■飼育の日



しとしとそぼ降る小糠雨の中、サンジはいつまでもその場から立ち去れないでいた。
公園の滑り台の下に、小さな段ボール箱が置いてある。
浮いた蓋の下からは、ミイミイとか細い声が聞こえて来ていた。
しゃがんでそっと開けてみれば、サンジの拳ほどの大きさもない、小さな小さな子猫が震えながら鳴いている。
はっとして手を引っ込め、立ち上がってじっと見下ろした。
再び暗くなった箱の中で、当てもなく鳴き続けるか細い声。
雨音に消されてしまうほどかすかな響きなのに、つい耳をそばだててしまう。
見なかったことにして、さっさと立ち去ってしまえばいいのに、どうしてもそこから動けない。
春とはいえ降る雨は冷たくて、飛沫が跳ねて濡れた段ボールの中はもっともっと寒いだろう。

―――こんな道、通らなきゃよかった。
忘れ物をしたからと途中で集団下校から離れ、学校から取って返して近道のつもりで公園を横切った。
そんなことしなければ、この箱の存在になんか気付きもしなかったのに。


「おい」
不意に後ろから声を掛けられ、ビクッとして振り返る。
カッパを着て自転車に跨ったゾロがいた。
幼稚園が一緒で、幼馴染とはいえなくもないがよく喧嘩した覚えしかない。
きっかけはなんだったか忘れたが、多分女の子絡みだろう。
サンジが誰かと揉め事を起こすのは、大概女の子が絡んでいる。
とにかく、以来ゾロとは犬猿の仲で卒園式でも取っ組み合いの喧嘩をした。
その証拠は、卒園アルバムにきっちりと残っている。
小学校ではクラスが離れて、滅多に顔を合わせることはなかったっけか。
その、顔は知ってるけど決して親しくはないゾロが、サンジをじっと見つめていた。

「なんだよ」
「なにしてんだよ」
喧嘩腰で睨み付けるも、ゾロもそれ以上は問い詰めずきつい視線を返すばかりだ。
サンジは途方に暮れていたので、結局力なく視線をダンボールへと移した。
ゾロもようやく気が付いたようで、ああと声を出す。
「捨て猫か」
「・・・」
こんなところで捨て猫を見つけて、立ち去りがたく佇んでいたことが急に恥ずかしくなった。
なんでもねえよとさっさと駆け出してしまいたかったが、足がちっとも動かない。
「連れて帰るのか」
「できるんならとっととやってる」
サンジの家はレストランで、生き物を飼うのは許されてなかった。
小さい頃からそういう事情はちゃんとわかっているから、拾って帰って「飼いたい」だなんて言える筈もない。
けれどこのまま、この猫を見なかったものとして置いて帰るなんてこともできない。
「家で飼えねえのか」
ゾロの声のトーンが少し柔らかくなった気がした。
サンジは今度は素直に、箱を見つめたままコクンと頷く。

泥を跳ねさせながら、ゾロが自転車のスタンドを下ろした。
そのまま箱の前にしゃがみ、中を覗く。
震えながら見上げ、ニャーと鳴く子猫の顎の辺りを指で撫でた。
「ちっさ過ぎるな」
「え」
「連れて帰ったって、多分ダメだぞ」
「そんな」
自分で育てることなんてできる訳ないのに、それでもサンジは愕然となった。
折角見つけたのに、まだ生きているのに―――

「まあ、ダメ元だな」
そう言って、ゾロは子猫を抱き上げるとカッパの前を開けて服の中に入れた。
パーカーの下、腹の辺りに緑色の毛糸みたいなものがあって、そこに子猫がちゃんと収まる。
「連れて帰るのか」
サンジは慌てて、ゾロに傘を差し掛けた。
ゾロが濡れるのを心配する訳じゃない、子猫の顔が濡れるのが可哀想だからだと勝手に心の中で言い訳をする。
「多分ダメだろうけどな」
そう言ってロは自転車のスタンドを上げると、そのまま跨いで走り出してしまった。

泥除けから飛沫が跳ねて、サンジの制服が泥まみれになる。
それに構わず、サンジはその背中を目で追って足を踏み出した。
「あ―――」
何か言う前に、ゾロの姿は雨に煙る公園の向こうへと出て行ってしまった。
本格的に振り出した雨が、傘の上で音を立て始めた。

サンジは空っぽのダンボールを見下ろし、ゾロが去った方向へと顔を向けて、ちぇっと下唇を尖らせた。
「ありがとうって言おうと、思ったのに」
ばかやろーと一人ごちて、だからあいつはキライだと繰り返しながら家に向かって歩き始める。
さっきより雨は激しくなったけれど、サンジの足取りは徐々に軽やかになっていった。





END



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