むかしむかしある山奥に、とんでもない暴君がおりました。
その国自体はとても平和で、人々は穏やかに慎ましく暮らしておりましたが、国を治める王様は
いつも怒っておりました。
萌え出ずる若芽のような鮮やかな緑の髪を持つ若い王は恐ろしく強いので、近隣諸国の誰も攻めて
こようとはしません。
王様は毎日退屈でつまらなくて、不機嫌な顔で城の中をうろついていました。

ある日のこと、少し離れた海辺の領地から珍しい物が献上されました。
生きた人魚です。
北の海で遭難しかけた漁師が、助けてくれた人魚を逆に捕らえて持って帰ってきたのでした。
この国では王様の髪の色も珍しいのですが、人魚の髪もそれは珍しい色でした。
なんせ黄金色でお日様みたいに光っています。
肌は透けるように白くてすべすべで、片方だけ覗く瞳は空より蒼い青でした。
あんまり綺麗だったので、漁師は活け造りにするのは止めて王様に差し上げました。
王様は人魚を一目見て、にっこり笑いました。
王様はにっこりのつもりでしたが、あんまり凶悪な笑い顔だったので側で見ていた家臣達は内心
震え上がりました。
もともと王様の顔立ち自体にも問題があるようです。
ともかく王様は人魚を生きたまま暫く側に置くことに決めました。
まだ幼い頃、乳母に聞かされた人魚の涙の話を確かめてみたかったのです。
王冠や玉座を飾る美しい真珠は、深海に棲む人魚が流した涙の粒だと聞いたことあったからです。
なので、王様は人魚を泣かしてみようと思いました。

人魚はその平べったい胸とふてぶてしい態度から雄だと知れましたが、まあ見た目がいいので苛めるのは
楽しそうです。
新しい玩具を手に入れた王様は、元来持ち合わせていた根気と持続力でもって、それはそれは執拗に
人魚を責め苛みました。
肉体的にも精神的にも痛辛い目にあわせましたが、人魚は一向に涙を見せません。
海より深い蒼い目で睨み付けるだけです。
なんせ種族が違うので言葉すら通じませんが、なんとなく人魚は王様に向かって
「なにしやがるクソマリモ!」と罵っているように思いました。



その内王様も苛めることに飽きました。
それよりふとした拍子に人魚が見せた、困ったような少々間の抜けた表情に目を奪われました。
王様が気紛れに人魚を優しく撫でたらその顔が見られたのです。
何故だかもう一度見たくていろいろ撫でたり擦ったりしました。
けれどその度に人魚は真っ赤になって怒って鰭でぴしぱし叩きます。
王様も意地になって、人魚にプレゼントをあげたりその髪を優しく梳いてみたり、無理やりですが
包み込むように抱きしめたりしてみました。
その内人魚も抵抗するのは無駄だと悟ったのか、それほど強く抗わないようになりました。
もう王様は人魚の涙より、笑った顔が見たくなっていたので苛めることは忘れてしまいました。




人魚は時折、城の天辺の窓から身を乗り出して、海から吹く風を求めました。
海が恋しいのです。
でも王様は海へ返すつもりなど毛頭ありませんから、許すはずがありません。
それでも人魚の笑った顔が見たくて、しぶしぶ馬を駆って遠い海辺の国までお忍びで出かけました。

美しい刺繍を施した幅広の絹を人魚に纏わせて、横抱きにしたまま海辺を馬で駆け抜けます。
きつい汐の匂いと輝く水面に人魚の顔が輝きました。
頬は薔薇色に染まり光を跳ね返す瞳は透けるような青空みたいです。
王様は人魚を逃がさないようにしっかりと抱きしめてどこまでも海辺を走っていきました。

ずっと海ばかり見ていた人魚は、真っ赤な夕日が紅い水平線に溶けるように沈む頃、目を伏せて王様に
ぎゅっと縋りつきました。
王様は、自分の胸に顔を埋めた人魚の金糸をそっと撫でて、城に向かって馬を走らせます。
人魚は二度と振り返りはしませんでした。







王様は一応王様なので、結構忙しい身の上です。
家臣から小難しい説教を食らったり、城下の民からの訴えに耳を傾けたり、油断のならない近隣諸国に
挨拶がてら牽制に行ったりと結構多忙な日々を過ごしていました。
それでも部屋に帰れば人魚が待っています。
いつの間に覚えたのか、生意気にタバコを吹かしながら鰭をぴたんぴたんさせて「おかえり」と言っている
みたいです。
王様はその冷たい身体を乾いたシーツの上に転がして、自分の身体で暖めてやるのが何よりの楽しみに
なっていました。


それなりに幸福だった日々は、ある日突然終わりを告げます。






こともあろうに、王様は狩の最中にドラゴンに襲われていた子供を助けて命を落としてしまいました。
名も知らぬ、平民の子供です。
王様の命に比べたらゴミに等しい子供の命を王様は身を挺して助けました。
もう城中パニックかと思いきや、家臣たちは案外冷静でした。
なんせ王様の弟はそれは賢い人でしたので、内輪揉めの一つもなく後継者は決まりました。
それから申し訳程度に喪に服して、新しい王様の戴冠式の準備に向けて大忙しです。
部屋に残されていた人魚の処遇をどうするのかも話し合われましたが、戴冠式のお祝い用の活け造りより、
恩赦の意味も込めて海に放してやることになりました。

壮大な葬儀の準備が整って、王様の棺が安置された最上階の部屋の扉が開かれました。
誰一人付き添う者のいない筈の死者の部屋は、ほのかな明りに包まれています。



中央に安置された黒い棺の傍らで、硬い床に散らばった幾つもの真珠に囲まれて、
人魚は冷たくなっておりました。

END

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