■お風呂考


転がっていた洗い桶を伏せ直すと、僅かな振動がタイルに伝わってカッポーンと小気味良い音が響いた。
夜の大浴場は、まったりとして気持ちがいい。
大人数でも対応できる広さを独り占めってのが、またいい。

サンジは身体に付いた泡を綺麗に洗い流してから、湯船に浸かった。
ナミとロビンが入った後の風呂だからか、余計芳しい匂いに満たされている気がする。
「ナミすわんとロビンちゅわんの、後風呂・・・うえへへへ…」
うっかり声に出して変態染みたことを呟いたら、鼻の奥が熱くなってくる。
いかんいかん、この場で鼻血を出したらのぼせてしまう。
せめて残り湯からエキスを―――とさらに変態染みた思考に移りかけたところ、脱衣所に人の気配がした。
どうやら、女湯妄想パラダイスは終わりを告げてしまったようだ。

現れたのは、天敵と呼ぶに相応しい緑頭だった。
ゾロは、海上で暮らしているにもかかわらず週に一度しか風呂に入らない。
サンジから見れば信じられない、超物臭な不潔男だ。
そんなゾロにしては稀な入浴タイムに、なぜわざわざ被ってしまったのか。
前も隠さないで堂々入ってきたゾロから、サンジはさり気なく視線をずらした。
せっかく脳内がピンク妄想に染まっていたのに、一気にテンション下がるじゃないか。

風呂で出くわしたからと言って、「よう」とか「おう」とか声もかからない。
さりとて沈黙も気まずくて、サンジは顎を湯に浸けたまま視線だけ上げた。
「珍しいな、てめえが風呂とか」
「そろそろ入る頃合いだ。っつか、てめえいつも俺に臭えとか風呂は入れとかうるせえくせに」
「だからって、俺の入浴タイムを邪魔することねえろうが」
「こんな広え風呂場で、俺一人が加わったくらいで邪魔モン扱いすんじゃねえよ」
ゾロが言うこともいちいちもっともなので、サンジはそれ以上言い募らず憮然としたまま浴槽に肘を乗せる。
ちゃぷんと、滴る水の音だけがやけに大きく響いた。

ゾロは、週一ペースの入浴ではあるが、いざ風呂に入る時はきちんと身体を洗ってから湯船に浸かる。
なんとはなしに、そんなゾロの挙動をぼんやり見ていた。
まず頭を濡らし、石鹸を直に後ろ頭に擦り付ける。
そうして乱暴に泡立ててから、首から肩、胸に腰と泡だらけの手で撫でていく。
ボディタオルなど使わないから、手が届かない肩甲骨の下辺りとかは、流れ落ちる泡でしか触れていない。
そんなことも構わず両手で太腿から足まで洗い、腰を浮かして股間をゴシゴシ擦った。
サンジが傍にいようが見ていようが、まったく気にしていない。
これが逆なら、自分はどうしただろうか。
もし、身体を洗うところをゾロにじっと見られてでもいたとしたら、とてもじゃないがここまで大胆に振る舞えないだろう。
そもそも、男の入浴シーンなんてみっともないだけだ。
なんで俺は、こんなのじっと盗み見てなきゃならないんだ。

一瞬でも我に返って、サンジは小さく舌打ちして顔を背けた。
それでいて、ゾロの気配を感じ取ろうと耳を澄ましてしまう。

ゾロの仕種は乱暴だが、洗い方は丁寧だ。
以前、チョッパーと一緒に入っているのを見た時は、チョッパーの手では届かない背中を上手に洗ってやっていたっけか。
ゾロは、われ関せずの一匹狼タイプに見えて、意外なことに面倒見がいい。
以前、それとなく故郷の話になった時、子どもばかりが通う道場で一緒くたになって育ったとも聞いた。
同年代の友人も多いし、自分より下の子の面倒を見ることも慣れていたのだろう。
サンジとは全然違う。
物心ついてより、ずっと大人に交じって働いていたサンジは、同世代の子どもと過ごした経験がない。
この船に乗って初めて得た、同じ年回りの仲間達だ。
特に幼さを残すチョッパーは、可愛いとは思うがどう扱っていいのかわからないことが度々あった。
そんな時、ゾロのさりげない・・・それでいてどっしりと落ち着いた言葉がけはチョッパーだけでなくサンジもちょとドキッと来るほど頼もしく見えた。
いや、ドキッてなんだよ。

自分の思考の転落っぷりに俄かに気付いて、サンジは湯を掬って肩を撫でた。
いかんいかん、なに考えてんだ俺は。
せっかくの、ゆったりとしたバスタイムが台無しだ。

メリー号の頃の小さなユニットバスでも、真水が浴びれるだけでありがたかった。
サニー号に変わり、いつでも湯を使える簡単便利な大浴場が設えられ、海賊船とは思えないほど快適なライフスタイルになったものだ。
思えばメリー号の頃から、ゾロはルフィと共に週一ペースの入浴だったか。
特に言及したことはないが、なんとなくだがこの二人はわざとそうして来たように思える。
サンジの、料理人たるポリシーからも毎日入浴は欠かせないが、ゾロやルフィぐらいの無頓着さの方が海賊には向いているだろう。
入浴しかり、睡眠しかり。
ゾロは今でも、不寝番に限らず明け方まで起きていて、睡眠時間は3時間程度だ。
その分たっぷり昼寝をしているが、それも仲間が誰かしか起きて傍にいる時ぐらいか。
例え一人で船番している時に船を漕いでも、他人が近付く気配には聡くすぐに目を覚ます。
無防備に意識を失うのは、瀕死の重傷を負った時だけなのだろう。

つらつらと考えている内に苦い想い出も蘇って、サンジは浴槽に肘を乗せ唇の裏側を軽く噛んだ。
ロビンが仲間に加わった当初も、ゾロだけがいつまでも警戒を解かなかった。
用心深いのは臆病さの裏返しだと、内心でせせら笑ったものだ。
だがきっと、ゾロが用心深いのは自分のためじゃない。
ルフィを始め同じ船に乗る仲間達のために、ゾロは誰よりも注意深く慎重に物事を見極めようとしている。
そして多分、その守るべき仲間の中に自分だって含まれている。
それはとても悔しい事実なのだけれど、ほんの少し嬉しくもあって――――


「―――おい」
常時湯沸し状態にある風呂は、いつでも快適快温だ。
いまだって、ほかほかと立ちのぼる湯気は消えることなく、サンジの頭まで包み込んでくれている。
「おい、茹蛸みてえだぞ」
だれがタコだ、人をタコ呼ばわりする奴がタコなんだこの緑ダコ。
「おい!」
がしっと肩を掴まれ引き上げられた。
だが、いつもなら高く感じるゾロの掌の熱さえわからない。
むしろ、ゾロの手が冷たく感じるなんてレアだ。

「しっかりしろ、この馬鹿」
だから、人を馬鹿呼ばわりする奴が馬鹿なんだって―――――

サンジの意識は、そこで途切れた。




「湯中りだね、なんでのぼせるまで風呂に入ってたんだ?」
円らな瞳で問いかける、チョッパーの素朴な疑問すら痛い。
サンジは頭に濡れタオルを乗せ、悔しさに言い返せもせずただストローを噛み締めた。

ゾロのことを考えていたらいつの間にかのぼせてしまっていただなんて、とても言えない。
しかもお互い全裸状態で介抱され、そのまま医務室に運ばれただなんて、とてもとても。

自分の存在ごと記憶消去してしまいたい。
サンジの黒歴史がまた一つ、刻まれた夜だった。


End







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