まるで白昼夢




迅速丁寧、真ごころ配達がモットーの宅急便は、今日も元気に街中を走り抜け、郊外の一軒家の前に着いた。
ここは玄関先に空き地・・・もとい、駐車スペースが豊富にあるから、駐車監視員の目に怯えることもない。
じーわじわと蝉の鳴き声が暑さを倍増させる季節、長年この地区を担当して来た佐藤さんが、後任の鈴木さんを連れてやって来た。


「ここはなんでも、有名な小説家さんのお宅らしい。メール便はしょっちゅうだし、お中元やお歳暮の時期は台車を使いたいくらいだけど、道が平らじゃないから何回か往復することになる」
小声で説明しつつ、凹んだインターフォンを押す。
「これも、日によって鳴るときと鳴らない時がある。どちらにしても、ここから本当の玄関まで距離があるから、一応押してから勝手に中に入っていい」
言いながら、傾いだ木枠の戸を開けて「こんにちわー」と爽やかに声を掛けた。
応えがなくとも、そのまま置き石を辿って中に入る。

「新しい家政婦さんが来たみたいで、この辺もすごく綺麗に掃除されてんだよ。前は凄かったからなあ」
「そうなんすか」
「うん、本当に人が住んでるかと疑いたくなるくらい荒れていた。ここらも獣道だったし・・・」


殺風景な前庭を通り抜けると、また玄関があった。
佐藤さんはコホンと咳払いをする。
「こんにちは、宅急便でーす!」
「はーい」
奥から、若い男の声がする。
「今回はインターフォンが鳴らなかったみたいだな。鳴っていたら、ここでハンコ持って待っててくれるんだ」
鍵は掛かっていないらしく、佐藤さんは勝手に戸を開けた。
軽い足音を立てて現れた『家政婦』さんに、鈴木さんは目を丸くする。

「お疲れ様ですー」
ハンコ片手にひらりとスカート翻して現れたのは、どう見てもメイドさんだ。
濃い紺地のワンピースに白い衿、裾にはフリル。
短めの丈のスカートからすらりと伸びた足は素肌より濃い目のストッキング。
差し出された手の白さと混じりけのない金色の髪が眩しい。

「今日はメール便2通と冷凍便が1箱です」
「ありがとうございます」
ちゃっちゃと仕事をこなす佐藤さんの後ろで、鈴木さんははっと我に返った。
驚いた。
驚きのあまり固まってしまっていたが、そんなことではプロとして失格だ。

「来月からこちらの担当が替わりますので、後任を連れてご挨拶に参りました」
「それはご丁寧に、どうも」
慌てて頭を下げる。
額に浮いた汗は労働の証しだと察してもらいたい。
「鈴木と申します、よろしくお願いいたします」
ピッと姿勢を正したまま礼をし、名刺を渡す。
「毎日お伺いすると思いますが、何かありましたらいつでもご連絡ください」
「はい、よろしくお願いします」
メイドさんがぴょこんと頭を下げると、さらりと金髪が揺れた。
やはり旋毛まで金色だ。
本物だあ。

「今日は発送はありませんか」
「はい」
「それでは失礼します」
玄関先で再敬礼して、佐藤さんと鈴木さんは姿勢正しく表玄関までの道のりを早足で歩いた。
振り向きもせず。
炎天下に駐車しておいた車の中はむっと熱気が篭もっているが、地球温暖化防止のため仕方がない。
それでもエンジンをかけて、少しの時間車内が涼しくなるのを待った。




「・・・あの」
「うむ、よくやった。冷静だった」
「ありがとうございます」
本当は色々話したい。
なんせ目の前で生きたメイドさんを見てしまったのだ。
行ったことはないけれど、きっとメイド喫茶に行かなければ見ることもできないようなメイドさん。
金髪で蒼い目で・・・しかも男だったけれども。

「この屋敷に一歩立ち入ると、思いもかけない光景を目にすることがある」
佐藤さんは正面を向いたまま、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「俺も最初はあの姿に驚いたが、慣れればそれが普通だと思える。毎日少しずつデザインは違うが基本はあの格好だし、気立てがよくて礼儀正しいメイドさんだ。荷物が多くて往復する時は、麦茶なんて出してくれる」
「はあ・・・」
「多分、冬は暖かい梅昆布茶でも出してくれるんだろう」
「・・・なるほど」
奇天烈なものを見てしまったが、どこか心が和んで来た。
いいなあ、メイドさん。
ふと夢見る目付きになった鈴木さんに、佐藤さんはコホンと一つ咳払いをして注意を促した。

「だがしかし、時には恐ろしいものを見ることもある」
「え?」
ぎくりと、顔を強張らせて佐藤さんを見た。
「しかし俺達はプロだ。ご自宅にお届けする職業柄、時にはプライベートを垣間見てしまうことがある。そんな時、絶対に動揺してはならない」
「はい・・・」
佐藤さんは前を向いたまま話している。
一体、どんな恐ろしい光景を見てしまったんだろう。

「あの・・・、聞いちゃいけないかもしれないんですけど、その・・・私もそういう現場に遭遇したときの心構えとして、一体どんな・・・」
佐藤さんは無言でギアを入れ、サイドブレーキを解除した。
車は滑るように発進し、件の家から遠退く。

「・・・そうだな、俺も、今思い返してもあの時の自分自身を褒めてやりたいと思う」
ごくりと、鈴木さんが唾を飲み込む。
「あれは、先週のことだったか―――」
佐藤さんは丁寧に運転しながらも、どこか遠い目をして言った。
「その時もインターフォンが鳴らなかったんだ。挨拶と同時に玄関の戸を開けたら、あのメイドさんの服装がちょっと違ってた」
「・・・」
「素肌に白いシャツ一枚だった・・・」
「・・・!」

鈴木さんは、なんと言っていいかわからなかった。
そうなんですか、とかそれは大変でしたねとか、どの言葉も慰めにしかならない。
それにしても、あのメイドさんの白シャツ姿は、どんなだったんだろう。
想像すると変な汗が滲み出てきて、額を拭きたくなってくる。
駄目だ、俺にはまだまだプロ意識が足りない。

「しかも、メイドさんも慌ててたんだろう、手にしていたハンコを落としてしまった」
何も言えず、固唾を呑んで続きを待つしかない鈴木さん。
「コロコロと転がるハンコを追って振り向き、後ろを向いたまま腰を折ってメイドさんはハンコを拾ったんだ」
佐藤さんの顔がどこか苦しげに歪む。
「メイドさんはノーパンだった」
「―――!!」

もはや息継ぎもできない。
鈴木さんはなぜこうも息苦しくなるのかと戸惑いながらも、固まるしかできなかった。
「しかも―――」
まだあるのか!
「メイドさんの、真っ白な・・・尻に、くっきりと、歯型、が―――」

ぶほっ
なんか出た。
今、なんか出た気がする。
しかし、お陰で呼吸することを思い出して、鈴木さんはなるべく音を立てないように気をつけながらも大きく息を吐いた。

プロだ。
やっぱり佐藤さんは凄い。
俺たちはプロの宅急便業者として、何事にも動じてはならないのだ。

「ありがとうございます。俺、頑張ります!」
「うむ、君ならちゃんと俺の後を継いでくれると思ってる」
「佐藤さんも、新しい勤務地で頑張ってくださいね」
それぞれ相手を励ましつつも、自らも奮い立たせる気持ちで大きく頷いた。


じーわじわと蝉時雨の降りそそぐ夏の日差しの中、法定速度を守って車は滑るように賑やかな街中へと走って行く。

迅速丁寧、誠心誠意真ごころ込めて、今日も荷物をお届けするために。




END



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