防犯の日



なにかはわからないけれど、かすかな違和感を覚えながら玄関の扉を開けた。
上り框に、ゾロが正座をして待ち受けている。
「…今度はなんだ」
「すまん、鍵を失くした」
さっきの違和感の正体はこれだったかと、後ずさるようにして一歩外に出た。
ドアノブが、新しいものに変わっている。
「合鍵作ればいいだろう」
「どこで失くしたかわからん。念のためのノブごと鍵を変えた」
「もー何回目だよこれで。ドアノブは、こないだ引き千切ったとこじゃね?」
サンジは靴を脱ぎながら声で責めたが、さほど腹が立っている訳でもない。
なのでおざなりに注意を寄越しただけで、説教までには至らなかった。
実際、仕事がきつくて疲れているし、ゾロに小言を言うよりさっさと風呂に入ってゆっくりしたい。
「風呂、沸いてるぞ」
「おう、今度から気を付けろよ」
「わかった」
いつも返事だけはいいよな〜と思いつつ、サンジは半分寝ぼけたまま風呂に直行した。


毎日朝早くからずっと立ちっぱなしで、働き詰めだ。
けれど、これも大好きな料理の修行と思えば苦にはならない。
まだ掃除と後片付けしかさせてもらえないけれど、厨房の空気を傍で感じ取れるだけでありがたい。
「―――ふー…」
思わず吐いた息が、立ち昇る湯気を吹き払った。
風呂に入るのが面倒臭いと思うこともあるけれど、こうして浸かってしまうと心身ともに温まり解れるようで疲れも取れる。
ゾロと二人で暮らすようになってよかったと、思うのもこの瞬間だ。
一人だとどうしてもシャワーで済ましがちだけれど、二人暮らしなら風呂を張ってもそう無駄には思えない。
確かゾロも、サンジと暮らすまでは風呂なんて一週間に一度入ればいい方だなんて言っていたから、お互いのためにもいいことだろう。
そこまで考えて、サンジはまた息を吐いた。


ゾロ、そんなに物を失くすようなタイプじゃなかったはずなのにな。
授業中によく寝たり、迷って遅刻したりはしょっちゅうだった。
けれど、頻繁に物を落としたり無くしたりするようなことはなかったはずだ。
忘れ物の頻度で言えば、サンジの方がよほど多かったのに。
「ゾロも、疲れてんのかな」
お互い、職場は違えどどちらもまだ駆け出しのヒヨっ子で。
仕事量や責任よりも、まず仕事に慣れるまで気を張って行かなきゃならない。
ゾロはパリっとした綺麗なオフィスにいるけれど、そんなところはそれなりにストレスも多いだろう。
なのに、こうして毎晩サンジの帰りを待っていて、風呂まで沸かしてくれている。
「鍵の一つや二つ失くしたくらいで、目くじら立てることもねえさ」
サンジは一人呟いて、ざぶりと湯船から出た。


ゾロは毎晩、遅くまで机に向かっている。
覚えなきゃならないことが山ほどあるから、いくら勉強してもし足りないんだろう。
サンジは朝が早いから、日付が変わる前にはベッドに入るのが常だ。
一緒に暮らしていてもすれ違いの生活だけれど、同じ空間にいられるというだけで寂しさはなかった。
「もう寝るぞ」
「おう、おやすみ」
ゾロは持っていたペンを置いて、椅子を軋ませながら上半身だけ捻った。
まだ濡れているサンジの髪を撫で、大きな掌で後頭部を掴んで引き寄せた。
軽く唇に口付けてから、少しずつキスをずらして顎の下と首元を強めに吸う。
「・・・!こら、そこは痕が付くからだめだっての!」
サンジが嫌がって押しのけようとしても、本気を出したゾロの力は揺るがない。
チクリと刺すような痛みを残して、ようやく離れた。
「あーもう、明日の朝になったらまた変な色になるだろうが!」
「虫刺されと変わんねえぞ」
「でかい虫だな」
サンジはぷんすか怒りながらも、隣の部屋に入ろうとして足を止める。
「なにそ?の機械」
「んー、ウソップが置いてった」
「へえ、またなんか変わったもん作ったのかな」
「ゴキブリ探知機だと」
「ひえええ?!そんなん、俺がいないときに作動させろよ?」
「了解」
振り返らずに片手を挙げるゾロに「おやすみ」と返し、サンジは寝室に入った。
もうクタクタだから、布団に入ってしまえばそのままバタンキューだ。






ゾロはペンの先でカシカシと頭を掻いてから、寝室へと目をやった。
寝つきのいいサンジのことだ。
もう夢の中だろう。
この平穏な生活を乱したくはない。
サンジの安らぎは、自分が守るのだ。


人が良くて優しい性質なのに、サンジは自分のことには恐ろしく鈍感で無頓着だった。
ただ自宅から職場に往復するだけで何人もの人間を餌付けし、時に魅了して引き寄せて帰る。
何人の男がストーカー化し、帰り道を尾け歩き、奇妙な贈り物を押し付け、隙あらばゴミを漁り、生活音を拾おうと躍起になっているだろう。
その危うさに全く気付いていないから、ゾロが動かざるを得なかった。


玄関の鍵は定期的に交換し、その度「鍵を失くした」とか「ドアノブを壊した」と理由を付けている。
ウソップに頼んで、高性能な盗聴器発見器も作ってもらった。
いざと言う時を考慮し、毎晩明け方まで起きて見張っている。
勉強も捗るから、一石二鳥と言うところか。


早く出世してたくさん金を稼いで、もっとセキュリティがしっかりした部屋を借りよう。
そのために、ゾロは日夜努力する。
そんな決意も知らず、サンジは今夜も安らかな寝息を立てていた。




End




back