マリモ観察日記
−ホモ撲滅大作戦− 2


赤い夕日に照らされて、入り江に浮かぶGM号はゆらりゆらりと揺れている。
甲板に降り立っても船番のはずのサンジは姿を見せない。
当然一緒にいるだろうゾロの姿もないから、こんな時間から二人してどこかにシケこんでいるのは明白だ。
うっかり現場に踏み込まないように気を使いながら、ウソップはわざと大きな足音を立てて声を張り上げた。

「うお〜い、サンジい!どこだあ〜っ!!」
ゆっくりと歩いて船内をぐるりと回る。
たっぷり時間を設けてから、本命と見られるラウンジの扉を開いた。
案の定、二人が微妙な距離で不自然に佇んでいた。
張り付いたような笑みを浮かべて、サンジがおうと声を返した。

「どうしたウソップ。なんか忘れもんか。」
対してゾロは、口をへの字に曲げてウソップを睨み付けている。
悪かったなあ、お邪魔虫で。
「ああ、いやあ丁度よかった。ゾロを探してたんだ。ちょっと、いいか。」
そう言ってゾロだけ手招いてラウンジから出た。



「なんの用だ。」
不機嫌を絵に描いたような顔つきだ。
「ちょっと助っ人頼まれてくれねえか。なあにたいしたことじゃねえ飲み比べだ。」
「助っ人」と「飲み比べ」に反応したようだ。
ほんっとわかりやすいよこいつも。
「さっきふらっと立寄った酒場でよお。女に酒薦められて困っちまったんだよ。強い奴連れてくるからって逃げてきたんだ。女に勝ったらただらしいから、な、頼む!行ってくれ。」
酒に心を動かされたらしい。
ちらりと目線だけラウンジに寄越して考えている。
「なあに、夜までにここに帰ってくりゃあいいじゃねえか。そう時間は取らせねえよ。」
俺の口車に乗せられて、ゾロはしぶしぶ頷いた。





ゾロを伴ってさっきの店へと帰ると、扉を開けた途端店内の視線が一斉にこっちに集中した。
気のせいか人が増えてる気もする。
内心怖気づきながらも、後ろにいるゾロを頼りに店内に踏み込む。
奥のカウンターで足を組んで座るシンシアの瞳が、きらりと光ったのがわかった。
「…やあ、約束どおり連れてきたぜ。」
「へえー、まだ若えじゃねえか。」
ギャラリーが軽口を叩くのを、シンシアは目で牽制した。
ゾロを頭の先から爪先まで、計るようにじろじろと眺める。
「ふうん、あんたが堅物のお連れさん?」
対してゾロも、きつい眼差しで見返している。
女相手にガンつけるんじゃねえっての、まったく。

「まあ座れよ。こいつはゾロ。酒がかなりイける口なんだ。」
「あらまあ、私もよ。それじゃお近づきのしるしに一杯いかが?」
飲み比べにしちゃあ雰囲気が違うと察したのかゾロはこっちを見て目の光を強くしたが、俺は気付かない振りして酒を勧めた。
なによりおっかないのが連れのゾロってのは、シャレにならねえ。
「おお、まあ乾杯しようぜ。折角の島だ。いい酒を呼んでくれよ。」
そうして3人でグラスを合わせた。



なるほど、シンシアがイカス女だってのは、俺にはよくわかった。
飲むばかりの野暮天ゾロからうまく話を引き出しては会話を成立させている。
ナイスバディだからって色気だけを売り物にしてる訳じゃねえんだな。
相槌のタイミングや話の引き出し方が上手い。
メインがゾロの筈なのに、隣の俺までいつの間にかぼうっとシンシアの顔を凝視してしまっていた。

いかんいかん、俺のカヤ。
お前だけが俺の天使だ。

出された酒は俺には強くて、ほんの少しグラスを舐めただけでかなり酔いがまわったらしい。
足に来る前に退散した方がいいかもしれない。
俺はそっと椅子から降りた。
だがゾロは気付かない。
ずっとシンシアの方を見て、珍しくぽつりぽつりと話しているようだ。
シンシアの白い手がゾロの二の腕に乗せられていて、さっきより身体も随分近付いている。
ゾロが見ず知らずの他人をここまで近付けることなんて、はじめてなんじゃないだろうか。
俺はこの先の展開に興味津々だったが、次の作戦のために一先ず船に帰らなければならない。
店の主人に軽く会釈して、俺はそっと外に出た。



また船へと走って戻る。
急激に酔いが回ってふらふらになりながらもなんとかGM号に辿り着いた。

静かなラウンジで、サンジは一人タバコをふかしていた。
テーブルの上には二人分の皿が並べられ、いつでも暖められるように準備されている。
「あんだ、ウソップかよ。」
明らかに落胆の色をして、サンジは顔を伏せた。
待ってるんだな、ゾロをずっと。
俺は少し胸が痛んだが、ここで情けをかけちゃあすべて台無しだ。
ここは一つ心を鬼にして計画を遂行しよう。

「サンジ、ゾロは帰って来ねえ。」
え?と白い顔を上げる。
そうした仕種は、なんか妙に幼くてあどけない。
「飲み比べのつもりで酒場に連れてったんだが、そこで女と意気投合しちまって…まだ仲良く飲んでんだ。すげー美人だぜ。てめえなんか一目見たらメロメロになっちまうくらい。」
「・・・」
サンジの反応が鈍い。
美女と聞いて飛びつくかゾロに対して怒るかのどちらかだと思ったが、なんだか目を見開いてぼうっとしている。
「あのゾロがよ、珍しく自分からよく喋ってんの。酒も進んでるみてえだし、邪魔するのも悪いんで俺だけ帰って来た。」
そう言って、俺は勝手にテーブルに着いた。
「ああもう、酒飲むばっかで腹減っちまった。飯、あんだろ。食わしてくれよ。」
そう言えば、サンジは絶対食わせてくれる。
俺はそれを見込んでそこに付け込んだ。
案の定、サンジは条件反射みたいに鍋を火にかけて準備を始めたが、その動きはのろのろとして精彩を欠いている。

「そのレディ、そんなに美人なのか?」
「ああ、俺はあんな美女にお目にかかったことはねえな。まあナミやロビンも美人だけど、それとまた違って色気が溢れてるってのか。もう胸なんてばーーんとここまで出っ張ってるし、ウェストは細いし、髪はお前みたいな金髪がくるくる回って長く伸びてて、腕も白くて華奢でなあ。それでもって気風がいいんだ。気持ちのいい女だぜ。」
「へえ…俺も、お目に掛かりてえ…かな。」
「行ってこいよ。」
俺の言葉に、驚いたように大げさに振り向く。
「俺、船番しててやるよ。なあに、ここで飯食ってるから見てきていいぜ。」
きっとサンジがその店に着くころには、あの二人はかなりできあがってるに違いない。
ゾロだって所詮男だ。
あんな美女といい雰囲気になって、すごすごと一人で帰ってくるなんて馬鹿な真似はしないだろう。
「そうか、そうか?」
サンジはそう言いながら、急いで俺の食事の準備を始めた。

自分は一口も食ってないだろうに、俺の食卓だけ整えるといそいそとエプロンを外す。
「…んじゃ、ちょっと見てきていいかな。」
「おお、ちょっとと言わずゆっくりして来い。お前も惚れる、いい女だぜ。」
俺の声に背中を押されるように、サンジは船を飛び降りて街へ続く闇の中へと消えた。


―――ちいと、可哀想だったかな。
良心が痛まないでもないが、仕方がない。
ゾロと女が懇ろになってるのは事実だし、それをサンジが目撃したのだって俺のせいじゃない。
俺はサンジに頼まれたから代わりに船番してるってえ、それだけのことだ。
それでも、いつもより味気なく感じる食事を取って俺は一人ラウンジで時を過ごした。




飛び出して30分も立たないうちに、サンジは帰ってきた。
端から見ても一目でわかるほど意気消沈していて、眉毛も情けなく下がって見えた。
「…どうした。すんげえ美人だっただろうが。」
俺は無邪気に残酷に、サンジにそう声をかけた。
サンジは少し悲しげに笑って、それでも俺の前に腰掛けてタバコを取り出す。
「まあな、後ろからちらりと見ただけだけど、確かにすんげえ美女だった。ナイスバディだった。お尻なんかこーんなに丸っこくて…」
両手を翳して形を作り、へへっと笑う。
「やーらかそうで、いい匂いがしてそうだった。」
「なんだ、近くで声掛けなかったのかよ。」
「ぜひそうしたかったよな。けどマリモにぺったりしなだれ掛かってんだもん。邪魔はできねえや。」
そうか!そこまでいってたか。
「あんの汗臭いクソ野郎、あんなレディに胸押し付けられてなにぼやぼやしてやがんだ。まあ、満更でもねえんだろうけどよ、あそこまでレディを接近させるなんていつものあいつらしくもねえし。」
そこで一旦言葉を切って、灰皿にタバコを押し潰す。
「元々あいつはノーマルだしよ。まあ俺もノーマルだぜ。あんなレディ見たら、俺のがおっ勃つっての。間違いねえ。だけどよ、今夜は涙を呑んで俺が腹巻に譲ってやろうってんだ。こんなチャンスは滅多にねえし、あんなレディにはそうそう巡り会えるもんでもねえ。一夜のアヴァンチュールは楽しむもんさ。」
あの女に掛かったら、それが一夜で済まないって噂だった。
ゾロはあのまんま、骨抜きにされるんだろうか。
サンジのことも、俺たち仲間も、自分の夢さえも忘れて入れ込むだろうか。
そんな筈はないと確信しながら、それでもサンジの胸に穴を開けることができたのは、成功と言えるだろう。
ちょっと可哀想だけど。

「なあサンジ。ゾロだって男だ。女を抱きたいと思うのは自然の摂理だし、そりゃあ俺はお前らの仲を知ってるけどな、男と女じゃないんだから、浮気だとか裏切りだとか、そんな風には思わねえだろ。」
俺の言葉に、サンジは素直に頷いた。
笑顔を湛えたままなのに、口元がかすかに歪んでいる。
「所詮男同士なんて処理目的でしかねえだろ。なあにゾロとはこれっきりじゃねえ。これからも同じ船で旅を続ける限り、またてめえとも関係を続けるかもしれねえ。けど、それはあくまで生理的な衝動だ。俺の言ってること、間違ってるかな。」
サンジは黙って首を振った。
睫毛がほんの少し濡れて、光って見える。
「だからよ、ゾロが帰ってきても責めちゃなんねえぞ。それにこれからそう頻繁に船でするもんじゃねえ。男同士のあれって、結構いいんだろ。もしそれでゾロに妙な癖でもついてみろ。上陸する度にてめえがいないときは他の男買うこともあり得るかもしれねえ。」
俺の言葉に、サンジは弾かれたように顔を上げた。
見る見るうちにその顔が蒼褪める。
そんな可能性も、これっぽっちも考えていなかったんだろう。
「なあ、それに比べたら女の方がまっとうじゃねえか。これを機会にしばらくゾロと距離を置いてみたらどうだ。」
サンジは虚ろな瞳で視線を斜めに流して、かくんと頭を垂れた。
肩先が小さく震えている。
「…おい、サンジ?泣くなよ。」
「…泣くか、馬鹿野郎…」
言いながらも、声が揺れている。
俺はなんとも言えない気分になった。
普段口さがなくて乱暴で尊大なサンジが、こんな風に落胆する姿はあんまり見たくない。
自分で計画しておきながら、慰めたい衝動に駆られる。

「あのよ…きっと一晩のことだけだって。ゾロ、ちゃんと帰ってくるから。」
「うん。」
「今夜は俺もここに泊まるから、元気出せ、な?」
「うん。」
サンジが、あのサンジが人の言うことに反論もしないで、素直に頷いて相槌打つしかしないなんて…
俺はますます困惑した。
しょげ返るこいつって、なんて可愛いんだ。

「お先にご馳走様でした。今度はサンジが食べろよ、まだなんだろ。」
席を立って少し冷めたおかずを皿に盛ってやる。
目の前に置いてやっても緩く首を振るばかりで手を付けようとはしない。
「駄目だってちゃんと食わねえと。そうでなくてもお前は食が細いんだから。」
無理にでも食わせてやろうと俺は椅子を寄せてサンジの隣に寄り添うように座った。
スプーンですくってサンジの口元へと運ぶ。
サンジは目を瞬かせて、困ったようにこっちをちらりと見たが、諦めたのかおずおずと口を開いた。
そこにスプーンを当ててやる。
普段ならサンジに飯を食わせるなんて到底できる行為じゃないが、なんとなく今は捨てられた雛鳥に
餌をやってるような気分だ。

こくんと飲み込む拍子に、口端からスープが垂れた。
俺は苦笑してナプキンを持ち、サンジの肩を抱いてその口元を軽く拭った。
「こらこらガキじゃねえん…」


ぴしっと一瞬でその場の空気が凍りつく。
凄まじい殺気を本能で察知して全身の鳥肌がざあっと立った。

―――なんだ。
その目線に気付くより先に身体が反応した。
足ががくがくと震え、上手く振り向くことさえできねえ。

「…ゾロ?」
俺より先に顔を上げたサンジが呆然と呟いて、漸くこの事態に気付く。

「ゾロ、なんで…」
「そりゃあこっちの台詞だ。ウソップ、てめえ何してる。」
ラウンジの扉を開けて、ゾロが凍りつくような視線のままそこに立っていた。



「なんでてめえ…レディはどうした。」
「ああ?」
脅すように声を張り上げて、どかどかと大股で近付いてきた。
俺はすっかり固まってしまって、逃げることすらできずサンジの後ろに隠れるように張り付いた。
「な、ななななんだゾロ!お前酒場で飲んでんじゃなかったのかよっ」
「ああ?飲んできたよ。」
「おいマリモ、あのレディは…」
「なんでお前が女のこと知ってんだ。ありゃあ酔い潰れちまったよ。」
はあ?
「酔い潰れって…」
「飲み比べだったろうが。俺が勝ったんだ。」



はああああ?

いや確かに俺はそう言った。
そうは言ったが、それでほんとに酔い潰して帰ってきたのかこの男は!!!

「何言ってんだ、あんなすげえ美女といい雰囲気になってたじゃねえか。!」
俺の気持ちをサンジが代弁する。
いいぞ、言ってやれ。
「ああ?いい雰囲気だあ?確かに面白い女ではあったが、口ほどにもねえな。酔っ払うのは早かったぞ。」
いやだから、問題はそこじゃねえし。
「大体なんでてめえがここにいる。」
まともに睨み付けられて、足が竦んでしまった。
ゾロの本気モードは気迫だけで心臓に悪い。
「それにてめも、なんで女のことを知ってんだ。」
「それはウソップが…」
「あああ?」

あああああ!
やばい、やばいい!!

「ウソップ、どういうことだ。」
「いやあわわ…俺は、俺はなんにも…」
「あの酒場はてめえに言われて俺が行ったところだよな。女と飲んでることもてめえは知ってた筈だ。それをわざとコックに言いやがったのか。」
ひいい、やばいっ、やばすぎる!
「それでてめえもわざわざ店まで来たってのか?」
振り向いてそう問われたサンジは素直に頷いた。
なんだよ、なんでそんなに素直なんだよ今日のサンジは!
「それで、俺が女といちゃついてると思ったんだな。」
またこっくりとサンジが頷く。
なんでもいいが、可愛すぎるぞその仕種!

「それで、すごすご帰ってきたてめえをウソップが待ち受けてたって訳か…」
――――あれ?
なんか、話が違う方向に…

ゾロとサンジが、ゆっくりとこっちに振り向く。
ゾロはもう悪鬼の形相で。
サンジはなんだか頬を染めて困ったみたいに眉を寄せて。

「…ウソップ、気持ちは嬉しいけどな。」
いや違う!
なんだ、何の話だ!!!
「俺にはもうゾロがいるし、つうか、こんな手段使うってのは、ちょっと姑息だと思うぞ。」
そんなやんわり人を諭すな!
基本的に誤解だ誤解!!

「いい度胸だなてめえ…」
何か光ったと思ったら、ゾロが雪走を抜いていた。
ちょっと待て!
素人相手に刃物振り翳すなお前!!!

「嘘だ!誤解だ!アクシデントだ!!!」
「問答無用、そこに直れ!」

「うっぎゃーーーーーーーーーっ」




翌朝、成敗されかけて瀕死の状態のウソップが、GM号の真横で波間に浮いていたなんて、可哀想でとても語れないお話でした。

END

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