■にわか雨のあと


休憩時間に散歩がてら、角のタバコ屋にまで足を運んだ。
看板娘のおばちゃんとはもう顔馴染みだ。
商店街の外れにある寂れた店だが、年齢確認の煩わしさからは解放されるし自販機でちまちまと買うのも面倒臭い。
せっかくだから買い溜めしたいけど懐的には厳しいかなあと、考えていてふと足を止める。
風に混じって、濡れたアスファルトの匂いがした。
一雨来るかと空を見上げると、見る間に黒い雲が次々と沸いて出て視界を覆うように広がった。
「げ」
ゲリラ豪雨の予感がして、ちょうど青に変わった交差点を一足飛びに渡った。

シャッターが下りた店の軒先に辿り着いた時点で、ポツポツと足元に滴が落ちてきた。
後を追うように、サラリーマンらしき男もサンジに続いて軒先に飛び込む。
間髪入れず、バケツをひっくり返したような雨がいきなり降り出した。
「あっぶね・・・」
思わず声に出して呟いて、そのことが気恥ずかしくなりそっと隣の男を盗み見る。
サンジの呟きなど耳に届かなかったのか、男は眉間に皺を寄せて空を睨んでいた。
珍しい鮮やかな緑色の短髪だ。
サンジと同じくらいの背丈だが肩幅ががっちりとして、スーツ越しにも鍛えているのがわかる。
横顔はシャープだが、少々目付きが鋭すぎて近寄りがたい雰囲気だ。

――――まあ、野郎なんてどうでもいいけど。
相手がサンジなど眼中にないように空を見上げているのをいいことに、ついしげしげと観察してしまった。
雨宿りの間なんて、手持ち無沙汰だから仕方ない。
ここで一服したいところだが、さすがに一人ではないから遠慮した。
もしかしたら路上喫煙が禁止の場所かもしれない。
とかく、喫煙者には住み辛い世の中だ。

叩きつけるような雨音と水飛沫が、軒先にいる二人の靴先を濡らす。
吹き寄せた枯葉で排水溝が塞がれたのか、見る間に路肩に水が溜まって風に煽られ円を描いた。
ちょっとした洪水だ。
スニーカーが濡れちまうと、うんざりとした気分で男と同じように空を見上げる。
閃光が走り、間を置かずして腹の底に響くような雷鳴が轟いた。
「ひゃー・・・」
つい、声に出してしまう。
普段、戦場のような賑やかな職場で使いっ走りにされているせいか、なんでも口に出す癖が付いてしまったようだ。
ガキみたいだなと一人で恥じ入って首を竦めたが、隣の男はとくに気にした風もなく稲光を眺めていた。
ビカビカどんどんと、景気よく空が鳴る。
まるで頭上から叱り付けられているようで、これぞ雷親父と感心しつつ脳裏には厳しいオーナーの顔が浮かんだ。
早く戻らないと、アイドルタイムが終わってしまう。
煙草を買うのはもう諦めるとしても、この雨の中を飛び出して店まで戻るとなるとびしょ濡れになるだろう。
すぐに仕事に取り掛からなければならないとなると、軒先から出るのは躊躇われた。

どうしようかと考えている間に、徐々に雨脚が弱まってきた。
いきなり降るが、止むのもまた早い。
もう少し待っていればあっさりと上がるかも・・・と思っていたら、隣で「あ」と声がした。
釣られて振り向くと、緑髪の男が鞄の中を覗いて少々間抜けな表情をしている。
どこかバツが悪そうに、取り出したのは黒い折り畳み傘。
どうやら傘を持っていたのに、気付かずに雨宿りしていたらしい。
「―――――・・・」
「―――――・・・」
成り行きを見守っていたので、男とバッチリ目が合ってしまった。
相手が女の子なら爽やかに笑い飛ばしてお近づきになりたいところだが、男相手ではリアクションに困る。
けど、やっぱりちょっとおかしい。
――――――ふ・・・
うっかり口端を緩めかけたら、信号が変わる直前にトラックがノンブレーキで左折してきた。
直感で「ヤバい」と思うも、防ぎようがない。
目の前にたっぷりと溜まった水溜りを大きなタイヤが豪快に跳ね飛ばしていく。
泥水が眼前に迫ると思ったら、バンと音を立てて黒い影に遮られた。

間一髪で、男が傘を開いた。
足元は避けきれなかったが、脛から上は無事だった。
髪も肩も、泥の飛沫一つ受けていない。
「あっぶね」
サンジはまた呟いて、傘を正面に向けたまま肩を寄せるように立つ男を振り返った。
「あの、さんきゅ・・・」
今度はちゃんと男の顔を見て、小さな声で礼を言う。
男はチラッとサンジを見てから、飛沫が飛ばないように小刻みに笠を振って畳む。
「いや」
言葉短かに応えるが、向こうもなんと言っていいかわからないらしい。
野郎に庇われるなんてとサンジが不条理に思っているように、きっと相手だって野郎を助けるなんてと理不尽に感じているのかもしれない。
「あ―――」
男の左肩は、びっしょりと濡れていた。
咄嗟にサンジを庇ったせいで、自分の左半身まで気が回らなかったらしい。
「悪い、俺のせいだ」
「いや、別に」
やっぱり言葉少なに応えて立ち去ろうとしたが、足を踏み出したところでグギュルル〜とカエルの鳴き声みたいな音がした。
男とサンジが、同時に視線を下げる。
「腹、減ってるのか?」
「――――」
男はガシガシと頭の後ろを掻いて、「あー」とか「うー」とか不明瞭な声を出す。

「どっかで昼飯食うつもりが、時間がずれこんで店を見つけられなかった」
「そうか」
この辺はオフィス街で、そろそろ3時になろうかというこの時間ではランチタイムも終わっているだろう。
「よかったら、俺の店来ねえ?や、俺が働いてる店だけど3時から開くし、簡単なもんでよかったら作るよ」
「いいのか?」
「ああ、クソ美味ぇぞ。ただし、好き嫌いとか言ったら蹴り出すがな」
「なんでも食う」
じゃあ決まりだと、サンジは軒下から足を踏み出した。

いつの間にか雨は上がり、先ほどまでの黒雲が一体どこに消えたのかと不思議なほど空が明るくなっている。
水溜りを避けて踊るように足を運びながら、サンジは男を連れて青信号を渡った。



End





back