真帆片帆 -1-



何をするにしても天候には恵まれているなと、ゾロは他人事みたいに感心した。
昨日までは台風の余波で雨模様だったのに、今日は一転してすかんと晴れた。
眼前に広がるのは、透き通るような青空と濃い緑が連なる山並み。
真っ白な入道雲がモクモクとその縁を彩って、眩しい太陽は影も見えないほど満遍なく降り注いでいる。
農家レストラン「L'eternite'」、いよいよ開店だ。

いつもより更に早起きしてレストランの厨房で立ち働いているサンジを送りついでに、ゾロも朝から庭の水遣りなんかをしている。
早朝だと言うのに、もう肌でわかるほど気温が高い。
日差しがきつくなってから水をやっても湯になるか蒸発するのがオチだろう。
今のうちにたっぷりと土を湿らせてやれば、新しく植え替えられたピカピカの花達はしゃんと元気に咲き揃う。
初めての客を迎える準備は、万端だ。


サンジが「プロヴァンス風に」と注文をつけたレストランは、なるほどそれらしい装いで田んぼの真ん中にどんと建てられた。
引き受けた地元の工務店も慣れぬ注文に四苦八苦したようだが、村の景観から浮かない程度のデザインで落ち着いたらしい。
古い梁や柱はそのままに、漆喰塗の薄いクリーム地の壁は優しい色合いだ。
こぢんまりとした平屋の一軒家は、中央に赤い扉、両サイドに飾り窓を配して、その辺の田舎家とはまったく違う雰囲気を成している。
窓辺には緑を飾り、なかなかにメルヘンチックな外観だ。

花に囲まれたフラットな石畳を歩き、段差を極力無くした緩やかなスロープが玄関まで続いている。
赤い扉には「Close」のプレート。
開店と同時にこれをひっくり返して「Open」にするつもりだろうが、ここでは日本語で書かないと通じないだろう。
なにせ「Pull」と「Push」もどっちだ?!と逆切れする土地柄だ。
その内木の縦看板で「営業中」「準備中」も作られるに違いない。
そう想像しながら、ゾロはそっと赤い扉を開けた。
鍵がかかっていない扉は、音もなく開く。
来客を告げる鐘でもつけたらどうかとの提案もあったが、狭い店内だし正面にキッチンカウンターがあるからわかるだろ、とサンジが却下した。

「おう、水遣り終わったか?」
扉が開いた気配に顔を上げて、サンジがカウンターの中から声を掛けた。
「今は静かだからわかるが、混んでくると気付かないこともねえか?」
「もしそうなったら、やっぱドアベルでもつけるかなあ」
言いながら、麦茶を入れたグラスを差し出してくれる。
どんなに忙しい状況でも目端の効く男だから、まあ大丈夫だろう。

「次は、何をするといい?」
「テーブルにクロス掛けてくれ。下に生成りので上には青いのな。こう、角が互い違いっつうか・・・」
「了解、なんとなくわかる」
店内は4人掛けのテーブルが3席、2人掛けが2席、カウンターが8席だ。
サンジ一人で切り盛りするとなると、この程度の席数で充分だと言う。
スペース的にはかなり余裕があるから、後からテーブルを増やすことは可能だ。
最初にペースを掴む上でも、こいつのこういう慎重な姿勢はいいと思う。

机が少ないからすぐにテーブルクロスも掛けられた。
これでいいかと振り向けば、カウンターの向こうからサンキュと笑顔で頷いている。
ゾロに指示をしている間も、サンジの手が止まることはない。
「次はテーブルセンターに緑な。ガラスの花器、買ってあるだろ。あれにバケツに漬けてあるアイビーとか適当に飾ってくれ」
「それはヘルメッポがした方がいいんじゃねえか?」
「花を飾れっつってんじゃねえから、緑ならお前でもなんとかなるだろ」
そこまで言ってから、いややっぱダメかもと独り言を呟いた。
「やっぱいい、リネンのランチョンマットを人数分敷いてくれ」
「予約はどうなってんだ?」
「んーとなあ、11時開店と同時に4人掛けに4人座り2組、3人座り1組、2人掛けも2人ずつ2組で、カウンターは6名様」
「こんな感じか」
「そうそう、それから―――」
口と手足が別人みたいにテキパキ動いている様は、いっそ見事と言っていいくらいだ。



「おはようございます!」
「遅くなったな」
コビー達は9時前に現れた。
暇なら来てやるとか言っておいてちゃんと集まってくれる辺り、スモーカーもヘルメッポも素直じゃないが親切な奴らだ。
全員揃ったところで、軽くミーティングする。
今日のメニューと予約の状況、各自の役割を分担などなど。

「予約なしで来た客はどうする?」
「時間帯によって余裕を持たせてあるから、少人数なら余地はあると思う」
「オーダーは何処に置くって?」
「オーダーはこっちで、できた料理はこっち側置くから、それぞれの担当テーブルに責任持って運べよ」
一応全員社会経験があるとは言え、飲食店で働くのはいずれも初めてだ。
この程度の席数で本当によかったと、店主のサンジじゃなく俄か助っ人のゾロ達の方が胸を撫で下ろしている。
「ヘルメッポはテーブルセンター飾ってくれ、花器はこっち」
「スモーカーは駐車場見てくれるか?必要なら紐か石灰かでライン引いた方がいいかな」
「コビーとゾロはカトラリーの順番とか、もう知ってるっけ?メニューによって食器とか変えるし、わかりやすいと思うけど」
言いながら、サンジはメニュー表を掲げた。
「セットメニュー注文の人は、テーブルセッティングはこのままな。定番メニューだったら、ランチョンマットは一旦全部引き上げてくれ。別のを並べ替えてもらう。あ、どちらにしろ箸は一膳ずつ置いておいて
「メニューの説明もお願いします。最初のボーダー・ヴェリーヌってなんですか?」
「ああそれは、スモーカーに貰ったシンプルなグラスに白身魚やカニ身やらきゅうりやらを縞々っぽく段々に入れてヴィネグレットで和えたアミューズ」
「ヴィネグレットって?それとアミューズは?」
生真面目なコビーは熱心にメモ帳に書き付けている。
背後で玄関ドアが開いて、スモーカーが汗だくになった顔を覗かせた。
「花輪が届いてっぞ、どこに置いてもらう?」
「花輪・・・」
「新装開店みたいだな」
村の物産協会から、心ばかりのお祝いらしい。
バラティエからは観葉植物の鉢植え、ナミ達からアレンジメント・フラワーが届いて店内は華やかさを増した。
「花は貰って一番嬉しいよ、なんせうちはスタッフに“花”がねえからな」
小さな黒板に野菜の生産者の名前を板書きしながら、サンジが悪戯っぽく笑う。
ゾロ達は一瞬きょとんとしてから、顔を見合わせた。
「・・・違いねえ」
お互い汗まみれの暑苦しい顔を指差して笑い出す。
「さて、そろそろエアコンをガンガンに効かせるから汗拭けよ。開店間近だ」
サンジは人数分用意した黒いギャルソンエプロンを投げ渡し、配置の支持をした。
やはり、スモーカーだけはどうしてもその格好が似合わない。




記念すべき予約者第1号は、隣町の女性達だった。
11時より少し早めに着き、紐で区画された駐車場に車を停めて「可愛いお店〜」とさんざめきながら降りてくる。
そうしている間にも、次々と車がやってきた。
店以外何もない場所だから、遠くから農道をひた走ってくる車はよく目立つ。
車から見れば、ポツンと建った一軒家もいい目印になるのだろう。

「いらっしゃいませ」
サンジは続く女性ばかりの客に上機嫌だ。
そう広くない店内は、瞬く間に賑やかになった。
「シモツキで一箇所にこんだけ女子率高いって、初めてじゃねえか?」
ヘルメッポの呟きに、コビーが噴き出している。
ゾロは水を入れたグラスを置きながら、ぎこちなくもせっせと注文を取り始めた。
予約なしでも当然駆け込みで客が来る。
12時を回った辺りから、俄然人の入りが激しくなった。
ただサンジの手際の良さからか、速いペースで料理ができるため客の回転に淀みがない。
ゆっくり喋りながらコース料理を食べても食事時間は30分ほどで、予約の女性達も待ちの客が玄関横の椅子に座り始めてからは気を利かせて早めに席を立ってくれた。
ワンフロアの店内は一目で見渡せ、皿が綺麗になる状況も掴みやすい。
加えてメインスタッフのコビーはよく気が付くし、ゾロは臆せずフロアすべてに目を向けて客の些細な仕種も見逃さないから、食べ終わった皿を下げ次の皿を出すタイミングは逃さなかった。
自然と、食事の流れがスムーズになる。

客達は多少の待ち時間があっても、カウンターの中で調理するサンジの動作を見ているだけで、相当の暇つぶしになった。
とにかく流れるような無駄のない手つきで見目麗しい料理をどんどんと仕上げていくのだ。
その仕種さえ一種のショーのようで、客の目を楽しませた。
「2名様ともコース、魚肉両方で」
「了解」
開店前に、今日はコースメニューを選ぶ人が多いだろうサンジが見越していたとおり、大概の客がコース料理を選んだ。
せっかくだから初日はメイン料理を頼み、次回からは別のランチを試してみよう。
そんな気持ちが見て取れる。
つまり、また次も来てくれるつもりがある、ありがたいリピーターになってくれる可能性があるということだ。

「ああ着いた」
1時を過ぎた頃、大汗を掻きながらカップルが顔を出した。
聞けば、駅から自転車を漕いでやってきたという。
駅前でタクシーでも拾えばと思っていたのが甘かったと、差し出されたお絞りで顔や首を拭いている。
駅のおっさんのレンタサイクルが役立ったらしい。
2時過ぎには、お隣さんご一家が揃って顔を見せてくれた。
あらかじめ予約状況を聞いて、2時過ぎなら大丈夫だろうと時間帯を加減してくれたのだ。
お盆で帰ってきている娘・息子夫婦と孫達を連れ立って総勢11人。
4人掛けテーブル3つをすべて繋げて、畏まった感じで着席している。
ちょっとおしゃれしてきてくれたおばちゃんは、やっぱりお茶菓子みたいに可愛らしかった。

「すごーい、まさかシモツキでこんなお料理食べられるなんて、思いもしなかった」
都会に嫁いだ娘さんが、両手を合わせて口元に持っていき、感嘆の声を上げている。
「そうさねぇ、サンちゃんの腕は都会のレストランにも負けないねぇ」
おばちゃんは我がことのように自慢げだ。
「ほんとに、こんな洒落た店がこの村にできるなんてなあ」
「明日はおじさん連れて来ようよ。少子化云々ってうるさいからさ」
「そうそう。こんな賑やかな店見たら、おじさんだって少しは納得するはずよ。村の活性化」
サンちゃんガンバ!と、中学生の孫がカウンターの中に向かってガッツポーズしている。
サンジは意味もわからず、手を挙げて応じた。

3時過ぎにはりよさんの息子が一人でぶらりと現れた。
やっぱりと言いたげに、ヘルメッポは観葉植物の向こうで笑いを堪えている。
カウンターの真ん中に座り、余所行き顔で「いらっしゃいませ」と水を運んだゾロにコース料理を注文した。
調理するサンジの正面だ。
そこで手を組んで飽くことなく一連の動きを見ている。

「ご馳走様、美味しかったよぅ」
4時には殆どの客が引けていった。
りよさんの息子は、「ご馳走さん」とだけ言って勘定を済ませ、最後の客となった。
これにて本日終了。
―――またのご来店を、お待ちしております。





「・・・終わったな」
表のプレートを「Close」にして入ってきたサンジは、各々がカウンターに突っ伏してぐったりしている姿に目を丸くした。
「大丈夫か?」
「だめだ・・・」
「つ、疲れた・・・」
客がいる間は疲れなどおくびも出さなかったのに、無人になった途端気が抜けたのかスモーカーまで椅子に座って煙草を咥えている。
「すげえ人だったんじゃねえか?」
「あんまり混んだ感じはしなかったけど、回転率すごくね」
ゾロはオーダー表をぺらぺらと捲って、目算する。
「トータル132食」
「うっそ?」
「マジで?」
コビー達のみならず、サンジまで目を瞠った。
「ランチだけでか?ありえねえ」
「つか、シモツキの人口が一箇所に集中する数としてありえねえ。こんな狭い場所に」
サンジは冷蔵庫の中を覗いて、そうかもなあと呟いた。
「アミューズも追加でガンガン作ったしな、途中から多少中身が違ったりしてたんだけど」
多めに材料揃えといてよかったよと、胸を撫で下ろしている。
「なんにせよ、サンジの手の早いことといったら・・・俺はもう呆れたね」
「客を待たせねえのは一番だ。一人でよくやった」
口々に褒められ、サンジは照れ隠しなのか思い出したように煙草を咥えている。
「いやほんと、みんなのお陰だよありがとう。俺は一つとんでもないポカやらかしちまったしな」
「・・・なんだ?」
なにか気付かないうちにミスったのかと心配そうなゾロに、サンジは大きく身を折って頭を下げた。
「みんなの飯、食わせるの忘れてた!ごめん」

「あ」
「あ」
「ああ」
そう言えば腹が減ったなと、スモーカーは葉巻を咥えたまま唸っている。
「忙しすぎて、全然気付きませんでしたね」
「お前よく、こんな状況で助っ人はコビーとゾロだけとかほざいたよな。俺たちがいてくれてありがたいとか思えよ」
「ほんとすんません、助かりましたありがとう」
ヘルメッポの横柄な物言いにも殊勝に頭を下げるサンジに、笑い声が振ってくる。
「今更だけど、今日あんまり出番のなかったおまかせ丼かカレー、どっちがいい?」
「両方!」
勢い込んで答えるヘルメッポに、みなが同調した。




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