世界禁煙デー



「俺、今日から禁煙するわー」
とサンジが宣言したので、ゾロは「ああまたその時期か」と思った。
毎年5月31日には「世界禁煙デーです」とどこからかニュースが流れ、その度サンジは「うし、禁煙しよ」と思うらしい。
初めて禁煙宣言をしたのは確か、高校2年の時。
こともあろうに教室で、生活指導の教師が傍にいるのに気付かず高らかに言い放ったサンジは、それから3日学校に来られなくなった。
今ではいい思い出だ。

「手始めにこいつら全部、処分すっかな。やるからには徹底的にな」
布団から裸の腕を伸ばして、横着にも手の届く範囲においてあった煙草のストックやら灰皿やらを一か所に集める。
こんなことを言ってもどうせ明日にはケロッと忘れて、知らん顔で煙草をスパスパ吹かしているのだ。
鳥頭だから仕方がない。
ゾロはその丸くて金色の後頭部を寝そべったままガシガシと撫でてから、掌に力を込めてぐいと引き寄せた。
サンジはふがっと不満げな声を上げ、ゾロが包まる布団の中に倒れ込む。
「禁煙は、明日でいいだろ」
「だってよ、今日が禁煙デーなんだから、今日やんないと意味ねえだろ」
禁煙デーな一日だけ禁煙したって、意味がなかろう。

ゾロの初任者研修が終わり、2週間ぶりに帰って来たのだ。
離れていた距離のせいか時間のせいか、いつもより数倍濃い密度のコミュニケーションを終えた後でも、まだ名残惜しく離れがたく痩躯を抱けば、サンジもいつもより素直に身を委ねた。
気持ちよさそうに目を閉じて、ゾロの肩に顔を埋めている。

「昨日コンパで初対面の女の子に、今どき煙草吸ってるなんてーって言われてさあ」
ゾロが留守にしている間、サンジは基本、自由に過ごしている。
コンパに行ってもいいし他の友人と遊びに行ってもいいし、実家に帰っていてもいい。
ゾロは自分が留守の時まで束縛する気はない、ただ帰って来た時いつもと変わらぬように出迎えてくれたらそれだけで充分だ。
けれどサンジは自分が一人で過ごす時間を、それが例えゾロ側の都合でやむなく取り残された形になっていたとしても、自由に使うことに抵抗を感じるらしい。
だから「やれコンパに行っていた」だの「ダチと映画観てきた」だの、特段必要でないと思われるような報告を毎回する。

「それ聞いてもっともだと思って、今度こそ禁煙するんだ俺」
すぐに忘れる鳥頭なだけじゃなく、本気でアホだなーとゾロはしみじみサンジを眺めた。
この丸くて金色で小さい頭の中身は、振るとカラコロ音がするくらい軽くて小さくてつるつるなのかもしれない。
それでもまあ、可愛いからしょうがないか。

「俺はお前が煙草を吸ってようが止めようが、どちらでも構わん」
サンジはヘビースモーカーだが、それを自覚して身嗜みには必要以上に気を遣っている。
歯はいつも綺麗だし匂いも問題ない。
むしろ毎日風呂に入って清潔に気を配る様は、サンジが追い立てない限り滅多に風呂に入らないゾロから見れば異様なくらいだ。
ただ、健康の面からだけ言えば心配がないとも言えないが。
「ジジイにはいい加減止めろと毎回言われんだよなー。確かに、料理人としちゃまずいかなと」
早く大人になりたくて、背伸びするつもりで吸い始めた煙草がいつしか中毒になってしまった。
サンジもそのことはわかってはいるけれど、ここまで馴染んでしまうと手放すのは容易なことではない。
「今のところ舌に支障はねえしよ。それに、やっぱ一服すると落ち着くってえかストレス解消になんだよなあ」
目を細めて無意識にパッケージから一本取出し、口に咥えようとしてからはっと気付いて指から落とす。
こいつはほんとにアホだ。

「ストレス解消っつっても、元々煙草を吸ってない奴は煙草を吸うことでストレス解消にはならんぞ」
ゾロが言えば、サンジは「ん?」と口先を尖らせて振り向いた。
「煙草を吸えないってえとイライラするんだろうが。だが俺みてえに元々吸わない奴は吸えないからってイライラしねえ。つまり、てめえは煙草を吸うことで余計なイライラを俺より多く背負ってるんだ」
「…げ」
意味がわかったらしい。
サンジはシーツの上にポロリと落ちた煙草をまじまじと見つめた。
「そんなん言われたら、俺がアホみたいじゃないか」
「煙草を吸う奴がみんなアホとは言わねえが、間違いなくお前はアホだ」
「んだとゴルアっ」
布団にくるまったまま、サンジはゾロの裸に抱きついて腹に膝を打ち込んできた。
ゲホッと派手に噎せ、ゾロはサンジを抱きしめたまま背を丸める。
「接近し過ぎてて威力が出ねえ」
「…っざけんな、充分だ」
苦しげに空咳をして、ゾロはサンジを抱き込んだまま上から押さえつける。
布団からはみ出た背中を愛しげに撫で、サンジは微笑みながらゾロを見上げた。

「余計なストレスってのは、厄介なもんだな」
「あ?」
「てめえがいねえ間、てめえのことばかり考えて俺もストレス溜まったよ」
ゾロに出会わなければ、好きにならなければ、一緒に暮らさなければ。
一人で過ごす留守の寂しさを感じることもなかったのに。
きょとんと見下ろすゾロの短い前髪を指でなぞって、サンジは愛しげに眼を細めた。
「てめえを恋しいと思う気持ちは、俺にとって余計なストレスじゃねえけどさ」
「…そんなん、お互い様だろ」
ゾロはようやくサンジが言わんとしていることに気付き、照れ隠しにいつもより凶悪な目つきで睨み付けてから顔ごとゴツンとぶつかった。

こうしてなし崩しにこの日は暮れる。
明日になればきっと、禁煙のことなんて二人とも覚えてはいない。



End