野分 -7-


「なに言い出してくれてんだ鼻ぁーっ」
当然のごとくキレたサンジを全力で押さえ、なんとかカウンターに座らせる。
カヤは両手を組んでテーブルに置き、毅然とした態度でサンジを見つめた。
「サンジさん、ゾロさんとのお付き合いのことで悩んでおいでですか?」
対してサンジは、ぱくぱくと酸欠の金魚みたいに口の開け閉めを繰り返している。
「その姿勢はとてもいいことだと思います。真剣に相手のことを想えば想うほど、慎重になるものですから」
とてもいいことですよと、噛んで含めるみたいに優しく繰り返す。
「知識がないまま、感情の赴く通りに行動されるのは男女間でも好ましいことではありません。ですからお2人がとても慎重に、理性的にお付き合いをなさっているのは素晴らしいことです」
だからこそ、協力したいんです。
決して驚くでも哀れむでも茶化すでもない、カヤの真摯な眼差しにサンジはとうとう折れたのか、俯いたままぼそぼそと語り始めた。


ゾロと想いは通じ合ったけれど、その先をどう進めればいいのかわからないこと。
ゾロはなにか我慢しているように思えること。
自分に何ができるのか、知りたいと言うこと。
カヤはそれらの質問を丁寧に聞いていた。

カヤはとても聞き上手だ。
ウソップと他愛無い世間話をしている時でさえ、その威力は発揮される。
なにを聞いても頭から否定せず、まず肯定から入り、同調し相手の言動を認めた上でさり気なく、けれど妥協せずに意見を述べる。
ウソップ自身、カヤに話し過ぎたかなと反省することはあっても話したことを後悔することはない。
すべてはカヤの胸の内にのみ留めてもらえる。
そんな度量と信頼感がカヤにはある。

「素敵ですね、ゾロさんは本当にサンジさんのことを大切になさっているんですよ」
傍から聞いていてもじれったくて痒くなるような2人の幼い変遷を、カヤは感動の溜め息と共に賞賛した。
「私は女性の身ですが、ゾロさんの葛藤は判る気がします」
「そう、なの?」
「ええ、でもそれはすべてサンジさんを愛しいと思うが故ですよ」
言いながら、カヤはふとウソップを振り返った。
「スケッチブック、使ってもいいですか?」
「ああ、どうぞ」
いつも持ち歩いている数冊の中から、適当なのを差し出して鉛筆も渡した。

「早速ですが、具体的に図式を描かせていただきますね」
カヤはウソップほどではないが、まあまあ絵が描ける。
ただ写実的と言うか非常に現実的な線なので、図解に向いていて芸術性はない。
それは多分、こういった仕事の面で発揮されるべき能力だろう。
「このような形になってますでしょ」
「え?」
「ここが、こう」
「え、でも俺のは・・・」
「あ、こうですか?」
「そうそう」
「その場合、こうするとこうなりますね」
「あ、うん」
「ゾロさんは、恐らくこっちですよ」
「ふうん」
2人仲良くカウンターに並んで腰掛け、寄り添うように顔を寄せている。
そんな後ろ姿を見ながら、ウソップはそっと外に出た。
もう自分の出番はないと悟ったからだ。



外に出てみれば、天気はいいが山の影が随分と伸びて足元は翳っていた。
そよぐ風は冷たく、秋の夕暮を感じさせる。
焦って火照った頬には、その冷たさが心地よい。
砂利が敷き詰められ、区画をロープで張られただけの駐車場はあちこちに雑草が生えていた。
どれ、としゃがんで手慰みに引っ張る。
案外と楽に抜けて、土の付いた根っこが現われた。
「へえ」
こりゃ面白いとばかりに、順番に抜いていった。
固い地面が露わになっている場所は、やはり根がしっかりしていて抜きにくい。
たやすい砂利の中ばかりを選んで、ウソップはしばし草むしりに精を出した。

手元が翳ってきて、指先がかすかにかじかむ。
気が付けば、空の色が青からオレンジへと変わっていた。
本格的に日が暮れてきたらしい。
つい夢中になっていたなと、改めて顔を上げて窓越しに店の中を見た。
カヤとサンジは額をつき合わせるようにして俯き、笑っている。
2人とも随分とリラックスした表情だ。
どうやらいい相談ができてたらしい。

そろそろいいかと立ち上がり、腰に痛みを感じて再び膝を折る。
「あって〜」
ずっと同じ姿勢で屈んでいたせいか、なんだか腰が痛い。
どんだけおっさん臭いんだとわが身を呪いながら、中腰でのろのろと歩いた。
「おう」
ドアを開ければ、カヤが弾かれたように金髪を揺らして振り向いた。
「おかえりなさい」
「お、悪いな。すっかり草むしりしてもらって」
「見てたのかよ」
へへへと笑いながら、後ろ手でドアを閉めた。
店内は外よりは暖かいが、やはり夕方になって室温も下がってきている。
「カヤ、寒くないか」
「そうですね、少し」
「冷えてきたな。そろそろ帰ろうか」
迎えを呼ぶよと携帯を取り出したサンジの後ろで、車のエンジン音がする。
「お、ナイスタイミング」
外に借り物のバンが止まった。
ゾロは扉を開けて降り立ち、窓ガラス越しにコンと拳を軽く付けた。
つなぎの作業服に長靴、首にはタオルで帽子は農機具メーカーのロゴ入りと、いつものスタイルだ。
手を振り返すサンジの表情がなんだか可愛らしくて、ウソップはつい視線を逸らせてしまった。



「急に外の景色が暗くなりましたね」
「夕暮となると早いからな」
それぞれ荷物を持って車に乗り込む。
店の戸締りを済ませ、サンジは助手席に座った。
「ヘルメッポ達は先に家に来てんぞ」
「ああ、そういやたしぎちゃん達は買い物行ったって」
「とりあえず肉と酒だけ買ってきたらしい。帰ったらすぐ鍋だ」
「楽しそう」
カヤの弾んだ声に、サンジはにっこりと振り返った。
「鍋奉行はスモーカーだぜ。俺の出番はなしだ」
「楽しみです」

屈託のない2人を見て、ウソップはほっと胸を撫で下ろした。
一時はどうなるかと思ったが、やはりカヤに任せておいて正解だったらしい。
ともかくこれで、ゾロとサンジの仲が進展してくれればいいの・・・だろうか。
や、別に推奨したくはねえんだけどよ。
2人が仲良くしてくれんのは友人としてすごく嬉しいけど、具体的にどうのこうのってのは聞きたくねえし。
むしろ想像すらしたくねえし。
今晩これでうまく行きましたとか、報告すら聞きたくねえし。
ぶっちゃけもう二度と、係わり合いになりたくありません。

「カヤ・・・俺たちだけでもホテルに帰らねえ?」
そっと呟いてみたら、じろりとカヤらしからぬきつい目つきで睨み返された。
「ダ・メ・です」
はい、すんませんです。





ゾロの家はすでにストーブで暖められ、炬燵の上にセットされた鍋はぐつぐつと煮立っていた。
ちょうど食べごろのタイミングで帰宅し、先に始めようとしていたヘルメッポに文句を言われる。
「もうちょっと遅れてきたら、野菜鍋にしてやったのに」
「なにほざいてやがる、そうは行くか」
「カヤちゃん、こっちこっち」
「誰だ、鍋の横にビール置いたの」
「立ってるついでに卵持ってきて」
「白菜足らねえ」
「レタスの鬼葉、入れようぜ」
大所帯で賑やかに、一つの鍋をつつく。
入れた傍からどんどん取られるから、油断も隙もないサバイバル鍋だ。
相手がたしぎだろうがカヤだろうが遠慮はなく、肉など入れた途端に箸で浚われる。
「ダメです、まだ身が赤いじゃないですか!」
「もう火が通ってる」
「スモーカーは焼肉でも肉焼かないもんな」
「炙るだけだろ」
「やばいって、マジダメだって豚肉は!」
「鶏もダメー!」
自分達の分は死守すべく、狙いを定めて投入した肉を箸でずっと押さえていなければならない。
最初は戸惑っていたカヤも、途中からきゃあきゃあと声を上げながら必死で箸を持っていた。
「こら、カヤのに手を出すなっつってんだろ」
「肉、ないっすよ」
「だからって取るな、つか俺の取り皿から取るなー!」
「牡蠣見っけ」
「底浚え」
「なんで白菜の軸ばっかり」
「はい、キャベツ投入〜」
「だから野菜ばっか追加すんなよ!」
「ビール入れるか?」
「それはすき焼きだろうがっ」
最後は闇鍋の様相を呈しながらも、しっかりと雑炊で占めた。

「あー美味かった」
「美味しい・・・でもお腹いっぱい・・・」
「笑いすぎて腹いてえ」
したたかに酔っ払って妙なテンションで転がる中を、一人素面のゾロが甲斐甲斐しく片付けている。
「適当に転がってろ、俺はウソップ達をホテルに送ってく」
「・・・ん〜・・・たのむ〜〜」
サンジは既に手枕でムニャムニャ状態だ。
「悪いなあ」
「構わん、いつものことだ」
眼鏡を掛けたまま寝ているたしぎには毛布を掛け、その他には座布団やら風呂敷を適当に掛けて皿だけシンクに集める。
足元がふらつくカヤを支え、ウソップもまた千鳥足で玄関に向かった。

「こんなことならホテル取るんじゃなかったな」
「今度来るときゃうちに泊まれ」
カヤを後部座席に寝かせて、ウソップが助手席に回った。
そうだなと返事してから、改めていいのかと尋ねる。
「狭い家だが、なんとかなるだろ」
「これから暫くは、俺一人でこっち来ることになると思うけど」
「色々手続きが必要だからな」
俺も移住する時そうだったと言うゾロに頷いてから、ウソップは「ああ〜」と酒臭い息を吐いて片手で顔を覆った。
「けどマジでどうしようかなあ」
「あ?なにがだ」
緩やかに発進する振動に揺られながら、ウソップは誰にともなく呟いた。
「マジどうしよう、こっち引っ越して来んの躊躇う気持ちもある」
「そりゃあそうだろう」
ゾロは前を向いたまま頷いた。
「今までの暮らしってものもあるし、仕事だってあるだろ。そう簡単に決心着くもんじゃねえよ」

―――や、問題はそこじゃないです
ウソップは突っ込む代わりにぐうと唸って、助手席に身を埋めた。





明けて翌日――ー
「大変お世話になりました」
丁寧に身を折って深々と頭を下げる。
カヤの仕種につられるように、ヘルメッポ達もへへーと平伏した。
「もう帰っちゃうのかい、カヤちゃん」
「もっとゆっくりしてったらいいのに」
「そうそう、カヤちゃんだけでも」
「だから俺は無視かよおい!」
たった一日ですっかりアイドルと化したカヤに、駅のおっさんも窓口の向こうで頷いている。
「昨夜はごめんね、私途中から全然覚えてないわ」
結局ゾロ宅で雑魚寝したたしぎは、カヤが帰ると聞いて駅まで見送りに来てくれた。
「きっとまたこっちに来てね、いつでも大歓迎よ」
「はい、ありがとうございます」
お互いにメアドを交換して、別れを惜しむようにハグし合っている。

「これから忙しくなるよな、しょっちゅうこっちに来るんだろ」
全開の笑顔でウキウキを隠せないサンジに何故かちょっと意地悪な気持ちが湧いて出て、ウソップはう〜んと難しい顔をして見せた。
「こっちに越してくる話なあ、まだ保留で」
「え?なんで?」
いいとこだろう?と、一転して悲愴な顔つきになる。
そんな目で見られると、つい怯んでしまうじゃないか。
「や、いいとこはいいとこだけどよ。現実的な問題があってだな」
「問題って、ぶっちゃけ金銭的な問題か?それともやっぱりカヤちゃんちの事情が・・・」
「んーまあ、色々」
「そりゃそうだ、自分一人でも結構オオゴトなのにウソップは家族を連れての引越しになるんだ、難しいことはあるだろうよ」
ゾロに助け舟を出され、サンジはなんだか泣きそうな顔でぐっと押し黙っている。
だからそんな目で見るなよ。
やっぱりこっちに引っ越して来るって、口走りそうになるじゃないか!
「まあおいおい考えればいい、ここは逃げねえから」
「そう・・・そうだな」
最後の方はサンジに向けて言うゾロを見返し、鼻の頭を赤くしながら健気に頷いている。
あああああやっぱり、こんな2人をこれからずっと傍で見せ付けられるのかと思うと決心が鈍るぜ。

「そろそろ電車が来るわよ」
「乗り遅れたら、1時間後な」
ヘルメッポにからかわれ、もう行かなくちゃとカヤが名残惜しそうに振り返る。
「カヤちゃん、色々ありがとう」
「こちらこそ。ちょっと待っててくださいね」
こそっと内緒話をするように顔を寄せ、微笑み合っている。
そうしていると、なんだか兄妹みたいに見える。
「昨日考えたんですけど」
遠くの踏み切りが鳴って電車の影が見えてきているのに、カヤはおっとりと首を傾げた。
「ナミさんならこう言うだろうなって」
「ナミさんが?なになに?」
目を輝かせるサンジに、カヤは天使の微笑を浮かべたまま言った。
「ごたくはいいから、とっととやっておしまいなさい」

「――――・・・・・・」
うっかり声が聞こえて動きを止めてしまったのはサンジとウソップ、それにゾロ。
カヤはニコニコ顔のまま、それじゃあと手を振った。
「また来ますね、たしぎさんも皆さんお元気で!」
「またね〜」
「カヤちゃーん」
「また来いよ」
事情を知らない背後の4人はぶんぶんと手を振り、それらに見送られながらカヤとウソップは電車の窓越しにいつまでも手を振っていた。

遠ざかる一両車両を見送る4人が去った後も、ゾロとサンジだけはまだ呆然と構内に佇んでいた。




END


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