Miracle blue 2

「眠れねーのか?」
「・・・ぐう・・・」

梯子を降りてきて、頭の上で大きな溜め息を一つ。
ソファが沈んで、背凭れにゾロが腰を下ろしたのがわかった。

毛布の隙間から覗く金髪をでかい手が撫でてくる。
これをされるとなんとも気恥ずかしくて、狸寝入りしていられない。

「止めろってんだ、このセクハラマリモ!」
「やっぱ寝てねーじゃねえか。」
毛布を跳ね除け、真っ赤な顔して睨み上げるサンジの目元が赤いのにすぐに気付いて、ゾロは口を少し曲げた。
「お前、夜もあんま寝てねーな。」
「寝てるぜ。俺てめえがいつ寝てんのか知らねえもん。」
それは本当だ。
ゾロは不寝番以外はいつもサンジの傍らで眠る。
ゾロに見られながら寝るのは最初こそ抵抗があったが、いつしかそれにも慣れて先に寝付くことが多くなった。
マリモの腕の中で。
以前なら想像もできないような、寒い光景だ。

そうして確かに眠りには就くのだが、真夜中にふと目が覚めてしまう。
そうするとつい余計なことを色々と考えてしまって結局寝付けなくなってしまうのだ。



元々深く眠るタイプではなかったが、こんなにも眠りが浅くなるなんて。
やはり神経が昂ぶっているのだろうか。
それでも―――
隣で太平楽に眠るこの男の寝顔を眺めていれば、眠れなくとも心は安らぐ。
いつもは凶悪なくらいの仏頂面が眠っているときだけどこかあどけなさを漂わせて、ふと、赤ん坊もこんな顔立ちをしているのだろうかなんて思いついたりして。
それはそれで相当寒いのだけれど、そこで急速に胸が冷える。

本当に、子どもなんかいるのだろうか。
いくらグランドラインとは言え、男が妊娠するなんてありえない。
腹の中で脈打っているのも実は自分の血管で、どんどん膨れるのはなにか悪いデキモノで・・・
チョッパーの診断を疑うわけではないけれど、もうすぐ赤ん坊の誕生だなんて暢気に待ち望んでいていいのだろうか。


自分の首の下に腕を回し、抱えるように眠る男の精悍な横顔を眺めながらサンジは胸が詰まるような気がした。
どうしよう
どうしよう
もしも、赤ん坊なんていなかったらどうしよう。
こいつが、こんなにも喜んでくれたのに。

床に手まで着いて土下座までして俺に頼んだんだ。
無事に産んでくれって。
果たして産めるかどうかは定かではないけど、ともかく今までは順調に育って来た。
けれど、ほんとにこれが赤ん坊かなんて誰にもわからない。
もしも違ったらどうしよう。
俺は悪い病気で、結局死んで・・・
こいつだけが残されたら―――

想像が止まらなくて、じわっと涙が溢れてきた。
ゾロが、霞んだ視界の向こうでぎょっとして目を見開いている。

「なんだ、またなんで泣くんだ。」
らしくもなくオロオロと両手を彷徨わせて、サンジの身体を抱き上げた。
甘やかしすぎじゃないかと思うくらい、最近のゾロは優しい。
以前は蹴り合い殴り合いの喧嘩だってざらだったのに、サンジの妊娠が判明してからはぴたっと手を出さなくなった。
それでも暫くは口喧嘩をしていたが、サンジの情緒が不安定になってきた頃からそれも意識して控えたようだ。

それでもって、どこのたらしかと思うくらい恐ろしく甘くマメな男に成り下がった。
それもサンジの不満の種ではあったが、自分のための変化ではなく腹の中の子どものためだと思えば、
我慢もできる。
だがしかし、本当にその基本ともなるべき赤ん坊が存在するのか。
その確証が得られなくて、不安で心配でたまらない。



黙って涙を流すサンジの背中を、ゾロは一生懸命撫でている。
こんな心配を今頃している自分が馬鹿らしくて、誰にも打ち明けられない。
チョッパーに言えば腕を疑うことになるし、女性陣にはきっと笑い飛ばされるだろう。
そしてゾロは、呆れるに違いない。

「てめえが普通の状態じゃねえのは、一応チョッパーたちに言われてわかってる。けどよ、その・・・黙って泣くのはよくねえんじゃねえか?」
まったくゾロらしくない遠慮がちな言い方だ。
サンジは苛々して、泣きながら睨み付けた。
「うっせ、これは勝手に垂れてくんだ。生理的なもんだよ。」
「違うだろてめえ、また余計なこと考えてやがるな。」
マリモの分際で聡いことを言う。
益々むかついて、サンジはゾロのシャツで鼻をかみながら悪態をついた。

「余計なことって、てめえこそ余計なお世話だ。柄にもねえ庇い立てなんかしやがるな気色悪い。」
「・・・まだ気にいらねえみてえだな・・・」
ゾロはサンジの髪を弄びながら目を眇めた。
「眠れねえってんなら、落としてやろうか。」
「お前が言うとしゃれになんねえ。」
さすがに引いて、サンジはゾロの腕の中で身を竦めた。
「チョッパーが言ってたぞ。予定日を過ぎても陣痛の徴候がなかなか無い時は積極的に運動した方がいいって。」
「あ、あ、あ、あほか!!」
真っ赤になって怒鳴りながらも、サンジの眉がへにょんと下がる。

「てめえは、疑いもしねえのかよ。」
「んあ?」
背中越しにゾロの顎が肩に乗せられてくすぐったい。

「だってよ、てめえ俺がマジで孕んだと思ってんの?」
最後の方は消え入りそうに小さな声になった。
ゾロはじっと、サンジの俯いた横顔を見ている。

「ほんとに腹ん中にガキがいるって、わかんねえじゃねえか。」
「動いてるぞ。」
「下痢腹がくるくる動くこともあんだろ。・・・でっかいクソかもしんねえ・・・」
ぶっと首元で吹き出される。
何か卑猥なことを言われそうな気がして、先に頭を叩いて牽制した。

「いってえな。今更何言い出すんだてめえ。」
予想通りの台詞に、サンジはもの凄く哀しくなった。
俺がこんなに心配してんのに、なんでこいつはこんなにも能天気なんだ。
そう思うとまた泣けてきそうで、唇を尖らせたまま毛布の皺なんかを目で追ってみる。

「あのな、てめえのこん中に、確かにガキがいるぞ。」
膨らんだ腹の上を、ゾロのでかい手が撫でる。
「なんでわかんだよ。」
「・・・言ってなかったか?俺あ、呼吸が読めるんだ。」
「―――は?」

初耳だ。
そういえば、鉄が斬れるのがどうとか、言ってたっけか。

「無機物でも呼吸がわかんだよ。こんな元気の塊みてえなの、わからねえ訳ねえだろう。」
てめえ、腹に持っててなんでわからねえんだと、素で問われる。
サンジは、武道を極めるとここまで人間離れするのかとまじまじとゾロを見つめた。

「だから安心しろ。間違いなくガキだ。男だか女だかわからねえが、どうもてめえに似て足癖が悪い。」
それは、そうかもしれない。
こっちが寝ていようが調理中だろうが、だかだか足踏みされた日には、相当痛い。
ガキの癖に脚力があるのかと痛いながらも嬉しかった。
・・・ってことは―――

「ほんとに、ほんとにいるんだな。」
「おう。」
「間違いなく、人間の子か?」
「俺の子だろうが。」
「・・・俺男なんだぞ。」
「知ってる。」
「なんでできんだよ。」
「さあなあ。」

ゾロは面倒臭がらずに律儀に返事を返してくれる。
どこか面白がっている風に、口元には笑みを浮かべて。
「そんなに疑うんなら、さっさと産むか。ちと刺激してみっか?」
ぎょっとして、身を引いた。
こんなところで積極的にことに及ばれては溜まらない。

腹を抱えて逃げ腰になったところを背中から抱きとめられた。
「冗談だ。今は大人しくしててやる。だがな、今度陸に着いて・・・」
耳朶に口付けながらふうと息を吐きかける。

「まだ産まれてなかったら、そんときゃ覚悟しとけよ。」
「・・・てめえ、最低〜〜〜」


このまま自然の成り行きで船上出産となるか、島についてからさあどうぞとばかりに突かれるのか、どちらにしても人生最大のサバイバルだとサンジは覚悟を決めた。

END

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