みず温む



久しぶりに、ゾロと喧嘩した。

今年の冬はあまり雪が降らなかったから除雪に忙殺されることもなく、その分どうにもまったりとして締まり?のない冬だった。
狩猟にも除雪車のバイトにも出かけられなかったゾロは、レテの営業日以外はゴロゴロしていた。
元々オンとオフの差がはっきりしているライフスタイルだが、今期はほぼ冬眠状態だったと言っても過言ではない。

常ならば豪雪地帯と称される霜月村は、冬季は雪がなくとも凍結が酷くてレテの営業時間も短くなる。
ゾロがレテを手伝う時間も減って、自然とだらけることが増えた。
そしてとうとう今朝は、毎週続けていた緑風舎の早朝座学もサボろうとした。
確かに、冬に4時起きで座学に出掛けるのは億劫だろうが、それでも理由もないのにサボることはサンジ的にあり得ない。
起きろ起きないで喧嘩になって、表に蹴り出したのが4時半。
「朝飯いらない」とラインが入ったのは、7時前のことだ。
連絡するならもっと早くしろと、更に頭に血が昇った。
こっちは、帰ってきたら一緒に食べるつもりで準備をしていたのだ。

そもそも、ゾロが座学に行くだろうからと、サンジだってこの寒いのに頑張って起きたのに。
そうでなかったら、誰が好き好んでこの夜も明けきらぬ、暗くて寒い時間に温かな寝床から無理して抜け出すかっての。
その辺りの苦労を、ゾロは全然わかっていない。
大体、自分の仕事なんだから自力で起きればいいのに、いつの間にか朝起こすのはサンジの役目になっているのも腹が立つ。
まあ、最初はゾロが自力で起きていたけれど、一度寝過ごしかけてからはサンジが率先して起こし役を引き受けた経緯があるのは否めない。
結果が現在の状況だとわかってはいるが、やはりなにもかも頼り切りになられると鬱陶しい。
っていうか、ゾロがこんなにいい加減な男だとは。
もともと大雑把な部分があるのは知っていたけど、改めて腹が立つ。

考えていたら、なおさらムカムカしてきた。
怒り気分のまま一人でご飯を食べていても全然美味しくない。
半分食べたところで残して、昼食に回すことにした。

どうせ今日も天気は良くないし、洗濯物も乾きそうにない。
掃除をした後は、週末の仕込みに取り掛かろう。
そう思いながら、どんよりと立ち込めた分厚い鈍色の雲を見上げる。
ふと、視線が軒先に留まった。
無残にも、折れた木の断面がささくれ立ったまま雨ざらしにされている。
これもゾロの仕業だと思い出して、さらに沸々と怒りが湧いた。



住まいは、すでに築50年以上経っている。
元町営住宅で、木造の平屋建ては2世帯に分かれていた半分をぶっつり切られた状態だ。
長く風雪に耐えてきたせいで、もはや内も外もボロボロだ。
室内はなんとか、サンジがこまめに拭き掃除を繰り返し清潔な状態が保たれているが、外壁は部分的に剥がれ、瓦がズレているのか天井のあちこちに雨漏りによる染みが広がっている。
土台が傾き、ウソップが子連れで遊びに来た時など、カク坊の持ってきたボールは畳の上を一方向にころころと転がった。
どこかが壊れる度にゾロはこまめに手入れをしているが、いかんせん不器用だった。
農作業や組合での仕事は、全体を取りまとめ的確な指示を出して合理的に物事を進める有能さを持っているのに、一人でコツコツと手直しをするのはまったく「ちゃんと」できていない。
ウソップやフランキーみたいに、生まれつき器用だったり職人技を持っている人が傍にいるから余計そう感じるのかとも思ったが、どう客観的に見てもゾロは「器用でない人」の部類に入った。
加えて、「雑」なのだ。
生来、物事に頓着しない大雑把な気性だったことがマイナス面に作用している。
しかも、本人は「できている」と思っているから始末に負えない。

サンジもどちらかというと職人肌で、こと仕事に関しては一人で一から十までやり遂げたい気質でもある。
だからこそ、ゾロとの「適当」さと「粗さ」に目が行ってしまう。
雨どいが壊れて雨水が一所に流れ落ちてしまうので、それを直すために屋根に上り軒先を踏み抜いて危うく落ちかけたのは先月のことだ。
また天気がいい日に直すと言っていたが、天気のいい日は作業に出るので結局このまま放置になっている。
無残にも砕けた軒先を目にする度に、やはりイライラしてしまう。

「ったく、ろくでもねえよ。なあ?!」
腹立ちまぎれに、中庭でうたた寝をしている風太と颯太に話しかけると、風太はぴょこんと顔を上げて尻尾をバタバタさせた。
颯太は迷惑そうに片目だけ開け耳を倒し、また目を閉じた。





「ぶへっくしょい!」
咄嗟に身体を捻り後ろを向いて盛大なくしゃみをするゾロに、研修生が声をかける。
「大丈夫っすか、風邪っすか?」
「いや、なんかいきなり鼻がムズムズした」
ゾロは両手に茶碗と箸を持ったまま、身体の向きを変えた。
「悪態、吐かれてんな」
「噂じゃなくて?」
味噌汁のお代わりをよそってくれた研修生が、笑いながらお椀を差し出してくれる。

今日の座学は、スモーカーもたしぎもヘルメッポも来なかった。
そりゃまあそうだろうと思う。
天気は悪いし空は暗いし、寒いし眠いのだ。
緑風舎で寝泊まりしている研修生達だけで始めていたところに、ゾロが加わった。
せっかくなので朝食を食べていってと誘われ、ありがたくお相伴にあずかっている。
「飯はいらない」とラインをしたが、既読が付いたものの返事はない。
怒ってる感が、ひしひしと伝わってくる。

―――大体なんで、あいつが怒るんだ。
座学は自主的に始めたことだから、参加するしないも自由だ。
今までだって風邪を引いただの腰を痛めただので誰彼かが欠席して、全員が揃うことは稀だ。
無理に毎週通わなきゃならないことはない。

あいつは妙に、頭が固ぇ。
女にはチャラチャラしてみえるのに、妙なところで融通が利かない。
行くと決めたら通うものだ、約束を破るなとか言われたが、そもそもゾロは座学に通うことを誰に約束したわけでもない。
毎回欠かさず出席すると誓ったつもりもないので、サンジがはっぱを掛けてくること自体理解不能だ。
そもそも、座学に通うのはゾロであってサンジではない。
行きたければ自分で起きていくので、起こしてもらわなくてもいい。
寝過ごして出席できなければ、それでいいのだ。

そうお互いの意見を突き合わせた結果、喧嘩になった。
ゾロが出かけるのに「いってらっしゃい」の言葉もなかった。
ゾロも意地になって「いってきます」を言わなかったけれど、そのせいでなんだか落ち着かない。

「しょっぱい、っすよね」
浸かりすぎたたくあんを噛み締めながらゾロが眉間の皺を濃くしたので、研修生の一人が恐る恐る顔色を窺ってくる。
「いや、美味ぇぞ」
ゾロはそう言って、熱い茶を飲んだ。





夜明けにさっと軒先を濡らした雨は、いつの間にか止んだらしい。
とはいえ、壊れた雨樋からしずくが滴り落ちている。
飛沫が掛かるので縁側に干すのは諦めて、裏庭に回った。
ゾロがトタンで簡易の屋根を作った物干し場があるが、育ちすぎた紅葉の枝に雨が跳ねて濡れる。
こっちもやはり、あらぬ方向から飛沫が掛かって面倒くさい。
去年の間に剪定するといっていたはずなのに、この様だ。
いっそ自分でチェーンソー使うかな…と考えていたら、表でエンジン音がした。
帰ってきたかと思ったが、軽トラの音とはちょっと違う。

「お届け物でーす!」
「はーい」
サンジは玄関に取って返した。
古い引き戸の擦りガラスが、一面黄色に染まっている。
ぎょっとして足を止め、慌てて戸を開けた。

「わ」
「こちらのお宅、ですね」
配達員が抱えていたのは、黄色い花束だった。
花束と称していいかわからないほど、量が多い。
両腕で抱える配達員の姿が見えないほど、大量の黄色さだった。

配達員は、横にどいたサンジの脇を通ってとりあえず玄関に花を横たえた。
それだけで、狭い玄関は花でいっぱいになる。
「お間違い、ありませんか?」
「…はい」
宛先人は、サンジだった。
「こちらにサインを」
とりあえず受け取らないわけにもいかず、差し出されたボールペンで署名する。
「どうも、ありがとうございました」
帽子を取ってさわやかに挨拶する配達員に、サンジも頭を下げた。
「ありがとうございました」

――――男相手に両手いっぱいの花を届けさせるなんて、申し訳ない真似をしたな。
サンジはやり切れない思いで、再び配達証に目を落とした。
差出人の住所氏名は「同上 ロロノア・ゾロ」

「…何考えてんだ、このクソ緑はあああああああああ!」
ちょうど、配達の小型トラックとゾロの軽トラが橋を挟んですれ違った。






「ただいま…と、なんだこれ」
ゾロは開けっ放しの玄関から花を見たようで、目を丸くして覗き込んだ。
「なんだはねえだろ、お前だろうが!」
対してサンジは、怒り顔で仁王立ちしている。
「え、俺?」
ゾロは本気で心当たりがないようで、サンジから手渡された受取証を見た。
少なくとも、そこに書かれた字はゾロのものではない。

繁々と眺めてから、「あ」と声を上げた。
「俺だ」
「なんなんだよ!」
サンジは呆れながら、玄関を埋め尽くす黄色い花を改めてみやる。
黄色くて丸くて可憐で豪奢な、ミモザだ。
「去年の秋、ファーマーズフェアに行っただろ。あん時、花卉農家と知り合いになって、記念日に花の注文ってんで頼んだんだ」
「去年の秋ィ?」
それはまた、随分と前の話だ。
すぐにピンと来なくとも、仕方ないかもしれない。
「それでもなんだってこんな・・・」
そこまで言いかけて、ハッとした。
まさか。

「3月2日前後っつったんだが、まあ間違いじゃねえな」
もう3月8日だ。
なんのかんの言いつつ、先週はあれこれ祝われたので誕生日はすっかり済んだものだと思っていた。
「それで、ミモザ?」
「ああ、そういう名前の花だったか。説明を聞いててお前にそっくりだと思ったから注文したんだ」
ゾロはそう言って、一枝引き抜いて眺めた。
「説明って、どんな」
「黄色くて、可愛い」
ゾロはそう言って、ミモザの花を唇に止める。
サンジはカーッと赤くなってから、ばっかじゃねーの!と叫んだ。

「こんなにいっぱい、どうすんだ。店が開くのは明後日だぞ」
「寒いから、花持ちはいいだろ」
「だからって、バケツじゃ追いつかねえだろ」
ぷんぷん怒るサンジに、ゾロは仕方なさそうに後ろ頭を掻く。
「だったら、たしぎやカヤ達に分けてやりゃいいじゃねえか。連絡したら喜んで取りに来るぞ」
「レディに手間を掛けさせんじゃねえ。第一これは俺がもらったんだぞ、勝手に人にやるな!」
乱暴に言いつつも、サンジは大切そうに花束を拾い上げてとりあえずは風呂場へと持って行った。
倉庫からバケツや盥を掻き集め、なんとか全部水に浸けとかなきゃならない。

「ほんとにもう、勝手なことばっかすんだから」
ぶつぶつ文句を言いつつ、サンジは花を持ったまま振り返った。
「雨あがったから、今日こそ軒先直せよ。そうでないと、昼飯抜きだ」
「おう」
「あと、物干し場のトタンもずれてるから」
「わかったわかった」
ゾロが縁側に出ると、風太が喜んでじゃれかかっている。
颯太も、珍しく尻尾を振っていた。
二匹とも、遊びたそうだ。


黄色い花で埋め尽くされた風呂場を眺め、サンジは一人でニヤニヤした。
今日の昼は、ミモザサラダも作ろうか。
夜には、ミモザのカクテルで一杯やるのもいいな。

ちゃんと軒先が修理できたら誉めてやろうと、サンジは上機嫌で風呂場を後にした。
まずはキッチンに、この鮮やかな、黄色くて可愛い花を飾ろう。


一雨ごとに寒さが緩み、春が近づいている。





End



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