I love you.





もうすぐ、日付が変わる。




この船に乗り込んだことを、後悔したことなど一度もない。
むしろ、逆。
ほんの短い間だったけれど、とても幸せだった。
悔いなんて、ない。



これまで 何回、何十回となく料理を盛り付けてきた、四角いプレート。
クルーそれぞれに合わせた色で人数分 揃えたその皿は、サンジのお気に入りだった。
皿には小さな仕切りがあって、ワンプレート料理にも使えるし、前菜を盛り合せることも出来る。
クルーたちの顔を、ひとりひとり思い浮かべながら。
それぞれの皿へと、心を込めて作った それぞれの好物を盛り付けていく。




みんなに、感謝を伝えたい。
自分の出来ることは何だろうと考えて、やっぱり、料理以外 なにも思いつかなかった。
自分を、仲間にしてくれたこと。
信頼を寄せてくれたこと。
嬉しかった。
楽しかった。
毎日が幸せで、輝いていて、あっという間だった。




「…、よし」



全員分のプレートに盛り付けを終え、サンジが 満足そうに上半身を起こす。
さよならは、言えないけれど。
明朝 このプレートを見つけて、みんなが少しでも喜んでくれたらいい。
少しでも、自分が居た日々に思いを馳せてくれたらいい。
自分の作った料理を、みんなが美味しそうに食べてくれる顔を見るのが サンジの幸せだった。
明日から、その幸せは失ってしまうけれど。
それでも自分の心は、ずっと、この船とともに在るから。
ずっと、みんなの傍に在るから。




「…テメエ、なにやってんだ?」




突然 開いた、キッチンのドア。
呼び掛けてきた声に、サンジが思わず チッ、と唇の中で舌打ちをする。




「なにって、決まってるだろ。明日の朝飯の用意だ」
「それにしちゃ、豪勢じゃねェか」
「明日は、オレの誕生日だからな。ご馳走にしたんだよ」
「ハ、祝われる方が頑張ってどうすんだ。奇特な野郎だぜ」
「うるせェ、テメエの好物も作ってやったんだぞ。ちったあ ありがたがれ」
「頼んでねェっつうんだ、クソコック。ったく、いちいち恩着せがましいんだよ」




心底 煩そうにそう言って、ラックから勝手に酒瓶を引き抜く。
昨日までは、胸が張り裂けるような思いで聞いていたはずの、ゾロの冷たい言葉も。
今夜が最後だと思えば、どんな言葉ひとつですら 聞き逃したくないほど大切に思えた。




「…酒、勝手に持ってくんじゃねェよ」
「いいだろ、一本ぐれェ。どうせ、テメエの誕生日の宴用に、多めに仕入れてあるんだろうが」
「じゃあ、宴会の時には 一本減らせよ?」
「チッ。まずは、テメエの減らず口を減らしやがれ」
「はは。上手いこと言うじゃねェか、マリモ剣士のくせに」
「うるせェ」




小さく、笑いながら。
ぶすくれた表情のゾロの前に こん、と つまみを盛った皿を置く。

(これが、最後の皿だ)

そう思うと、何とも言葉に出来ない感情が、喉元に せり上がってくる。




ゾロは 今までも時々こんなふうに、酒を求めて 深夜ふらりとキッチンに現れた。
そのたびに、サンジは体中に緊張を纏って。
どうしたって早くなってしまう鼓動を、必死で押し隠して。
わかっているのに。
もう、充分過ぎるほど、わかっているのに。
いつもいつも、性懲りもなく、するだけ無駄な期待を ほんの少しだけして。
ゾロが、立ち去るまでの間に。
自分へと向けられる嫌悪のカタマリのような態度や言葉に、声も出ないほど打ちのめされてきた。




でも、それも。
今夜が、最後。




『20歳の誕生日までに、愛する相手と想いが通じなければ この世界から消滅』



その掟を、忘れたことなど一度もない。
前は、自分は20歳の誕生日を迎えるまでに、ゼフのものになるのだろうと思っていた。
そして、ずっとこの魚の形のレストランで暮らしていくのだ、と。
けれど あの日バラティエで、背を向けることなく正面から鷹の目の黒刀を受け、
血飛沫とともに海へと舞ったゾロの 鮮烈な姿を目にした あの瞬間。
サンジは一気に、狂おしいまでの恋へと落ちてしまった。

『愛する相手と想いが通じなければ、消滅』』

サンジは、ゾロと出逢ってしまったのだ。




(この恋は、きっと成就しない)



その予感は、ほぼ確信だった。
でもそれでも、サンジはゾロとともに海に出る道を選んだ。
子どもの姿で天界から堕とされて、それでも必死で生きてきたサンジを、此処まで慈しんで育ててくれた
ゼフの許を去るのは、身が引き裂かれるような思いだったけれど。
でもきっと、一度ゾロに奪われてしまった心は、ゾロに応えてもらえなければ満たされない。
どうせ叶わぬ恋だから、と ゼフの許に残っても、どちらにせよ 消滅を待つだけになってしまう。
ゾロ以外では、もう駄目なのだ。



どうせ、この世界から消えるなら。
最期まで、本当に愛した人の傍で生きたい。
そして、自分なりに精一杯、ゾロに この想いを捧げてみよう。
もしかしたら、万にひとつの奇跡が起きるかもしれない。
命を懸けたサンジの想いに、ゾロが応えてくれる日が来るかもしれない。
――…でも。




「…なあ、ゾロ」
「あ?」
「テメエ、まだ寝ねェのか?」
「なんで。別に、邪魔してねェだろ」
「…そうだけど」
「オレにしてみりゃ、テメエがウロチョロしてる方が よっぽど目障りだ。早く寝ちまえ」




そんな、サンジの願いは。
――…やっぱり、叶わなかったのだけれど。





「…ハ。目障りで、悪かったな」
「悪いと思うなら、消えろ。せっかくの酒が、不味くなる」





『消えろ』
ストレートな言葉が、グサリとサンジの胸を刺す。
それは、明日も明後日も、サンジが皆と共に この船で航海を続けていくに決まっている、と
ゾロが信じて疑ってもいないからこそ、出た言葉なのだとわかっている。
わかっている、でも。
それでも、今のサンジにとっては、泣き出してしまいたいほどに 辛い一言だった。


(だから、最後にコイツと顔を合わせたくなかった)


好きで、好きで。
何とか振り向いて貰いたいと心の底から渇望しながらも、意地っ張りな性格が災いして。
何も、言えなくて。
歩み寄ることすら、出来なくて。
それでも好きで、諦められなくて。
絶望しながらも、傍に居たいと望んだ。

そんな、かけがえのない相手に。
最後の、最後まで。
嫌われているのだという事実を突きつけられながら この世界から消えなければならないことは、
あまりにも辛く、寂しかった。




「…不味くなる、って言われちゃ…退散するしかねェな」




本当は、もう少し。
ギリギリまで、料理を続けていたかった。
この日に備えて ずいぶん前から、自分が消えてしまっても皆が食うに困らないだけの保存食や
ストック等は、充分に作り置いてある。
けれど、もう少し。
もう少しだけ、みんなのために。
そう思う気持ちを諌めて、サンジはレードルを置いて 静かに煙草に火をつけた。
壁に掛けられた時計の長針は、間もなく10の位置を過ぎる。
モタモタしていたら、ゾロの目の前で消えてしまうことになりかねない。





「ソレ。食ったら、皿、洗い桶に入れておけよ」
「おう」




こんなにまで愛した相手に最後に言う台詞が、こんな言葉だなんてな。
でも、まァ これくらいが、オレたちにはちょうどいいか。



好きだった。
ホントに好きだったよ、ゾロ。
オレは この世界に憧れて、天界を勝手に抜け出そうとして 罰を受けた。
なんの力もない子供の姿で堕とされて、この世界の厳しさを 嫌ってほど思い知った。
でも同時に、この世界に生きる人々の優しさや、暖かさも知ることが出来た。
テメエに逢って、人を愛するってことがどういうことなのか、ってことも知った。
出来ることなら、ずっと。
ずっとずっと、テメエの傍で生きて行きたかった。



オレが、この世界から消えた後は。
オレと関わった人々の記憶から、オレの記憶は段々と薄れて、最後には消えてしまうらしい。
寂しいけど。
でも、オレは忘れねェから。

オレを海に連れ出してくれた、オヒサマみてェな船長のことも。
強く逞しく、そして優しい キュートな航海士のことも。
勇敢で心優しい、嘘つき狙撃手のことも。
可愛くて強くてあったかい、非常食兼船医のことも。
クールで博学で思いやりに溢れた、美しい考古学者のことも。

そして、ゾロ。
テメエの、綺麗な背中も。
真っ直ぐな、金色の眼差しも…――





キッチンを出ようと、ドアノブに手を掛けて。
指先が、ほんのりと発光していることに気が付く。
ハッと気付けば、体全体を 薄い光のベールが覆い始めている。
まずい、時間がない。
慌ててドアノブを掴んだサンジの背に、少し躊躇うような ゾロの声が掛かる。




「おい、コック」




思わず、足を止めてしまったのは。
その声色が、ゾロにしては珍しかったからかもしれない。
振り向いた、サンジに向けて。
およそ彼らしくない 少し困ったような微妙な表情で、ゾロが小さく言葉を口にする。




「明日、テメエの誕生日が来たら。言いたいことが、あるんだが」




――…なんだろう。
そうは思ったけれど、どうせ自分に『明日』は来ない。
天界に、戻った後。
ゾロが一体 何を言おうとしていたのか、想像しながら日々を過ごしていくのもいいかもしれない。





「――…ケッ。どうせ、悪口かなんかだろ」
「違ェよ、アホ。っと、ガキだなテメエは」




呆れたように溜息をつくゾロに向けて、クス、と小さく笑ってみせる。
何も、知らないくせに。
最後の最後に そんな言葉を掛けてくれたゾロのことが、やっぱり、すごく好きだと思った。





「ハ。悪口以外に、テメエがオレに言いたい言葉なんて、想像もつかねェな」
「うっせ。腰抜かすぞ、テメエ」
「は?なんで」
「ああ、もう うるせェ。明日だ、明日」
「…そっか。じゃ、明日な」





ガチャ、とキッチンのドアを開ける。
さあっ、と 冷たい夜風が流れ込み、サンジの金色の髪を ふわり、と揺らす。




「あ?なんだ?テメエ。なんか、光ってないか?」




ゾロに問われて、ハッ、と 見下ろせば。
夜風とともに流れ込んできた夜の闇の中で、自分の体がハッキリと発光してしまっている。
慌てて、意味もなく パンパンとシャツの上から体を叩きながら。
ハハ、と渇いた笑い声をあげて、ヒョイ、と肩を竦めてみせる。




「今夜は、デカい満月が出てるからじゃねェ?月明かりが反射してんだよ、きっと」
「ふうん…」




納得行ったのか、行かないのか。
微妙な声色で呻いたゾロが、不意に ス、と金色の瞳を細めてサンジを見つめる。





「…月が、綺麗ですね」
「…は?」
「今夜は、月が綺麗ですね」
「え?なに??」




突然の脈絡のない言葉に、混乱するサンジの前で。
ゾロが ふ、と微笑んで、ガタリ、と椅子から立ち上がる。




「ま、つまりは そういうこった」
「…は?さっきから、一体 なにがなんだか」
「この続きは、甲板で月見酒でもしながら話してやるよ」
「でも…、オレには もう、時間が」
「お。そういえば、いつの間にか日付が変わってるな」
「、え!?」




バッ、と振り返れば、確かに。
キッチンの壁に掛けられた時計の長針は、0の位置より ほんの少し右側に…――





「…、なんで…――?」





なんで?
…なんで?だって。
自分は、消えてしまうはずじゃなかったのか?
この世界で、20歳の誕生日を迎える、その瞬間。
愛する相手と、想いが通じなかったら…――





「コック」




ハッ、と 振り向いてみれば。
穏やかに、優しい瞳をして笑う、ゾロの顔。





「誕生日、おめでとう」
「…、…」
「コラ。おめでとう、って言われたら、なんて返事するんだ?」




気が付けば、さっきまで体中を覆っていた 薄い光のベールも消えている。
なんだか、わけがわからないけれど。
もしかして、自分は。
この男の傍に居られるチャンスを、貰えたということなのだろうか……





「…、ありがとう…!」





嬉しくて、嬉しくて。
思わず、涙ぐみながら そう答えれば。
一瞬、金色の瞳を見開いたゾロが。
ぐっ、と唇を噛み締めて、ぎゅっ、と サンジを抱き締めた。







*****

『月が綺麗ですね』
    ……夏目漱石流『I love you』の和訳。



   *****



わ〜〜〜よかった〜〜〜〜
マジで、もうダメかと思いましたよ。
にあちゃんのゾロには毎回ハラハラさせられるんだけど、今回もギリギリで間に合った!
よかった、よかったねサンジ!!
サンジ自身が、意味がわかってなかったってのがすごくおかしいんだけど、神様にはちゃんと通じてたんだな(笑)
人魚姫にも通じる、秘めた切ない恋心にキュンキュンしてしまいました。
今日からも続く二人の幸せに乾杯したいです。ありがとうございます!


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