コックの日



サンジが覚えている一番古い記憶は、夕焼け色に染まった窓の前で立ち働く祖父の姿だった。
長身でがっしりとした体躯に高い真っ白な帽子を被った姿は、幼いサンジには巨人ほど大きく見えた。
厨房に立ちサンジに背を向けて調理する光景は、思い出すとどこか切なく甘酸っぱくまるで夢のようにおぼろげだ。
あの頃はまだ家族と一緒に住んでいて、祖父の店は電車で移動する程度の距離にあった。
父の海外転勤が決まり、母と妹達はそれについて行ったがサンジは自分の意思で留まった。
異国の地に行きたくないというよりも、ずっと祖父の傍にいてその仕事ぶりを見ていたいと願ったからだ。
思えばあれが、サンジにとっての原点だったのかもしれない。




  *  *  *




「合格おめでとう」
ゾロが法科大学院に進学を決めた夜、久しぶりに二人きりで食事をした。
就活だのレポートだのと忙しく、お互いにあちこち飛び回ってばかりいたから、こうしてゆっくりと杯を交わすのも久々だった。
「しかし、お前が弁護士目指すとか…本気だったんだな」
「最初から言ってただろうがよ」
授業中は寝てばかりで、放課後にぱっちり目を覚まし嬉々として竹刀を振っていた剣道馬鹿が、まさか頭脳勝負な世界に足を踏み入れるとは想像だにしていなかった。
口数は少ないが、確かに弁が立つところはある。
立居振舞いは無駄に堂々としているし度胸もあるし、案外と向いているのかもしれない。
「お前はどうなんだ?試験とか面接とか、聞かないが」
友人たちは次々と内定をもらってきている。
祝いの言葉を口にしても、サンジからなにがしかの報告がされることはなかった。
共通の友人達は割と気にしていて、サンジはどうなんだとゾロにこっそり聞いてくる者も多い。
本人には直接、聞き辛いのだろう。
「おれ?おれはもう決めたよ」
ビールグラスを傾けて、なんてことない風にケロリと答える。
「どこだ、なんの会社だ?それとも院か?」
突っ込んで尋ねるゾロに、サンジはちょっとあさっての方向へ視線を投げた。
「あー…専門学校」
「――――は?なんの」
「テラコッタ調理師専門学校」
「・・・」
絶句したゾロに、そりゃまあそうだよなーと一人ごちてグラスを煽る。


ゾロと同じ大学に進学して、経営学部を卒業するのだ。
てっきり証券会社か大手企業を目指すと思っていたのに、まさかの調理師免許取得。
「じいさんの跡を継ぐのか?」
「そんなんじゃねえよ」
サンジは心外そうに眉を顰め、即座に否定する。
「俺は、もともとコックになりたかったんだ。けどジジイが公立なら大学行っていい、将来就職に便利そうな学部に進めとかいうから適当に…」
適当に経営学部を学んだのに、なぜに今さらコック修行。
「うんまあ、悪くないな」
バカだなーと呟かれるかと思ったが、ゾロは生真面目な顔で一人うんうんと頷いた。
「お前がコックになるって、なんか納得した。料理が上手だとか向いてるとか、そう言うんじゃなくてなんとなくだが」
「そ、そうか?」
これは、素直に嬉しかった。
今さらなに言ってんだと説教の一つも覚悟していたから、嬉しいびっくりだ。
「でも、やっぱバカみてえじゃね?それなら最初から、高校卒業して専門学校行けよって感じ」
「いや、大学進んどいて正解だろ。将来役に立つ学部だし、自分で店持つんならなおさらだ」
全肯定されて、サンジの方がなんだか面映ゆい。
照れ隠しにモソモソと料理を摘まみ、再びビールを呷った。
「…おれ、コック似合ってるか?」
小さい頃から見よう見まねで包丁を握ってきたし、なにを作らせても玄人はだしだと褒められる。
けれどそれはあくまで、仲間内だけの話だ。
ゼフは、跡継ぎを育てるつもりでサンジに料理を教えてくれたりなんかしなかった。
大学卒業後に専門学校に進むことも相談はおろか、報告もまだだった。
ゼフの耳に入ったら、きっと怒られるに違いない。
「似合うっつうか、こうストンと腑に落ちる感じだな」
「…そう?」
「お前が誰かに飯を食わせるのは、天職だと思うぜ」
ゾロは、どんなに有名で高級な店の料理より、サンジが作る飯の方が美味いと思う。
けれど、この味を自分だけのものにしたいとは思わない。
学生時代は、サンジが作ってくれた弁当をつまみ食いされただけで烈火のごとく怒ったこともあったけれど、今は少しでも多くの人が味わえればいいなと考えを改めた。
サンジが作る料理を食べると、なんでだか気持ちが温かくなるのだ。
腹が満ちて体温が上がると言うだけでなく、心の芯がなぜか落ち着く。
そんな気がするから、やはりサンジの料理は特別なんだと思っている。
「おれ、料理人目指してもいいかなあ」
「当たり前だ。つうか、気付くの遅ぇよ」
「なんでお前が偉そうなんだよ」
軽く口を尖らせて、けれどふわふわと酔いが回ってどうしたってニヤけてくる表情をそのままに、サンジはへらりと笑って見せた。
赤く染まった頬を、ゾロの乾いた指がそっと撫でる。
「んーそうだ。で、お前へのお祝い」
そう言ってくるりと背を向け、冷蔵庫から器を取り出す。
目の前に置かれたのは、プリンだった。
黄色くて茶色いカラメルがとろりと垂れた、何の変哲もないプリン。
「…なんか、懐かしいな」
「だろ?小学校ん時、よく作ったよな」


雨の日に拾った猫をきっかけにして、二人でつるむようになった。
当時のおやつと言えば、ホットケーキやプリンだった。
特にプリンは、卵と牛乳と砂糖を使うだけで売ってるものより濃厚な味になっているとゾロに好評だったから、調子に乗ってよく作った。
「いただきます」
ゾロはそう言って、大切そうにスプーンで一口分を掬う。
昔作ったプリンより色艶もよく滑らかで弾力があり、口に入れれば上品な甘さと香ばしいカラメルが舌の上ですっと溶けた。
比べるべくもないが、やはりどこか懐かしい味がする。
「――――やっぱ、お前が作るもんはいい」
ゾロの素朴な感想がなにより嬉しくて、サンジもへへっと笑ってスプーンを口に運んだ。






――――お前すげえな、こんなん作れるんだな!
初めてプリンを作った日。
ゾロは頬を紅潮させ目を輝かせ、興奮した面持ちでそう言った。
あの日のゾロの言葉もまた、サンジの原点だったのだ。




End




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