Missing


「ゾロ、くいなが死んだ。」

あまりに唐突で、予想だにしなかった言葉。
突然すぎてまるで現実感が伴わない。
昨日まで走って、笑って、泣いていたくいなが、今はもう動かない。
胸の上で組まれた手は固く冷たく、ここに魂はないのだと聞かされてもただ眠っているようにしか見えなかった。

人は、死ぬのだ。
気が遠くなるほど長く生きて眠るように訪れる死も、もがき苦しんで早く楽にしてくれと心底願った果てに与えられた死も、予想だにせず突然襲いくる死も、すべて同じもの。
血が流れを止め、言葉を失い、光が届かなくなる。
全てが無と化し、思い出の中に残される。

記憶の中で鮮やかなくいなの姿は、ゾロの心で今なお生き続けることになると、誰かが言った。
それならば、ゾロが生きて覚えている限り、くいなも共に生きるのだ。
形見の刀を携えていつか世界一となったとき、傍らでくいなも共に鬨の声を上げるのか。
そう思うと、ゾロの心は高揚した。

一人で村を出た後も寂しいとは感じなかった。
死者は常に傍らにあり、力となる。
自らが野望のために身体を張ることにも恐れは感じない。

どうせ人はいつか死ぬ。
遅いか早いか、悔いが残るか燃え尽きるかの違いがあるだけで、死ぬことに変わりはない。
ゾロはくいなを通して、死を悟った。
だからゾロは恐れずに道を進む。
明日の命など知れなくても、今生きているのだから。

どこか達観したゾロは、だから最初は驚かなかった。

ある日突然、サンジが消えても―――



何の変哲もない島に寄って、3日ほど彷徨って帰ってきたらコックが消えていた。
ウソップは何度も海に潜り、ロビンやナミは島中で情報を集めた。
ルフィは船首の上で胡座を組み、海を睨んでいる。
取り乱して泣き喚くチョッパーはひどく痩せた。
仕事もできなくなった頃、ルフィが張り倒して元に戻した。
それを機に、船は再び旅を始める。
サンジを見つけられる可能性を諦めたわけではない。
だが闇雲に探し続けるより先に進めばどこかで会えると、実に楽観的にルフィが決断を下したから。
生きていれば必ず逢える。
確証のないはったりでも、ルフィの言葉に疑いはない。
それぞれに無理やり自分を納得させて、船に日常が戻った。

サンジがいつ帰ってきてもいいように、順番でキッチンを片付け、食事をつくる。
コックの不在を感じさせないように、どこかよそよそしいぎこちなさでもって、日常が戻ってきた。
次の島に行けば、サンジがいるかもしれない。
心のどこかに淡い期待を抱きなが明るさを取り戻したクルーに、爆弾を落としたのは他ならぬルフィだ。
次に立寄った島でルフィは新しいコックを連れてきた。
まるでヒステリーを起したかのように怒り狂うナミ、マジで怒ったウソップ。
チョッパーはまた泣き出し、ロビンでさえも眉を顰めた。
それでもルフィは譲らない。
「長い航海で食事の管理は必要不可欠だ。コックなしでグランドラインは渡れねえ。それはサンジがいつも言ってたことだし、みんなだってわかってるはずだ!」
がんとして意志を変えない強い瞳。
その隣でゾロも同意を示し、ナミたちは受け入れざるをえなかった。

そして認めた。
サンジはもういないのだと。


新しいコックが入ったことで、皆の口からサンジの名前が出ることがほとんどなくなった。
新参者への気遣いとして、比べたりしない。
不平や不満もない。
実際コックは腕も良く、寡黙でまじめな男だった。
ゾロは流石にルフィが選んだだけあると感心する。
これなら、サンジが帰って来ても邪魔にならない。


日を追うごとに、ゾロの中でサンジの記憶は薄れていった。
金髪だとか煙草を吸っていたとか、痩せていたとか眉毛が変だったとか・・・そんなことしか思い出せない。
どんな顔して笑っていたのか、どんな声で話していたのか意識して思い出そうとしればするほど
輪郭がぼやけてしまう。
一度だけ、ナミに問われたことがあった。
哀しくはないのかと。
小賢しいナミは早くからサンジとの関係に気づいていて、良くからかわれもした。
そして今はゾロを責める。
仮にも4年もの間肌を重ねた相手を失って、寂しくはないのかと。
愛していたのではなかったのかと。
だがゾロには、自分を詰るナミの姿が滑稽に見えた。
野郎同士で愛だのなんだの、薄ら寒いことがあるわけはない。
だが、だからといって処理の為だけかというと、そうでもなかった。
女が抱ける状況にあってもゾロはサンジを抱いた。
何度抱いても手放し難くて、喉の渇きを潤すようにサンジを求めた。
ナミに問われてほんの少し、ゾロの中でサンジが蘇る。
だが直ぐに溶けて薄れる。
その瞳も唇も、いつでも手中にあったモノが霧散して、面影すら残らない。
寂しいと思う閑もないほどに。

ゾロは上陸する度に娼館に入り浸った。
好んで金髪の女を抱いた。
行為の最中に、断片的にでもサンジを思い出すかと思って。
だがサンジの姿はあやふやなまま、新しい女の記憶に摩り替わる。
性的な欲求ばかりが満たされて、ゾロの胸は空っぽになっていく。


サンジが消えて1年が立った頃、ナミが体調を崩した。
時を同じくしてミホークの情報が入る。
この機を逃しては次にいつチャンスが巡ってくるとも限らない。
ゾロはGM号を離れて一人で旅に出た。
鷹の目の行方を探してひたすらに歩く。
ゾロの中からはすっかりサンジの影は消えて、これから臨む戦いだけで頭が一杯になった。
恐れなど微塵もない。
傍らには、くいながいる。

命を堵した死闘の果てに手にした大剣豪の称号を携えて、ルフィたちが待つ島へと帰る。

なぜかまっすぐに帰れなくて、漸くたどり着いた時には旅に出てから3年も経っていた。


久しぶりに再会してみれば、ナミはルフィの子を二人も産んで立派な母親になっていた。
ルフィの呼びかけで、改めてゾロの勝利を祝した宴が開かれた。
変わらぬ仲間。
美味い料理。
愛嬌のあるチビ共。

人生の絶頂にあってようやく、ゾロは歩みを止めた。
ゆっくりと振り返り足りないものに気づく。

くいなが死んでも、夢が叶っても、ルフィに子供が生まれても、何も変らない。
海は青く空は高い。
風が吹いて雨が降る。
止まることなく地球は周り、日が昇る。
何も変らないのだ。

そして、サンジが死んでもゾロには何も残らない。
くいなのように面影が残るわけでもなく、形見もない。
ただ消えるのだ。
ゾロの中でサンジが生きることはない。

だからサンジは――――
死んではいけない。

常にゾロの側にいて、その身体を抱いて、その声を聞いて、その目で捉えていなければ、
ゾロの中から消えてしまう。
美味い料理も、目立つ金髪も、強烈な蹴りも、繰り返したSEXも。
何一つ、サンジの存在に替える意味をなさないのだから。
生きていなければ、ならないのだ。


ゾロの帰還を待って、GM号は再び航海に出た。
新しい仲間を加えて、新たな海を目指す。

大剣豪は水平線を睨み、果てない空を仰ぐ。


ただ風が吹いている。

変わることのない風景。

そこにサンジはいないのに。


気付いた瞬間から、ゾロの視界から色が消えた。

食物は味を失い、波の音さえ届かない。

お前がいない。

俺の中に、お前がいない。


ただ、

  お前がいない――――


END

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