めざまし時計
-5-



翌日は、張り切って5時に目が覚めてしまった。
弁当箱の買い置きなどないので、手ごろなタッパーで代用する。
鼻歌交じりで冷蔵庫を開けて食材を取り出し、ふと手を止めた。
「あれ?」
買い置きのビールが、随分と減っている。
缶用のダストボックスを開けると、空き缶でいっぱいだった。
「いつの間に、飲んでんだ?」
いつも夕食時しか飲んでいないはずだ。
もしかして、サンジが風呂に入っている間に、急いで空けているのだろうか。
「…コソコソしなくていいのに」
ゾロが買った酒なのだから自由に飲めばいいと思うけれど、あまりに酒量が多いようなら身体が心配だ。
とりあえず気付かなかったふりをして、蓋を閉めた。
ただ、気を付けていようと思う。

いつもと同じように6時半にゾロを起こす。
コツが掴めた・・・というか、遠慮がなくなって最初から踵落としを決めるようになったので、5分と掛からず起床する。
「なあ、服装は決まりある?」
「特に決まってない、ただジーンズじゃなければ」
「じゃ、無難にシャツとパンツで」
寒い季節も、サンジは薄手のシャツに分厚いコートを羽織るだけでなんとか凌いできた。
こまめに洗って着回し三昧だから、生地はかなりくたびれている。
「お前は手足が長くスタイルがいいから、シンプルなモンでも映える」
ゾロが真顔で褒めてくれたので、照れ隠しに悪態を吐いた。
「てめえはシャツもネクタイもたくさんあるのに、いつも同じもんばっかじゃね?」
初めて会った時から、ネクタイを替えてないことが気になっていた。
シャツも、洗って干したハンガーからそのまま着ているから2パターンしかない。
「ネクタイなんざ、締めてりゃいいだろ」
「おっさん臭えこと言うなよ。それに、スーツも替えてないんじゃね?ファブリーズしたけど、ちょっと臭そう」
冬物はたくさんあるんだから・・・と、クローゼットを開く。
「このスーツ、シャツにこれでネクタイ、どうだ?」
「ああ」
ゾロは特に抵抗することもなく、サンジのチョイスを受け入れた。
「本当に、何も考えてねえだけなんだな」
呆れて言うと、ゾロは「まあな」と悪びれなくシャツに袖を通す。
身支度を整えて二人揃って家を出た。

僅かな期間とは言え、同じ職場に出勤するのはなんだかドキドキする。
不安より、ワクワク感の方が強い。
「今さらだけど、なんの仕事してんだ?」
「今はロンリンってえ企画会社で主任をやってる」
「今は?」
「去年はクロッカス峡谷のダム建設会社で、現場監督やってた」
「現場監督?」
「その前はドラムメディカルセンターの営業だった」
「営業?」
何を言ってるのか、さっぱりわからない。
「なに、派遣なの?」
「まあ、派遣っつうか、一年周期で異動している」
「もともとは?」
「ジュラキュールコーポレーションの総務課付だ。出向扱いだな」
その会社名ならサンジでも聞き覚えはあった。
「大企業じゃん」
「まあな」
ラッシュアワーで満員の電車に揺られ、小声で会話している間に乗換駅に着いた。
そこから更に3駅ほど乗るらしい。
「でもまだペーペーだって、自分で言ってたじゃねえか」
「ああ、だから1年間隔で色んな会社を渡り歩いて修行中だ」
「???」
よくわからない。
疑問に思っている間に、職場に着いてしまった。
雑居ビルの4階に「ロンリン企画」と古ぼけた看板が掲げてある。

「もう着いた?」
そう口にしたのは、ゾロの方だった。
は?と怪訝そうに、サンジが振り返る。
「もう少し、駅から距離があったと思うんだが」
「・・・それ、多分無駄に遠回りしてるだろ」
7時半に自宅を出て、到着したのは8時前だった。
ゾロは出勤に1時間かかっていると言っていた。
一体どこをどう乗り継いで歩けば、そうなるのか。

「まあ、早め出勤はいいことだ、早速行こうぜ」
まだ首を捻っているゾロを引っ張って、エレベーターを通り過ぎ階段を昇る。
ゾロも普段、極力エレベーターを使わずに階段を利用するらしい。
「日々、鍛練は大事だ」
「そりゃ勤勉なことで」


「あら、お早いですね」
「おはようございます」
ベテランらしき女性社員が、受付に花を飾りながら挨拶してきた。
「そちらが、助っ人さん?」
「はい、サンジと言います。よろしくお願いします」
畏まって頭を下げると、女性はまあまあと相好を崩した。
「小さな会社だから、こんな若い人が来てくれるの大歓迎だわァ。主任が見えた時もテンション上がったのよ」
「主任…」
話の流れから、ゾロのことだろうかと視線を巡らす。
「席は受付の横が空いてるからそこでいいでしょう、よろしくお願いします」
サンジにではなく女性にそう言って、ゾロはさっさと自分の席に着いてしまった。
置いてかれた形で、サンジは改めて女性に申し出た。
「なにをしたらいいでしょう?」
「まだ就業時間前だから、ゆっくりしてていいのよ」
「落ち着かないです、掃除とか片付けとか言ってください」
「そう?じゃあ―――」
遠慮なく物を言いつけられ、サンジは嬉々として従った。
やはり、動いている時間が一番心休まる。


次々と出社してきた人に、朝礼の席で改めて紹介された。
僅か3日間だけの助っ人だが、サンジが若いのもあって歓迎された。
「学生さん?ちょうどバイトの空きがあったのかな」
「あ、いえ、でもそんなもんです」
曖昧に返事して、それでなにをしましょうと揉み手する。
もう、仕事したくて仕方がない。
「エクセル、使えるよね」
まず使える前提で話を始めたので、サンジは慌てて遮った。
「すみません、俺パソコン関係使えません」
「え?今時そんな子いるの?」
ダイレクトに驚かれて、傷付くより申し訳なく思った。
「普通、学校で習うでしょ」
「すみません」
確かに授業や課外であったが、テキスト代などがかかるものは受けさせてもらえなかった。
サンジが言い淀むと、「まあいいや」とすぐに矛先を収めた。
「じゃあ、この伝票をファイルに差し込んでくれる?」
「はい!」
そういう事務作業は大得意だ。
細かな指示も受けぬまま書類の束を丸投げされたが、サンジは先に綴じられているファイルをよく見て法則を見出した。
それに則って、誰が見ても探しやすいように綴じ直していく。
30分ほどすると、別の社員がやってきた。
「それ途中でいいから、一緒に現場来てくれる?」
「行きます、これも終わりました」
「お、早いね」
サンジはファイルを元の位置に戻すと、机周りを片付けてすぐに男性の後につく。
男性は足を止め、振り返った。
「あ、現場で昼飯食うけど・・・」
「じゃあ、弁当持ってっていいですか?」
そう言って取って返した
「弁当、持ってきたんだ」
「はい!」
事務所でゾロと一緒に食べられないのは残念だが、まずは仕事第一だ。
弁当と水筒を抱え、サンジは早速男性と共に現場に向かった。

ワゴン車の助手席に座ったら、さり気なく尋ねられた。
「ロロノア主任とは知り合い?」
「あ、はい」
「学校の先輩かなんか?それにしちゃ、年が離れ過ぎてるか」
「ええまあ、ちょっとした縁で…」
一緒に住んでいるとは、自分からは言わない方がいいだろう。
話題を転じるために、質問で返してみた。
「ロロノアさんとそれほど親しい訳じゃないんで、俺も良く知らないんです。まだ若いって聞いてるのに、いくつか職場を転々としてるって聞いたんですけど…」
「ああ、そうなんだ」
世間では人間関係が希薄な分、交友範囲は随分と広まった。
そういうこともあるだろうと、納得したのか気楽に答えてくれる。
「なんせ大企業の御曹司だから、親の七光りってえの?それで色々苦労してるみたい」
「へ?」
そう言えば、ジュラキュールなんとかって、サンジでも知っている有名会社の名前を言っていたっけ。
「本社は、ゾ・・・ロロノアさんの親御さんが経営してるんですか?」
「そう、あからさまなコネ入社なんだけど、そこがさすが大物と言うかなんと言うか。まず実地で学べとばかりに、新人研修終わったら即子会社に出向させられたんだと」
「ひえっ」
「しかもまったく畑の違う部署ばかり、ほぼ一年周期で転々とさせられて、今年度はうちってこった」
「・・・スパルタ、ですね」
「ああ、こんな七光りなら全然羨ましくないね」
でも――――と続ける。
「俺が新人の頃と比べても考えられないくらい貫録があるから、やっぱただもんじゃないと思うね。出向前に徹底的に勉強して臨むらしいから、主任なんて地位でいきなり参入してもなんとか体裁は整えてくる。大したもんだと思うよ」
「へえ」
ゾロはゾロなりに苦労もしてるんだと思ったら見直してしまった。
ただの天然迷子で寝坊助なだけじゃなく、努力の人でもあったんだ。

そうこう話している間に、着いたのは駅前にあるデパートのバックヤードだった。
ロンリン企画は、デパ地下イベントも引き受けているらしい。
「来週からB1で東海フェアをやるんだ、東海域の有名どころが何店か出店してね」
「東海…」
サンジは目を輝かせた。
「俺、子どもの頃は東海に住んでたんですよ」
「へえ、それじゃ知ってるとこもあるかな。あ、チラシあるよ」
手渡されたチラシを見て、動きを止める。
「あの…」
「お、知ってるとこある?」
「バラ、ティエ」
頬を上気させて、おずおずと顔を上げた。
「バラティエって、フレンチレストランの?」
「知ってるのか!半年先まで予約が一杯ってえ名店だ。今回はデザート部門のシスターアンコーから出店だがな。企画の目玉の一つだ」
「そう、なんだ」
サンジは感極まったように、目を潤ませてチラシを見た。
「よかったら、そのチラシ持って帰っていいぞ。さ、フロアに行くぞ」
「はい!」
元気に返事して、もらったチラシを大切に鞄に仕舞う。

「今日は結構、力仕事があるからな」
「任せてください」
入店手続きを済ませネームプレートを胸に下げ、サンジは意気揚々と仕事に取り掛かった。





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