猫に名前をつけるなら  -2-



『子猫の里親、募集中』

食堂の壁に、早速手書きのポスターが貼り付けられた。
灰色で丸い塊の絵が脇に添えられているが、これはもしかしたら猫のつもりかもしれない。
「・・・写真、撮っといた方がいいんじゃねえか?」
ゾロのもっともな突っ込みに、サンジも「やっぱり?」と苦笑いする。
「俺ガラケーしか持ってないんだけど、写メ撮ってもそれを現像する方法がわかんなくて」
非常に、今どきの若者らしくないことを言う。
「俺のスマホで撮って、コンビニで何枚かプリントアウトしてやる」
「ありがと、世話掛けてすまねえなあ」
昼時に大量の客を捌きながら、隙を見ては小声で言葉を交わした。
ゾロもこの食堂に顔を出せるのは昼時だけだし、あまりゆっくり話せない。

「翌日に、病院には連れて行ってる」
「え?!」
サンジは驚いて、両手に皿を持ったままぐるんと首だけで振り返った。
「病院?どっか悪いの?」
「いや、まだ小せえしちゃんと健康状態診といてもらった方がいいから」
「あ、でも、すげえ高いんだろ?動物って」
「まあな、だが大丈夫だ」
一応、ゾロは金だけは持っている。
他に使う当てもないから、これくらいでしか使わない。
「大丈夫じゃないよ…あ、ありがとうございます!少々お待ちください」
お待たせしましたーと手際よく料理を配り、込み合うテーブルの間を縫って会計へと走った。
愛想よく客を送り出してから、カウンターに戻る間際にまたゾロに声を掛ける。
「あの、必要経費全部付けといてね。俺払うから」
「別にいい」
「いいことないって、猫拾ったの俺だもん」
押し問答になりそうなところで、新しい客が入ってきた。
「いらっしゃいませー、2名様ですか?こちら相席でお願いします」
ゾロは定食を平らげると、ご馳走さんと手を合わせて席を立った。



連絡先を交わしていなかったから、サンジと直接話せるのは混雑する昼時しかない。
それも途切れ途切れでしかないから、一度ちゃんと顔を合わせておかないと・・・と考えながら帰宅したら、ゾロが寝泊まりするプレハブの前に人だかりができていた。
「おい」
「お、お帰りだぞ」
作業員に囲まれていたのはサンジだ。
何事かと、思わずその場から駆け出した。
「なにやってる」
「お帰んなさい」
心配顔のゾロとは対照的に、サンジはにこにこしている。
「サンちゃんずっと待ってたんだぞ。寒いからおっちゃんの部屋来いって言ったのに」
「そりゃダメだって、俺らが止めた」
「事務所ん中はストーブ焚いてるからあったけえって」
「事務所ならまあいいか」
勝手に話を進める作業員を押しのけ、ゾロは割り込むようにサンジに身体を寄せた。
「猫、見に来たのか」
「うんそう、いきなり来てごめんなさい」

成り行きで猫を引き取ったゾロだが、当然のように仕事中は面倒が見られない。
最初の3日は動物病院に預かってもらって、退院してからは仕事の間だけ事務所に預けていた。
「こっちだ」
「じゃあ、失礼します」
サンジを囲んでいた作業員達に笑顔で会釈をすると、みんな嬉しそうにニヤニヤしながら手を振った。
酒焼けした赤ら顔のおっさん達ばかりだが、シラフの時は気のいい連中だ。

「ただいま帰りました、すみません」
ゾロは事務所に顔を出し、猫を構ってくれている年配の女性事務員に礼を言う。
サンジも後ろからひょこっと顔を出して、ゾロと並んで頭を下げた。
「猫を拾ったのは俺です。お世話になってすみません」
「いいのよ、私も時々食堂でご馳走になってるの。噂の看板娘さんの猫なら、責任もってお預かりしますよ」
女性は危なげない手付きで、子猫をサンジに手渡す。
「わあ、お前可愛くなったなあ」
雨に濡れてか細く泣いていた夜は随分と貧弱で毛もパサついていて、目だってろくに開いていなかった。
いまも左右の目の大きさが違うが、数日前より格段に元気そうだ。
「とりあえず俺の部屋来い」
「壁が薄いから、筒抜けですよ」
「なにもしませんよ」
女性とゾロとのやり取りに「?」となりつつ、サンジは大切そうに猫を抱いてゾロの後について行った。


「ここに住んでるんですか」
いかにも簡易宿泊施設っぽい部屋を、サンジは興味深そうに眺めている。
「工事が終われば解体されっからな、あくまで仮の住処だ」
「ロロノアさんは、いつもあちこちの現場に移って仕事してんですか?」
「ゾロでいい」
ポットに水を汲んで、電気コードを差し込む。
湯が沸くまでに、紙コップにインスタントの粉を入れた。
畏まって座ると、猫がサンジの手からずり落ちるようにして膝に乗る。
「まあ、年がら年中こんな感じだな。仕事がありゃ現場で働くし、休みの日は日がな一日ごろごろしている」
「自由人ですね」
「まあな」
ゾロはふと思いついて、ポケットからスマホを取り出した。
「せっかくだから、いま撮っとくか」
子猫に覆い被さるようにしてスマホを構えた。
が、猫はなにかを察したのか上向いて威嚇するようにニャーと鳴くと、サンジの後ろに回り込んだ。
「あ、こら大人しく写れよ」
「待て待て」
サンジが両手で抱き上げて、逆さまにしたところでシャッターを切る。
今度は寝かせて、次は仰向けにして、と色々と工夫を凝らした。

画像を確認し、二人してううっと首を竦める。
「か、可愛さしか写ってない」
「むしろどんな毛艶でどれくらいの大きさとか、全然わからねえ」
ひとしきり可愛さに身悶えたあと、サンジが一生懸命子猫の気を引き、ゾロは子猫の目線になるよう腹這いになって何枚か激写した。
そうやって苦労してなんとか、どんな猫か分かってもらえるぐらいの画像が出来上がった。
「うーし、美人ちゃんだなあ。お前、写真写りいいぞ」
サンジは猫をちまちまと構いながら、はてと首を傾げた。
「ところでお前、レディ?」
「メスだろ」
間髪入れずにゾロが応えると、じとっとした目線を投げてきた。
「ゾロのえっち」
「なんでだ」

やだよねーと猫と一緒に床に転がるサンジの側に、ゾロはコーヒーが入った紙コップを置いた。
「コーヒー入ったぞ」
ぴょこんと、猫のように頭だけ擡げる。
「牛乳とかない?」
「ねえ」
「ですよねー」
サンジは胡坐を掻いて座り直し、しょうがなさそうに紙コップを持ち上げた。
「ブラックは苦手か」
「うん、ほんとなら紅茶のが好き」
「そんなもんない」
「ですよねー」
クスクス笑いながら、湯気を吹いて冷ます。
厚かましいと癇に障ってもおかしくない物言いなのに、嫌味がなくて愛嬌があるから冗談だとすぐ伝わる。

「名前」
「ん?」
「猫に名前、付けた?」
「いいや」
ゾロはコーヒーを啜って、紙コップを持った手を膝頭に置いた。
「どうせすぐ手放す猫だ。名前付けたってしょうがねえだろ」
「そうだね」
サンジは少し寂しげに、鼻先で湯気を揺らしている。
どうやら猫舌らしく、吹いて冷ますばかりで口を付けない。

「猫、飼ってたの?」
「ああ」
「なんか慣れてると思った。実家で?」
「ガキの頃、な。今もいるかもしれねえ、ここ数年帰ってねえし」
「仲悪いの?」
「別に」
ゾロの家は適度に放任主義で、成人した以降は特に盆正月でも招集は掛からない。
離れていても、みんな息災であればそれでいい。
「あんたは、帰る家ないのか?」
なんとなくそう思ったから、ずばりと聞いてみた。
サンジも屈託なく「うん」と頷く。
「身内の爺さんが亡くなって、他に身よりはないんだ」
けど・・・と慌てて付け足した。
「調理師免許持ってるし、いざとなったらどこでも勤められる」
「へえ、看板娘ってだけじゃねえのか」
ゾロが素直に感心したら、サンジは不満そうに唇を尖らせた。
「だから、その“看板娘”ってのなに、俺男なのに」
「看板息子って語呂が悪いだろうが」
「そんだけの理由?」
サンジはその場でぐだーっと脱力して寝転んだ。
部屋の隅で遊んでいた猫が、ここぞとばかりに駆け寄って頭の上に飛び乗る。
「痛っ、爪当たるイタタタタ…」
俯せたまま悲鳴を上げたサンジのために、ゾロは猫を抱き上げてやった。



それから、サンジはちょくちょくゾロの元に訪れるようになった。
こっちはなにかと物騒だからとゾロの方がサンジの元に出掛けたがったが、猫を連れては行けない。
猫の飼い主もすぐに見つかるかと思ったが、貼り紙の効果がないのかなかなか引き取り手は現れなかった。

「仕方ないよね、店のお客さんはほとんど工事関係者だし。終わったらどっか行っちゃう人ばっかだしなあ」
地元の常連さんも再開発に掛かればしばらくは暮らしも落ち着かないから、猫どころじゃないのだろう。
「ペットOKで安い部屋って、どっかないかなあ」
賃貸情報誌を眺めながら、サンジは足先で猫の相手をしている。
時々爪を立てられて、アイタタと足を引っ込めながらも懲りずにまたちょっかいを出した。
猫はと言えば、ここ数日でぐんぐん大きくなり、両目も揃ってぱっちりと開いたなかなかの美猫になった。
濁っていた瞳も、今は綺麗な青色を見せている。
サンジとはまた違った、青だ。

「飼うんなら、いい加減名前付けてやったらどうだ」
ゾロは、猫と過ごしていても特に呼びつけることはないので、名前も必要なかった。
だがサンジは遊びに来るごとに、ねーことかニャーゴとかいい加減な呼び名で可愛がっている。
「うーん…」
サンジは煮え切らない態度で、情報誌をパサリと顔に乗せる。
足指に飽きた猫は、脛から膝へとよじよじ上り、腹の上で丸くなった。
温かく適度な重みが気持ちいいのか、サンジは雑誌で顔を隠したままじっと寝そべっている。
もしかして寝たのか?と様子を窺うために頭を下げたら、雑誌の下からくぐもった声がした。

「猫に、名前をつけるなら」
「――――・・・」
「あんたと一緒に、考えてつけたいな」

ゾロは一瞬動きを止めてから、ふむと小さく息を吐いた。
改めて床に手を着き、サンジの顔を覆っていた雑誌を静かに外す。
「そうだな」
雑誌の下から現れたサンジの顔は、赤く染まっていた。




3月に入って最初の日曜日が、食堂の最終営業日となった。
老夫婦はその日も黙々と料理を作り続け、午後2時の閉店と同時に50年間掲げ続けた暖簾を仕舞う。
「最後の最後に、いい思いさせてもらいました」
工事が始まってからの2年間は、それこそ目の回るような忙しさだった。
途中で強力な助っ人たる“看板娘”が現れて、店自体も活気づいた。
「儲かったし面白かったし、楽しかった。いい冥土の土産ができたよ、ありがとう」
「いやですよ、止して下さい」
サンジの方がすでに泣きべそ状態で、グスグス鼻を鳴らしながら老夫婦の労を労っている。
「サンちゃんを、置いて行く形になってごめんね」
「大丈夫です。保証人になってくださって、ありがとうございました」
お二人は恩人ですと改めて頭を下げ、小さなおばあさんの肩を抱き締めた。
「息子さんのところに行ってもお元気で。幸せに過ごしてください」
「サンちゃんもね」

常連さん達は今日が食堂の最後の日だと知って、昼食を食べた後花だの酒だの写真だの、なにがしか置いて帰ってくれた。
それら全部をいい思い出にして、老夫婦はこの地を離れる。
「どうか末永く、お幸せに」

老夫婦が去った店は、間もなく取り壊される。
サンジは一時的にゾロの元に身を寄せ、共にウィークリーマンションを借りた。
ゾロの転勤と共に、一緒に新天地に向かうつもりだ。
「いつまでも単身赴任って訳にもいかねえから、そろそろ内勤の希望を出す」
「そう言うのって、通るの?」
「好きで現場一筋だったが、ある程度資格も持ってんだ。やってけるだろ」
働く場所があって金さえ貰えればそれでいいやー程度の心構えだったゾロに、上昇志向が生まれてしまった。
無理しなくてもいいぞーと気遣う元“看板娘”だって、どこに行っても通用する腕はちゃんと持っている。
二人一緒なら、なんとかなるだろう。

「じゃあ行くか」
コンパクトにまとめた荷物を担ぎ、用意したケージに子猫を入れる。
少し抵抗したが、サンジが胸に抱くと大人しく丸くなった。
「新しい家に早く慣れるといいなあ、レイン」
二人が出会った雨の日にちなみ“レイン”と名付けられた猫は、返事をするようにニャアと鳴いた。



End