■キスの日



自慢じゃないが、サンジは昔からキスに慣れている。
家族とは今でも挨拶代わりだし、海外に住んでいる親戚ともバカンスで会う度に交わしているし、初キッスのお相手はお隣のリナちゃんだったし、卒園式の日には演台に登って大好きだったヨーコ先生にもちゅうをした。
だから今さらキスなんて・・・と、思っていたのに。



日脚が伸びて、沈み行く夕陽は名残惜しげに黄金色の光を投げ掛けていた。
茜色に染まった教室には、二人以外誰もいない。
古い校舎は廊下を歩む足音にもキシキシと振動を響かせるから、近付く気配があればすぐにわかった。
しんとした教室は息を潜めるほどに静かで。
校庭から届く野球部の掛け声は、どこか別世界のもののように感じられた。



忘れ物を取りに帰って、転がった消しゴムを拾うつもりでしゃがんだ。
そしたら制服の裏ポケットからポロリと煙草の箱が落ちて。
こりゃまずいと慌てて床に手を着いたら、そこにゾロがやってきた。

やべえ、と思った。
ゾロはサンジが煙草を吸っていることを知っている。
知っているのとそれを許しているのとは別問題だ。
下手したらゼフに見付かるより厳しく叱られる。

煙草を引っ掴んで懐に入れ、ごろりと身体の向きを変えて仰向けに手を着き直した。
眉間に皺を寄せて見下ろすゾロに、へへっと笑い返す。
「消しゴム落っことしてさ」
弾みだし・・・と言い訳にもならないことを呟いて立とうとして、肩を押された。
サンジの膝の間にゾロがしゃがんで、襟首をぐいと捕まれる。
身体を起こしきれない中途半端な姿勢で、サンジはなんだよと睨み返した。
殴られそうな体勢だけど、いくらゾロでもサンジを殴って喫煙を窘めたりなんかはしない。

戸惑っている内に、ゾロのもう片方の手がサンジの頬に触れた。
指先でそっと肌を撫で、そのまま顎に添えられる。
―――え?

今さら驚くくらい、近い場所にゾロの顔があった。
窓から射し込む光を受けて、いつもは静かな瞳に剣呑な色が浮かんで見える。
怒っているというより、なにかを決意したような真剣な眼差し。

ゾロの指が触れた部分が、熱を帯びて熱い。
体温が高過ぎんだろ、熱でもあんのかと軽口を叩きたいのに、実際には声にならなかった。
動揺を隠すために唾を飲み込んだ、こくんと言う音すらゾロに聞こえそうで焦る。

顎に添えた指先に、力が入った。
掴むように挟んで顔を近付けて来る。
サンジは後ろ手に床に手を着いて、身体を傾けたままだ。
身を引いて倒れるか、いっそ身体を起こして頭突きをすればこの体勢からは逃れられるだろう。
けれど、そのどちらもできなかった。

このまま唇をくっ付けたら、それはキスだ。
サンジにとっては珍しくもない。
今朝だって愛猫にちゅーして出てきた。
全然特別じゃない、小さい頃から慣れている。
唇をくっ付けて示す、親愛の証。

まるで挑むように、ゾロはサンジの瞳をずっと睨み続けて唇を重ねた。
サンジも受けて立つように、焦点が合わないくらい近付いてぼやけたゾロの目を睨み付けながら唇を合わせる。

乾いてかさついて、それでもやはりそこだけ高い体熱を感じながら、サンジは観念したように目を閉じた。
それにほっとしたのか、ゾロも瞳を閉じる気配がする。
黙って唇をくっ付けあった後、ゾロは少し動いて顔の角度を変え、改めて唇を合わせ直した。


小さい頃から慣れているけれど、毎日だってしているのだけれど。
サンジにとって、それは初めてのキスだった。




END



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