ランチタイム


文化祭も運動会も終わり、いよいよ高校受験にまっしぐらな雰囲気の中学生活だが、だからと言ってサンジも勉強にのみ打ち込んでいる訳ではなかった。
ぶっちゃけ、勉強癖が付いていないため机に向かっていてもすぐに集中力が途切れる。

今さら家庭教師を雇ってくれとか塾に行かせてくれとか祖父に頼むのは気が引けて、なんとか自力で頑張ってはいるが成果は芳しくない。

なにせG校を狙う動機が動機だけに周囲に真剣さをアピールする訳にも行かず、だからといって諦める気にもなれず、サンジなりに努力はしているのだ。
どうしても中途半端感は否めないのだけれど。

G校に入ってコーザと更に親しくなり、ロロノア家に入り浸る。
高校卒業後は調理師専門学校に入り、レストランを継ぐ。
コーザの父親が常連客になり、より一層お近づきになる。

サンジの将来象はこんなところだが、まず最初の第一段階が非常に心許なかった。
実現のためには、本人が努力するしか他にない。
だから頑張る。
決意の堂々巡りだ。

趣味と実益と気晴らしの意味で、以前よりレストランを手伝う頻度が増えた。
本当はディナータイムに率先して出動したいのだが、中学生の分際でなにを言っとるかと祖父に一喝され諦めた。
これも将来のための修行の一環だと思って、休日のランチタイムにのみキビキビと働いている。
そんな健気さが報いられたのか、思わぬプレゼントが向こうからやってきた。

「いらっしゃいませ」
ランチタイムもピークを過ぎた午後1時半。
スタッフの交替でフロアに立ったサンジは、入って来た客を見て目を疑った。
焦がれ過ぎて、幻覚を見てしまったのかも知れない。
「こんにちは、お手伝いかい?」
コーザの父親はサンジの顔を見て一瞬目を見張り、すぐに笑顔になった。
「あ、はい、はい、いらっしゃいませ」
サンジは目をパチクリとさせ、何度もその場でお辞儀してから慌てて踵を返した。
その場でくるりと一回転して再び父親に向き直る。
「あ、いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「3人でお願いします」
言われてよく見れば、父親の後ろに同じくらいの年頃の男女が立っていた。
明らかに挙動不審なサンジの行動を、興味深そうに眺めている。
「どうぞ、こちらへどうぞ」
言葉もたどたどしく動きまでぎくしゃくしながら、サンジはなんとか奥のテーブルへと3人を案内する。

――――すごい美人…
父親のすぐ後ろを歩く女性はすらりと背が高く、とてつもなくプロポーションがよかった。
決して若くはない年齢だろうに、雰囲気が快活で誰もが振り向かずにはいられない美女オーラに溢れている。
思わずサンジはぽーっと見惚れてしまい、続いて歩く子どもじみた男にしししと笑われた。
「ゾロに、可愛い友達がいるんだな」
「おう、羨ましいだろう」
気軽に応えられて、サンジは「え?え?え?」とキョトキョトしながら3人の顔を見比べる。
少し遅れてから会話の内容が頭に入り、頬が一気に熱くなった。
「あの、いつもロロノアさんにお世話になっております」
「まあ、そうなの」
「おいおい、息子の友だちだよ。なあ、サンジ君」
笑顔で話し掛けられ、また呆けた状態ではいと頷き返す。
「ここのオーナーのお孫さんなんだ。休日に家の手伝いするなんて偉いね」
「いえ、あの、これも修行なんで・・・」
サンジはずっと小脇に抱えていたメニューを、わたわたしながら取り出した。
「ただいまランチタイムとなっております。ですが、Aランチはすでに売り切れておりまして、申し訳ありません」
「俺一番多いのな」
「じゃあCセットを3つ。あと生も3つ」
「かしこまりました」
話している内にいつものペースを取り戻して、さりげなく一礼してテーブルから離れる。
それでも、心臓はバクバクだ。

注文を通してから、カウンター内に入りグラスを拭きつつそれとなく聞き耳を立てる。
「いいお店じゃない」
「昼に来るのは俺も初めてだ。大抵接待でな」
「ゾロが接待とか、想像できない」
「なんだよ」
美女との親しげな会話についつい気もそぞろになってしまった。
端から見ても、お似合いの二人だ。
そうしている間に、テーブルにビールが運ばれてきた。
3人は軽くジョッキを掲げて乾杯する。

「はーうめぇ」
「日本のビールもいいわね」
3人とも一息に飲み干してしまって、すかさずお代わりを頼んだ。

「サボ達も来れるとよかったのに」
「あの子達はお土産買うのに忙しいのよ。浅草とか秋葉原とか」
「あいつらにとっちゃ、日本は観光地だもんな」
「アンは、飛び級だって?」
「あたしに似たのはアンだけね。サボもエースもルフィに似て…」
「ししし、みんな元気だぞ」
会話の内容から、どうやら連れの2人は夫婦のようだ。
サンジはホッとして、肩の力を抜く。

「私達はともかく、あんたはどうなの?」
「ああ?」
「誰かいい人、できた?」
ドキンと、サンジの心臓が鳴った。
コーザの父親は笑いながら首を振った。
そこに、前菜を持ったウェイターが近付き姿が隠れたので、サンジは思わず身体を傾けて様子を窺う。

「別に浮いた話はねえぜ。そうでなくとも、今年コーザは受験生なんだ」
「コーザ君なら、そんなの関係ないでしょ」
「第一、俺はいま仕事のが面白くてそんな気は欠片もない」
サンジはあからさまにホッとした。
「そんなこと言って、もうすぐ四十路でしょ。あっという間にジジイよ」
「ゾロは別に不自由してねえんだろ」
ルフィと呼ばれたガキ臭い男が、口いっぱいに料理を頬張りながら言う。
「あら、結婚は便利だからとか都合がいいからってするもんじゃないわよ」
途端に奥さんに噛み付かれ、恐ろしげに首を竦めた。
間に挟まれた父親が笑っている。
「まあ、俺もあと10年か20年…定年を迎えたらお見合いパーティーかなんかに出て、老後の茶飲み友達探すかな」
「呆れた!」
「気の長え話だなおい」

サンジは一人トレイを握りしめ、プルプルと首を振る。
10年も20年もかけてたまるか。
あと5年だ。
5年以内に、勝負をかけてやる!


3人が和やかに食事を進めている間、サンジはテーブルを片付けたりレジを打ったり意味もなくカウンターを磨き上げたりして、ずっとフロアにいた。
午後2時を過ぎた時点で、いつもなら店から引き上げるのにいつまでもぐずぐずと側にいる。
奥から出てきたスタッフが「まだいるのか」と声に出して聞いたから、慌ててその脛を蹴り厨房の中に押し戻した。
「あんだよ痛えな」
「お客さんいらっしゃるんだから、最後の方がお帰りになるまで俺はここにいるの」
「そんなの、いつも気にしてねえじゃねえか」
「うるさい、今日は特別」
いいからみんな奥にすっこんでろと、歯を剥き出し威嚇して追い払った。

途中、身嗜みを整える為に設置された鏡で自分の服装を点検し、髪を撫で付けよしと頷く。
黒いカフェエプロン姿は大人びて見えて、よく似合うと常連さんに褒められるのだ。
細い腰がより強調されて頼りなく見えるのではないかと案じたが、下手に緩めてだらしなくなってはいけない。
サンジは鏡の前で再度チェックしてからフロアに戻った。

3人はデザートを食べ終え、静かな声で笑っている。
「コーヒーと紅茶のお代わりはいかがですか?」
「ありがとう、もう結構よ」
「ご馳走様、長居してしまってすまないね」
「美味かったよ、ご馳走さん」
折角お代わりを申し出に言ったのに、逆に急かすような真似をしてしまったかとサンジは焦った。
もっともっと、ゆっくりしてってくれたらいいのに。

だが、周囲を見渡せば確かに3人以外客の姿はない。
時刻はそろそろ3時に近かった。
「子ども達を迎えに行かなきゃ」
「ゾロも送らないといけねえしな」
「俺は家に帰るんだ、送ってもらってどうする」
「自宅でも、無事帰れるかどうか怪しいでしょ」
女性はそう言って、サンジにそっと顔を近づけた。
柑橘系の、なんともいい匂いが鼻腔を擽る。
「この人、こう見えて重症の方向音痴なの。知ってた?」
「い、いえ」
サンジは美女オーラに中てられたのと話の内容にビックリして、頬を赤らめながら首を竦めた。
「ナミ、いらん情報言うんじゃねえ」
「ゾロは天然迷子だよなー」
「・・・コーザは大丈夫、ですよ?」
きょとんとしてそう言えば、それはよかったと友人夫妻が大仰に頷いた。

「コーザ君と仲がいいんですってね。いいお友達でいてね」
「はい!」
直立不動で元気よく返事する。
可愛いわあと、艶やかなマニキュアで彩られた指がサンジの髪をさらりと撫でた。
目線が随分と高い。
女の人なのに背が高いから見上げてしまう。
でも、隣に立つコーザの父親も夫らしき人も女の人と釣り合う高さだ。
―――あれ?
サンジが目線に気を取られている間に、コーザの父親が会計を済ませ外へと出る。
見送りの為、サンジは慌てて後に続く夫妻の後ろに付いた。

「またぜひ、いらしてください」
「ありがとう、ご馳走様」
「今度は子ども達も連れて来ような」
「サンジ君も、勉強頑張れよ」
最後に痛い所を激励されて、サンジは顔を顰めながらへへっと笑った。
ふと視線を移すと、よく磨かれたガラスに自分たちの姿が映っている。
それを見て、愕然となった。

「―――げ・・・」
衝撃の余り、歩き去ろうとした父親のシャツの裾を掴んでしまった。
行き過ぎかけて、足が止まる。
「どうした?」
「あ、いえ・・・」
戸惑いながらも握ったシャツを離せず呆然としたまま実像と虚像を比べ見た。
その視線に促されるように、父親もガラスに映った姿に目をやる。
サンジの、頭一つ分高いところにコーザの父親の顔があった。
隣に並び立つ夫婦は、それより若干低い位置か。
さほど見劣りする高さではない。
ぶっちゃけ、並んだ4人の中でサンジだけが小さくてか細い。
いかにも子どもだった。

いくら店の手伝いで間に合おうとも、カフェエプロンで大人っぽい装いになろうとも、どこからどう見ても子どもは子どもだ。
コーザの父親の私服が若々しく見えるからって、並んで立ってお似合いにはとても映らない。
どう足掻いても、いいとこ歳の離れた兄弟か、まるきり親子だ。
「・・・センチですか?」
「ん?」
「身長、どれくらいあるんですか?」
恐る恐る聞けば、父親はう〜んと唸った。
「最近計ってないからなぁ、多分180cmちょいじゃねえか」
―――180cm!!
「あら、あんた182くらいあったんじゃない?」
「歳だろ、そろそろ縮むんじゃねえかと」
「気が早えなあ。俺なんてまだ伸び盛りだぞ」
「言ってろ」
180cmなんて、180cmなんて・・・
あと15cmも差がある!!

サンジは中学3年にしてはやや小柄で、まだ165cmしかなかった。
体重は言わずもがなで、コーザですら170cmを超えたから内心焦っていたのだ。
けれど祖父だって今でも180近くある。
亡くなった両親も、共に背が高かったと聞いている。
俺だって絶対伸びる、この先きっと。
中学入学時145cmだったんだから、2年半で20cm伸びてる。
あと15cmくらい、5年の間に絶対伸びる!

「10月に会社の健康診断があるから、それではっきりわかるかもな」
「そしたら、ぜひ教えてください!」
伸び上がってそう懇願するサンジに、父親は不可思議そうな顔をしたが頷き返した。
「また、コーザにでも伝言するよ」
「ありがとうございます」
そんな二人の様子を、ナミと呼ばれた女性はニマニマと目を細めながら見ていた。

「それじゃあ、ご馳走様」
改めてそう言われ、サンジはそこで初めてずっとシャツを握りっ放しだったことに気付いた。
慌てて手を離し、深々と礼をする。
「すみません、どうもありがとうございました!」
「またね、サンジ君」
「ごちそうさん」
歩き去っていく長身の3人を見送って、サンジは決意を新たにした。

@G校に必ず合格する。
A身長をあと15センチは伸ばして、釣り合う体格になる。
B腕のいい料理人になって、常連客と仲良くなる。
Cそしていつか、デートする。

すべて5年以内に達成させるのだ。
サンジの夢はどこまでも壮大で無鉄砲だった。


End




back