くれない匂う -2-


「どこ行くの?案内しようか」
「見ない顔だね、旅の途中かい?」
「美味い店知ってるよ、一緒にどうかな」
「待ちなって、悪いようにはしないからさ」
下手なナンパだなと、サンジは顔を背けて舌打ちした。
自分ならもっとこう、スマートに女性をエスコートするだろうに。
まあ仕方がない部分はある。
自分は女性ではないし、エスコートされる気もサラサラないからだ。

「ね、ちょっとでいいから付き合ってよ」
チャラいナンパ男に行く手を阻まれて、サンジはこれ見よがしに溜め息を吐いた。
「だからうるせえっつってんだろ、野郎に絡んで何が楽しい。つか、ついてくんなボケ」
「乱暴な素振りがまた、たまんないなあ」
サンジの悪態など耳にも入らない様子で、ナンパ男は斜め上方向を眺めた。
中空にはなにもないが、それが彼のお気に入りの角度なのだろう。
「そんなことよりこのソーセージどうだい?ちょっと味見しなよ」
屋台のおっさんが試食用にと皿を突き出してくるが、明らかに試食の範疇では収まらないほど大量だ。
ただでそれほど貰う謂れはなくて、サンジは無碍に断った。
「急いでんだ、通してくれ」
「待ちなって」
「飯を奢るからさあ」
本気でサンジは急いでいた。
腹立ち紛れにボートで島に漕ぎ着いたら、結構大きな街があったからだ。
温暖な気候故か、道行く女性達はなかなかに薄着でキュートな子が多い。
ここでナンパに励まなければ男が廃る!
その意気込みで早歩きしているのに、さっきからついてくるのはむさくるしい野郎ばかり。
男に声を掛けられて、喜ぶ訳がないだろうに。

「ついて来んなっつってんだろ!」
「つれないこと言うなよ」
「兄ちゃん、いいとこ連れてってやろうか?」
男達を振り切るつもりで街中を歩いたら、更に付いて来る数が増えてしまった。
サンジは振り返り、息を呑む。
目算で軽く50人は後ろに繋がっていた。
この光景は何かに似ている。
なんだったっけか。
幼い頃読んで聞かせて貰った絵本の・・・そう、なんとかの笛吹き男。
「冗談じゃねえぞ」
このままでは、男達を引き連れて海に飛び込む羽目になりかねない。
とは言え、しつこく言い寄ってくる男達はみなゴロツキでも海賊でもなかった。
普通に街を歩いていた島民達で、サンジを追い掛ける以外はこれと言って悪さをした訳ではない。
実力行使に出て蹴散らすのは簡単だが、素人相手に暴力を振るうのは躊躇われる。
そう逡巡している間に、サンジを先頭にした列は更に膨らんだ。
街の中で悪目立ちして恥ずかしいことこの上ない。
「なんで付いてくんだよ!」
「君が俺の誘いを断るからじゃないか」
「いいや、おじさんと飯食いに行こう」
「おじさんといいとこ行こうぜ」
「俺について来い」
無害なおっさん達も、固まると超迷惑だ。
「俺の尻なんか追っかけるより、周りに可愛いお嬢さん達がたくさんいるじゃねえか、ここはホモの島か!」
「いやあ、誰も君の尻を追い掛けている訳では・・・」
先頭の気障男が大袈裟に手を振り、ふと動きを止めた。
「・・・尻・・・」
ぎょっとして身構えると、男たちの視線がそれとなく下がっていく。
「なるほど」
「そういやあ・・・」
「そうなのか?」
いや、なんだ?
何が起こっている?
サンジは危険を察して前を向いたまま、両手を背後に回した。
なんだかこの尻が、狙われている気がする。
「なーんかいい匂いがすると思ったら」
「そうか、尻か。尻だったのか」
なんだ尻か、また尻なのか?!
「だから、人の尻追っかけてんじゃねえよっ」
サンジは両手で尻を庇ったまま、全速力で後ろ走りした。
逃げれば追う。
野性の本能に従うかのように、男達は目の色を変えて一斉に走り出した。
「待てええええっ」
「嗅がせろ、確かめさせろ」
「うぎゃああああ」
後ろを向いたまま走っていてはすぐに追い付かれる。
さすがに途中で気付いて、サンジは走りしながら方向転換した。
ら、前からとんでもない勢いで駆け寄ってくる見知った緑頭に気付いた。
「げっ」
前門の虎、後門の狼?
「どけ、てめえらっ」
幸い、ゾロの目的はサンジの尻ではないようだ。
風に煽られるほどの勢いでサンジの横を通り過ぎると、素手のまま男達に対峙した。
「無刀流、竜巻っ」
素人相手に使うかそれを?
唖然として立ち止まったサンジの前で、ゾロは多くの一般人を巻き上げながら叫んだ。
「俺のケツになにしやがるっ」
「誰がお前のケツだボケえっ!」
サンジは渾身の力を込めて、延髄蹴りを食らわした。



「待ってよボクの、蜂蜜ちゃあああんっ」
どうと倒れこむゾロと、天高く舞い上がる気障男の悲痛な叫びを耳に残し、サンジはその隙に脱兎のごとく逃げ出した。
こうなっては、可愛いレディとの逢瀬も諦めるしかない。
迂闊に街を歩いて見知らぬ男に尻を嗅がれては、ダメージが大き過ぎてとても立ち直れない。
さりとてどこに逃げたらいいと言うのか―――

闇雲に走っている内に港に出た。
春の日差しを受けた海が、穏やかにうねりながら輝いている。
匂いを消すなら、水だ。
昨夜風呂で散々洗い流したにもかかわらず夜中にゾロに寄り付かれたことも忘れ、サンジはそのまま海に飛び込んだ。





春島海域とは言え、さすがにずぶ濡れで歩いていては寒くてたまらない。
サンジはやむを得ず、そのまま繋留してあるメリー号へと向かって泳いだ。
確か、今回は船番の必要なしとのお達しがあったのに、最悪一人ぼっちでお留守番の憂き目に遭うかもしれない。
それでも構わないと自嘲気味に泳ぎ着いた。
捨て台詞を吐いて一人で一足先に上陸した負い目もあって、誰かに出会うのはバツが悪かったが、幸い船には仲間の姿は無かった。
ゾロ以外の誰かがいてくれたら、飯でも作ってやったのに。
ほっとしたような残念なような、複雑な気分のまま風呂場に直行する。
ログが溜まるまでキッチンの掃除や倉庫の整理でもして時間を潰そう。
そう悲愴な決意をして身体と一緒に洗濯を済ませ、さっぱりとした顔で甲板に出る。
と、そこに明らかな元凶が突っ立っていて思わず悲鳴を上げそうになった。

「なんでいる?!」
声が途中でひっくり返ったが無理もない。
街の男連中と、ついでにしつこいマリモを撒くために海に飛び込んだはずなのに、なぜにこうしてまた出くわすのか。
ゾロはサンジに怒鳴られたのが相当不本意だったのか、明らかに不機嫌な顔でふんぞり返った。
「お前がいると思ったからだ」
「なんでわかる、つうか、お前が真っ直ぐ船に戻ってくるって異常じゃね?」
戻ろうと思ってもなかなか戻れないのが通常だったはず。
「匂いを辿って歩いていたら、メリー号があった」
ガボーン・・・
もはや本物である。
気のせいでも気の迷いでもなく、明らかに自分の身体が匂っているということなのか。
サンジはまだ湯気の立つ洗い立ての身体を、くんくんと匂った。
自分ではまったくわからない。
ほのかに石鹸の香りがするだけで、至極普通の風呂上りの匂いしか。
「そんなに俺、匂うのか?」
「おうよ、島歩いててもどっちにてめえがいるかすぐにわかった。今も相当するぞ」
思わず自分の身体を手で抱いて、身震いした。
「そんなにすんのか、臭え?」
「いいや、匂いはきついが臭いのとは違う」
そう言いながら、また顔を近付ける。
もう逃げても無駄だと諦めて、それでもサンジは首を竦めて身を硬くした。
そんなサンジの頬の辺りから耳元、首の下当たりをゾロはまるで犬のように鼻をヒクつかせながらたっぷりと嗅いで回る。
「臭えんじゃなくて、どんだけでも匂いたくなる匂いだ。こんな匂いは初めてだな」
言いながら肩から腕、胸元から脇腹へと徐々に顔をずらしていった。
ちょっと待て、そこから先はデンジャラスゾーン!

「待て待て待て待てっ!だからって好き放題、嗅いでいい訳ねえだろうが!」
サンジは我が身を抱いたまま飛びすさった。
がしかし背後は壁、もはや逃げ場はない。
「こんだけいい匂い放ってやがるからな、いつ島の連中に嗅ぎ付けられるとも限らねえ」
ゾロの表情はすでに凶悪な犯罪者のそれに近い。
偏執的な光を帯びた瞳で、にやりと笑う。
「だから艫綱外してやった。もうこの船には誰も来ねえぞ」
「・・・あんだっ、と?!」
飛び上がるほど仰天して、慌ててゾロの横をすり抜け甲板に出た。
先ほどまで港にいた筈なのに、街並みが随分と遠くに見える。
波に揺られるまま、ゆっくりと沖に流されていた。
「この馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿野郎!!どーすんだっ」
「ああ、この辺で錨を下ろしてまたログが溜まる頃、接岸すりゃあいいだろうが」
ゾロはこともなげに言って、さてと一歩踏み出した。
「それまで、心行くまでたっぷりと匂わせてもらうぜ」
「・・・う」

ぎゃああああああああああああああああああああああああああ・・・




ログが溜まる頃、メリー号は知らん顔で港に戻っていた。
島で楽しく過ごしていた仲間達が、それぞれ船に帰ってくる。
と、誰もが異変にすぐに気付いた。
遅刻、もしくは捜索が必至と思われていたゾロがすでに戻っていて、素知らぬ顔で鍛錬などして入る。
サンジは先に戻っていた筈なのに、キッチンが片付けられていない。
食料を買い出した形跡もない。
倉庫も整理されておらず、当のサンジは男部屋で目を開けたまま放心状態だった。
「ドクター!」
慌ててチョッパーが呼ばれ診察となったが、これと言って異常は見つからなかった。
外傷はないし、衣類に乱れもない。
健康状態もとくに問題なし。
ただ精神的にかなりのダメージを受けたのか、何を質問しても明確に答えられず、何よりサンジは誰とも目を合わせようとはしなかった。
なにもない中空を見つめ、時折はははと乾いた笑いを漏らした後、あああああと呻きながら一人で髪を掻き毟っている。
尋常でない様子にこりゃダメだとそうそうに見切りをつけ、ウソップがゾロを伴い、代わりに買い出しに出かけた。
その隙に、ロビンが懐から何かを取り出す。
「コックさん、これに見覚えはあるかしら」
掌に乗ったのは、房になった小さな果実だ。
色は青黒い。
サンジはぼうっとその手を見つめ、ああと気の抜けた声を出した。
「前に・・・島に着く前に、甲板にこれと似たのが落ちてたよ。けど色が違う」
「真っ赤な色?」
「そう、カラントかと思った」
そう、と穏やかに微笑むロビンと気の抜けたサンジの顔を、ナミは興味深そうに見比べた。
「その実はなんなの?ロビン」
「これは島の森林地帯に自生しているヒプノティックと言う植物らしいわ。未成熟な実は赤色で、熟するとこんな青黒い色になるんですって」
「へえ、赤色の方が美味しそうなのに」
そうなのだ。
だからサンジは、それを口にした。
「普段は森に生息する鹿やウサギ達、動物のご馳走らしいの。彼らは色でなく匂いで判断するから、熟していないものは口にしない。その代わり、人間は普通の赤い実と間違えて色で判断し口にして、稀に間違いが起こるんだそう」
「間違いって?」
チョッパーの円らな瞳が、医師の好奇心を伴って輝いている。
「熟した実を食べると・・・それは主に雄なのだけれど、雌を惹き付ける匂いを放つそうよ。フェロモンの一種ね。この島の森林地帯は広大で、繁殖期に相手を見付けるのが大変だから匂いがきつくなったとも言われてるらしいけれど、熟していない赤い実を食べると・・・」
そこでちらりと、サンジの表情を見やる。
「雄を惹き付けてしまうのだとか」
あちゃ〜と、ナミが気の毒そうに首を竦めた。
サンジはその隣で、無表情のままピクリともしない。
「その効用を利用して、街の娼郭ではわざと赤い未成熟な実を使って香水を作ったり媚薬を調合したりするそう。大体この一粒で10回分の媚薬ができると言われているわ」
そこまで言って、ロビンは真面目な顔でサンジに向き直った。
「ちなみにコックさん、貴方は何粒口にしたのかしら」
「・・・それくらい、ひと房全部」
あちゃ〜〜と、ナミが頭に手を当てて更に首を下げた。
ひと房にほぼ7〜8粒。
単純計算で70人強を虜状態。
「災難だったわね」
「そうとしか言いようがないわ」
女性陣の生ぬるい同情を一身に受けながら、サンジの顔は無表情なまま口元だけでへらりと笑った。
余計に痛々しい。
「でも、なんでゾロにしか効き目がなかったのかしら」
「あら、街の男性達を軒並み引き連れて歩いてたって聞いているけれど」
「それは私も聞いたわ。なんでも一般人相手に素手で竜巻起こした馬鹿がいたそうねえ」
誰ともなく深いため息を吐き、それでも大事にならなくてよかったわねと頷き合う。
「そうじゃなくて、この船でどうしてゾロ以外効き目がなかったのかってことよ。サンジ君本人がわからないのはともかく、ルフィもウソップも雄じゃないの?」
チョッパーはトナカイだから置いておくとして、雄はサンジ以外3人いた筈だ。
「剣士さんと、ルフィや長鼻君達との間に違いがあるんじゃないかしら」
「ゾロと、ルフィとウソップの間の違い?」
しばし沈黙の後、あっと声に出さず口を開いた。
そのまま閉じて、視線で頷き合う。
「なんとなくわかったわ」
「敢えて口に出すのは止しましょう」
それが賢明ねと話を終わらせて二人に、チョッパーがなになに?と興味深げに聞いてくる。
「それはそうとチョッパー、サンジ君外傷がないんならゾロに襲われたわけじゃないのね」
「ああ、大丈夫。どこもかしこも無傷だ。擦り傷一つないよ」
「ならなんで、こんなにダメージ受けてるの?」
相変わらずサンジの顔色は蒼白で、目の焦点も合わず生気がない。
思い切り被害者臭が漂っていると言うのに。
「別に、ゾロが乱暴を働いたわけじゃないんだ。ただ、実の効能が抜けるまでの3日間、ずっと匂いを嗅がれ続けていたってだけで」
「匂いを・・・」
「嗅がれて?」
ゾロを問い詰めたところ、とにかくいい匂いがして堪らんかったからずっとその匂いに浸っていただけだとの証言を得た。
匂いを嗅いでいただけだから、サンジの身体に直接被害はない。
ただ、より強く匂う箇所ばかりを集中的に嗅いでいたため、時として非常に辛い体勢も取らねばならなかったとのこと。
より強く匂う箇所の説明を受け、ナミとロビンは痛ましげに眉を顰めた。
そして抜け殻のように座ったっきりのサンジに、改めて哀悼の意を表した。





「サンジーっ!飯――――っ!」
すべての謎が解けた後、メリー号一のトラブルメーカーが帰ってきた。
開口一番「飯!」と叫んで、腑抜けたままのサンジに飛び掛る。
勢い余って床に押し倒され、乱暴に揺すられ腹減ったと叫ばれて、サンジの瞳に徐々に光が戻って来る。
「ええい、うるせえぞクソゴム!」
いきなり日常に引き戻されたサンジは、まだダメージでふらつく身体を起こしルフィに怒鳴り返した。
「畜生、なんでも作ってやる!手洗って待ってろ」
言うやいなや、元気に立ち上がり台所に向かった。
その逞しい背中にほっとして、ナミはようやく笑顔を見せる。
「よかった、やっぱりサンジ君はああでなくちゃね」
「気の毒な“事故”だったけれど、未遂で終わってよかったわ」
「トラウマのケアは俺に任せてくれよ」
こうして、メリー号はまた通常運航で元気に島を出港した。



が、その日の夜―――
ウソップが買い出してくれた荷物を倉庫に仕舞い終え、サンジは一服するために夜の甲板に出た。
今日の見張りはロビンだったか。
飛び切りの夜食を用意しなくては。
そんなことをウキウキ考えていたら、聞き慣れた靴音がして風呂上りのゾロが通り掛った。
途端、嫌そうに顔を顰めそっぽを向く。
そのあからさまな態度に、ゾロは悪びれる風もなく近付いてきた。
「悪かったな」
「けっ」
なにが悪かっただ。
ちっとも悪いとか思ってねえくせに。

そもそもあの実は飲んだ本人に作用するのではなく、匂いを嗅いだ雄に作用するもの。
つまり、おかしくなったのはゾロの方なのだ。
サンジはまったく悪くない。
まさに被害者。
一点の瑕疵なし。
「お前もあの実の被害者だって思えば、もう腹も立たねえや。つか気の毒なこった」
思えば、ゾロの方こそ大嫌いな男の尻の匂いを嗅ぐ羽目になったのだから、同情すべきだろう。
つか自分なら絶対嫌だ。
その時点で舌噛んで死んでしまいたくなるほどに。
ゾロはいつまでもサンジの傍に立っている。
その顔が近いから、サンジは舌打ちして向き直った。
「なんだ、まだ匂いが残ってるとか言うんじゃねえだろうなあ」
んな訳ねえよなと、ゾロの鼻に向かって煙を吹き掛けてやった」
むっと鼻の頭に皺を寄せながら、顔をずらす。
「もうあの匂いはしねえよ。・・・が、後遺症かな」
「は?」
なんだ?
まだなにか、あるのか?
「お前の面見てると、勃つ」
「――――は?」
たっぷり2分間見つめ合った後、サンジは恐る恐る視線を下げた。
風呂上りのゾロの逞しい胸元から腹、そしてその下へと・・・


「う、ぎゃあああああああああああ」

ヒプノティックの効能には、催眠の他に衝動の誘発も含まれていたらしい。




END



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