クリスマス

「んじゃお先〜」
「お疲れ様」
「おつかれー」
口々に挨拶を残しながら、先輩達が退勤していく。
サンジはそのどれもに丁寧に礼を返し、手元はただ黙々と後片付けを続けていた。
「明日は休みだから、ゆっくりしろよ」
「はい、お疲れ様でした」
きっちり腰を折ってオーナーを見送り、一人になってサンジはようやく息を吐いた。

就職して初めてのクリスマス。
小さい頃からバラティエを手伝ってきたからある程度覚悟はできていたが、やはり戦場のような忙しさだった。
店の規模も客層も違う。
正直、バラティエと比較して「こうすればいいのに」と思わない点も無きにしも非ずだ。
だが新米のサンジが口など出せるはずもなく、ただ命じられるままに準備と後片付けを繰り返すだけで。
肉体的な疲れは元より、精神的にも相当疲労してしまった。
今からこれでは、先が思い遣られる。
「しっかり、しねえと」
バラティエでは、どうしても慣れと甘えが出る。
だからサンジは敢えてバラティエの名前を出さず、見知らぬ土地で一から就職活動してこの店に雇ってもらった。
学べるべきはとことん学んで、将来に生かすつもりだ。
だから今は、弱音を吐いている場合じゃない。

多忙だったクリスマスシーズンも終わり、明日は定休日、その後3日開店して年末休暇を迎える。
先輩達もやれやれと肩の力を抜いて、まだ自宅でのクリスマスに間に合うとばかりに鼻歌交じりで帰っていった。
新米のサンジはこうして一人店に居残り、後片付けをしてから帰る。
就職と同時に一人暮らしを始めたから、急いで帰っても待っている人もいない。

―――そういや、メールに返信もしてねえな。
繁忙期に入るとサンジの意識はどうしても仕事の方に行ってしまって、ゾロからのメールにろくに目も通さなくなる。
他の誰かからなら、一応義理を感じて暇を見つけてはせっせと返信するのに、ゾロからのは基本放置だ。
ゾロも同じようなもので、必要事項以外にポチポチと近況のようなメールを寄越して来ることもあれば、3ヶ月ほど音信不通になることもある。
その間会ってないかと言われればそうでもなく、どちらかが痺れを切らして相手の家に押しかけ、気が済んだらさっさと帰る嵐みたいな逢瀬は続いていた。

―――ご無沙汰だ〜
思い出してみれば、最後に会ってから・・・いや、やってから1月以上経っていた。
12月に入ったら俺はいないものと思えと言いながら、のんびりイチャコラしたのは確かゾロの誕生日。
あれからめっきりご無沙汰だ。
思い出すと、なんだか居てもたってもいられなくなる。
さっさと後片付けを終えてすぐにでもゾロのアパートに掛け付けたくなったが、留守かもと思うと足は動かなかった。

サンジがクリスマス商戦で多忙を極めていた時はゾロからしょっちゅうメールが入っていたのに、いよいよ明日でこの地獄ともおさらばと思った途端、ゾロからのメールが途絶えた。
年末に厄介な案件が入ったとかで、事務所に泊まり詰めとか書いてあったような気もする。
そうすると、ゾロはアパートには帰ってこない。
ゾロだって一年生だから、先輩にあれこれと扱き使われて休む暇もないんだろう。
勝手に押しかけて部屋の掃除をしといてやってもいいが、なんだかそれでは世話焼き女房みたいでかっこ悪い。
けれど、ちゃんと食事をしているか体調管理はできているのか、心配と言えば心配だ。

ゾロもサンジと同じように、いやそれ以上にいざ仕事となるとのめり込む性質で、ちょっと目を離すとすぐに人相が悪くなってしまう。
頬は痩せこけ目だけギラギラと光るから、弁護士の卵と言うよりどう見てもその筋の人だ。
多忙を極めても、せめて栄養が行き届いた飯を一日一食でも食わせてやりたい。
けれどこうも擦れ違いの日々が増えると、寝る以外の時間を取られるのが惜しいとか思ってしまうくらい切羽詰った獣関係のみで繋がってしまう。

―――なんか、俺たち間違ってるんじゃないのか?
はたと思い付いて、でも手だけは機械的に動かしつつ考え込んでしまった。
幼馴染でずっと側にいて、仕事で離れてもいつも心は繋がってるなんて綺麗ごとはとても言えない。
どうしようもなく気持ちが高じて会いに走る衝動は、結局は肉体的なものからしか生まれない。
ずっとずっと好きで運命さえも感じていたゾロとの関係は、実は単なる肉欲のみの繋がりなんじゃないかと気が付けば、そうとしか思えなくなった。

こんなの多分、間違ってる。
こんな関係、いつまでも続けていていいはずがない。
やっぱり俺達はもう、潮時なんじゃあ―――

疲れているせいか、腹の底に堪る鬱屈のせいなのか。
思考が悪い方へばかり流れてしまった。

もう、これきりで終わりにしよう。
やっぱり俺達、無理だよって。
会ってやるだけの関係をずるずる続けるのは、間違ってるって。
言わないと、俺からちゃんと言わないと。
ゾロは多分気付かない。
何も気付かないで、こんな俺との関係を惰性ではなく愛情だと勘違いしたままでいる。
だから―――



後片付けを終えロッカーで着替えを済ませてから、携帯の電源を入れた。
いくつかメールが入っているが、ゾロからのものはない。
以前に貰ったメールを開いて返信を開くも、上手いこと言葉を探せなかった。
こういうことは、メールで伝えるもんじゃない。
やっぱり、直接言わないと。

直接会って、やるだけじゃなくきちんと向き合って話をしよう。
もう終わりにしようって、声に出して言ってみよう。
ゾロは忙しくて混乱してるだろうからビックリして逆上するかもしれないし、こっちが拍子抜けするくらいあっさりと承諾するかもしれない。
どっちだっていい。
俺の心は決まったから。



戸締りを確認して裏口から出れば、日付を超えてもまだ明るい街の明かりが夜空の星さえ掻き消していた。
見上げて白い息を吐いて、うしと自分を鼓舞するように声に出して呟いてみる。
と、乾いたアスファルトを蹴る足音が近付いてきた。
振り向けば、外灯に照らし出された長い影がどんどんとこちらへ近づいてくる。

「・・・ゾロ?」
まさか、思いすぎて幻でも見てるんだろうか。
だが、白い息を纏わりつかせて息せき切ってこちらに向かって走ってくるのは、見間違いようもなくゾロだ。
たった今、別れを決意した男が鬼のような形相で駆けて来ている。
あ、やっぱりろくに食ってない。
暗闇に三白眼だけが浮き上がって、知らない人間なら裸足で逃げ出すくらい恐ろしい光景だ。

ゾロはサンジの目の前まで来ると、唐突に足を止めて肩で息をした。
まるでエンジンを吐いてるみたいに、顔の周りがモクモク煙っている。
ここまで走ってきておいて、ゾロはどこか呆然とした顔でサンジを見つめた。
「どうした?」
殊更、優しい声音でサンジが尋ねた。
今は、優しくしたい気分だ。
逆上して暴力を振るわれたとしても、全部受け入れてしまえるくらいゾロが好きだ。

「お前に、言いたいことがあって―――」
ゾロらしくなく、乱れた息を整えながらポツポツと言葉を綴る。
「色々、考えて・・・俺達、このままじゃいけないと、思って・・・」

ああ、ゾロも同じことを考えてた。
すげえな、俺達ってどんだけ息が合うんだ。
全然気は合わないのに。
相性サイアクなのに。
なぜか、息がぴったり合うんだよな。

「奇遇だな、俺もいまそう思ってた」
サンジは煙草を取り出して咥えた。
指先が震えているのは、寒いからだと思いたい。
ゾロはほっとした表情で、小さく頷く。
「そうか」
「ああ」
「じゃあ、一緒に暮らそう」
ぽろっと、唇から煙草が落ちる。

「――――は?」
「一緒に暮らそう。俺達、離れてちゃだめだ」
「・・・」
あれ?
「仕事のサイクルが合わなくても、擦れ違いで会えない日が続いても、それでもてめえの寝顔くらい見れるだろ」
「・・・」
「俺はお前と暮らしたい」
「・・・」
「一緒に暮らそう、俺んとこ来い」

いや待て、いま俺はお前と別れ話を切り出そうと思ってた訳だが。
違うだろ、そうじゃないだろう。
いくら一緒に暮らしたってやっぱり擦れ違いで、俺とお前とは違う人間できっと身体を交えるくらいでしか分かり会えなくて。
だから――――

「嫌だ」
「なんでだ」
なぜ、そんなにも堂々とむっとするんだ。
こっちの都合も考えろ馬鹿。

「俺んちのが職場に近いんだ、お前が俺んとこに来い」
そう言ったら、ゾロはにぱっと子どもみたいに明るい笑顔になった。
「わかった、じゃあてめえんとこ行く」
なんだよまるで、子どもが遊びに来るみたいじゃないか。
そんな簡単に、結構大変なこと気軽に決めるんじゃねえよ。
いい年した野郎が二人、一緒に暮らし始めるんだぜ。
お互いに仕事があって生活があるのに、他人同志なのにそれでも一緒にいたくて暮らすんだぜ。
それなのに――――

「うし、じゃあ年末に引越しな」
勝手に決めて勝手に進めようとするゾロのドヤ顔がなんだかぼやけて見えてきて、誤魔化すために空を見上げる。
「見えねえ星なんて眺めてないで、俺の顔だけ見てろ」
「うっせえバーカ」

今夜はやるのも程ほどにして、これからの二人の話をしよう。


End