もう恋なんてしないなんて


自分が人とはちょっと違うと、認めるのはなんて難しいことなのだろうか。


物心つく前から女性に異様に懐いていたと、よく家族にからかわれた。
天性の女好きだと周囲に呆れられながらも、小・中学校はそれなりに楽しく過ごした。
鮮やかな金髪が目立つ優しいサンジは当然のように女子によくモテて、告白される回数も両手じゃ足らないくらいで。
その悉くに調子よく返事をして応えていたら、女なら誰でもいい軟派野郎だと、男子のみならず女子にまで陰口を叩かれるようになった。
それでもいいのだ。
サンジ自身、花から花へと飛び渡る蝶のように、軽やかに気楽に恋愛ごっこを楽しむことができるのなら。
どうせ本気の恋なんて、できやしないのだから。



本当は、夏服の上から透けて見える女子の下着の線より、半袖から覗く男子の二の腕に目を奪われた。
フローラルな制汗スプレーの香りより、むっとする汗臭さを好んだ。
どんなに女子に囲まれようと、サンジの意識はいつのまにかゴツい体格の男子へと向けられる。
認めたくはなかったけれど、無意識に魅かれるのは同性ばかりで。
一人で悶々と悩み苦しみ、なんとか意識を変えようと努力しても無駄だった。
生まれつき、同性しか恋愛の対象にできないのだと思い知らされたのは高校の頃だ。

好きな人ができてしまった。
一学年上の、サッカー部の先輩だった。
イケメンでスポーツ万能で成績もよかった先輩もよくモテて、気軽に告白を受け入れては付き合ったり別れたりを繰り返すサンジとは似て非なるものとして一目置かれていて。
そんなサンジを時に諌めたり、時にアドバイスしてくれたりして可愛がってもらえたものだ。
サンジは、そんな先輩が好きだった。
決して告げられない想いだと分かっていても、先輩の声を聞いてその瞳に見つめられるだけで胸は高鳴り、幸せになれた。
それは誰にも知られてはならない、甘くて淡い想い出になるはずだったのに―――

言葉にできない想いでも、無意識に滲み出てしまうものだろうか。
先輩を見つめる瞳が、あまりにも熱を帯びてしまったのか。
近付くだけでときめき身構える、自分の態度が不自然すぎたのか。
いつの頃からか、先輩もまたじっとサンジを見つめるようになった。
思い過ごしだと己を宥めながらも、浮き立つ心は押さえきれなかった。
もしかしたら先輩も、いや、でも、もしかしたら―――
そんな、まさかと自問自答を繰り返しながらつい意識して、慕う気持ちが余計に強まる。

テスト前で部活のない放課後、忘れ物を取りにロッカーに引き返して先輩と行き合った。
サンジは見せ掛けの失恋の後で、元気がないのを心配したのか声を掛けて来てくれる。
本当は先輩のことを考えてばかりいるから、物憂げに見えるだけで。
女の子との別れなんて、軽いイベントの一つくらいにしか感じていないのに。

「女って結構、敏感なんだぜ」
先輩はやんわりと諭すように、サンジに話しかける。
「自分のこと本気で好きでいてくれるかどうか、そういうことばっか気に掛けてんだから誤魔化しは効かねえし」
自分のことを思って話してくれているんだろうに、サンジはそんな先輩の声にばかり気を取られて話はろくに聞いちゃいなかった。
誰もいない放課後。
二人だけで歩く廊下。
もう少しゆっくり、ほんの少しでもこの時間を引き延ばしていたくてサンジは何気なく脚を止めた。
グランドには人影もなく、時折吹く風に砂埃が舞い上がるだけ。

サンジに合わせるように、先輩も足を止めた。
窓の桟に置かれた、よく日に焼けた大きな手の甲をじっと見つめる。
先輩の顔は、まともに見られない。
「サンジ」
すぐ近くで名前を呼ばれた。
サンジより少し高い位置で、先輩の唇は額の辺りにある。
「ちゃんと聞いてるのか?」
「・・・聞いてます」
無愛想に答えたら反抗的に響いて、それが悔やまれて顔を上げる。
先輩の顔は、思ったより近くにあって。
不意に、窓の桟に置かれていた手が上がった。
じっとこちらを見つめながら、先輩の手が額に伸ばされる。
びっくりして思わず目を瞑り、両手を後ろに回して壁につけ身を固くした。

ふっと、長い指が前髪を掠めて瞼を撫でた。
「・・・睫毛」
「あ―――」
目の下辺りを擦られて、先輩の指が離れていく。
ぱちりと瞳を開け、バツが悪そうに視線を逸らす。
「・・・どうも」
「睫毛まで、金色なんだな」
頬まで赤くなったサンジの横で、先輩は指先に乗った小さな睫毛をふっと口で吹いて飛ばした。

―――キス、されるかと思った。
そんな訳ないのに。
つい、身構えた自分がおかしい。
それでいて、先輩に触れられた瞼が熱くていつまでも頬の火照りが冷めない。


その翌日。
試験の合間の一服と、こっそり屋上のフェンスを越えようとして2階のベランダにたむろった男子達に気付く。
「うそ、マジで?」
「マジ、絶対あれマジだって」
先輩の声に、はっと耳を澄ませた。

「釣られてこっちもつい、妙な気になっちまって」
「やべー」
「目覚めた」
「したら、あいつも目え瞑るんだもんよ」
「待ってた、それ絶対待ってたぞ」
「なんでそこでチューしないかな」
「するかっての」
「しろよ、可哀想に」
「期待しちゃっただろー」
「するかバーカ」

ゲラゲラ笑う声はことのほか大きく響いて。
かっと頬が熱くなると同時に、背筋に怖気が走って冷や汗が出た。
目の前に広がる空は突き抜けるように青いのに、足元がガラガラと崩れて真っ暗な穴に落ちてしまいそうだ。
サンジはフェンスに凭れてしゃがみ、自然と上がる息をなんとか抑える。
心臓が、まるで耳元で鳴っているみたいに激しく響いた。
フェンスを掴んだ手は白く筋張って、かすかに指が震えている。

いつまでも動悸は治まらなかった。
以来サンジは、誰にも恋をしていない。





ランチタイムで賑わうフレンチレストラン。
コック見習いのサンジだが、場合によってはフロアも手伝う。
テーブルの間を縫うように軽やかに行き来し、客を出迎え注文を取り給仕する。
女性客にはことのほか愛想よく、男性客には素っ気無く。
それで特に、誰にも咎められたりはしない。

カウンターの一番右端の席に、今日も常連客がいた。
平日に一人でふらりと現れる、恐らくこの近くの会社で働くサラリーマン。
注文は日替わりのAランチと決まっていて、食事が運ばれてからものの数分で食べ終えて長居はせずにさっさと帰る。
特に言葉を交わすこともないが、いちいちオーダーを取る手間も省く程度に馴染みの客だ。
サンジは忙しく立ち働く傍ら、そっとこの常連客を盗み見た。

落ち着いて見えるけれど、サンジとそう年は変わらないのかもしれない。
シャツとネクタイこそは毎日変えているが、スーツは基本同じものだ。
短く切った緑の髪は、時折おかしな方向に跳ねていることもある。
あまり身だしなみには気を回さない、ものぐさな男っぽい。
それでもだらしなく見えないのは、男の顔立ちが整っているせいか、姿勢がよくて立ち居振る舞いに隙がないせいか。
目立たないようで、はっと目を引く不思議な存在感。
端整な横顔は、あの日の先輩のそれとダブる。

―――結局、こういうのが好みってことだよな。
サンジは客が引いたテーブルを片付けながら自嘲した。
背中を向けていても、ついこの客に意識が集中してしまう。
長い間封印していた恋心が今にも蓋を開けてしまいそうで、恐ろしくて忌々しい。
もう二度と、あんな思いはしたくない。
傷付くばかりの恋なんて、最初からしない方がいいに決まっているのに。

懲りない奴だと自分自身を情けなく感じながら、サンジは努めて平静を装って常連客に水を注ぎ足した。
もう料理はすべて食べ終えている。
またカウンターに料金をきっちりと置いて、席を立つのだろう。

「あのな」
「・・・ん?」
話し掛けられるのは始めてで、サンジは驚いて顔を上げた。
カウンターに肘を着いて見上げる常連客と目が合う。
「今日は俺の、誕生日なんだ」
「―――は?」
見つめる瞳は思いのほか真剣で、ああ透明感を帯びた鳶色なんだなとつい見蕩れた。
その合間にも、常連客は黙ってじっと待っている。
しばし見つめ合った後、サンジははっと我に返った。
「あ…誕生日、おめでとう?」
「なんで疑問形なんだ」
常連客はははっと笑い、懐から紙幣と小銭を取り出してカウンターに置く。
「ありがとう、ご馳走さん」
「…どう、いたしまして」
ありがとうございまーすと他のスタッフたちの挨拶を背中に受けて、常連客は店を出て行った。


―――なんだったんだ、今の。
サンジはしばしカウンターの横に突っ立っていた。
テーブルには、いつもと同じように置かれた料金ピッタリの代金。
それを回収しようとして硬貨に触れ、その温かさに気付く。
剥き出しのままポケットに入れ、これを握りしめながら切り出したのだろうか。
今日は誕生日なんだと、サンジに告げるために。
おめでとうとの言葉を、もらうために?

まさか、なと思う。
まさかそんな、と躊躇いながらも首を振る。
そんな筈はない。
またつまらない勘違いで、いらぬ期待をして勝手に傷付くのがオチだ。
そう、思っているのに。
わかっているのに。

サンジの胸の奥に仄かに湧き出た温もりは、なかなか消えてはくれなかった。



END


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