めざまし時計
-15-



バラティエ姉妹店、シスター・アンコーのイベント最終日は恙なく終了した。
連日大盛況で、素人のサンジが見ても大成功と言える出店だったと思う。
夕刻にオーナー・ゼフが姿を現し、スタッフ一人一人に労いの言葉を掛けてくれた。
バラティエから出向してきていたスタッフ達は、片付け後すぐに引き上げ慰労会はなしだ。
閉店まで慌ただしくて、名残を惜しむどころかろくに礼も言えない。

現地でバイトに採用されたのはサンジ一人なので、ここにきて思わぬ疎外感を覚えてしまった。
トラックへの荷運びを手伝いながら寂しさを感じていると、「おい」と背後から声を掛けられる。
ゼフだと気付いて、急いで荷物を置いた後、駆け戻った。
「はい」
「世話になったな」
思いもかけない言葉に、サンジは驚いてしまった。
「礼を言うのはこっちです、俺のこと覚ええくれて、仕事を与えてくれて、ありがとうございました!」
ばっと頭を下げ、深々とお辞儀する。
ゼフは面倒臭さそうに顔を顰め、口をへの字に曲げた。
「お蔭さんで、こっちでの出店は大成功だっぇ、百貨店からも評価してもらえてな」
「そうですね、わずかな期間だったのに顔馴染みのお客さんが凄い、増えたと思います」
「まあ、シスター・アンコーだけじゃなくバラティエの知名度も上がったようだ」
「だと思います!大体、お客さんは最初に『バラティエのとこの・・・』って話を始めますから」
実際に接客した上で掴んだ印象だ。
バラティエの名前は、着実に浸透している。

「こっちもそこそこの手応えを感じてな、出店の足掛かりを掴んだと思っている」
「ああ、そうですね・・・」
相槌を打ってから、「え?」と目を瞬かせた。
「出店?」
また、デパートに来るのだろうか。
「支店だ。まだ先の話だが、こっちにバラティエGL支店を作る予定だ」
「マジで?!」
目を輝かせるサンジを、ゼフはじっと見つめた。
「お前、今後の身の振り方を考えてんだろうな」
「――――・・・」
鋭い眼光に気圧されつつ、サンジはつっかえつっかえ言った。
「パティが助言してくれたんだけど、俺、もしできるなら、ちゃんと料理の勉強してぇ」
「それで?」
「専門学校入って・・・入る金があるなら、だけどなくても稼いで、そいで勉強して、そしていつか料理人になりたい」
サンジにとって雲の上の人で、目標に定めることすら畏れ多いオーナー・ゼフを前にして、思い切ったことを言ってしまった。
が、これがサンジの夢だ。
料理人に、なりたい。

「だったら、きっちり学校で勉強して来い。その後、俺の店で修業させてやる」
「―――!」
「二年後なら、GL支店もできてだろ。そこで一から扱いてやるから、覚悟があるなら面接を受けに来るといい」
サンジは、ぶわっと毛が逆立つのを感じた。
ゼフが、こちらに進出させる新しい店に、自分を呼んでくれている。
学んだあと、目標とできる居場所が、見つかった。
「ただし、ふざけた面接しようもんなら容赦なく落とすぞ。学校を卒業できなきゃ、論外だ」
「やる!絶対学校行くよ俺、そして卒業したら、必ず受けに行く!」
「確約はできんぞ。その頃には、てめえよりよほど間に合う有能な人材が揃ってるだろうからな」
「俺も、なんとしてでもきっと店に行く!必ず入って見せるから、だから―――」
サンジは居住まいを正し、再び頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「・・・まだ早ぇよ」
ゼフは不機嫌そうに顔を歪めたが、小鼻が膨らんでいる。
その背後で、パティが小山のような身体を屈め、クックと笑いを堪えた。





「ただいまーっ!」
息せき切って帰ってくると、ゾロが驚いて風呂場から顔を出した。
「なんだ早ぇな。打ち上げ、なかったのか」
「おう、お見送りして終了だ」
「そりゃまた、あっさりしたもんだ」
ざっとシャワーで流す音がして、ズボンの裾を膝まで捲り上げたゾロが出てくる。
「なに、掃除してくれてたの?」
「今日も休みで、暇だったんだ」
「すげえな、前の休みん時は丸一日寝てたのに」
中を覗いて「綺麗になってるー」と喜んだあと、洗面所で手を洗った。
「てっきり、向こうで飯食ってくるかと思って、何も用意してねえぞ」
「大丈夫、そんなことだろうと思ってお惣菜を安売りン時に買っておいた」
サンジが惣菜を温め直している間に、ゾロは冷蔵庫に冷やしておいたワインを出した。
ゾロの好みではない、フルーティな口当たりの甘口だ。
「誕生日まで置いとこうかと思ったが、うちで慰労会すっか」
「おう」
グラスに注いで、乾杯する。
「お疲れさん」
「ありがとう」
サンジはコクンと飲んで、顔を綻ばせた。
「あ、美味い」
「ジュース見てエだろ。だが調子に乗って飲み過ぎるな、一応アルコールが入ってる」
「わァってる」
喉を湿らせて、サンジはゼフのことを報告した。

「GL支店ができるのか、そりゃすげえな」
「だろ?まだ先っていうことだけど、2年なんてあっという間だ。だから俺、本気で学校に行きたいと思ってる」
「そのことだがな」
ゾロは一旦席を離れ、タブレットを取ってきた。
ささっと捜査してページを開いてみせる。
「エースから連絡があった。詳細はこれだ」
「えっ?こんなに?」
「それで、お前の口座にこうで、こうなる」
「おおお」
「ちなみに、この部屋の家賃がこれだけで、食費はここ一週間のレシートを参考にしてこれで…」
「ふむ」
「さらに外食がこうで、こう」
サンジは「はい」と手を挙げて発言した。
「俺が転がり込んで来て言うのもなんだけど、今週は外食多かったんだよな。俺がちゃんと落ち着いたら、外食の回数は減ると思う。買い物ももっとお得に済ませるし、俺は本来節約上手なんだ」
「今まで、俺一人じゃ統計取ってなかったから比較にはならんが」
「ってか、なにゾロ、超マメじゃん」
サンジが目を丸くするのに、ゾロはやや得意気に顎を上げた。
「今まで気にも留めてなかったが、お前がレシートを全部保管してあったから、とりあえず家計簿代わりにつけてみただけだ。必要経費を割り出して、当面の間は俺の稼ぎを充当する」
「待って、俺の分は・・・」
「必要経費として、毎月これだけ。家事労働も計算内だ」
「そんなんでいいの?」
「ちなみに、お前が通う学校な。この近所だとこことここで、こっちは学費がこれくらいでこっちも似たようなもんで―――」
「あ、こんなことまで」
「さらに、夜間のバイトだとこの辺にこう」
「リサーチ上手か!」
呆気にとられたサンジを見て、ゾロは若干言い訳めいた口調になった。
「お前が今後、いかに安価かつ楽しい生活を送れるようになるか計画し出したら、止まらなくなった」
「―――・・・」
「あ、勿論あくまで提案であって、この通りにするこたねえんだぞ。お前の希望もあるだろうし好みもあるだろうし、あくまで参考程度だ。無理強いするつもりも、お前の人生にレールを敷くつもりもねえ」

「ゾロ」
「ん?」
サンジはひたっとゾロの目を見つめた。
「もしかして、いまゾロの頭の中は、俺でいっぱいなのか?」
ゾロは一瞬目を瞠ってから、くるんと視線を上げる。
何もない天井を睨み付けた後、力を抜いて首を緩く傾けた。
「・・・そうかも、しれん」
ポツリと呟いたゾロに、サンジはガバッと抱き付いた。
「どうした」
「――――・・・」
ゾロの首元に顔を擦りつけ、呻くように声を絞り出す。
「なんか、こう、気持ちがぎゅっと、なった」
「そうか」
ゾロはサンジの頭を撫でて、強く抱きしめ返す。
「・・・俺もだ」
「――――」

サンジはおずおずと顔を上げた。
至近距離で見つめ合いながら、しっとりとキスを交わす。
ゾロの膝の上に座って、向き合って抱き合う形で繰り返すキスに自然と体温が上がった。

「・・・な」
「なに?」
くちゅ、と濡れた音を立てて交わされる口付けの合間に、ゾロが甘く囁く。
「誕生日のプレゼント、なにがいい?」
それに、サンジも懸命に応えた。
「もう、決めてある」

俺がいま一番欲しいもの。
「ゾロが、欲しい」

ゾロはその場ですっくと立ち上がった。
サンジ一人分の体重など、ものともしない。
むしろサンジの方が、木にとまる蝉の気分だ。
「な?え?」
「もういいな、今でいいな?」
サンジを抱き上げたまま、ゾロは早足で寝室へと向かった。
頬が紅潮して、鼻息が荒い。
抱き締める手にも力がこもっていて、喰い込む指が痛いほどだ。
「ああ、全力で祝ってくれよ」
横抱きにされたサンジは、ゾロの腕にしがみつく。
そうしてそのまま、二人してベッドにダイブした。







いつもと同じ時刻に、パチリと目が編める。
念のためにセットしておいたタイマーを止め、腕を伸ばして床を探った。
昨夜脱ぎ捨てたままのパジャマを拾い上げ、素肌に羽織る。
布団の中の心地よい温もりは名残惜しかったが、意を決してするりと抜け出した。
隣に眠るゾロの裸の肩に、そっと布団を掛け直してやる。

歩く度に若干身体が、軋む気がする。
軽くシャワーを浴びて、あちこち点検した。
色々心配もあったが、まずは大丈夫なようだ。
風呂場から出ると、ちょうど炊飯器が炊き上がりのブザーを鳴らした。
蒸らす時間の間に、味噌汁を仕込み弁当のおかずを作る。

朝食が和食だから、昼食は洋食っぽくしよう。
もし打ち合わせで弁当がいらないと言われたなら、サンジが食べればいい。
鼻歌交じりに卵を掻き混ぜ、青菜を茹でてジャガイモを煮る。
コトコトと鍋の蓋が小さく鳴り、部屋の空気は蒸気で温まった。
ゾロを起こす時間を見計らい、コーヒーを淹れる。

「そろそろだな」
火を止めて、換気扇はかけたまま寝室へと戻った。
ゾロはまだ、布団の中でぐうぐうと寝入っている。
優しく声をかけても起きないことは学習済みで、最初から踵落としが有効だ。
そうわかっているのに、ふと考えて顔を近づけた。
「ゾロ、おはよう」
耳元でそう囁き、息がかかるほど近くに顔を寄せる。
と、布団の端から伸び出た腕が、サンジの後頭部を鷲掴んだ。
「――――んっ…」
ちぅっ、と唇を鳴らしてキスをした。
いったん離れてから、まだ目を閉じているゾロを軽く睨みつける。
「この、狸寝入り!」
ゾロは片目だけぱちりと開いて、いたずらっぽく笑った。
それに怒ったふりをして、布団の上から伸し掛かる。

二人がベッドから出るまでもう少し、時間が掛かりそうだ。





End



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