コロッケの日



「今日はコロッケが安いから買ってきて」
と母に命じられ、ゾロは渋々自転車を漕いで商店街にやってきた。
確かこっちの角を曲がれば肉屋だったと思うのに、今日に限って八百屋になっていたりする。
本当にわかりにくい商店街だ。

「マリモ?」
失礼な呼び名に、ギロリと睨み付けながら振り向いた時点で負けだった。
それが自分への呼びかけだと認めてしまったようなものだ。
ゾロを「マリモ」と呼ぶような人間はこの世に一人しかおらず、案の定アホみたいに頭をキラキラさせた不思議眉毛が買い物籠を手に立っている。
「なにやってんだぐる眉」
「ぐる眉じゃねえ」
いつもなら反射的に蹴りかかって来る眉毛が、今日はツンと横を向くだけで我慢している。
往来で暴れないだけの分別はあるらしい。
「お前こそなにやってんだ、家帰ろうとしてここまで迷い込んだか」
「んな訳あるか、肉屋に来たんだ」
ゾロがそう言うと、サンジは「お」と珍しいもので見るように目を見張った。
そうすると、ビー球みたいな瞳が髪とはまた違った輝きでゾロを捉える。
「お前が肉屋で、なに買うんだよ」
「オカンに頼まれたんだよ、コロッケが安いって」
「へえ、そうなんだ。俺もこれから肉屋に寄るつもりだった」
ゾロは内心、ラッキーと思った。
こいつについていけば、肉屋の場所がわかる。
「いつもこうやって買い物に来てるのか」
自転車から降りて世間話をしながらさりげなく横を歩くと、サンジはまあなと前を向いた。
「日によって買い物する場所を使い分けてんだ。今日は肉と魚が商店街のが安い」
「へえ」
商店街の真ん中を堂々と歩く姿には、気のせいか年季の入った主婦みたいな落ち着きが感じられる。
「サンちゃん、今日は鯵のいいのが入ってるよ」
「あとで寄らせてもらうよ」
店主に声を掛けられるなんて、なかなかのものだ。
ゾロが感心している間に、いつの間にか肉屋の前に来ていた。
ほら、やっぱり角を曲がったところじゃないか。
なんでさっきは、ここに八百屋があったんだろう。

「あらサンちゃん、いらっしゃい。今日は合挽き肉が安いよ」
「じゃあ、それを500gと豚バラを・・・」
ゾロにはさっぱりな単語を並べ立てた注文に、へええと横目で感心する。
ともあれ、ゾロの目当てはコロッケだ。
店先にいい匂いを漂わせて、揚げたてコロッケが並んでいる。
「俺はコロッケ、牛肉10個と野菜6個、カレー味も6個」
「はい、まいどあり」
店のおばちゃんがトングで挟むと、衣がサクサクと軽やかな音を立てた。
先に買い物を終えたサンジが、物珍しそうに眺めている。

「ここのコロッケ、うちの好物なんだ」
「そうなんだ」
「よく買い物に来てるみてえなのに、知らなかったのか?」
自転車の前籠にコロッケを入れて、押しながら歩く。
サンジは少しためらうように俯いた。
「うち、加工品とか買うことねえから」
「カコーヒン?」
「肉とか魚とか、調理したのは買わないってことだよ」
ああそうか、とゾロはいまさら気付いた。
サンジの家はレストランだから、できあいのものを買う必要がないんだ。
「そっか、これ美味いのにな」
自転車の籠に入れてあるだけで、今だって食欲を誘ういい匂いが漂っている。
サンジは思わずごくんと唾を飲み込んでから、恥じ入るように顔を背けた。
「ジジイが作るコロッケのが、何倍も美味い」
「そりゃそうだろう」
ゾロはあっさり肯定してから、手を伸ばして袋の中をがさがさを漁った。
「でもよ、一度食ってみろよ。揚げたてだからめっちゃ美味いぞ」
ゾロが好きな牛肉コロッケを一つ取り出した。
夕食で一個食べるのを控えればいいだけの話だ。
「晩飯用だろ」
「いいから」
ぐいっと押し付ければ、サンジはためらいながらも受け取った。
「あっち・・・」
「中はもっと熱いぞ」
その場できょろきょろと周囲を見回し、端っこに歩いて電柱の影に身を隠すようにしゃがむ。
そこでぱくっとかぶりついた。
「・・・どうだ?」
ゾロはサンジの身体を隠すようにして自転車を止め、その前に蹲った。
はふ、ほふっと口を動かして、サンジはほわんと笑顔になる。
「美味い」
「だろ?」
じっと見られていると食べにくいのだけれど、いつまでも往来でモグモグしてはいられない。
サンジは手早く食べてしまってから、ほうと温かい息を吐いた。
「美味かった、ご馳走様」
「じいさんが作るコロッケには適わないだろうけどな」
照れたように言うゾロを、しゃがんだままじっと見上げる。
「ジジイが作るのには勝てないけど、俺が作るのもまあまあいけるぜ」
「へえ、お前コロッケ作れたりすんのか?」
驚くゾロの前で、サンジはしゃきっと立ち上がると尻を叩いた。
「おうよ、特に揚げたては美味いんだ。いつか、お前にも食わせてやるよ」
「おう、食ってみてえ。すげえなあコロッケ作れるなんてなあ」
家でコロッケを揚げることは実際にあるが、友達を呼んでご馳走するなんて小学生の身の上では実現しそうにもない。
けれどいつか、ほんとにゾロに自分のコロッケを食わせてやろうとサンジは思った。

それから10年後。
ゾロはいつでも好きなだけ、サンジのコロッケを味わうことができている。


End