Snow labyrinth


「なんだか懐かしい光景だな」
「そうね、見てるだけで凍えそうだけど、ドラムと似ているわね」

頂上が吹雪に煙る冬山を見上げて、ナミとチョッパーは微笑みあった。
「ドクターの薬があったら、ここにも桜を咲かせることができるのにな」
「もっと量産できて、冬島の名物に出回ればいいのにね」
「あれは本当に見事だったなあ」
「そうね、でも確かその前に私たち、死に掛けたのよね」
「たち?ああ、サンジもひどかったよね」
「ルフィが頑張ってくれたから・・・」
「そうそう、あの時も確かゾロは・・・」
「寒中水泳、してたのよね」
「あはは、ゾロらしいや。あはははは・・・」
「ふふふふふふふ」
ナミの微笑が、徐々に悪鬼のごとき禍々しい憤怒に変わる。
「・・・で、今回あの馬鹿は、どこに行ってくれちゃったのかしら?」

二人の会話を寒々しい思いで聞いていたクルー達は、何も応えられず黙って冬山を見上げた。
どこに行ったのかはわからないが、多分・・・あの山にでも登ってしまったのだろうか。








「っか〜〜〜〜〜〜っ、毎度毎度、どーしてこう人を煩わせることばっかするのかね、あの穀潰し!」
誰もいない吹雪に向かって、サンジは高らかに吼えた。
そうでもしなきゃ、やってられない。

麗しくもか弱きレディ、ナミさんとロビンちゃんは麓の宿に落ち着いているとして、男どもは総出でゾロ捜索に駆り出された。
探そうにも小さな村に痕跡はなく、後はこの万年吹雪の冬山しか残されてないのだ。
チョッパーはもしもの場合に備えて宿で待機し、二重遭難にならないようにルフィにはウソップがついている。
必然的にサンジが一人で、頂上に向かって左ルートを受け持ち雪原を流離っている。

「くっそう・・・マジで見つけたらアンチマナーコースにコリエ、コンカッセ・・・」
とにかくゾロの顔を見たら仕掛ける技をぶつぶつと呟いて、寒さに凍りつきそうになる足を動かし目を凝らした。
「どうせ放っといたって死なないんだ、春になったら雪が溶けて出てくるだろ」
そう思ったが、ここは万年雪で溶けることもないんだそうだ。
うっかり凍り付いていたら永久凍土になりかねない。
口ではあれこれ罵倒していてもゾロの迷子癖は筋金入りで、そんな馬鹿げたことで無駄に若い命を散らされては
溜まるものかと口には出せない本音に突き動かされ、サンジは内心真剣に捜索に取り組んでいた。
普段はあーだこーだと憎まれ口ばかり叩いていても、サンジは実のところゾロにぞっこん片思い中だ。



自他共に認める過度の女好きである自分が、よもや男に惚れるなどと天地が引っくり返ってもありえない事象だったが、
実際自覚してしまったからには仕方がない。
どうにもムカつく奴から気になる奴へ、近付けばときめく奴へと変化し、ついには思うだけで動悸が止まらなくなる奴にまで
進化してしまった。
これって恋だろ。

頭で理解するより先に身体で納得して否が応にも自覚せざるを得なかったサンジは、持ち前の開き直り体質で
報われぬ感情を楽しい片想いライフに摩り替えている。
なんせサンジはゾロが好きだが男が好きな訳ではない。
男が好きなゾロを好きな訳でもない。
つまり、サンジ的に自分の恋が成就することなどあり得ないし望んでもいないので、片想いが常識なのだ。
故に、ゾロに憎まれ口叩いたり喧嘩を吹っ掛けたりからかったりしながらも、時々は和やかに言葉を交わせたり
するだけで、それはもう天にも昇るくらい幸せな気持ちになれる。
擦れ違い様に腕なんか触れたりしたら、それだけで夜眠れないほどに甘酸っぱい気持ちになってドキドキだ。
毎日がスリリングで刺激に満ちた幸福な生活。
そう、サンジは片想いだけで満ち足りていた。
恋に恋する乙女のごとく。



ただ、波乱万丈の海賊生活を送る上で、どうしたって生命の危機的状況は頻繁に訪れ、シャレでなく冷や冷やする
冒険も織り込まれる。
こんな時、仲間に恋した切なさを余計に思い知らされる。
面と向かって心配する訳にはいかないが、その実、ゾロにもしもの事があればと考えただけでも胸が痛み苦しい。
愛しいと思うほどに失う時を思えば恐ろしくて、いっそ人を好きになんてならなければよかったと思うことも何度もあった。
それでも、好きだと思う気持ちは止められない。
だから恋は流木なんだと、サンジは内心をポエムにしたためながら自嘲する。
決して叶うはずない想いを秘めて、知らぬ顔で側にい続ける。
いつか、ゾロに愛しい人ができたなら、この気持ちはどこかに昇華するだろうか。
ゾロ以外の誰かに心を移すだろうか。



うっかり吹雪の向こうにゾロへの想いを馳せてトリップしかけてしまったが、慌てて気を持ち直した。
こんな所で行き倒れている場合ではない。
寒さを忘れてお花畑を見てしまいそうだったじゃないか!

防寒用のフードを目深に被り直し、震える手で懐から煙草を取り出し火をつけた。
サンジとて、闇雲に雪原を彷徨っている訳ではない。一応麓の村人から情報は得ているのだ。
山の頂に、今は使われていない巨大な神殿があり、遭難者はよくそこに迷い込むと。
ゾロがこのさして大きくもない島で、意図せずして迷ったなら十中八九、そこに辿り着くだろう。
そう踏んで、一応ルフィとウソップ、サンジの二手に分かれて頂上を目指している。
よしんばゾロがそれに気付かず下山してきてもどこかで会えるように。
緻密に見えて実は行き当たりばったりの杜撰な救助計画ではあるが、今までもこれでなんとかやってきている。






「あれか・・・」
煙草を噛み締めながらザックザックと登るうちに、霞む視界の奥に暗い影が浮かんできた。
まだ日は高いはずなのに、分厚い雲は太陽を覆い隠し永遠の薄闇を感じさせる。

徐々に近付いて来るかつての“神殿”を前にして、サンジは立ち止まり口笛を吹いた。
―――こりゃあすげえや
柱だけが残っている程度の廃虚だと思っていたら、まるで白亜の宮殿のようなしっかりとした建物だ。
ドラムの城ほどがっちりとした造りではないが、まるで貴族の館のように幾つもの屋根と飾り窓がつけられていて、
シンメトリーなデザインが美しい、立派な建物だった。

「こりゃあ、雪の女王が住んでいると錯覚を起こしても、おかしくねえな」
感嘆の声を漏らしながら、サンジは宿の主人の忠告を思い出していた。
『これだけは気をつけておくれ。神殿に足を踏み入れたその時から、決して嘘をついてはいけないよ。
 その途端心臓が凍り付いて、雪の女王のコレクションにされてしまうからさ』
なんで無人の廃虚で嘘を口にする必要があるのかと突っ込みを入れたくなったが、冬島に住む人々独特の
ロマンティックな言い伝えだろうと解釈した。
止まない吹雪も溶けない大地も、厳しく恐ろしいが美しい。
ここで暮らす人々はけっして豊かな暮らしではないが、やはりこの島を愛している。

「雪の女王の住む島なんて、なかなか色っぽいじゃね〜か〜」
できることならお会いしたいと、サンジは条件反射でメロリンして、城の中に足を踏み入れた。



開け放たれた門から轟々と雪が吹き込み、壁も天井もすべてが白に覆いつくされ凍て付いている。
だが、サンジは不思議と寒さを忘れて目の前をどこまでも続くかのような広い回廊を進んだ。
頑丈な天窓でもあるのか、建物の中はほのかに明るい。
所々に雪の吹き溜まりができているが、足元に敷き詰められた床は磨き上げられた大理石のように輝いて続いていた。

入り口から点々と残る水溜り。
ごく最近、誰かがここを通った跡だと知れて、いよいよゾロがいるのだと確信する。
サンジはフードを脱いで辺りを見渡した。
壁にも天井にもびっしりと雪や氷が張り付き、柱の間にいくつかある扉は閉ざされ、雪に埋もれて凍り付いている。
進むなら、真っ直ぐ奥しかないだろう。
吐く息は白いが何故かそれほどに寒さを感じず、寧ろ温かさえ感じて、サンジはずんずん建物の中を進んで行った。




長い廊下を抜けると、大広間に出た。何故か中央に輝く水面が見える。
―――湖?
それほどの大きさはないが、泉の様に広間の真ん中に巨大な水溜りがあった。
それもすべて凍りつき、輝く水面が天井から差し込む光を反射している。
その氷の泉の中央、なぜかぽつりと置かれた玉座のような贅沢な椅子の上に、ゾロが座っていた。

「なにやってんだ、お前?」
呆れた声は高い天井に反射して、やけに大きく響く。
目を丸くして見つめるサンジの前で、ゾロはいつものじじシャツ腹巻刀三本の軽装で、赤いビロードの背凭れに
身体を預けている。

「なにえらそうに踏ん反り返ってやがる!この寒中迷子!」
カッと来て怒鳴った。
人がどれだけ心配したと思っているのか。
「てめえを探してルフィもウソップもこのクソ寒い中歩いてんだぞ。ナミさんやロビンちゃんに心配かけて、チョッパーもだ。
 わかってんのかこのクソボケ腹巻!」
わんわんと声が響く。
だが、ゾロは足を組んだままじっと身動ぎもせずサンジを見つめ返すだけだ。

「こんの・・・」
サンジはずかずかと氷の泉に足を踏み入れた。
ゾロが座ってるくらいだから、割れたりしないだろう。
なるほど、氷というより固い床のように強固で、寒すぎるせいか足をとられるほどに滑りもしない。
このままダッシュして蹴っ飛ばそうと思ったら、不意にゾロの声が響いた。

「蹴るなよ」
「ああ?」
凶悪に顔を顰めて、ガニ股でずかずかと近付いた。
ポケットに手を入れ、肩をいからせ首を下げる。
「てめえ何様のつもりだ。似合わねー場所に座って、王様きどってんのか?」
言葉とは裏腹に、サンジはちょっとドキドキしてたりする。
豪華な椅子に横柄に座るゾロって、なんかえらそうでちょっとクる。

「なんだてめえ、考えてることと態度が全然違うじゃねえか」
ゾロは怪訝そうな顔でサンジを見上げた。
「は?」
「そんなに嬉しいくせに、なんで不機嫌な面してんだ?」
――――はああああ?
「てめえ俺を見つけて、しかもちょっとえらそうにしてんのがイイんだろ」
サンジはガボーンと口を開けたまま固まった。
―――なに言ってんだこいつ?
あんまり脳味噌が少ないから、早く凍っちまったってのか?

「脳味噌凍るほど寒くねえだろうがよ」
サンジが思ったことをそのまま言い返されて、驚愕に目を見開いた。
「てめ・・・てめ、俺の・・・」
「ああ、考えてることがわかるぜ」
相変わらず踏ん反り返ったまま、肘をついてゾロは面白くなさそうに言った。




「ちょっと酒飲みに外に出たらいつの間にかここに来ててよ」
「遠いじゃねえか!」
「仕方ねえだろ、まあ雨露凌げりゃいいと思って入って来たんだ」
「・・・一歩間違えたら遭難だぞ」
間違えなくても、すでに遭難だ。
「まさかそんだけてめえに心配かけるたあ、思わなかった」
真顔で返されてサンジはカッと頬が赤くなった。
「あ、アホか!何勘違いしてやがる俺は別に、てめえの心配なんざ・・・」
言い掛けてはっと気付いた。
―――この神殿に足を踏み入れたなら嘘をついてはいけない
まさか・・・マジかよ。
急に押し黙ったサンジに、ゾロはへえと目を眇める。
「そういう言われのあるとこなんか、なるほどなあ。嘘つくまでもなく、全部見えちまうけどな」
「なんだよそれ」

グランドライン特有の非常識さに腹を立てて、サンジはゾロが座る椅子の脚を蹴った。
だが水面に直かに凍り付き、びくともしない。
「とりあえず一休みしようとここに座ったら、何故かすべてが見渡せた。今まで俺に関わったすべてが」
ゾロが視線だけサンジに寄越した。
いつもの若いくせに達観したような落ち着いた色ではない、どこか覚めた暗い眼差し。
「なにもかもくだらねえ。自分本位な欲の塊だ。俺自身も含めて、な」
何を言い出すのかと身構えるサンジに、ゾロは冷たい笑みを浮かべる。
「てめえも一緒だ。欲しい欲しいと、俺ばっかりかよ」
カアっと頭に血が昇った。
言葉より先に足が出てゾロの顔目掛けて蹴りかかる。
一瞬早く腰の鞘を抜いて受け止め、うるさそうに弾き飛ばした。
身体を捻って着地すると、サンジはまた飛び掛った。

「図星さされて怒んなよ。まあ気持ちはわかるがな」
まともに相手するつもりはないらしい、連続して繰り出される回し蹴りを避けて、ゾロは椅子から立ち上がると
サンジと距離を取った。
「そうやって、毎日突っ掛かって来てんのも、俺に構って欲しいがためか」
「うるせえっ」
「なんで見るだけで、そんな気分になるんだてめえ」
「うるせえっつってんだよ!」
怒りと恥ずかしさのあまり、天井に反射してわんわんと共鳴する自分の怒鳴り声さえよく聞こえない。
「女好きなのは間違いねえのにな。俺だけか、気色わりい」
ガンと鈍器で頭を殴られた気がした。
「あ、ショックか?しょうがねえだろ。気持ち悪いじゃねえか」
「・・・・・・」
心臓が凍ってしまったかと思った。
全身の血が冷えて、何も考えられない。
目を見開いたまま固まってしまったサンジよりその内情を知って、ゾロは面白そうに口端を歪めた。
「なんだってんだ。うざいがおもしれえ。そんなに俺のこと好きか」
「・・・黙れ!」
強張った身体を反射的に翻して蹴りかかった。紙一重で避けて足首を掴み、その場に引き倒す。
襟首を掴まれ氷の上に押し付けられて、サンジは身体を震わせた。
氷の冷たさよりゾロの手の冷たさに驚く。
いくら吹雪の中とは言え、生きている人間と思えないほどの冷たさだ。

「あん、冷てえのが気に入らねえか?」
ゾロは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「てめえ、俺の体温が高いのにもクラクラ来てんだよなあ。手軽な奴だ」
怒りのあまり目の前が赤く染まる。
「黙れっつってんだよ、誰がてめえなんか・・・」
ゾロの手の冷たさにつられて、ガクガクと顎が震えた。
寒い訳でもないのに歯がかち合って鳴る。
「てめえのことなんか・・・」
サンジの上から覗き込むゾロの瞳は、影を差したように暗く虚ろだ。
目の前にいる自分を素通りして何かを見ているようで、ぞっとした。


「てめえなんか、俺の好きなゾロじゃねえ・・・」
みっともなく声が震えたが、構わなかった。
「そんな、何もかも知り尽くしたような、諦めたような、腐った目えした奴じゃねえ。阿呆なんだ、てめえは掛け値なしの
 阿呆の筋肉馬鹿なんだよ!」
ゾロの手が頬に触れ、コートの下から襟首に差し込まれた。
凍り付くような冷たさに身体が竦む。
「なに強がり言ってんだ。俺に触れられてドキドキしてっくせに。野郎に触られんのがそんなに嬉しいか」
ゾロはおかしそうに笑ってサンジのコートを剥いだ。
次々と服を脱がされ素肌に氷より冷たいゾロの手が触れて、サンジは痛みさえ感じて氷の上に投げ出した手を握り締める。
身体は痺れたように凍えて上手く動かせない。
圧し掛かり、物珍しそうに触れるゾロは人間の体温をまるで感じさせなかった。
瞳どころか身体も心までも、凍り付いてしまったかのようだ。

「ゾロ・・・」
「嫌がってるふりなんかすんなよ。見え透いてる」
揶揄を含ませて、ゾロは曝した胸の尖りを抓む。
寒さですでにピンと立ち上がったそれを冷たい指で抓まれて、サンジは思わず声を上げた。
電流でも流されたかのように、痺れて痛い。
「えらい感じんだな。男は初めてなのに、そんなにイイのか?」
ガチガチと歯を鳴らして、それでもサンジはゾロを睨み返した。
「てめえなんか、ゾロじゃね・・・」
「あ?」
ゾロはべろりと舌を出してこれ見よがしに乳首を舐めた。
柔らかな舌さえも、まるで氷を押し付けられたかのような冷たさだ。
「ゾロは、てめえは、ほんとは熱い奴なんだ。バカで単細胞で鍛錬しか頭にねえ脳なしで・・・ものぐさで自己中で
 横柄で高慢ちきで迷子で学習能力がなくて・・・」
ゾロの掌が、サンジの左胸の上に押し付けられた。
まるで、赤く焼け爛れた鉄を押し当てられたかのように痛い。
あまりの冷たさに痛みが伴って、サンジの心臓を凍えさせる。

「ネズミみてえにとくとく鳴ってるな。面白れえ・・・」
目新しい遊びを覚えた残酷な子どものように、ゾロは目を輝かせて舌なめずりをした。
「このまま凍え死んでも構わねえって、本気で思ってんのか。すげえな、筋金入りかよ」
サンジはがくがくと震えながら首を振った。
寒さのあまり、唇が戦慄く。
目尻に熱いモノが込み上げてきたが、顔を背けることもできない。

「底なしの、アホなてめえだがよ・・・俺は、好きなんだ」
吸い込む息さえ肺を冷たく侵す。
「いつも危なっかしくて、てめえでてめえの足切ったりするようなバカだ。負けねえためならなんだってしようとしやがる。
 俺はもう、そういうてめえがでえ嫌いなのによ・・・」
じわりと視界が滲む。
「それでも好きでしょうがねえんだ。アホなのに、バカなのに・・・どこまでも強さばかり求めて、真っ直ぐなてめえが
 好きなんだ」
目尻から涙が零れサンジの額を熱く濡らした。
そこだけに、温もりがあった。
「こんな、こんな・・・冷てえのは、てめえじゃねえよ・・・」
殆ど泣き言にしか聞こえない声で、それでもサンジは必死に叫んだ。

「冷たいようであったかいんだ。切り捨ててるみたいで、受け止めてんだ。ほったらかしてるみてえなのに、ほんとは
 見守ってる。誰よりも、仲間を大事にして・・・ルフィもナミさん達も・・・てめえが大切で――――」
くしゃりと顔を歪めた。
「そんなてめえを、勝手に俺が好きなだけだ。気持ち悪いのも当たり前だ。てめえに振り向いて貰えるたあ思ってねえ・・・
 それでも―――」
雪の塊より冷たく重いゾロの体を、震える腕を伸ばして抱き締める。
「てめえがてめえらしくいて欲しい、そんだけだ。頼むよ、元に戻ってくれよ」
触れた素肌から急激に体温を奪われ、サンジの意識は徐々に薄れていく。


もしかしたら、この神殿もこのゾロも、すべては幻だったのかもしれない。
冬島の吹雪が見せた幻影で、自分はこのまま雪に埋もれて凍死してしまうのかもしれない。
けれど、それでも――――


最後にゾロに抱かれる夢を見て、幸せだと強く思った。











ゆらゆらと、足元が揺れている。
温かな毛布に包まれて揺りかごに揺られている気分がして、サンジはうとうとと夢を見ていた。
あったけ―――
ぬくぬくと言うより、抱きついた部分が汗ばむほどに暖かい。
ほうと息を吐けば、頬を撫でる風の冷たさに改めて気付いて小さく身じろぎした。鼻先を短い髪の毛が擽る。
雪を被った若葉のようだと、ぼんやりと薄目を明けて眺めれば、唐突に覚醒した。


「うおっ?」
奇声を上げて身を起こせば、それはゾロの上だった。
正確にはゾロに負んぶされている背中の上。
しかもただっ広い雪原の真ん中で――――

「お、気付いたか」
ゾロは首だけ傾げてサンジを振り返った。
「おま・・・なんで?つうか、なんだ?」
思わぬ状況にパニクって、サンジは無理矢理降りようと試みる。
「んだ、その調子なら大丈夫だな」
尻の下で組んでいた腕をおもむろに外したから、サンジはそのままどさりと落ちた。
深い雪の上にはまってじたじたと手足をバタつかせる。
「いきなり下ろすな阿呆!」
「ったく、暴れたり文句言ったり・・・ほんとにうるせえ奴だな」
雪の上に座り込んだまま、サンジは辺りを見渡した。
先程までの吹雪は止んで雲の切れ間から太陽が覗いている。
山々の嶺を覆う白銀はどこまでも続き、宝石をちりばめたかのように輝いていた。

「・・・夢、だったのか?」
呆然と呟くサンジの衿を掴んで乱暴に立たせる。
「夢じゃねえぜ、さっきまでいたのはあの場所だ」
促されて見れば、なだらかな丘の上に白く輝く神殿が見える。
「ちょっと休むつもりであそこに入ったんだが・・・あの椅子に座った途端、何もかもが見えて嫌になった」
ゾロらしくない物言いにぎょっとして目を瞠った。
だが目の前にいるのはいつものゾロだ。
くたびれたシャツと腹巻を身につけ、ふてぶてしい顔で神殿を睨みつけている。

「今から思えば、あん時見えたものもほんとかどうだかわかりゃしねえな。どうでもいいことだ。誰がどんな思惑
 持ってようと我が身が可愛いかろうと、それでいい。俺だってそうだし、てめえもそうだろ」
いきなり話を振られて戸惑う。
「囚われてたんだな俺は。てめえが来てくれて助かった、ありがとう」
「――――!」
まともにゾロに礼を言われて、サンジは引っくり返りそうになるほど驚いた。
こいつニセモノなんじゃないかとマジで疑う。
「て、ててててめえ何者だ。まだ俺は幻みてんのか?」
「幻じゃねえっての。人が素直に礼言ってんのに、おかしな奴だな」
そう言って踵を返すと、ざくざくと山を登り始めた。

「ちょっと待て、てめえどこ行くんだ。麓に降りるんじゃねえのかっ」
「降りるんだよ」
「ならこっちだ馬鹿野郎!」
ゾロの肩を掴んで方向を変えさせる。
シャツも肌も温かくて、思わず掴んだ腕に力を込めた。
「・・・あったけー・・・」
「寒いのか?」
ふわりと、肩を抱かれた。
そうたいして変わらない身長なのに、幅の厚い胸に抱かれる形になってサンジは慌てた。
「待て、なにすんだ気色悪っ」
「ああ?てめえ俺のことが好きなんだろがよ」
「誰がっ、そんなんてめえが勝手に見た幻だ!」
ガンと脛を蹴ってゾロの腕からすり抜けた。
さっきまで凍えていた心臓が今は暴れ馬のように鳴り響いて口から飛び出そうだ。

あの神殿での出来事が夢であっても幻であっても、どちらでももうよかった。
本心が知られたこともたいした問題じゃない。
ゾロが戻って、今側にいて・・・それだけで、こんなにも心があったかい

思えばゾロは、常に自分と対極にあるような性格だから、心にも言葉にも“嘘”がないのだろう。
だからこそ、あの玉座に座れた。
人の心を見透かし、平気で傷付け素直に詫びる。
本質が揺るがないから、サンジの本音を知っても動じることはない。


口惜しいながらも嬉しくなって、サンジはゾロに隠れて笑みを零した。
「仕方ねえ。いいから迷子マリモは俺についてこい。途中ではぐれて冷凍マリモになったって、食えやしねえぜ」
先に歩くサンジの手を、不意にゾロが掴んだ。
照れるより先に驚いて、払い除けるタイミングを失う。
「冷たてえ手だな」
ゾロの手は、いつもどおりまるで発熱しているかのように、暖かい。
ぎゅっと包まれるように掌を握られてサンジは思わず俯いて早足になった。

「宿に帰ったらな」
「・・・・・・」
「てめえの本音を聞かせろ」
「・・・そんなん、ねえよ」
「ねえかどうか、わかんねえだろ」
「・・・気持ち、悪いんだろうが」
「それがそうでもねえ」
ぐいと腕を引かれた。
雪で足をとられバランスを崩したサンジを、ゾロが力強く抱き締める。


「俺自身もよくわからねえから、確かめさせろ」
「なんで・・・」
この期に及んで、サンジの顔はまだ怯えに歪む。
「てめえのことをもっと知りてえと、思っただけだ」
唇が付きそうなほど顔を近付けて、囁かれた。
口元にかかる息が暖かい。どちらからともなく引き寄せられるように重なった唇は、しっとりと溶け合って熱を高めた。








山を降りる道中に雪に埋もれたルフィとウソップを拾い、チョッパーに泣かれナミにど突かれロビンに諭されながらも、
ゾロはめげずにサンジの部屋に乗り込んできた。
期待半分、諦め半分で待っていたサンジは改めて動揺し、頑なに辞退申し上げたがゾロの情熱は止まらない。
「どういう訳かコレがやる気になってんだ。確かめさせろ」
「コレってなんだよ」
不遜な物言いで下を指差すゾロに促されて視線を落とせば、腹巻の下部に不自然な盛り上がり。
「〜〜〜〜そっち方面かよ!」
怒り心頭で蹴り飛ばしても、ゾロは今度はそう簡単に蹴り倒されてはくれなかった。


そして現在、狭いシングルベッドをギシギシ言わせながら、大の男が二人でシーツの海を泳いでいる。
「あのな・・・俺はな、本当にな・・・」
身包み剥がされてあちこち触られて撫でられて、サンジはシーツから顔を上げるのも嫌がってくぐもった声で呟く。
「別にてめえとこう言う・・・ん、な・・・こういう、んはああああ」
「どういう、だよ。やんなきゃわかんねえだろうが」
実にゾロらしい即物さで手を出されて、本音は嬉しくないこともない。
まさか男の自分にゾロが欲情するとは思わなかったのだ。
しかもこんなに積極的に。
求められていると信じられるのは正直嬉しい。
けれど、ゾロにこんな行為をさせているという背徳感から逃れられない。

「やっぱダメだって。てめえ、こんなんしてる場合じゃねえんだよ。天下のロロノア・ゾロが、大豪目指す男が、
 野郎の尻弄るなんざ・・・」
ぐちょりと音を立てて、ゾロの指が乱暴に引き抜かれた。
サンジの口からか細い悲鳴が上がる。
「あのなあ、いくら俺でも好きでもねえ野郎のケツ解す趣味はねえぞ」
濡れた指で顎を掴まれ、もう何度目かの口付けを受ける。
吸われすぎて腫れた唇は紅く染まり、余計噛み易くゾロの舌に馴染んだ。
「だ・・・な・・・」
「好きかどうかもまだわからねえけどよ、一つだけ言える」
離した唇をぺろりと舌で舐めて、ゾロはサンジの片足を肩に担いだ。
挑発するように目を合わせて腰を進める。
「・・・あの城で、てめえの本心見えたとき、俺あ多分嬉しかった」
「・・・う、あ・・・あああ・・・」
「嬉しいってのは、満更でもねえってこったろ?」
「ん、く・・・あ――――」
柔らかく溶けた身体を遠慮なく押し開いて、ゾロは宥めるように優しく優しく腰を揺らす。
まだ首を振って泣きじゃくるサンジの頭を抱いて、理屈より身体で教えた方が早いとばかりに、今度は熱を孕み
上気した薄桃色の肌に、その情熱を痕を刻んだ。










「あ〜腰いて〜・・・信じらんね〜。あ、そこ寄って」
「まだ何か買うのかよ」
小さな村の小さな店を買い占める勢いで、サンジは景気よく買い物を続ける。
ストレスは買い物で発散されるらしい。
「ほい、じゃがいも一箱よろしく。あ、缶詰と・・・」
ゾロは荷車に凭れて腕を組み、ため息をついた。
別に懇ろになったから即可愛くなれとは思わないが、我が物顔で扱き使われるのも癪に障る。
かと言っててめえなんざ関係ねえとはもう言えない。
なんせもう自分とサンジとは関係ありまくりだ。
その辺の線引きは律儀なゾロだ。

「ぶーたれるなよ、結局はてめえらの腹に納まる貴重なシロモノだ。港までもう一軒」
「まだあんのかよ」
今朝、目が覚めたらサンジはすでに着替えて窓辺で一服していた。
いつまで寝てるんだとか、朝食を食いっぱぐれるとか、寝すぎると脳味噌が耳から垂れるとか、くだらないことを
喚きたててうるさかった。
船にいる時よりうるさいくらいだ。
なんでこいつはいつまでもこんななのだろう。
昨夜はあんなに、可愛かったのに・・・


「お前って、よくわかんねー・・・」
ゾロの素の呟きに、サンジは足を止めしてやったりと振り返った。
「だろ?わかんねー方がいいんだよ」
悪くはないと、ゾロも思う。

よく晴れた青い空の下、白い山の頂だけが今日も吹雪に煙っている。










END