーともこれが最後だと、そう決意して再び歩き出した。
明日からは、元の日常が戻るはずだから。









どんな運命の悪戯か
ドン・ゼフの死去に伴い、正式にバラティエ・ファミリーのドン・サンジーノとして襲名することになるのは、
それから僅か半年後のことだった。




END




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